20151229-1

東日本大震災における日本人の対応は外国人に衝撃を与えたのだという。まるで悲劇を受け入れたかのように淡々と列を作って並んだり、避難所でおとなしくすごしたり、復旧作業に勤しむ姿は海外ではあまり見られないようだ。
その際に海外から指摘があったが、日本人特有の「仕方がない」「しょうがない」という精神が働いているのだという。歴史的に大災害に何度も見舞われた日本人は、どのような苦しい状況でもそれを受けとめ、挫けない精神がある。

ときにこの「仕方がない」精神は、日本人の押しの弱さ、すぐに諦める姿勢として欧米人から捉えられ、否定的に見なされるのだが、あの震災で日本人の「仕方がない」という考え方は外国人から改めて評価された。
日本人は過去に囚われず、常に前を向いて進んでいくのだ。

思えば、先の戦争において、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下など、どう考えても連合国、特にアメリカの戦争犯罪が山盛りあったわけだが、日本人は「仕方がない」として受けとめた。「日本が負けたから悪かった」、「侵略したから悪かった」という考え方が広まり、さらに日米関係が友好になってからは批判するような状況にもなっていない。
あまりにもあっさりし過ぎているので、「仕方がない」も善し悪しだと思うわけだが、それでもまあ、概ねいいことであるに違いない。

この「仕方がない」という精神を少しでも持ち合わせてくれればと思うのが中国人や韓国人だ。これらシナ文化圏の国は「仕方がない」の正反対を行く精神しか持ち合わせていない。過去のことをいつまでもグチグチ言い、数百年経ってもまだ人を恨むような精神の持ち主ばかりである。
朴槿恵が「韓国と日本の関係は千年経っても被害者と加害者の関係だ」と演説していたわけだが、こいつらには「仕方がない」とか「水に流す」とか、そういう気持ちが少しもない。

慰安婦問題の日韓合意を受けて、韓国外務省の次官が慰安婦に説明しに行き、日韓合意の内容を伝えた上で、その合意内容を事前に伝えなかったことなどを謝罪したらしい。その場で慰安婦のババアはその次官に対して「安倍が公式に謝罪し、法的に賠償すべきなのに、外務省は何をしてるのか」を激怒したのだという。
次官に激怒していた李容洙とかいう証言がコロコロ変わることで有名な慰安婦は以前、日本のテレビのインタビューで「日本の首相はずっと謝罪し続けねばならない」とキレていた。だから、今回の日韓談話で手打ちにすることなど許せないのだろう。安倍首相や次の首相が自分に跪き、謝罪しないと許せないわけだ。

また、韓国挺身隊問題対策協議会は日韓合意で決まらなかった日本大使館前の慰安婦像について「絶対に撤去しない」と宣言した。
韓国政府が強制撤去できるわけがなく、大使館前の慰安婦像は未来永劫残ることが決定した。

こうなることは最初から分かっていた。韓国人は自分が被害者となったと見るや、相手を死んでも許さない。末代まで祟るかのごとく謝罪を求め、カネをむしれるだけむしろうとする。「仕方がない」の精神がないどころの話ではない。諦めることに関して、日本人とはレベルではなく、次元が違うのである。

正直なところ、韓国政府も手を焼いているのだと思う。セウォル号の遺族が傍若無人なことをして許されるように、慰安婦にも屈服せねばならない。外交的にこれ以上日本を敵に回して損をしたくはないから手打ちにしたいのだろうが、それを国民が許さない。
日本は日本政府として謝罪し、軍の関与も認め、「人道的観点」とやらで10億円出し、折れに折れた。これも安倍首相に言わせれば「仕方がない」ということか。
しかし、肝心の韓国が「仕方がない」「しょうがない」として受け入れる気がないのなら、日本が損をしただけである。

それも含めて「仕方がない」と日本で受け入れられるだろうか。そんなわけがない。