20150126-1

「I AM KENJI」と書かれた紙を持って胸の前に掲げた写真をFacebookやTwitterにアップする動きがあるらしい。今日になって、朝日新聞や読売新聞が報じた。

【朝日新聞】「I AM KENJI」 解放願う声、世界に広がる (1/26)

【読売新聞】「I AM KENJI」…祈り込め投稿広がる (1/26)

身の回りでそんな動きがあるとは思えないが、新聞がこうやって報じるのは、情報を流して盛り上げようとする意図があるからだ。

どう見てもシャルリー・エブド襲撃事件の「私はシャルリー」(Je suis charlie)の二番煎じであるが、よくこんな恥ずかしい運動によく参加できるもんである。
何が「私はケンジ」なのだろうか。朝日新聞は「無事を祈る目的」などとしているが、やる意味が分からん。ケンジでない人が「私はケンジ」という紙を掲げて祈りになるのか。

「私はシャルリー」のときも、人の嫌がることばかりするシャルリー・エブドの報道姿勢を支持し、デモで「私はシャルリー」と掲げた連中はアホなのかと思ったが、「私はケンジ」もそれと同じくらい愚かだと言える。
イスラム国の暴力に対する対抗策のつもりなのかも知れないが、そんなもんは屁のつっぱりにもならない。

傭兵のマネゴトをするためにシリアに行って捕まった湯川遥菜には同情の余地はないし、殺されても大して気の毒には思わないが、後藤の方は気の毒には思う。
彼は湯川がイスラム国に捕まったことを気にして、救出する目的でイスラム国支配地域に潜入したとされている。ヒーロー気取りなのは問題だが、純粋にそれが目的ならばその行動力は評価できよう。

ただ実際は、日本人ジャーナリストとして初めてイスラム国支配地域へ潜入したという実績を作り、映像を撮るという目的もあった。ついでに、湯川遥菜の取材ができたら大スクープだし、救出できれば国民的な英雄にもなれる。
ジャーナリストとしての商売なのだから当然だろうが、商売ありきのスケベ心もあってイスラム国支配地域へ行ったわけだから、私は心から彼を支持することはできない。

多くの人が「私はケンジ」と掲げているのは、イスラム国の人質となっている後藤健二の行動を支持するということだろう。
よく考えてそうしているのならいいが、考えもせずに単に「流行だから」とか、「かっこよさそうだから」とかいう理由でやっているのもいるだろう。

そこらへんはまだ許せる範囲だが、許せないのはこれを利用して安倍政権批判をしている連中である。
昨日あたりから首相官邸前で「I AM KENJI」「I'M NOT SHINZO ABE」などとプラカードを掲げた市民団体などが大騒ぎしているという。一体こいつらは誰を批判しているのか。

こいつらが言うには、「安倍首相が憲法9条の変更を進めているせい」、「集団的自衛権の解釈変更でアメリカとの結びつきが強くなったせい」、「対イスラム国対策として資金援助したせい」などの理由で日本人人質事件が起きたそうな。
また、安倍首相の対応が悪かったせいで人質が殺されたのだという。

共産党の池内沙織とかいう女の議員もそうだが、イスラム国を差し置いて首相批判する連中の脳みそは一体どうなっているのだろうか。
日本の外交がどうあろうが、人質としてふたりは囚われることになっただろうし、どんな対応をしても湯川は死んでいただろう。236億円を支払えば、国内はもとより国外からも猛烈に批判されていた。
政府の対応に問題があるのだとしたら、どうすれば問題解決できるのか提案したらいいのに、誰もそれらしいことを言わない。

日本人人質事件が起き、ひとり殺されたことを絶好のチャンスと捉え、安倍首相を批判しているだけ。テロリストが用意した文章を読まされたのか、首相批判を展開した後藤の言葉を借り、「I AM KENJI」も借りているだけである。

そんな連中とは一緒にされたくないから、「I AM KENJI」は死んでも掲げないようにしよう。