20170529-1

台湾という言葉をキーワードにHDDレコーダーで自動録画されるようセットしていたら、KBS京都で放送されている「超特急と行く!食べ鉄の旅
台湾編」という番組が4月から勝手に録画されるようになった。
調べてみると、テレビ埼玉や千葉テレビ、テレビ神奈川、サンテレビといった独立放送局で放送されているらしい。

タイトルで勘違いしたのだが、台湾高速鉄道(台湾の新幹線)で移動して駅弁でも食うのかと思っていた。実際は、超特急とかいう聞いたことのない日本のアイドルグループが台鉄(台湾鉄道)に乗って駅弁を探しに行くという内容だった。

台鉄に乗る企画はいいのだが、超特急というグループがどうにも受け入れがたい。見た目が韓国のアイドルみたいで、大学生のようなノリでアホなことを喋っているのを見ると、本当に韓国のアイドルかと見紛ってしまう。
コイツらのなにがアホかというと、毎回駅弁を探すミッションを与えられるのだが、現地の台湾人に質問するのにスケッチブックに絵を描いて説明していたことだ。絵ではまったく伝わらなかったが、絵に添えられている漢字を見て意味を理解する台湾人がほとんどだ。
漢字で伝えたらダメなどというルールはないのだから、最初から漢字で書けばいい。「太陽餅」を伝えるのに、「太陽」の絵と「餅」の絵を描いていた。「太陽餅」は台中の名物で、なんとか台中駅に辿り着いていたが、テレビで見ていてイライラせずにはいられなかった。
漢字は表意文字であり、日本人が台湾に行けばなんとなく意味が分かる中国語が多い。その逆も然り。中国がまったくできなくても、漢字だけ書いていればなんとなく意味が伝わる。

演出なのか素なのか知らないが、ちょっとアホなアイドルにイライラしながら番組を見ている。これまで、先に出てきた台中駅のほか、新竹駅や台南駅が出てきた。新竹も台南も駅舎は日本統治時代のものが今も使われていて、新竹駅は完成から104年間そのまま利用されていて、台南駅は1900年に完成後、1936年に今の駅舎ができ、以後70年使用されている。

台湾人は歴史のある古いものを大切にする気質がある。台湾鉄道ではメジャーな駅のみならず、地方の小さい駅でも日本統治時代のものがそのまま使われていたりするし、彰化市にある彰化扇形庫という扇型の車庫も日本統治時代のものだ。
超特急の食べ鉄の番組でも駅舎や彰化扇形庫が日本統治時代のものだと紹介されていた。

それ以外にも、台南にある林百貨、台中にある宮原眼科など、日本統治時代の建築物が名前もそのままで商業施設に改装されて使われていたりする。

日本統治時代のものを「日帝の遺物」としてことごとくぶっ壊すどこかの半島とは違うのが台湾だ。

そんな台湾であるが、日本統治時代をよく思わない人たちもいる。台湾では日本統治時代を「日治」と呼ぶか、「日據」と呼ぶか意見が分かれる。前者は統治、後者は占領の意味である。
日本統治時代を「日據」とし、暗黒時代だとする人は、その多くが外省人だ。第二次大戦後に中国の国共内戦で敗れ、台湾に敗走してきた国民党やその関係者である。
近年は本省人と外省人の区別が段々と曖昧になってきており、外省人だから反日だと決まっているわけはなく、本省人だから親日だというわけでもない。ただ、大陸に親近感を覚える連中は極めて反日傾向が強い。

先月、台南市にある八田與一の銅像の首を切り落とした李承龍という台北市議がいたが、28日の夜に台北市内の逸仙国小(小学校)に忍び込み、入り口に鎮座する狛犬2体をぶっ壊したのだという。逸仙国小は神社の跡地に建てられた小学校で、100年前から狛犬が地域住民を見守っていた。

台湾では八田與一像の斬首事件以後、日本統治時代にまつわるものが幾つか壊された。
台北市の北投、丹鳳山にある岩に「台湾よ
永に幸あれ」と誰かが日本語で彫った「台湾幸福石」と「弘法大師紀念碑」が破壊され、以前このブログで紹介した六氏先生の記念碑である「故教育者姓名紀念碑」も赤いスプレーでバツ印を付けられた。

台湾で祀られる日本人 (2/12)

いずれも、日本や日本統治時代をよく思わない連中の仕業と見られている。どうしようもない連中だ。

小学校の狛犬をぶっ壊した台北市議に対し、台湾で有名な李茂生という台湾大学教授が「八田與一像、狛犬のあとは、台湾総督府か?」とFacebookに皮肉を書いていた。日本の名残をすべて浄化すれば大中華文化が得られるのかと言いつつ、台湾統治に関わったオランダやスペインと同様に清も中華ではない(清は漢族ではなく女真族の国)から大清帝国の遺物も取り除かねばとあった。過去の遺物を取り除いていてはキリがないということである。
まあ、狛犬をぶっ壊した反日市議は日本の遺物だから壊しただけなのだろうが、この教授が言うように、ならば台湾総督府も台湾鉄道の多くの駅舎も全部ぶっ壊す必要がある。

過去の遺物をぶっ壊したがるのは大陸にいる中国人の特徴だ。毛沢東は文化大革命の名の下に建築物から文化まで古いものをほとんどぶっ壊した。だから、中国には歴史はあっても、古いものは極端に少ない。

「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)とは論語にある言葉であるが、大陸の中国人やその信奉者はそれも忘れてしまったらしい。古いものを大切にせず、なにも学ばず、気に食わないという理由でぶっ壊す。日本統治時代が気に食わないとしても、その遺物を片っ端から壊すことになんの意味があるのか。その遺物があることで学ぶことも多いと思うのだが。

失われたものは戻ってこない。古いものを大切にする台湾人は知っている。知らないのは中国に毒された一部の人間だけだ。