20151129-1

昨日の夕方、テレビのチャンネルをザッピングしていたら、TBS系列の「報道特集」とかいう番組で、韓国の従軍慰安婦の婆さんにインタビューをしていた。
従軍慰安婦だったと主張する婆さんと日韓の若者がボランティアスタッフとして共同生活を送る「ナヌムの家」だか「ナムルの家」だかいう施設に行って、そこに入所している婆さんに話を聞いていた。

ある婆さんは、TBSのインタビュアーに対して「謝罪もしていないのにインタビューとはなんだ」とブチギレていた。自分が気に入るような謝罪を日本政府がしていないからといって、日本の民放のスタッフがどやされ、インタビューもままならないとはどういう了見だろうか。
だがそのあと普通にインタビューを受けていて、警察官に中国に行けと言われて従ったらそこで慰安婦にされたなどと言っていた。日本人の警察官なのか朝鮮人だったのかは知らないが、強制連行されたとは言っていなかった。もうひとりの婆さんも民間人に騙されたと言っていた。

ブチギレ婆さんの方は、慰安所で日本兵に酷いことをされたと言っていた。具体的になにをされたかは語っていなかった。
韓国人の話では、慰安婦は毎日何百人に強姦され、しまいには刃物で腹を切り裂かれたり、釘をたくさん打ち付けた板の上を転がされて肉片にされたらしいが、この婆さんはどのような酷いことをされたのだろうか。

従軍慰安婦に関する本を読むと、慰安婦は日本兵より遙かに多くの給料を貰っていて、日本兵はなけなしのカネをはたいて相手をして貰っていたとある。
慰安婦はヤクザみたいな民間業者が管理しているわけで、日本兵が手を出したりしたらタダでは済まなかったのではないのか。

どちらにしても、日本兵に酷いことをされたのか、誰かに騙されて慰安婦をさせられたのか、そもそも慰安婦だったのかも分からない。
だが、韓国曰く、「証拠はこのお婆さんたちだ!」などと平気で言う。韓国の司法を見ても分かるが、韓国には決まりとか証拠とか、そんなもんは関係ない。国民の情緒のみで成り立っている国だから、証言こそ最大の証拠なのだ。
だから、あることないこと言えばそれがすべて証拠となる。

自称慰安婦らの証言は時代によって変遷している。金学順や李容洙といった有名な慰安婦は、最初は「母親にキーセンに売られた」とか、「知り合いに付いていったら慰安婦にされた」と証言していたのに、何年かすると「銃剣を突きつけられて連れて行かれた」などとなったりする。

故意であってもなかっても、証言ほどアテにならない証拠はない。人はウソをつくし、ウソをついていなかったとしても、人は無意識のうちに記憶を変えてしまう。ウソも百回唱えると、それが真実であるかのように信じ込んでしまう。

李容洙は「日本の首相が自分の目の前で跪いて謝罪し、賠償せねばならない」とし、自分の意見に異を唱える日本人は犬だとした。
TBSのインタビューに答えていた婆さんも日本は謝罪をして、カネを出せと言っていた。この婆さんらのいう謝罪は、鳩山由紀夫がやっていたような土下座のことだろう。安倍首相を土下座させ、その頭を踏んづけないと気が済まない。いや、それでも足りないくらいか。

仮にこの婆さんらの証言通り、誰かに騙されて慰安婦になり、日本兵に酷いことをされたとして、日本の総理大臣がなぜそんな謝罪をせねばならないのか。安倍首相がそうしたところで、今度は李明博のように天皇陛下に対して求めてくるだろう。
こいつらは、ものには限度があるということを知らない。つけ上がらせるといくらでも終わりのない要求をしてくる。

TBSのインタビューを受けていた婆さんは、「韓国と日本は仲よくならなければならない」などとも訴えていた。自分は理解ある人間だから、話を進めないといけないというアピールをしていた。警察の尋問で出てくる悪い警官といい警官のように、日本への恨み辛みを吐き捨てる悪い婆さんと、日本への理解を示すいい婆さんをひとりで演じていた。
誰の入れ知恵なのか。

仲よくしないといけないから、さっさと謝罪してカネを払えということらしいが、日本は別に韓国に媚びへつらって生きていかないといけない理由などない。慰安婦問題でキレていたいのなら、この先もずっとキレていればいい。
慰安婦の問題が本当にあったとして、そこらへんの補償は日韓基本条約に関する取り決めて解決済みであるが、韓国人は当時知られていなかった問題は別だと本気で思っている。朝鮮人が強制連行され、日本兵の慰みものにされた問題が戦後40年50年も経たないと出てこないなどあるのだろうか。吉田清治がウソ証言をするまで、韓国人は誰も知らず、誰も疑問視しなかった問題があとから出てくることなどあり得るのか。

とにかく、慰安婦の婆さんらの話を聞いていると、バカバカしくなってくる。TBSのインタビュアーは跪いて神妙な面持ちで聞いていたが、ひとりでブチキレ、本当かどうか分からない話をまくしたてる婆さんの話をよく聞いていられるものだ。
本来ならば、婆さんの前で話の不自然な点などを全部指摘してやるべきなのだが、そういう人はインタビューする機会すら与えられないのだろう。婆さんらの話をおとなしく聞いて、信じる人間でなければならない。

日本の悪口を吹聴し、ヘンな入れ知恵をする人間に囲まれて、さらに自分をちやほやしてくれるイエスマンもいて、慰安婦だったと主張する婆さんらには、生きがいができてよかったのかも知れない。死ぬ間際の第二の人生だ。人々に注目されるなか、日本を叩くことで自己のアイデンティティを確立することができる。戦後何十年か経ってから生み出した恨みを大きくし、それを生きがいにしている。
李容洙は200年生きて、自分に謝罪しない日本の犬どもの末路を見取ると言っていた。どうぞご自由に。

そんな婆さんとそれをバックアップする韓国政府の相手をせねばならない日本にとっては災難だ。婆さんと話をしたり、韓国政府と交渉したりするすることになんの価値も見いだせない。
そんな無意味なことをこれからもやり続けないといけないのかと思うと、心底ウンザリさせられる。