明後日29日(火)が土用の丑の日なのだが、今晩うなぎを食べた。嫁さんが勤めているスーパーで買わされたうなぎの弁当だ。
うなぎはそれほど好きでもないので、毎年土用の丑の日の前後に1回食うだけだが、それでもそれなりにおいしいと思い、満足してテレビを見ていた。
すると、スマホのプッシュ通知で、産経新聞アプリの号外がお知らせされた。ダウンロードしてみたら、佐世保市の15歳の女子高生が、同級生の女子生徒を撲殺し、遺体を切断したという内容だった。
正直なところ、ネット限定とはいえ、「号外にするほどのことか」と思ってしまった。
ハッキリ言って、子供による殺人事件なんぞ、いつの時代も起こっていたことであるから、いちいちそんなことでビックリしていたらキリがない。
昔からマスコミは、「近頃の若者が凶暴になって、暴力事件だけでなく、殺人事件まで起こすようになってきた」というふうに報道してきているが、そんなことは昔からあったし、統計的には老人の方がよほど暴力事件を起こすようになってきた。
佐世保市では、10年前に小学6年の女子児童が同級生をカッターナイフで切りつけて殺害する事件があり、人の命を大切にするという啓蒙学習が広く行われていたはずだが、そんなものはムダであることがこの事件でよく分かった。
殺害された女子生徒は、首と左手首を工具などで切断されていたらしい。犯人の女子生徒は、殺害後に「殺しちゃった」などとインターネットの掲示板に書き込み、血の付いた手の写真までアップしていたそうな。
ネットに実況報告するあたり、かなりイカレているのかと思う。しかし、遺体の切断は猟奇的犯行によるものではないだろう。首と手首が切断されていたことに対して「猟奇的だ」との意見が多いが、殺人犯が遺体を切断する理由の多くは、遺体を遺棄しやすくするためであって、死体をバラバラにすることが目的であることは滅多にない。
神戸の連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗は、男子児童を殺害したあと首を切り落とすときに、性的興奮を憶えて勃起し、射精していたそうだが、本当のキチガイがこういうことをすることは滅多にない。
ただ、遺体をバラバラにするヤツは、冷酷だからというよりも、気が小さいことが多いという。安全に捨てたいという一心で、手頃なサイズに切り落とすが、実際は遺体のパーツが増えれば増えるほど、見つかりやすくなる。普通に考えれば、誰か殺してしまったとき、その証拠を隠滅したいのであれば、死体を車に載せて、人通りの少ない場所に埋めるなどして遺棄するか、自宅で何とかするしかない。だが、女子高生なのでそうはいかなかった。
かといって、自分の部屋で遺体をバラバラにする考えはよくなかった。恐らく、犯人の女子高生はアホなのだろう。
死体といえど、切断すれば血が多く流れる。だから、普通は浴室で切断されることが多い。その後の警察の調べで血液反応を出さないために、塩素系洗剤でキレイにし、アンモニアを振り撒くなどもしないといけない。しかし、よほどうまくやらないと、風呂場は水切れをよくするために凹凸を付けてあるので、そこに血液が残ってしまう。
体よく遺体をバラバラにできたとして、一番問題なのはどうやって捨てるかである。燃えるゴミの日に少しずつ捨てると、万が一見つかったときのリスクが高い。家で出すにしても、血が出ている遺体の一部をどうやって捨てるのか。ゴミ置き場で誰かに見つかったら、一巻の終わり。
そうかといって、死体をぐつぐつ煮込んで骨だけにし、その骨もハンマーで砕いて完全に証拠隠滅することなど、女子高生ではまず不可能だろう。
だから、女子高生は鈍器で同級生の頭を殴って殺した時点で諦めるしかなかった。もし1回しか殴っていなかったら、転んで頭を打ったなどと言い訳ができたかも知れないが、殺意を持って何度も殴ったらもうダメだ。
やっちまった時点で救急車を呼び、自首していればよかったのに、死体損壊までしてしまったらタダでは済まない。
犯罪者に優しい日本の司法は、キチガイと未成年者にはとりわけ優しい。両方だからいろいろ優遇してくれるかと思えばそうではない。殺しただけなら少年院に入って数年で出られただろうが、死体を切り刻んでしまっては、それ以外の通院治療を受けたあともいろいろマークされることになる。
まあ、いずれにしても、誰か殺した時点で、この女子高生の人生はパーである。本人は仕方がないとして、親兄弟の人生も大きく狂わせることになる。家族は引っ越しを余儀なくされ、親は多額の賠償金請求を受けることになる。会社に知られていられなくなるだろうから、職も変え、人目を避けるように生きていかねばならない。
この女子高生が、もう少し賢ければ、遺体を切断することもなかっただろうし、殺した時点で親に反抗を打ち明けて自首できただろうし、何より同級生を殺しはしなかっただろう。本当にバカである。
日頃から、何をすれば自分の人生の特になり、損になるかを考えていないと、こんな酷いことになる。
コメント
コメント一覧 (4)
こういう集会で語るべきは、「人を殺したら、あなたの人生は終わりだよ」と脅すこと(言葉は悪いが)ではないかと思います。
未成年だから大した罰は受けないと社会の制裁を舐め切り、後先考えず人に危害を加えようとする子供に自制を則するには、罪に対する罰の大きさ・恐怖を植え付けるしかないのではと思います・・・死ぬ気で犯罪犯すヤツには効き目はうすいでしょうが。
犯人の女子高生は「人を解体してみたかった」などと供述しているそうですが、これは多分キチガイを装った詐病のように思います。犯人の母親が昨秋に癌で死に、すぐに父親が再婚しているわけですが、そこらへんがショックだったのでしょう。普通に考えると、母親が亡くなる前に付き合っていたということですから。
対する被害者は、両親に愛される家庭で幸せに育っていて、被害者の何気ないひと言に激情するか、以前から抱いていた嫉妬心で殺したのかも知れません。犯人がそのような嫉妬心を気付かれることを恥と思い、ビョーキを装うことは犯罪ではよくあることです。
この件に関して学校でどんな説明をしているのか分かりませんが、仰る通り命の大切さなんぞを訴えているんでしょうね。そういうことは、人殺しするようなヤツに言っても意味がありません。そうでない殆どの人には無意味ですね。何故よく分からない同級生に殺されなければならないのかという、哲学的、宗教的な問いかけなどもやっていないのでしょうし、どうやって生徒をなだめているのか気になるところです。
世の中に数多いるムカつくヤツらを殴ったりしないのは、殴ったりすると損するからです。仕事を辞めさせられたり、学校を退学になったりします。それこそ犯罪の抑止力であって、それの延長線上で「人殺ししても殆どは捕まって、そのあとの人生がメチャクチャになる」と説いた方がいいのかも知れませんね。
この女子高生は小動物の解体に夢中だったといいます。酒鬼薔薇聖斗も同様でした。殺人は偶発的なもの以外は、やはりこういった性癖が高じて最後には殺人に至るケースが非常に多くあるように思います。
知っている子どもも、バッタをつかまえたときに、逃げるからといって、足を全部もいできました。ぞっとしました。2ヶ月後、学級でかわいがっていたハムスターを生き埋めにしました。
さらにその半年後、近所の犬の口に爆竹を詰め込んでショック死させました。育つ過程において生命尊重を学ぶ大きな機会を逸してきた子が存在するのは確かです。そういった親の取る行動は他人批判だけで子どもを甘やかすだけのように感じます。みんながみんな壮だとは思いませんが、共通点はあるように思います。
子供はときに恐るべき残虐性を出して無益な殺生を行ったり、動物を痛めつけたりすることがあるわけですが、自然とそんなことをやらなくなりますし、昔そんなことをやっていた子供たちが殺人鬼になるのは極めて稀です。
私は子供の時分からそういうことをしなかったためか、親からどうこう言われた覚えはありませんが、そこらへんは各家庭でどうなんでしょうね。学校でも「動物を殺してはいけません」「友達を殺してはいけません」などといちいち言われた記憶がありません。
知らず知らずのうちに学習していって、人格が形成されているのかも知れません。
三つ子の魂百までと言いますし、幼少期のときに親が教えるのは大切だと思います。安倍政権が掲げている、小学校に入る前の教育でやるのがちょうどいいのかも知れません。
ただ、中学校や高校でいちいち命の大切さの授業を行うことにどんな意味があるのかとは思います。たとえば、中学生の99.999%が正常、残りの0.001%が殺人者予備軍だったとして、その超マイノリティのために学校で教育せねばならないのかと疑問に思うわけです。
それについては、今日のエントリで書こうと思っています。