先っちょマンブログ

20240308-1

漫画「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」で知られる鳥山明が3月1日、急性硬膜下血腫によって68歳で死去していたことが明らかになった。
鳥山明は間違いなく世界でもっとも有名な漫画家のひとりであり、訃報が駆け巡り、世界中のファンに衝撃を与えた。世界の多くの国のXでトレンド1位となり、英語版の公式Xで訃報が伝えられたポストには、4時間で2万件弱もコメントがついていた。

かくいう私は、鳥山明にそれほど思い入れがないので、驚きはしたがショックではなかった。私は小学生の頃にアニメが好きだったが、中学に入ってから急に見なくなったので、「ドラゴンボールZ」もナメック星人がどうとかいう最初の方しか知らない。
嫁さんの友人が横浜だかのマンションに住んでいて、子供のときにマンションのほかの部屋から変な声がするのを気味悪がっていたが、あとになって「ドラゴンボールZ」に出てくる悪役のセルの声を担当した若本規夫が練習していた声だったという話を聞いたが、セルを知らないのでピンと来なかった。

また、中学からセガ派だったので、「ドラゴンクエスト」シリーズも長らくファミコン時代の2と3しかやったことがなく、数年前にPS4で11をやったくらいだ。当然「クロノトリガー」もやったことがない。

だから、知っているのが「Dr.スランプ」と「ドラゴンボール」の最初の方だけなので、思い入れが全然ないのだ。テレビが禁止されている家ではなかったのに、「ドラゴンボール」を全然知らないのは同年代の男では珍しいのかも知れない。

「ドラゴンボールZ」をほとんど知らないので、「ドラゴンボールZ」によってMANGAやANIMEという言葉を海外に知らしめた功績はよく知っている。内容を知らない「セーラームーン」は海外の女子に、「ドラゴンボールZ」は海外の男子に多いに受け入れられた。「YOUは何しに日本へ?」を見ていると、「ドラゴンボールZ」で日本に興味を持ち、日本にやって来るという人がめちゃくちゃたくさん出てくる。
日本の宣伝、日本のイメージ向上に大いに役立っており、サブカルの重要性を知らしめてくれた。米経済誌のフォーブスが「漫画、アニメ、ゲームに計り知れぬ影響を与えた」と評していたが、まさにそのとおりだと思う。

私が高校生の頃、フランスで浦沢直樹などの漫画が広く受け入れられるようになったというニュースを見た。だが、当時は日本の漫画を海外に持っていく際、漫画のセリフは縦書きなので右綴じであるが、横書きの海外で左綴じにするためにページを反転させ、背景などの文字だけ元に戻すという作業をして出版していると報じられていた。

その頃、「ドラゴンボール」も海外で出版されることになったのだが、鳥山明は左綴じにしないことを条件に許可したという。セリフは横書きなので欧米では読む人が混乱するのではと思われたが、意外とすんなり受け入れられ、今や日本のMANGAは右綴じのまま出版されるのが普通になった。ついでにいうと、オノマトペも外国語に置き換えられずにカタカナのままで、セリフのみ翻訳されるケースがほとんどになった。
もし鳥山明が海外での出版に右綴じの条件を出さなかったら、日本の漫画を海外で発行するのに時間がかかり、採算が取れないかも知れない漫画は出版されないケースが増えていたと思う。

アメリカでは日本の漫画の売り上げが、昔ながらのマーベルやDCコミックスといったアメリカンコミックスの売り上げを圧倒し、ここ近年でかなり伸びているという。
アメコミは、漫画の権利を出版社が持ち、出版社が指定した漫画家が描くのが基本になっていて、出版社が内容の方針を決める。だから、最近は黒人のバットマンが出てきたり、キャプテン・アメリカがゲイになったりとポリコレの影響が大きくなり、昔からのファンを辟易されている。また、1巻から順に出版されているわけではなく、その時代のものが出版されているだけなので、集めにくいし、昔の話を読みたくても簡単に読めないという問題もある。
その点、漫画は基本的に漫画家が内容を決め、1巻から出版されていて順番に読めばいいだけという当たり前の明瞭さがある。ほとんどが白黒なのでアメコミのオールカラーと違って安価に多くのページがある単行本を出版させられる。
ちなみに、MANGAという言葉のほか、TANKOBONという言葉も海外で広く知られるようになったという。

また、日本のアニメの売り上げは日本と海外で半々くらいだという。海外がめちゃくちゃ伸びていて、今後はもっと増えるだろう。
それもこれも、鳥山明がいて、「ドラゴンボールZ」が海外に広く受け入れられたおかげだろう。日本の漫画とアニメの世界進出に大きな功績を残したのは間違いなく、生前になんらかの勲章が与えられるべきであったと思う。
だが、受賞したのはフランスでの芸術文化勲章くらいだ。近年では秋本治や高橋留美子が受賞した紫綬褒章を与えることはもうできない。あまり人前に出たがらない人物だったので、もしかしたら断っていたのかも知れないが、極めて残念なことではないか。
まあ、そのような勲章がなくても、社会を変え、経済を動かした偉大な人物であることには変わりがないが。

20240307-1

岐阜県岐南町の小島英雄町長(70歳)が第三者委員会の調査で99ものセクハラを行ったと認定され、4年の任期のうち半年を残して3月5日に辞職した。Wikipediaで調べてみると、2020年10月の町長選で、4票差で次点の候補に勝利した1期目の町長だったらしい

この町長が行ったと認定されたセクハラのリストは99項目に及ぶ。次のような内容のセクハラを行っていたとして大きな話題になった。

  • 町の職員が業務中に「ごくろうさま」と言われて頭をポンポンと触られた。
  • 「色白だろう」と言って、ズボンの裾をめくり上げて足を見せつけてきた。
  • 手のひらを見せて「すべすべだろう」と尋ね、同意すると「1回触ってみろ」と言われて触らされた。
  • 頻繁に後ろから肩に手を置かれて方を揉まれた。
  • 「赤ちゃんみたいな手」だと言われ、手の甲を30秒程度さすられた。
  • 階段を上がっているときに肩を抱かれ、拒否すると「おじいちゃんと子供みたいだからいいよな」と言われた。
  • 残業中、後ろから近寄ってきてポニーテールにした髪の毛を揺らされた。
  • 「オシャレさんやな」と言いながら爪を触ってきた。
  • 「手相を見たる」と言いながら額を触ってきた。

こんな具合のセクハラが99件もある。接触が主だが、「彼氏おるんか」とか「子供を作った方がいい」という発言も多数あった。
特に頭をポンポンと触られたり、肩を抱かれたり、手を触られるという事案が多く、日常的にそのような行為を続けていて、堪忍袋の緒が切れた女性職員が告発したのだろう。

セクハラ認定された99項目について疑問がある人がいるかも知れない。だがこの町長が触ったりする行為を女性職員にしかしていないのだから、セクハラで間違いない。普段から人を触りまくる人物なら、セクハラの意図はなかったかも知れないが、頭をポンポン触ったり、髪の毛を触ったり、肩を抱くのはその対象が女性だからだろう。
これまでに何度も拒否されていて、相手が嫌がっているのが明確であり、セクハラ以外のなにものでもない。

よく「※ただしイケメンに限る」などと言われるように、同じ行為でも若くてハンサムな男だったら、悪く思わない女性もいたかも知れない。この町長は昔はモテたかも知れないが、今は70のジジイである。誰が触られたいと思うのか。

いい人で知られるキアヌ・リーブスが女性と一緒に撮影している写真を見ると、女優であれ一般人であれ、女性の肩や腰に手を回していても実際は触れていないというのが話題になっていた。

【CNN】キアヌ・リーブスさん、写真撮影で女性に「触れず」 画像が話題に (2019/06/04)

あのキアヌ・リーブスですら「触られたくない女性もいるかも知れない」ということで女性に触れないのに、そこらへんのジジイが女性をベタベタ触っていいわけがない。
人に触られるのは気持ち悪い。それが男で年寄りならなおさらだ。

男だけではないとは思うが、パーソナルスペースの概念がぶっ壊れた人が結構多い。中年以降のオッサン、ジジイに特に多い。
それを如実に感じるのが電車だ。電車の座席で足を広げたり、肘を横に張り出して座るのは圧倒的にオッサンだ。肘や膝が他人と当たったり、当たりかけても気にならないくらい感覚がバカになっていて、なんなら「隣のお前が小さくなってオレを避けろ」くらいの感じでいる。これが本当に気色悪い。
若者の方が足を広げて座るイメージがあるが、若い人はパーソナルスペースがしっかりしていて、他人に触れたくないと思う人が多いので、意外とそうでもない。

例えば電車でふたり掛けの席ならば、右側に座る人は右寄りに、左側に座る人は左寄りに座り、足も広げず、肘も横に出さないよう縦方向に肘を曲げりゃ適度な隙間ができて快適に座れる。これがバカなオッサンになると、隣の人が座るスペースのことを考えず幅広に場所を取ったりするので、イラつかされ、不快なことこのうえない。

この世の中に、オッサンほど不快なものはない。それを自覚しているから、自分は身だしなみをしっかりしているし、電車の座席でもコンパクトに座るよう心がけている。
それができないオッサンは総じてアホなのだろう。好きなときに屁をこくが如く、好きなように座り、好きなように人を触る。相手の気持ちなんか考えたことがないから、他人に不快に思われているかどうかも気にならない。

オッサンに限らず、人間ならば他人に自分がどう思われているかを考え、客観的に自分を見られるようにすべきだ。
それができないオッサンが多いから、若い人や女性に煙たがられるのである。

20240306-1

三重県の公立学校に勤める教員が購入した土地が被差別部落にあったとして、不動産会社に対して契約解除を執拗に求め、その言動が三重県の差別解消条例に抵触するとして教員に反省を促す説示という処分を下したという。
教員は昨年5月に土地を購入したが、被差別部落の土地だったとして不動産業者に契約解除を求め、業者は渋々それに応じたが、教員はそれ以降半年にわたって不動産業者を執拗に非難したことから、業者が11月に三重県に申し立てを行い、今回の処分となった。
売買契約の解除ができなくて騒いでいたのなら理解できるが、違約金なしで解除してもらっておきながら業者に誹謗中傷を繰り返す教員はどうかしているわけで、今回の三重県の処分は適切であろう。

横須賀出身の嫁さんに訊くと、関東の方では同和教育があまり盛んではないらしく、被差別部落のことについては学校の社会や道徳の時間にちょっと習う程度であまり知らないらしい。
ほかの地域のことはよく分からないが、関西は同和問題がガッツリと市民生活に食い込んでいて、部落差別とその逆差別が入り混じっているのだが、マスコミは同和関連の報道をほとんどしないため、あまりニュースにならないでいる。

被差別部落の問題がもっとも顕著に現れたのが京都市だ。深刻な部落差別ではない。同和地区住民の市職員への縁故採用だ。
京都市には京都駅前に崇仁地区という日本最大の同和地区がある。崇仁地区は自ら冊子などで同和地区であることを発信している場所だ。
関西の地方自治体は多くで同和地区住民を職員として縁故採用をしている。京都市でも部落解放同盟からの推薦で多数が縁故採用されてきたが、問題ある職員もいるので、犯罪を犯してクビになる職員がチラホラいた。
そこまではあり得る話であるが、京都市が異常だったのは、拳銃強盗でクビになった職員など、前科付きの職員を再雇用した点にある。クビにしたのに、推薦されたから再雇用するなんて普通の会社ではあり得ないことだが、京都市ではあり得るのだ。再雇用した前科者がまた犯罪を犯すなどして大問題になり、京都市長が問題だったと謝罪するにまで至った。

関西の地方自治体では、環境局などを中心に縁故採用が盛んだが、なぜこれが問題にならないのかと思う。奈良市でほとんど働かずに給料を満額貰い、部落解放同盟の幹部であることをチラつかせて自身が経営する企業に仕事を回せと脅した職員が逮捕された事件があったが、あれも環境局に同和で縁故採用された人物だった。

私が同和問題について詳しく調べているのは、親族が糾弾会にかけられたという恨みからである。具体的なことは書かないが、それで酷い目にあった。とある会合で事実を述べたら差別者扱いされ、2か月にわたって毎週日曜日に勉強会という名の糾弾会に参加を強制させられ、そこで吊し上げにあった。勤務先にも誹謗中傷の電話が多くあったという。1990年代のことだ。

同和に関わるとロクなことがないと十分理解したが、私が住む滋賀では、町内会でなんらかの役員をさせられると、同和問題の研究会に参加させられる。そこで、1950年とか60年代にこんな酷い差別があったと聞かされる。
私から、部落解放同盟がいかに酷い圧力団体であるかを聞かされていた嫁さんが、「そういう差別は今でもあるんですか?」とさらっと尋ねたそうだ。嫁さんは標準語で関東出身なので部落のことなんか何も知らないという感じで参加していた。部落差別の説明をしていたオバサンは、答えにつまって適当にはぐらかしたという。

私が住んでいる自治体にも同和地区があり、同和地区には改良住宅と呼ばれる自治体が建てた同じ見た目の家が並んでいる。そして、縁故採用も普通に行われ、住民には税金が減免されている。それが関西の同和地区の現状だ。昔からずっと変わらない。

関西人で同和問題に敏感な人は、知らない土地でも同和地区ではないかと気がつくと思う。あまり見ないような外観の似たような家が立ち並んでいることが多いし、かつて解放会館と呼ばれ、比較的大きな同和地区には少し前まで人権センターとかいう名前でもあった公民館のような建物がある。
だが、最近は見た目では分からなくなってきている。教科書で習う昔の被差別部落は、ファベーラのような貧民窟であるが、50年くらい前からそんな同和地区はなくなっている。また、宅地開発が進んだことで、同和地区内や隣接する地区に新興住宅地ができ、同和地区自体が曖昧になってきている。

勤め先の同僚が大阪府内に家を買ったのだが、住み始めてから近くに同和地区があることに気づき、自分の家も同和地区なのではないかと気にしていた。「21世紀に入ってから宅地開発された新興住宅地なんか部落扱いされませんって」とは言っておいたが、気になることはまあ分かる。同和地区の境界が曖昧になっているので、子供が部落差別の被害者にならないかなど心配になるのもしょうがない。
実際、そんなことは一切なかったようだが。

共産党系の同和団体は「部落差別は終わった」と終結宣言を出したが、部落解放同盟などは「未だに根深い差別がある」と主張する。1969年に施行された同和対策事業特別措置法が2002年に終了するまで、15兆円もの国家予算が投入され、同和地区の環境が改善されるなどしたが、それ以外に同和利権と呼ばれる旨味を同和団体が吸っていた。
同和団体は利権が縮小してしまったが、圧力団体として力を保持せばならないので、葬式で配る清めの塩や大安仏滅といった六曜を差別にあたると糾弾しているし、人権擁護法案の成立に尽力していた。

だが、そんな努力の甲斐も虚しく、部落差別がどんどん薄れていっているのは間違いない。いまどき、就職の際に同和地区出身か調べる企業なんかないし、どこが同和地区なのか分かりにくくなっているので、結婚でも相手の親から差別を受けにくい。それ以前に、簡単に引っ越せるのだから、同和地区出身かどうかなんか分からない。
同和地区内や近隣に新しい住宅ができるようになり、同和地区自体がぼんやりしてきている。
同和地区出身者でそれで構わないという人もいれば、利権絡みがあって部落差別は永遠に存在しなければならないかのごとく「差別はまだある」と延々と言い続け、ことあるごとに同和問題を掘り起こそうと躍起になっている人もいる。

三重県の教師の件は、トイレの差別落書きのように部落差別がまだあることの証拠として取り上げられるだろう。それを歓迎する人も多いに違いない。
差別をなくしたいのか、存続させたいのか、どっちか分からなくなる。おそらく同和団体の一部の人は、差別はなくしたいが、同和利権という特別な権利は手放したくないから、部落差別が薄らいでいくのは困るというのがホンネではなかろうか。

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