先っちょマンブログ

20171110-1

今朝の新聞各紙朝刊に、座間市の9人殺害事件の被害者全員に身元が判明したという記事が掲載された。15歳の高校1年生から26歳まで、被害者はさまざまだ。
死んだ9人のうち、最初の頃に殺害されたカップル以外は自殺願望を持っていた人物であり、自殺をネタに白石隆浩に誘い出されて殺されたという恥を世間に晒しているのも当然だ。殺された被害者からしてみればセカンドレイプと同じであり、堪ったもんじゃなかろう。

「名前を顔写真まで出す必要はない」という意見をネット上でよく見る。自分が被害者だったとして、死んでからこんなことになるのはまっぴらゴメンだが、こうなることは仕方がない。

この手の議論は昔からあって、被害者の詳細を報じることの是非が問われてきた。興味本位の報道もあるが、マスコミとしては報道しないわけにはいかない。
以前、辛坊治郎がテレビ番組でこの議論に触れていて、「マスコミには被害者についても報じる義務がある。被害者のことを隠してしまうと、本当にあった事件なのか分からなくなる」と彼は主張していた。
とってつけたような理由に感じられるが、その主張にも一理ある。被害者を特定できないように情報が伏せられてしまうと、その事件が本当にあったのかどうかが分からなくなる。警察権力などがニセの被害者をでっち上げ、誰かを逮捕するなんてことがまかり通ってしまうことになる。

死んでから被害者として全国に晒されるのがイヤなら、なるべく殺人鬼に殺されないようにするしかない。
白石の言葉を鵜呑みにするなら、被害者で死にたいと思っていた人はひとりもいなかった。世の中に絶望し、漠然と死にたいと思うようになる人は多い。そういうのがリストカットをしたり、自殺の手段をアレコレ考えるようになるようだが、そうやって死に近づいて生きている実感を味わおうとする行為に見ず知らずの他人を引き寄せるのは間違いだった。

2か月で9人も殺害した白石隆浩は殺人鬼であり、快楽殺人だったと思われる。特に首吊りに固執しており、若い女性が窒息する様子に性的興奮を覚えたのだろう。その興奮を呼び戻すために被害者の頭部を自宅に保管していたのではないか。
そんな殺人鬼は、人間が何百万人も生まれるなかで出てくる欠陥品なのだろう。そんな欠陥品を生み出さないようにする術などないし、欠陥品が引き起こす事件を止める術もない。
にも関わらず、政府は9人殺害事件の再発防止策を検討しているという。

検討することは結構だが、短絡的にツイッターなどSNSの規制に踏み込んでいるというから危険だ。
白石はツイッターで自殺志願者を呼び寄せたわけだが、自殺や自殺志願について政府はどのように規制するつもりなのか。嫌なことがあって「あー死んでしまいたい」などと適当にツイートすることが規制の対象になりかねない。
政府が検討している、事件の全容解明や自殺志願者の心のケアはいいだろう。しかし、SNS上での自殺に関する不適切な書き込みの規制は実効性が疑問だし、ネットの規制自体間違っている。ネットは規制してよくなるものではない。

政府がやろうとしていることは逆なのである。一部の表現を規制するからおかしくなる。自殺志願者が他人に頼るとどうなるかを積極的に発信していけばいい。白石が自殺志願者を自宅に誘い込み、そこでなにをしたかだ。
一部の人はレイプしてから殺されたし、もしかしたら死んでからレイプされたかも知れない。暴力が振るわれたかも知れないし、抵抗しながら首を吊られたかも知れない。
死んでからどのように死体が解体され、ゴミとして捨てられたか。死んでからゴミとして捨てられる人生ほど虚しいものはないだろう。
頭部だけ残され、クーラーボックスでどのようになっていたか。

被害者にも遺族にも悪いが、全部あけっぴろげにすることで、誰もが自殺で見ず知らずの他人に頼ったり、誰かと一緒に死のうと思わなくなるだろう。
これまで自殺サイトを利用した殺人が何回かあったのに、そのときだけちょろっと報道されて終わるから、時間が経って忘れてしまう。一生忘れないくらいセンセーショナルに報じてもいいのではないか。
誰かと一緒に死のうとして、自分だけ殺されるという事件も度々起こる。見ず知らずの他人なんぞに自分の命を預けてはならないと人々に強く思わせなければならない。

なにかを規制したところで、規制をかいくぐる方法が使われるだけである。まさにいたちごっこだ。
なにかの問題を解決するには、根本的な問題を解決せねばならない。自殺したいと思わせること、自殺する勇気がないので誰かに頼りたいと思ってしまうことだ。
前者の方法は分からないが、後者は簡単だ。現場検証の写真はムリだとしても、再現写真でも構わない。白石に頼ろうとした人たちの無残な末路を知らしめればいい。

とはいうものの、被害者の人権もあり、起こるか起こらかないか分からないような事件のためにそんなことはできないだろう。
だから、どうしようもない。現実感のないニュースとして捉えられ、そのうち忘れられていく。自殺志願者に手を貸そうとするヤツにロクなヤツはいないと分かったはずだが、それもすぐ忘れ去られてしまい、同じことを繰り返すに違いない。

世の中にはできることとできないことがある。人殺しを繰り返す殺人鬼の犯行を予防する手立てなどない。これだけは間違いない。

20171109-1

昨日、Amazonの日本法人がAIスピーカー「Amazon Echo」シリーズの日本での発売を発表した。アメリカではGoogleの製品とともに売れに売れている製品で、AIスピーカーの大本命といわれている。
販売ページを見ると希望者に抽選販売するとなっており、早いうちに申し込んでおけば、もっとも標準的なAmazon Echoが4000円引きで購入できるので、とりあえず申し込んでおいた。
実際に買うかどうかは分からない。
8000円くらいなので別に買って試してみるのも構わないが、すぐに使わなくなるのは火を見るより明らかだ。

AIスピーカーをインターネットに接続することで、スピーカーに向かって天気予報を尋ねれば答えてくれるし、カップ麺を食べるために3分後に知らせてくれと頼めば知らせてくれるし、6時に起きたいといえば目覚まし時計の代わりになってくれるだろう。だが、それほど便利な機能だろうか。

天気を知りたければ、常に持ち歩いているスマホに「Yahoo!天気」などお天気アプリを入れておけば、タップ1回で確認することができる。カップ麺を食うために何分か待つにしても、スマホの時計を適当に見ておけばいいし、目覚まし時計だって別に持っている。
そもそも、機械に向かって声に出して命令するのが恥ずかしい。「ヘイ、シリ」とか「オッケー、グーグル」とスマホに向かって呼びかけている人はこの世の中にどれほどいるだろうか。

Amazonの新しいFire TV Stickを買ったが、新機能の音声検索なんぞほとんど使っていない。見たい映画やテレビ番組を検索するなら、タブレットでプライムビデオのアプリから調べた方が手っ取り早い。

AIスピーカーは対応する家電があれば本領を発揮できるかも知れない。対応している照明やエアコンがあれば、スピーカーに命令することで電気をつけたり消したり、エアコンの温度調整などもできるだろう。そんな高そうな家電を持っていればの話だが。

映画「デモリションマン」で2032年の近未来が描かれていた。ウェズリー・スナイプスが部屋に入って「イルミネート」と声に出すと勝手に電気が付いた。
そんな未来の生活が2017年に体験できる。スゴイことだと思うが、繰り返すが、対応する照明があればの話だ。

ただ、もし仮に「アレクサ、電気をつけて」と声に出して照明がつけられたとしても、多分そのうち使わないだろう。ほとんどの住宅は部屋の入口に照明のスイッチがあり、入ったらすぐに手を伸ばしてスイッチを切り替えればいいだけの話だからだ。いちいち喋るより、自分でスイッチを入れるほうが早い。
就寝時に電気を消す際も同じで、今ではリモコン付きの照明が当たり前だから、枕元にリモコンを置いておけば、寝るときに手を伸ばしてポチッとするだけでいい。

要するに、なにかをするのにいちいち喋るのは面倒なのである。「ヘイ、シリ」→「ご用件はなんでしょう?」→「今日の天気を教えて」というやりとりが、キーボードで打つだけでも面倒くさい。話すのはもっと面倒だ。「アレクサ、電気をつけて」などと口にするのは面倒でしかない。

「ドラえもん」の漫画で、ドラえもんがのび太に対して「口を利くのもめんどくさけりゃ死んでしまえ」と激怒するシーンがあった。のび太が思っていることを口にしなくても通じるようにしてくれる機械を要求したときである。
ぐうたらすぎるのび太にドラえもんは激怒したが、実際口を利くのは面倒である。

だから、AIスピーカーというたいそうな名前を付けられているのであれば、AIスピーカーはこっちが天気予報を訊いたり、電気をつけろと口にする前に、スピーカーが勝手に考えて天気を教えたり、電気をつけるべきだろう。言われたことだけやるAIでいいのか。AIというくらいなら、もっと賢くなければならない。

知りたくもないのに勝手に天気を教えてくるかも知れない。そのとき「ウルセー」と怒れば学習して、本当に知りたいときだけ天気を教えるようになるかも知れない。
カップ麺にお湯を注いでいることを察知して、3分のタイマーを勝手に動かしてくれるかも知れない。どん兵衛は5分だが、もちろんカップ麺の好みも学習せねばならない。
そこまでやってこそAIだ。AIならば人間より賢くなければならない。AIは持ち主の思考や感情を忖度せねばならない。

そういえば、今年の流行語大賞に「AIスピーカー」も「忖度」もノミネートされているという。流行語大賞はここ近年、政権批判を行うための政治的な言葉が選ばれるため、「忖度」は間違いなく選ばれるだろう。
人間が選ぶからこんなことになる。選考をAIに任せ、本当にはやったものだけノミネートし、大賞に選べばいい。AI時代の到来だ。

なんでもかんでもAIに任せると、「ターミネーター2」のスカイネットのようなことにならないか心配する声もあるが、多分大丈夫だろう。AIの方が人間よりもずっと賢そうだし、公平そうではないか。

20171108-1

世の中には死んでも謝らないヤツがいる。自分を無謬の存在だと思っている手合もいれば、時分に落ち度があると思っていながら、謝罪するのはプライドが許さないという手合もいる。

日本維新の会の衆院議員だった丸山穂高とかいうヤツもそれだろう。先の総選挙で維新の会が議席を減らして惨敗したことについて「維新は総括と代表選が必要。若造に言われんでも代表は言うだけの人ちゃうし、ちゃんとやりまっせですね」と、松井代表がよく口にする言葉を引用して茶化すようなツイートをした。

それに激怒したのが橋下徹だ。丸山議員に対してボケだと連発して多数ツイート。「丸山という口のきき方も知らない若造が勘違いしてきた」と、怒り心頭に発すという感じだった。

維新と距離を置く橋下徹がボケを連発して批判するのはどうかと思う人も多いだろうが、橋下徹の気持ちは分かる。橋下は府知事時代、知事を舐め腐ったメールを何度も寄越してきた若手女性職員にブチ切れたことがあった。上下関係を重んずる人物のようで、下の人間が上の人間を茶化すとかバカにするとか、そういうのが許せないらしい。
丸山議員が建設的な意見を党内で進言するならお咎めはなかっただろうが、上に楯突く尖った自分をフォロワーたちに見せたいがために、ツイッターを利用して外部の人間にアピールするのだから橋下徹が激怒するのも分かる。

ついでに松井代表も怒っていたが、そこで丸山は謝っておけば済んだ話だった。だが、売り言葉に買い言葉で、丸山は日本維新の会を離党してしまった。こいつは元々橋下徹と折り合いが悪く、以前にも揉めていたのだが、橋下と揉めて自分から折れるということはできないらしい。
33歳で3期連続当選であるが、それは橋下がいうように維新の会に所属し、党とその支援者がバックアップしてきたからだ。次の総選挙でこいつが当選する可能性はゼロだろう。自分の意見を曲げず、筋を通したと言えば聞こえがいいが、後先考えずに党の上層部に噛み付いて勝手に出ていっただけに過ぎない。

社会人になれば、不満があってもひと言謝罪すればそれで終わるのに、どういう信念があるのか、それをやらないヤツがいる。

謝罪もせず、疑惑も一切認めないというのが政治家なのだろう。これまで何度も続いてきた政治家の不倫報道では、不倫を認めたのはいたが、大体がシラを切り通した。
今井絵理子と橋本健は頑なに「一線は越えていない」と主張した。ホテルで今井が風呂上がりのバスローブのまま男の部屋に行っても、なにもなかったという。セックスしたかどうかは当人以外が証明のしようがない。どれだけ状況証拠があろうとも、「やってない」で終わり。んなわけあるか。

山尾志桜里も同じだ。政策などの相談をしていた弁護士と週に4回もホテルで密会していたのに、なにもなかったと主張した。43歳のオバサンが色気づき、週4で逢瀬を楽しんだとしか思えないのだが、本人は違うと言う。

不倫議員のレッテルを貼られるより、嘘つき議員のレッテルの方がマシなのだろうか。私なら嘘つきより不倫をするスケベ議員の方がマシに思えるが、本人たちのプライドは不倫を認めるより、立証できないウソをつく方がマシに思えるのだろう。

山尾志桜里は昨日の神奈川新聞の特集記事で、不倫相手とされる倉持麟太郎という弁護士を政策顧問に起用したと明かした。「不倫はしてないのだから堂々と政策顧問に起用できる」としたいのだろう。

【カナロコ】むき出しの好奇心「屈しない」 山尾志桜里氏が語る (11/7)

山尾志桜里は心臓に毛が生えている。そういう意味では大物政治家になる予感があるが、今のところはスケベなオバハン議員が、不倫疑惑が持たれた男を顧問に起用して世間をバカにしているだけである。

なぜこういう連中は素直に謝罪ができないのだろうか。「好きになってしまったので不倫してしまった」とか、「上に楯突くカッコイイ自分を見せたかった」として謝罪すりゃいいのに、死んでも謝罪しないし、自分の過ちを認めない。こいつらのプライドは、地球最後の日であってもそれを認めないのだろう。

ここまで頑なな連中は中国人のように見えてしまう。台湾人や韓国人もそうだが、日本以外の外国の連中は絶対に謝らない。よほどのことがない限り謝らないとよく聞くが、仕事でやっている限りは、「よほどのこと」などないようなものだから、謝らないのと一緒である。
相手に付け込まれたくないという思いと、プライドがこいつらをそうさせる。

高すぎるプライドなどクソの役にも立たないのに、それにすがりついて生きていくヤツが政治家だ。
そういえば、丸山穂高も山尾志桜里も東大出身だ。官僚や検事を経てエリート街道を突き進んだ連中には、過ちを認められず、謝罪もできないのだろう。エリートにはエリートしか分からないプライドがあるということか。

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