学歴で理系文系と明確に区別するのは日本だけのことらしい。サイエンスライターの竹内薫によると、明治以降の日本の学業制度で理系文系の線引がきっちりと分けられたため、その意識が今でもずっと残っているのだとか。
よその国の大学でも当然、理系の学部と文系の学部があるわけだが、「この人は理系」「この人は文系」などと意識されることが少ないという。
それでも、理系的なものの考え方、文系的なものの考え方はあると思う。数字上の理論や科学的根拠に基づいて判断するのが理系で、そうでないのが文系のように思える。正確にいうと、理系と非理系とするべきか。
私の場合、理系の学部に進んでIT関係の仕事をしており、今の仕事のせいで完全に理系脳に染まってしまった。仕事でエビデンス(根拠)という言葉を耳にタコができるほど聞かされた。問題が起こると、その問題の原因や対策について客がエビデンスを求めてくる。だからエビデンスを追求するようになる。それは当然の話だ。
科学的な根拠に乏しい考え方しかできず、主観でしかものを語れない人を軽蔑してしまう。だから、「原発は信用できない」とかいって運転差し止め判決を出すような判事はアホなのかと思わざるをえない。
私が住む滋賀県の住民29人が大津地裁に高浜原発3号基4号基の運転差し止めの仮処分を求めた裁判で、大津地裁が運転差し止めを認める驚くべき判決を出してしまった。
なにが驚くのかというと、前にあった福井地裁の判決と同様に「原発の新しい規制基準はダメ」と一刀両断し、再稼働したばかりの高浜原発を即時停止せよと命令したことである。
高浜原発の3号基と4号基は、新しい規制基準に則った審査を受けて合格した。2年半、70回に及ぶ審査があり、その議事録は10万ページに及ぶという。それをたった4回の審理で否定し、しかも原発の新しい規制基準自体信用できないとした。
どういうつもりなのか知らないが、大津地裁の山本善彦裁判長は次のような考えを示した。
- 福島第一原発の事故原因が津波が主たる原因であると特定していいか分からない。
- 想定を超える大規模な津波が起こらないとまでいえない。
- 活断層調査が徹底的に行われたわけではない。
- 耐震評価はマージンを十分に取ったといえるものではない。
- テロ対策は不正侵入については取られているが、大規模テロ攻撃では対応策が有効か判然としないし、新規性基準にもない。
- 避難計画や安全確保について不合理な点がないかの議論が尽くされていない。
- 関西電力は安全性確保に関する主張を尽くしていないので、もっと根拠や証拠を示すべき。
大津地裁は「安全かどうか分からない」「信用できない」と言っているが、これは主観でしかない。どんな基準を設けたところで、絶対に安全とはいえない。リスクをゼロにすることなどできないのに、結局またそれが求められている。
大津地裁の決定では、「"想定を超える"という過ちを繰り返さないために十二分の余裕を持った基準が必要」とある。ならば、裁判所が新しい規制基準のどこらへんが問題で、「十二分の余裕を持った基準」が必要というならば、具体的にどういう数値にすればいいか示すべきだろう。
そうしないと、「なんか危なそう」「なんか信用できない」という主観でしかものを判断できない裁判所があるのだから、問題があるのならなにが問題なのかを具体的に示さないといけない。
たとえば、高浜原発の防潮堤の高さが8メートルで、それでマージンが十分に取れていないというなら、何メートルにするべきなのか。基準地震動の700ガルがダメなら、いくらならいいのか。
そうしないと、津波の想定を倍の16メートルにしても、基準地震動を1000ガルにしても、あとから「安全とはいえない」と言われるだけである。
大津地裁の決定には以下の内容がある。
- 非常時の備えを完全にすることはムリであっても、これで十分という社会的な合意が形成されたとはいえない。
そんなことは絶対にムリである。「鉄の塊が空を飛ぶことが理解できない」などといい、飛行機の安全性を否定する原始人みたいなヤツがいるが、科学的根拠に基づく論理的思考ができないヤツらになにを言ってもムダであり、納得するわけがない。
裁判官はいくら法学部出身とはいっても、私より何倍も勉強ができて頭がいいだろうし、法律に関して論理的な思考ができるのなら科学的にも論理的な思考ができるはずである。裁判官は賢いのだから普通に考えれば、原発や地震の専門家が寄り集まって考えだした新しい規制基準を、たったひとりの門外漢である自分が「信用できない」という理由で否定できるように思えない。原発の専門家や関電の担当からすれば「お前になにが分かるのか」と文句を言いたいところだろう。
むしろ、賢い裁判官だから論理的には原発の再稼働理由に理解はするものの、感情でどうしても許せないから運転差し止めの決定を出したのではないのか。はじめから原発停止の結論ありきだから、「安全性に問題がないことを証明せよ」というメチャクチャな証明を関電に求めたりするのではないのか。
仕事をしていると、たまに自分の感情や感覚だけでものを言うどうしようもないバカな客に出くわすことがある。そういう客に当たるか当たらないかは運次第。理屈抜きで原発の運転停止を命じてくれる裁判官に当たるか当たらないかも運次第。
この調子だと、高裁で高浜原発の再稼働が認められても、別の反原発団体がほかの地域で訴訟を起こすだろう。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の理論で訴訟を乱発すれば、そのなかにひとつくらい変な裁判官や出世街道から外れた裁判官、退官間際に目立つことをしたい裁判官が担当して、驚くような内容の決定を下してくれる可能性がある。
1票の格差によって選挙無効を訴える訴訟がおきまくるのと同じだ。
そのたびに原発を動かしたり停めたりして、ムダなリスクが増すだけだし、電気の安定供給もままならない。やっと関電管区で原発の発電による電気が来ると思った矢先にこれである。
これが未来永劫続くのかと思うとウンザリさせられる。