0619-1

私が小学校2年のときだから、今から30年前の話になる。小学2年生のときの担任は高田先生という教師だった。
高田先生は20代前半の若い女性教師ながら、宿題を忘れた児童に対し、教室の後ろで5分間の空気椅子の刑に処す教師で、クラスの児童から恐れられていた。それでありながら、国語の時間に「スーホの白い馬」を朗読して、涙を流すという情緒不安定な、いや繊細な一面も持ち合わせていた。

30年も前なのでうろ覚えになってきていることが多いが、高田先生の授業で今でもハッキリと覚えていることがある。国語の時間、平仮名の"い"について、「滋賀では"い"の左側について、ハネずに書くよう指導するように言われている」と言っていた。
当時は「ふーん」くらいしか思わなかった、今になって思い返すと、滋賀県の教育委員会で平仮名の書き方をそのようにするよう指導していたのだろう。だから小学1年の書き取りノートでは、滋賀県独自のハネない"い"が表記してあり、そのように書き取りさせられた。しかし2年のときの担任の高田先生は、「"い"の字は教科書通り書きなさい」と言っていた。

文部科学省には学習指導要領なるものがあるらしいが、結局のところ、末端で教える教師たちは、教育委員会や所属する教職員組合の方針や指導に従って、独自裁量で生徒や児童に教えている。なぜこのようなことが許されるのだろうか。基本的な部分は、全国で統一した方針を教えるべきではないのか。

現場任せでそれぞれの教員の裁量に任せて授業をやらせるから、おかしなことになる。日教組や全教などの左派系教職員組合は、自虐史観や反日思想を生徒・児童に押しつける授業を行う。先の大戦で、日本がいかに悪いことをしたのか、日本人がいかに凶悪だったかを刷り込ませるようにしている。そうやって反日思想を刷り込まれた子供と、マトモな教員に教えられて子供がいて、それぞれの子供に日本人感や歴史認識が大きく異なる。どういう教員に巡り会うかで、歴史認識が変わってしまうのだ。そんなことでいいのだろうか。

また、これは私が何度も書いているが、私は道徳の時間が本当に嫌いだった。関西の学校の道徳の時間は、結構な単位分、同和教育に費やされる。被差別部落の歴史、被差別部落でいかに酷い差別が行われてきたかなどと教わり、体育館や地域のイベントホールなどで被差別部落に関する啓蒙映画を見せられる。小学生のときだけではない。高校に行ってもまだ部落の勉強をさせられるのだ。
正直、ウンザリである。なぜ学校で部落の歴史をしつこく勉強し、どんな差別があったかを知り、被差別部落出身者の愚痴を聞かねばならないのか。

挙げ句の果ては、市町村の環境センターに縁故採用された部落解放同盟の人たちに、「いつもゴミ蒐集の仕事をして貰ってありがとう」という内容の手紙まで書かねばならない。
縁故採用されて公務員になった連中に、どうしてお礼の手紙を書かねばならないのか。そんなヤツらに礼を言うくらいなら、本当に世話になっている友達の母親にでもお礼の手紙を書いた方が100万倍マシである。

このようなキチガイじみた授業は、関西の特定地域以外では行われていないのではないか。なぜ関西に住んでいるだけで、子供時分の貴重な授業の時間を、同和教育というクソみたいな時間に費やさねばならないのか。
まったくもって不公正である。

日本の教職員組合の組合員数ナンバーワンが民主党系の日教組で、その次が日教組から分裂した全教である。日教組が民主党系、全教が共産党系だ。
これとよく似ているのが、民主党系の部落解放同盟と、そこから分裂した共産党系の全解連である。全海連は「部落差別は終わった」として解体されたが、部落解放同盟は日教組と結託して、同和教育のほか、反日教育も推し進めている。
1999年、広島県の高校で、君が代斉唱を推奨した高校の校長が自殺をするという事件が起きた。この校長を自殺に追い込んだ背景には、日教組と部落解放同盟の圧力があったと広島県教育委員会が認めている。

日教組も部落解放同盟も、「身分制度の最たるものである天皇制は廃止せねばならない」と訴えている。こいつらの考え方でそもそも間違っているのは、天皇は制度としてあるわけではない。祭祀王として日本の安寧を祈る天皇は、身分制度というヒエラルキーの頂点に立っているわけではないにも関わらず、天皇批判をするために意味不明な身分制度を持ち出している。

最近は、日本人拉致を行った北朝鮮や、反日運動を強める韓国に対しての批判が増え、朝鮮総連や在日韓国人・朝鮮人らへの風当たりが強くなっている。あいつらは外国人であり、異民族であるのだから反日感情をもって日本に当たってくるのはまだ理解できる。
理解できないのは、日本人でありながら日本を否定し、天皇までも批判する日教組や部落解放同盟である。
反日運動を繰り広げる外国人と、同じく反日運動をする日本人、どちらが問題化と問われれば、私は後者だと思う。

作家の百田尚樹が静岡市内の講演会の質疑応答で、「日教組は何十年も子供に贖罪意識を教え込んでいる」とした上で、「日教組は日本の癌」だと述べたとニュースになっていた。
反日団体では日教組や朝日新聞ばかりが目立ち、それらばかり批判され、どういうわけか部落解放同盟への批判はあまり聞かれない。未だに、部落解放同盟への批判は日本のアンタッチャブルになっているのだ。
部落解放同盟の構成員であった奈良市の職員が、ほとんど働きもせずに給料をほぼ満額市から受け取っていた上に、副業はやっていたという事件があった。
京都市では、縁故採用された部落解放同盟の構成員が大麻や麻薬、強盗を起こしておきながら、再雇用され、また問題を起こし、京都市長が「部落解放同盟の縁故採用に問題があった」と認めた事件があった。
これらが起こったとき、さすがに部落解放同盟への批判が起きたが、ちょろっと起きただけで、すぐに収まった。マスコミはそれにあまり触れたがらず、人々もあまり興味がない。

それではいけないのだ。
奈良市の事件のあと、部落解放同盟が「これまで見つかっていなかったフロッピーディスク版の地名総監が見つかった。部落差別はまだある!」と訴えていた。東芝とリコーのワープロで作られたフロッピーディスクが、都合よく奈良市の事件のあとに見つかった。
これは何を意味しているのか。

私が部落解放同盟にしつこくこだわるのには理由がある。こいつらが未だに各地で行っている勉強会と称した糾弾会での吊し上げによって、間接的に被害を被った。
部落解放同盟は反国家や反天皇制を掲げるだけでなく、日本の一般市民を差別者に仕立て上げ、個人攻撃をする団体である。糾弾会で人格を否定し、勤務先には「差別者を解雇しろ」と迫り、人の人生を台無しにしようとする。日本の役に立つ団体とはとてもじゃないが思えない。
そんな圧力団体が大して注目もされず、日教組などの陰に隠れて批判もされないのはおかしな話ではないか。

部落解放同盟の圧力によって、カレンダーに六曜を記載できない市町村が増えた。お通夜などでの清めの塩も穢れ信仰だとされ、塩を配ると差別者に仕立て上げられる。
それでいいのか。私はそんな現状にガマンならない。
日教組や朝日新聞に目がいくのもいいが、もっと悪い団体があることに注目すべきだ。