20160224-1

先日、乗っていた電車が発車した途端に急停車する事態が起こった。車内アナウンスを聞くと、ホームの客が電車と接触したらしい。
どういう状況なのか意味が分からないが、10分ほど停車して運転再開になった。

さすがにこれから発車する電車に飛び込んで死のうと思うヤツはいないだろう。ふらついて接触したか、スマホを見ながらホームの端を歩いてぶつかったかどちらかだろう。
実際、金曜の夜には酒によってホームでふらついて電車にぶつかったりする酔っぱらいが多い。ベンチに座っていた酔っぱらいが立ち上がって歩いてホームから転落し、電車に撥ねられるパターンも多い。だから、最近はホームのベンチを線路と並行の向きではなく、垂直の向きに付け替え、酔っぱらいが立ち上がってまっすぐ歩いてもホームから落ちないようにしている駅が増えてきた。

不注意でぶつかったのは百歩譲ってしょうがないとして、たまに駅で電車への飛び込み自殺をするバカがいる。そのバカのなかの最小のバカは、駅に停車する電車に飛び込んだりする。速度を落としている電車で死ねたらいいが、車輪に轢かれて足だけ切断して死ねないことが往々にある。なんらかの苦しみから解放されようと自殺を試み、もっと苦しむとはバカの極みだ。
駅から飛び込み自殺するときは、貨物列車や特急などの駅を通過する電車の1両目の前面にぶつかるようにせねばならない。
まあその前に、電車に飛び込み自殺するヤツは数万人に迷惑をかけることになるので、飛び込み自体やめてもらわないと困るわけではあるが。

内閣府の統計によると、日本ではこの10年、毎年3万人以上が自殺しているという。交通事故の死者数が5千人の割り込んでいるのだから、自殺者がいかに多いか分かる。しかも、明確な自殺だと断定されていない変死者はその5倍くらいいるらしいから、実態はもっと多いのかも知れない。

自殺した人の数のうち、およそ75%が遺書などによって動機が判明しており、その半分は病気などの健康問題が原因だという。25%は借金などの経済問題、残りが家庭問題や仕事上での問題だという。

自殺はよくないことなのだろうが、どうしても死にたい理由があるのはよく分かる。借金くらいなら自己破産すればいいだろうが、病気の場合はどうしようもならない。鬱病などの精神疾患なら本来死ぬ必要などないのだが、末期癌など不治の病で苦痛に耐えられないのなら仕方がないのではないか。苦しんであとで死ぬか、苦しまずに今死ぬかだけのことだ。
モルヒネなどをたくさん打てればいいが限度がある。かといって自殺する体力もなければ、自分で踏ん切りも付けられない。その手助けをすることは悪いことなのだろうか。

義母や実父が癌で死んだが、最後の方は相当苦しんでいた。特に義母の方は足の付け根にできた腫瘍で歩けなくなり、家族に下の世話をして貰っていたために最後の方は感情がおかしくなって、常に「死にたい」と言っていたそうだ。それのせいで嫁さんの実家も暗くなり、義父の方まで精神的におかしくなりかけていた。
苦しみを終わらせる方が、本人のため、家族のためになることがある。

しかし、死にかけの人を医師や家族が殺してしまうと殺人の罪に問われる。ならば、国が自殺の手助けをしてやってはダメなのか。いわゆる尊厳死というヤツである。
アメリカでは州によって尊厳死を認めているところもあるし、韓国は今年の1月に尊厳死に関する法律が成立した。日本でも認めるべきだと思うし、もっと踏み込んで「自殺の手助け」といわれるくらいのことをやってもいいと思う。

ドライな言い方をすると、助かる見込みもなく、本人も苦痛しか味わっていないのに、終末医療で健康保険を使うのももったいない。苦痛だけを味わい、本人も国もカネを使うばかり。なんのために生きているのか分からない。
それ以外に、生活苦で死にたいとか、人生で嫌になったから死にたいとかいう理由でも、60歳とか70歳とか一定の年齢を超えていたら自殺の手伝いをしてもいいように思える。

日本の社会保障はこのままだと近い将来に間違いなく破綻する。ロクに年金を受け取れない老人が増えまくり、生活保護が財政を圧迫する。生活保護費も出なくなるに決まっている。
小泉内閣によって市場主義経済とやらが積極的に導入され、派遣労働が極端に増えたために低年収の人が増えたし、年金を支払っていない人も増えた。そんな人たちの生活はずっと維持できないだろう。生活保護に頼りたくても頼れない、年金も受け取れない。そんな人が増えてくる。
すると、生活苦による自殺者も増えてくるだろう。全員が人目につかないところで首吊りでもすりゃいいのかも知れないが、電車に飛び込んだりビルから飛び降りて派手に死ぬヤツが増えるだろうし、新幹線を放火した犯人のようにヤケクソになって自爆テロ同然の自殺も増えるだろう。

「楽に死ねます」と国が自殺を促してもいいかも知れないし、放っておいても世界中でそんな世の中になるかも知れない。

これは、諦めの境地からなんとなく思うことである。本来ならば、どんな病も治せ、生活苦もサポートされるような世の中ならばいいのだが、実際はそんなに甘くなく、どんどん悪くなっていっている。
多くの人が、病気以外で人生を諦めたくなることが今後出てくる可能性が高い。「自分でなんとかしろ」などと突き放されるよりも、人生の最期の面倒を見てくれる方がまだいいように思えてならない。