先っちょマンブログ

殺人鬼のチャールズ・マンソン率いるマンソンファミリーというカルト集団の信者が、ロマン・ポランスキー監督と結婚していた女優のシャロン・テートを殺害するというアメリカ社会を震撼させる事件が起きたのは1969年のことだ。
シャロン・テートは妊娠8か月で、殺人犯たちにお腹の中に子供がいるから殺さないでくれと懇願したが、にべもなく惨殺されてしまった。

ユダヤ系ポーランド人のポランスキーは事件に大きなショックを受け、アメリカのことが信じられなくなってしまうが、事件後も何とか映画を撮り続け、1974年には名作「チャイナタウン」を作るなどした。

そこまではよかったが、1977年にポランスキーは不名誉な事件を起こす。
「チャイナタウン」で親交を深めたジャック・ニコルソンの家で、ポランスキーは13歳のモデルの子供とアナルセックスをし、逮捕された。

検察との司法取引でポランスキーは罪を認め、1年以上50年以下の実刑判決を受けるはずであったが、保釈中に「絶対に必要な映画撮影がある」、「判決を受けるために戻ってくる」と嘘をついて勝手にアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以来32年間アメリカには戻らず、翌年にはフランスで市民権を得て暮らしている。1989年には3度目の結婚までしている。

ポランスキーは「戦場のピアニスト」でアカデミー監督賞を受賞した。どうして少女に淫行をするような監督を立派だと褒め称えられるのかが分からないが、「私生活での犯罪と映画の善し悪しは関係ない」と気取ったアメリカの文化人どもが考えたんだろう。

ポランスキーはロリコンで、性犯罪者で、嘘つきで、卑怯者だ。そんなヤツが大手を振って未だに映画制作できている現実が信じられないが、「少女淫行なんぞ大したことない」、「彼の才能を潰すのは惜しい」などと考える連中が大勢いるのかと思うとめまいがする。
どれだけ優れた映画を撮ったとしても、自分が犯した罪を逃れるために逃亡しているヤツなんかダメだろうに。

そんなことがあって、私はポランスキーが大嫌いだ。逃亡犯が偉そうにメガホン取って映画撮影し、悠々自適な生活を送っているのかと思っていたらムカついてしょうがなかったが、それをスイスの警察が打ち破ってくれた。
ポランスキーは常々、少女淫行のかどで逮捕されることを恐れていたのだが、ヨーロッパの国々はどこもヤツを拘束してアメリカに引き渡さそうとはしなかった。しかし、スイス当局は、チューリッヒ映画祭で生涯功労賞の授与式に出席するために滞在していたポランスキーの身柄を拘束した。

アメリカに引き渡しされるかどうかはまだ未定だが、是非ともアメリカに引き渡して貰って欲しい。そして、32年間の逃亡生活を続けていたポランスキーは、アメリカで実刑判決を受けて人生を終わらせればいい。

自分の罪にケジメも付けず、人々の平和だとか愛だとか説教を垂れる映画を作っている場合ではなかろう。映画作りをしたいのならば、禊ぎを済ませてからにすべきだ。
まあ、今度ばかりは無理だろうけど。
 

 

個人的な今日一番のニュースは、読売新聞朝刊の4コマ漫画「コボちゃん」だ。「コボちゃん」がこれまで話題として大きく取り上げられることはあまりなかった。最近でいえば、SMAPの草彅剛が酔っ払ってチンチン出した事件を社会面で報じた読売の記事のすぐ隣に、コボちゃんのパパの同僚が飲み会で酔うとすぐに裸踊りをするというネタが掲載されたことくらいだろう。ニュースになる前の入稿でたまたま重なったわけだが、草彅が神妙な顔をした写真の横に酒によって裸になることをネタにした4コマ漫画が掲載されたのは実にシュールであり、読売の担当がわざとそのような紙面作りをしたんじゃないかといぶかってしまうくらいだった。

話が逸れたので元に戻すが、今日のビッグニュースは、コボちゃんがお兄ちゃんになるというものだ。今日の漫画で、母親のサナエが妊娠したと家族に報告していた。

植田まさしの漫画を知らない人は「へ~」くらいだろうが、ファンは結構驚き、意外に感じたに違いない。植田まさしの漫画で、主要な人物が増えるということはこれまでなかったからだ。
例外は「かりあげクン」くらいだろうか。主に登場する人物は、主人公のかりあげ正太以外には、会社の木村課長、木下社長、「鈴木」などとファンから呼ばれている同僚のメガネの男、アパートの大家さんくらいだったが、30巻くらいから太った中年女性でかりあげの上司にあたる「係長」が頻繁に出てくるようになった。

「コボちゃん」でも、実際はタケオおじさんが連載途中から居候するようになって、長年同居して、ついに結婚して家を出て行ったが、登場人物が増えるのはそのくらいだ。
新たに家族が増えるとは思わなかった。

その上、赤ちゃんが生まれて弟か妹ができるとなると、設定も変更せねばならないだろう。コボちゃんは5歳の幼稚園年中組の設定だが、赤ん坊が生まれるとなると10か月時間を進める必要があり、さらに赤ん坊のママでは漫画にしにくいから、せめて2歳くらいになるまでは少しずつ時間設定を進めねばならない。
となると、コボちゃんが幼稚園を卒業し、小学校入学ってことも十分考えられる。

この27年間殆ど変化のなかった漫画が、これから先の1~2年で大きな変化を迎えようとしている。「そんな大袈裟な」と思われるかも知れないが、植田まさしファンにとっては、家族が増えるだとか、キャラの年齢設定や役柄が変わるというのは非常に大きな変化なのだ。
まさに大ニュースである。
 

 

オバマ大統領のノーベル平和賞を受けてかどうかは知らないが、時期を同じくして広島市と長崎市が突如、共同開催で2020年の夏季五輪招致に名乗りを上げた。県にも国にも一切報告なく、見切り発車で走り出した感がある。

そもそも、IOC自体が五輪憲章で複数都市での共同開催を認めておらず、IOCのお偉いさんも共催を否定しているのだが、広島と長崎の両市長はあくまでも強気だ。
その裏には、自分たちの都市は唯一の被爆都市だというある種の傲慢さが見え隠れしている。

「どんなルールがあろうとも、俺たちは被害者なんだから意見を通せるはず」
「被爆都市が訴える平和を誰が無視できようか」

要するにこういう考え方だ。これを傲慢といわずして何と言おう。

昨日も書いたが、最近は弱者を持ち出せば何でも意見が通るような社会的風潮がある。そんなアホな風潮があるのは主に日本だろう。広島と長崎の両市長の傲慢さは世界中の人々に見透かされ、うるさく思われるに違いない。

平和の大切さを訴えることや、核兵器を使ったアメリカの非道を世界中に問いかけることは大切かも知れないが、それはオリンピックというスポーツの晴れ舞台でやることなんだろうか。いちいち暑苦しいし、いくら今のオリンピックが政治的になってしまったとはいえ、そこまで政治や思想といったものを持ち出していいものか。
ことあるごとに核や戦争の悲惨さを訴えられるオリンピックなど興醒めである。オリンピックは、本来は純粋に最高峰のスポーツを楽しむものだろうが。

だが、そんなことも広島や長崎の一部の連中には全く通用しないのだろう。自らを無謬野存在と考え、被害者の意見は免罪符になると信じているようなヤツらは視野狭窄に陥っていて、ほかの人からどのように思われているかなど全く気にならない。自分たちが正しいと思うことだけをやればいいと思っているのだ。

被害者の意見には耳を傾けなければならないが、被害者は絶対的な存在ではない。しかし、その被害者を利用して、絶対的な存在に祭り上げ、利用しようとするヤツらがいる。実に白々しいことではあるが、社会では平然とそれがまかり通っている。

被害者やら"社会的弱者"やらを利用した傲慢な振る舞いは、主にサヨク連中に見られることであるが、保守の側にも一部それが見られる。

例えば、拉致事件のことだ。拉致被害者やその家族があまりにも絶対視されていて、反対意見を挟む隙間もない。北朝鮮は断じて許されないし、拉致被害者は総力を挙げて奪還せねばならないが、拉致被害者家族やその支援団体に稀にある、おかしな意見に対して何も言えないのはおかしい。
これでは、部落解放同盟に何も言えないように、実に息苦しい状況になってしまう。それではいけないだろう。

この世の中は、何だって言えるようになるべきだ。だから、広島や長崎が傲慢なことを言ってもいいが、逆に「調子に乗るな」とそれをたしなめる意見がもっと出ていいと思う。被爆都市だからと言って遠慮することはなかろう。何も、被害者やその関係者は絶対ではないのだから。

 

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