漫画「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」で知られる鳥山明が3月1日、急性硬膜下血腫によって68歳で死去していたことが明らかになった。
鳥山明は間違いなく世界でもっとも有名な漫画家のひとりであり、訃報が駆け巡り、世界中のファンに衝撃を与えた。世界の多くの国のXでトレンド1位となり、英語版の公式Xで訃報が伝えられたポストには、4時間で2万件弱もコメントがついていた。かくいう私は、鳥山明にそれほど思い入れがないので、驚きはしたがショックではなかった。私は小学生の頃にアニメが好きだったが、中学に入ってから急に見なくなったので、「ドラゴンボールZ」もナメック星人がどうとかいう最初の方しか知らない。
嫁さんの友人が横浜だかのマンションに住んでいて、子供のときにマンションのほかの部屋から変な声がするのを気味悪がっていたが、あとになって「ドラゴンボールZ」に出てくる悪役のセルの声を担当した若本規夫が練習していた声だったという話を聞いたが、セルを知らないのでピンと来なかった。
また、中学からセガ派だったので、「ドラゴンクエスト」シリーズも長らくファミコン時代の2と3しかやったことがなく、数年前にPS4で11をやったくらいだ。当然「クロノトリガー」もやったことがない。
だから、知っているのが「Dr.スランプ」と「ドラゴンボール」の最初の方だけなので、思い入れが全然ないのだ。テレビが禁止されている家ではなかったのに、「ドラゴンボール」を全然知らないのは同年代の男では珍しいのかも知れない。
「ドラゴンボールZ」をほとんど知らないので、「ドラゴンボールZ」によってMANGAやANIMEという言葉を海外に知らしめた功績はよく知っている。内容を知らない「セーラームーン」は海外の女子に、「ドラゴンボールZ」は海外の男子に多いに受け入れられた。「YOUは何しに日本へ?」を見ていると、「ドラゴンボールZ」で日本に興味を持ち、日本にやって来るという人がめちゃくちゃたくさん出てくる。
日本の宣伝、日本のイメージ向上に大いに役立っており、サブカルの重要性を知らしめてくれた。米経済誌のフォーブスが「漫画、アニメ、ゲームに計り知れぬ影響を与えた」と評していたが、まさにそのとおりだと思う。
私が高校生の頃、フランスで浦沢直樹などの漫画が広く受け入れられるようになったというニュースを見た。だが、当時は日本の漫画を海外に持っていく際、漫画のセリフは縦書きなので右綴じであるが、横書きの海外で左綴じにするためにページを反転させ、背景などの文字だけ元に戻すという作業をして出版していると報じられていた。
その頃、「ドラゴンボール」も海外で出版されることになったのだが、鳥山明は左綴じにしないことを条件に許可したという。セリフは横書きなので欧米では読む人が混乱するのではと思われたが、意外とすんなり受け入れられ、今や日本のMANGAは右綴じのまま出版されるのが普通になった。ついでにいうと、オノマトペも外国語に置き換えられずにカタカナのままで、セリフのみ翻訳されるケースがほとんどになった。
もし鳥山明が海外での出版に右綴じの条件を出さなかったら、日本の漫画を海外で発行するのに時間がかかり、採算が取れないかも知れない漫画は出版されないケースが増えていたと思う。
アメリカでは日本の漫画の売り上げが、昔ながらのマーベルやDCコミックスといったアメリカンコミックスの売り上げを圧倒し、ここ近年でかなり伸びているという。
アメコミは、漫画の権利を出版社が持ち、出版社が指定した漫画家が描くのが基本になっていて、出版社が内容の方針を決める。だから、最近は黒人のバットマンが出てきたり、キャプテン・アメリカがゲイになったりとポリコレの影響が大きくなり、昔からのファンを辟易されている。また、1巻から順に出版されているわけではなく、その時代のものが出版されているだけなので、集めにくいし、昔の話を読みたくても簡単に読めないという問題もある。
その点、漫画は基本的に漫画家が内容を決め、1巻から出版されていて順番に読めばいいだけという当たり前の明瞭さがある。ほとんどが白黒なのでアメコミのオールカラーと違って安価に多くのページがある単行本を出版させられる。
ちなみに、MANGAという言葉のほか、TANKOBONという言葉も海外で広く知られるようになったという。
また、日本のアニメの売り上げは日本と海外で半々くらいだという。海外がめちゃくちゃ伸びていて、今後はもっと増えるだろう。
それもこれも、鳥山明がいて、「ドラゴンボールZ」が海外に広く受け入れられたおかげだろう。日本の漫画とアニメの世界進出に大きな功績を残したのは間違いなく、生前になんらかの勲章が与えられるべきであったと思う。
だが、受賞したのはフランスでの芸術文化勲章くらいだ。近年では秋本治や高橋留美子が受賞した紫綬褒章を与えることはもうできない。あまり人前に出たがらない人物だったので、もしかしたら断っていたのかも知れないが、極めて残念なことではないか。
まあ、そのような勲章がなくても、社会を変え、経済を動かした偉大な人物であることには変わりがないが。