20160529-1

私は他人には厳しい方だと思うのだが、最近はあまり厳しくなくなってきたように自分でも感じる。「もうええやんか」と思ってしまうことがよくある。

例えばベッキーについてだが、ネットでは未だにバッシングの声が大きい。実際は多くの人が「どうでもいい」と思っていて、自分もそうなのだが、あまりにも叩かれているのを見て可哀相になってしまう。さすがに「もう勘弁してやれや」と思わずにはいられない。
ベッキーはゲス男に騙されて恋愛にのめり込み、会見でウソをついてテレビとラジオのレギュラーをすべて失い、CM契約もすべて失った。十分すぎるほど罰は受けたし、本人は謝ってんだからもういいじゃないかと思わずにはいられない。
ベッキーを叩いている人はなにが憎くて叩いているのだろうか。

ただ、小保方晴子みたいなヤツは許せない。瀬戸内寂聴と対談して、そこでも自分が被害者であることをアピールしていたが、あいつは加害者である。自分の非を認めず、謝ろうともしないヤツは嫌いだ。

では今話題のオバマ大統領ならどうだろうか。広島訪問を実行したオバマ大統領について、韓国人被爆者やその支援者らがキレているわけだが、そもそもの話としてオバマ大統領が原爆を投下したのではないのだから許せる、許せないの話ではない。
オバマ個人ではなく、アメリカの大統領としても謝罪させたり、許すか許さないかこちら側にあるとか思う気にもならない。原爆投下は明らかに一般市民の虐殺行為であり、かつ人体実験でもあった。ただ、アメリカは戦争に勝った。日本は負けた。戦争は勝てば官軍であるから、勝った側はいくらでも正当化することができる。「戦争を早期集結させるため」と言われればそれで終わりだ。

アメリカが「すまんかった」と謝罪するのに越したことはないが、そんなこと逆立ちしてもするわけがない。そんななか、オバマ大統領はアメリカ国内で反対意見もあるなか、広島を訪れた。
直接の謝罪などなかったが、日本人としてオバマ大統領の意図をなにかしら汲むことはできた。

原爆資料館を訪れた際、白血病で死んだ女の子が折った折り鶴の展示の前で自分が折ってきたという和紙でできた折り鶴を取り出し、同行した小中学生に手渡したのだという。
資料館の見学時間は短かったが、その後の核廃絶などを訴えたスピーチは17分も行っていた。
また、スピーチ後に行われた被爆者との対話で、握手した手を話さずに真剣な眼差しで対話し、別の人とは抱擁していた。

アメリカの大統領として謝罪はしないが、なんとなく原爆使用への後ろめたさのようなものがあるように受け取れる。そうでなければ、広島に来ることもないだろうし、真剣なスピーチをすることもないだろう。被爆者に会うこともなかろう。

オバマ大統領は核廃絶を訴えただけでノーベル平和賞が貰えたジョークのような存在だと思っていたが、彼は思っているより悪いヤツではなく、寧ろいいヤツに思えてきた。
私は単純で、厳しさが足りないのだろうか。

そんななか、平岡敬という元広島市長が毎日新聞でオバマ大統領を厳しく叩いていた。

【毎日新聞】米大統領広島訪問 平岡・元広島市長「何をしに来たのか」 (5/27)

「原爆を使った過ちを認めないのなら、何をしに広島に来たのかと言いたい」とのことだが、こいつは誰かが全部口に出して言わないと分からないのだろうか。料理の腕を男に振るって「おいしいと言ってくれないと分からない」とキレている女のようである。
仮にオバマが原爆投下についてまったく悪くないと思っていたとしても、アメリカ大統領としての広島訪問を少しくらい評価することはできないのか。

この平岡敬という人物は、テレビのインタビューでは「謝罪と補償、再発防止」を訴えていた。
分かりやすい格好で土下座し、カネを支払い、二度と過ちを犯さないことを確約させる。そこまでして初めて評価してやれる。どこぞの韓国人みたいではないか。
ただ、それをやったところで、「誠意がない」「謝罪が足りない」「カネも足りない」などと言い始めるだけだろうが。

世の中には厳しすぎる人が結構いる。
そういうヤツがいろんなものごとの妨げになっている。