20170719-1

私は昔からなぜか名前だけの芸名がキライで、今もそうだ。優香とかMEGUMIとか梨花とか絢香とか女の芸能人に多いが、男にもヒロシなんて芸人もいる。その芸能人がキライというより、下の名前だけ名乗っているのがアホみたいに見えるからだ。イチローも最初はそう思った。

GLAYのTERUとかピンクレディーのミーとケイなどもそうだが、なにかの団体に所属している人物は「○○の△△」となることが多いので、そっちはあまり気にならない。

今話題の蓮舫は、台湾の政治家の連戦みたいに蓮が姓で名が舫かと思っていたが、生まれたときは謝蓮舫、1985年に日本国籍を取得したときは斉藤蓮舫、今は村田蓮舫が本名なのだという。
政治家は本名以外で広く通用している通称がある場合、立候補の届け出のときに通称使用の申請をすることで選挙で通称を使用することができるそうだ。

稲田朋美や高市早苗が「朋美」とか「早苗」という名前の通称使用が許されるのか分からないが、仮にできたとして、やっぱりアホみたいに見えてしまう。蓮舫は日本人にはない名前なので、蓮舫に慣れてしまうと違和感がないが、朋美、早苗、珠代と同じだと思うと違和感しかない。
それでも蓮舫は自身の出自を強く示す中華風の名前にこだわりがあるから、日本国籍取得時も蓮舫という名前をそのまま残したのであろう。

その蓮舫であるが、昨日夕方に記者会見を開き、戸籍謄本の一部などを公表して二重国籍を解消した旨の発表を行った。
やはり予想されたとおり、昨年9月に蓮舫の二重国籍問題が挙がったときは二重国籍状態で、昨年10月7日に日本国籍の選択を行ったという状態だった。台湾籍に誇りを持っていた蓮舫だから、台湾籍を捨てる踏ん切りがつかなかったのかも知れない。

以前のエントリで書いたように、国会議員の要件として重国籍は禁止事項ではない。しかし、国籍法が定めるところによると、蓮舫は22歳までに日本国籍か台湾籍かの国籍の選択をする義務があったが、蓮舫はそれを30年近く怠っており、その間違法状態が続いていた。
国籍法の定めでは重国籍者が他国の公務員に就くなどした場合や、法務大臣が書面で国籍選択の催告行って1か月以内に日本国籍を選択しなかった場合に日本国籍を剥奪される可能性があるが、蓮舫はそのどちらでもない。特に罰則もなく、国籍選択の義務を怠ったというそしりを受けるだけになる。

蓮舫は「故意に手続きを行ったわけではないから問題ではない」と言う。まあ確かにそうかも知れないが、だとしたら交通事故を起こしても「故意ではないから問題ではない」と言えるような気がする。わざとじゃなくても法律に抵触することなど山ほどあり、それらの責任は本人にあるのは間違いない。

蓮舫は自分が戸籍謄本の一部を開示して二重国籍を解消したことに胸を張っているようだ。それで十分説明責任を果たしたと考えているようで、自分に倣って安倍首相も加計学園問題で説明責任を果たせと主張している。
国籍の選択を行ったかどうかは戸籍謄本以外で証明のしようがない。蓮舫は二重国籍ではない証拠を示したというより、日本国籍を昨年10月に選択したことを示しただけだ。
加計学園の問題で安倍首相に問題ないことを証明しろと言う前に、安倍首相がグウの音も出なくなる証拠を問い詰める側が出せばいい。問題の本質として二重国籍問題と加計学園問題は異なる。

蓮舫が国籍法に違反していないことを示すには、戸籍謄本に記載されている国籍選択日を示すしか方法がなかった。しかし、これに関して「戸籍を示して出自を明らかにさせるなど、差別にほかならない」などと息巻いている人がいる。
台湾と日本のハーフで、二重国籍だったから差別されて戸籍を示せと言われているわけではないのに、なぜかそういう話になっている。蓮舫自身も「私で最後にして貰いたい」と被害者モードだった。
自分で勝手に公開しておいて、なぜこうなるのか。疑いを晴らすためには戸籍謄本を公開する以外あり得ないが、だとするとこれを批判している人たちは、これまで散々ウソをついてきた蓮舫の言い分を無条件に信じるか、この二重国籍の件を追求してはいけないとでもいうのだろうか。

蓮舫やその支援者たちは目の付けどころがよかった。違法状態を続けたうえに、有権者に虚偽情報を伝えていた二重国籍問題に差別問題を被せて逆に追求することで、元の問題を薄めようとしている。
差別問題が出てくると、途端に面倒臭い話になる。差別問題には誰も関わり合いたくないから、口をつぐんでしまう。有田芳生がまったく無関係の部落差別問題を引き合いに出してきたのも、面倒臭さを演出するためなのだろう。

なんでも差別の問題にするのは簡単でいい。人権意識が高まり、差別問題がクローズアップされると、差別はあらゆることがらへの免罪符となった。あらゆることが差別問題に繋がり、差別があるせいで問題が起きたことにすればすべて解決する。自分の問題であっても、背景に差別があったことにすれば自分の問題ではなくなり、差別があるという社会の問題になってしまう。

かなり昔の話だが、私が勤める会社で、ある大学の研究室から推薦で採用面接を受けた学生が最終面接で落とされるということがあった。
会社と繋がりのあるらしい研究室で、毎年学生を取ってきたのだが、気まぐれな社長がなぜかその年の学生を最終面接で落としてしまった。普通はそのような推薦を受けた学生は落とさないし、最終面接なら尚更だ。
しかも悪いことに、その学生が在日韓国人だったから問題が起こった。落とされたことに憤った学生が、大学に戻ってから「自分が在日だから落とされた」と言い出し、訴えるだなんだと騒いだ。
だが残念なことに、その当時の会社の社長は中国から帰化した元中国人だった。学生が「日本人が在日韓国人を差別した」と騒いだが、正確には「中国で生まれ育った元中国人の日本人が最終面接で在日の学生を落とした」だった。
まったく的外れな差別問題で、単に変わり者だった社長がなにかを気に入らなくて学生を落としただけだった。学生の怒りはもっともだが、悪いのは土壇場で不採用にしてしまう社長と、そう思わせた学生本人にある。
しかし、学生は自分になにか問題があったわけではなく、差別されて落とされたとずっと思っていることだろう。差別を持ち出せば、個人の問題をすべて解決してくれる。

二重国籍問題で、蓮舫があのような会見を開かざるを得なくなったのは、日本社会にはびこる外国人差別があったと思っておけばいい。真摯に反省して次に活かされるよりも、差別のせいだと思って貰った方がなにかと都合がいい。
悪いのは日本の社会で、蓮舫はその被害者。一生そう思っておけばいい。