20160226-1

大阪市・梅田で起きた乗用車の暴走事故は、梅田に行ったことがある人なら誰でも驚いたに違いない。ヨドバシカメラ・マルチメディア梅田と新阪急ホテルの交差点で、梅田で買いものをする場合はここらへんをよく通る。

昼間に繁華街の歩道を普通に歩いてきただけで、暴走した車が突っ込んできて撥ねられ、死んだり大怪我を負ったりするのは不運としかいいようがない。しかも今回の事故の場合、運転手が危険ドラッグをやっていたとか、治療をしていないてんかん持ちだったわけではなく、突然死してアクセルが踏み込まれ暴走したのである。
今日のニュースによると、事故当時死んでいた運転手の死因は、「大動脈乖離による心タンポナーデ」というものらしい。大動脈の内壁がはがれる大動脈乖離が起き、心臓近くの血管が破れて心臓が圧迫されたそうな。要するに心臓が止まったということか。

自己を起こした当人が既に死んでいて、しかも病気だったのだから被害に遭った人は怒りをぶつける場所もなく、「しょうがない」と受け入れるしかないのが不憫だ。
昨日の報道ステーションを見ていたら、古舘伊知郎が「自動車の自動運転の技術を利用して暴走を防ぐことはできないだろうか」と力説していたが、かなり難しそうだ。

できるに越したことはないが、運転手が生きているか死んでいるか確認するシステムや、対人事故を防ぐシステムを車に導入する費用対効果が問題となる。対人事故が完璧に防げるならともかく、運転手が死んでいたら車を止めますという装置を取り付けるのに20万円かかるなどとなったら誰が取り付けるのか。
特に、運転手が運転中に死んでしまうとか、滅多に起こらないことの監視装置はムダに思える。

人を撥ねそうになったら、車の自損事故を起こしてでもそれを防いでくれるシステムがあれば交通死亡事故を大幅に減らすことができるだろうが、実現できるだろうか。
私が乗っている車には周囲をカメラで監視して、車庫入れ時などにものにぶつかりそうになったら警告音を鳴らすのだが、普通にバックで駐車するときに後ろに停まっている車に反応するなど、過剰にピーピー鳴らすのでうるさいし、車を駐車場から出そうとして停止して左右確認しているときに車の前を人や自転車が通ると、車がなにかに当たりそうになっているとこれまたピーピー警告音を出す。アホなのである。

認識技術はどんどん発展していくだろうが、運転手の健康がどうとか、歩行者を巻き込む事故が起きそうだとか、完璧に判断できるようになるとは思えない。
技術革新には期待したいが、それですべて解決するわけもなく、期待はほどほどにしておいた方がいい。この世の中、なにが起こっていつ死ぬか分からない。

交通事故の場合、「しょうがない」と思わねばならないようなことがたまにあるわけだが、それは人を殺そうとしてどうにかしたわけではないからだ。
逆に、人を殺そうとして殺したヤツの場合、なんらかの防ぐ手立てがあったと考えることができる。

例えば、アメリカでまた銃の乱射事件が起きたわけだが、そもそもの話としてアメリカが銃社会でなければこんなことが起きなかった。銃が山ほど出回っている状況で、今さら規制したところで大した効果はないのかも知れないが、徐々に変えていかないと、年に何度も起こる銃乱射事件が減ることはないだろう。
全米ライフル協会は学校で銃乱射事件が起きても、教師や警備員が銃を持っていれば防げたなどとバカげたことを言うが、銃がそこらへんにゴロゴロあることが根本的な問題なのである。

乗りものは使い方を間違えると銃のように人を殺めてしまう道具になるが、少なくとも日本にはアメリカのように銃がなくてよかった。日本も銃だらけの社会ならば、銃乱射事件がたくさん起きていたような気がする。
事故で誰かが死んでしまうことはしょうがないこともある。しかし、銃とか爆弾とかで人が死ぬのはしょうがないことではない。

普段の生活に銃は不要だが、車は必要だ。人を傷つけるという目的を果たせない銃はあり得ないだろうが、人を傷つけない車はあり得る。
だからやはり、難しいと分かっていても、車で間違ったことが起きないように少しでも努力すべきなのかも知れない。