20170731-1

毎年夏になると日本テレビの「24時間テレビ」への文句がよく聞かれるようになる。不満の声の方が届きやすいのか、本当に不満ばかりなのかは知らないが、毎年毎年「誰が24時間テレビなんぞ見るのか」と思う。
誰があの番組を楽しみにして見ているのだろう。楽しみに見ている人などおらず、チャンネルのザッピングでたまたま見るくらいか。だとしたら、募金詐欺のように見えるあの番組に募金をしているヤツらは何なのか。

「感動の押し売り」だと批判されて久しいのに、障碍者に山登りや水泳をさせて、タレントにギャラを払って100キロくらい走らせることをやめようとしない。一定の需要があるからなのだろうが、その需要がどこにあるのか不思議でならない。
ワンパターンな時代劇を延々と見続けることができるジジババたちが、年に一度のイベントのつもりで見るのだろうか。

「24時間テレビ」で障碍者が走ったり泳いだりしているさまをテレビで見ることが悪趣味に思えてならない。私がこれでイメージするのが、漫画「カイジ」でカネのために高層ビルの鉄骨渡りをする貧乏人を見物しているカネ持ちたちだ。カネ持ちが「下々の者が頑張っておる」と貧乏人を見下すのと、「障碍者が頑張っとるわ」とテレビで見物することに大した違いはない。

「24時間テレビ」を見て感動する人がいるらしい。誰かが何かを頑張っているのを見て、なぜ感動できるのだろうか。
私はそもそも、高校球児が試合に勝った負けたで喜んだり悲しんだりしていることにもあまり興味がない。誰か知らない人が勝手に目標を立て、それに向かって努力した結果の悲喜こもごもなど余計に興味がない。
テレビの制作スタッフと一緒に決めた目標がしんどいなら、やらなければいい。山登りや海峡横断を成し遂げれば、本人と番組スタッフには達成感があるだろうが、他人にとっては何もない。どこぞの外人のオッサンがエベレストに登頂したところで「知らんがな」と思うように、障碍者が何かを成し遂げても何とも思わない。

当然タレントが100キロ走るとかもどうでもいい。毎年、最後にちょうどいい頃合いの時間に武道館に辿り着くようになっているが、1000万円超のギャラを貰って、100キロてれてれ走って、最後に感動もクソもない。

今年は、ジャニーズの手越祐也にオファーをしていたらしいが、事務所NGになり、東スポが「今年のランナーはりゅうちぇる」と報じていたが、30日放送の「行列のできる法律相談所」でランナーは当日発表と告知されていた。当日武道館にいて、走る理由がある人が選ばれるらしい。
実にバカバカしい。宮迫が言っていたように、急に走れるわけがない。「出演者は練習するように」と言われていたが、どうせ決まっているのは間違いない。東スポにすっぱ抜かれたからそう決めただけだろうが、ヤラセ甚だしい。

そもそも、チャリティ番組で誰かが100キロ走る意味が分からないが、直前まで決めないというのなら、前日に誰か知らんオッサンをランナーに指名すればいい。普段運動不足のオッサンが100キロ入れるとは思えないが、ちょっとだけ速めの時速5~6キロで24時間歩けば100キロになる。100キロ歩いたり走ったりすれば1000万円貰えることにすれば、普通のサラリーマンのオッサンは頑張る。私だって、1000万円くれるのなら前日に言われても、24時間テレビ当日に100キロ走破するだろう。

知らんオッサンがカネのために必死に走っている様子を見る方が面白い。二流タレントがノーギャラという名目でチャリティとして走っていることになっているからシラケるのである。
「カイジ」でカネ持ちが貧乏人の殺し合いを見物するのと同じ要領で「24時間テレビ」のマラソンを見られれば面白くなる。
スティーヴン・キングの小説に「死のロングウォーク」という小説がある。子供100人が"ロングウォーク"に参加し、歩く速度が一定速度以下になったら殺されるというルールで、最後の生き残りひとりに、何でも望むものが与えられる。
それと同じに、「1000万円山分けマラソン」として、腐れタレントやそこらへんのオッサンを競技に参加させ、時速6キロを下回った者を脱落させ、24時間後に残っている連中で1000万円を山分けすりゃいい。そちらの方が娯楽としてまだ楽しめそうだ。
10年前に日本テレビで同じ企画のバラエティを放送したそうだが、それをやればいい。

「24時間テレビ」から満ち溢れる偽善が人々に拒否感を与えるのである。何の意味があるか分からない障碍者のチャレンジ企画、タレントのマラソン企画、高額ギャラを貰っているジャニーズタレントの起用など。それを見て素直に喜んでいるのは、よほどの純粋か、よほどアホかのどちらかだろう。
番組から偽善を取り除けば、少しは見られる番組になる。それで何が残るか知らないが、前よりマシになるのは間違いない。

海外のチャリティ番組は、出演者はたとえ大物であってもノーギャラである。それが普通で、日本の自称チャリティ番組だけ謝礼という形でギャラが出る。
ランナーを当日発表することにしたり、ノーギャラで出演していることにしたり、ウソや欺瞞、ヤラセばかりの番組をチャリティにするからおかしくなる。バラエティとして放送し、ついでに募金を集める番組にすれば、毎年毎年文句を言われることもないだろう。

男女がホテルの一室で寝泊まりしたのに「一線は越えていません」などと強弁する政治家がいた。体裁を整えようとして、バカみたいなウソをつくから批判される。
テレビ番組もそれと同じで、どんなプライドが邪魔をしているのか知らないが、いいカッコをするから本質を見透かされて批判されるのである。こんなウソつき番組は、そのうち誰も見なくなる。それまでどれだけかかるか分からないが、あと数年で終わることに期待をしよう。