どうも大津の事件以来、世間にいじめブームが巻き起こっているような気がする。いじめブームというより、いじめ発見ブームか。
これまで無視されてきた校内暴力事件がにわかに注目を浴びて、「あれもいじめだった」「これもいじめだった」という報道が相次いでいる。
大津市教育委員会や大津署の対応のマズさによって、国民やマスコミからバッシングを浴びると気が付いた教員や警察が、これまで面倒だからと見て見ぬふりをしてきた問題に目を向けるようになり、自分も同じ目に遭わないように気を付けるようになってきたのだ。
今なら、いじめを認めて、適当に対策を取れば、「よくやった」と言われるような風潮になっているからか。
結局のところ、どんな問題も、誰かが酷い目に遭わされて、最終的に死んで、マスコミに注目され、国民から怒りの声が上がらないと何も変わらないということだ。
教員は、自分の評価に関わるから、いじめの存在自体を認めたくない。生徒がボコボコにされても、"遊びの一環"で片付ける。誰かが死んだら、"家庭内の問題"を理由にする。
警察も、いちいちいじめ事件なんぞに関わっていられないから、放っておく。ストーカーにつきまとわれて殺すと脅される女性も無視するくらいだから、学校内での暴力なんぞいちいち構っていられないのだろう。
そういう連中は、同じようなことをやってきた誰かが、国民総出でバッシングされているのを見て、ようやく態度を改めようとするわけだ。
だが、どうせすぐにいじめ問題も下火になって、皆忘れてしまうに違いない。忘れてしまえば、教員も警察も元通りに戻るのだろう。
逆に、いじめ事件が世間の耳目を集めている間は、マスコミはそれに便乗して、何でもかんでもイジメイジメと報道するようになる。
韓国のT-ARA(ティアラ)という女性アイドルグループのメンバーが、"いじめ"とやらを理由に脱退したらしいが、それをマスコミがこぞって報道している。
どんなグループか知らんので、どうでもいいニュースだが、こういうニュースを聞くと、いじめの定義がいかに幅広いかがよく分かる。
西原理恵子が漫画で描いていたが、韓国人のアイドルグループなんぞ、韓国のスカウトが街中を歩いているスタイルのいい若い女に声をかけまくり、
引っかかった連中を適当に整形させ、レッスンさせ、適当に組ませてできあがる。
顔は、韓国人には抵抗がない整形でいくらでもイジれるが、骨格やスタイルはそうそう変えられないので、そういう選び方をするそうだ。
そうやって選ばれて、適当に組まされた連中が仲良くやっていけるわけがない。
特に女なんかは陰湿だから、グループ内でいろいろあるんだろう。
それもいじめで、同級生からボコボコに殴られて、自分の金を取られて、家族の金も取られて、挙げ句の果てに万引きやらひったくりまでやらされているものも"いじめ"に分類されている。
どう考えて、ただの刑事事件だが、同級生やら仲間内で酷いことをしたら"いじめ"になるようだ。
そこらへんの一般人なんて、相対的な評価しかできないのだから、それが寄席集まったらいじめが起こるに決まっている。
誰かを見下げることでしか、自分のアイデンティティを確立できないのだから、誰かをいじめて、自分の立場を高くしたいと思うヤツが出てくるのだ。
普通の人間なら、その気持ちを理性が抑制するわけだが、それができない人間は多い。
だから、いじめ根絶なんぞを訴えても、できるわけがない。せいぜい、対症療法で処理するだけ。それはそれで仕方がないだろう。
仲間に嫌がらせされるとか、無視されるとか、そういうことはもうしょうがない。それが人間の本質だ。
だが、弱い立場の人間を作り、それをどつき回すとか、金を巻き上げるとか、挙げ句の果てには自殺させるなんてことは、いじめでも何でもなく、刑事事件なのだから、そこらへんは明確に区別すべきだろう。
韓流グループ内でのいじめと、大津の事件のいじめは、同じいじめとされているが、全く違う。程度の違いではなく、質が根本的に違うのである。広義のいじめとか、そんな範疇では収まらないのだ。
最終的にガマンしてりゃいいものは、いじめでいいだろう。
だが、それ以外は、もはやいじめではなかろうに。