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このお盆休み、特に出かける予定などがないので、家の掃除やら家庭菜園の整理なんぞをしている。
11日はリビングのテレビ台の裏が電源やらアンテナやらで配線がグチャグチャになっていたのをスッキリさせた。上と左右からプラグやACアダプタを挿せる9個口のテーブルタップを購入したので、長年放置していたのを一念発起して少しはマシな状態にした。
家庭菜園では、枯れ草や刈った芝生を積み上げていた山を崩し、下の方から土のようになった堆肥を取り出す作業をした。2年分溜まっていたのでなかなかの作業だった。

暇だといえど、そんなことばかりしていると疲れるので、レンタル屋で見ようと思っていた映画のブルーレイを借りてきた。
最近はインターネットを使えば家にいながらオンデマンドで見られるわけだが、オンデマンドで見ると最新作が500円もする。レンタル屋でブルーレイを借りたら180円。返すのが邪魔くさい人、カネ持ち、近くにレンタル屋がない田舎住まいはオンデマンドで、私みたいなケチはレンタル屋で借りるのがいい。

キングコング: 髑髏島の巨神」はなかなか面白かった。キングコングがピーター・ジャクソン版に比べるとキングコングが信じられないくらい巨大になっているのだが、これは2020年に公開予定の「ゴジラ対キングコング」を見越してのことなのだろう。エンドクレジットの最後にゴジラやモスラ、キングギドラの登場を予感させるようなオマケ映像があった。
監督は日本のサブカルチャーに造詣が深く、子供時代から影響を受けたサブカルを全部ぶち込んだと公言しており、日本のサブカル要素が随所に見られる。キングコング自体もでかいゴリラではなく、怪獣っぽくなっていた。

インデペンデンス・デイ: リサージェンス」もやっと見た。20年前に作られた「インデペンデンス・デイ」の続編で、前作は最高によかったが、続編は佳作にとどまっている。前はスケールの大きさがよかったが、最近は似たようなCGもの、宇宙人侵略映画が増えすぎたせいで、見慣れた平凡な映画にしか思えなかった。慣れというのは恐ろしい。

キングコング: 髑髏島の巨神」と「インデペンデンス・デイ: リサージェンス」には、主人公らの仲間に中国人がいた。最近の映画の特徴は、中国人が仲間のイイモンとして登場することだ。
特に、どちらも3Dで公開されるような映画は中国での興行的成功が見込めるので、中国人を配役して、中国人を喜ばせようという魂胆だ。
一昔前まで中国人はチャイニーズマフィアのボスとか、わけの分からないキチガイ的な役ばかりだったのに、中国が力をつければ映画のなかでもイイモンになれる。世の中、なにごともカネ次第だ。

その一方、「荒野の七人」のリメイク版である「マグニフィセント・セブン」には韓国人俳優のイ・ビョンホンが出演していた。敵を中二病みたいに思える技で倒すナイフ使いの東洋人の役で、非常にカッコイイ。主人公が「コイツは上海から来た」などと適当に語っていたが、どこの国の出身なのかは不明だった。
彼の場合、市場規模が小さい韓国での興行云々というより、単に東洋人の役者として起用されたのだろう。イ・ビョンホンは「G.Iジョー」シリーズにも出ていて、「ターミネーター:新起動/ジェニシス」ではターミネーターのT-1000型を演じていた。ハリウッド映画が仕事の中心になっており、韓国版の渡辺謙のようだ。

そして、CGアニメ映画の「SING/シング」も見た。ありきたりな内容で、「まあ普通」という感想だった。
この映画で印象深かったのが、キューティーズという名前で登場する日本出身のレッサーパンダの女子5人組だ。劇場のオーディションを受けに来てきゃりーぱみゅぱみゅの曲を歌いながら踊ったが、彼女らは日本語しか話せず、不合格を言い渡されても英語が理解できなかった。
ほかの脱退者が出たので支配人が補欠合格にしようとして辞書を引きながら日本語で話をするのだが、「あなたたちとても臭い」と言ってしまい、彼女らを怒らせ帰らせてしまう。
きゃりーぱみゅぱみゅを歌っているのは日本版だけなのかと思っていたが、実際に全世界版でそうらしい。YouTubeにキューティーズの動画があった。



「SING/シング」でオーディションに出ている外国人(外国の動物)はこの日本のレッサーパンダだけだ。ももクロみたいな色合いのガールズグループがアホっぽく歌っている様子は、J-POPのアイドルを分かっているように思えて感心した。

これを見て、日本人がバカにされていると思うか、単にネタにされていると思うかは見た人の感性にかかってくるわけだが、私はなにも気にならない。むしろ、こうやってディスられる感じでネタにされた方が面白い。
日本人のステレオタイプ化だと憤る人がなぜか外国にいたりするが、ステレオタイプ結構である。日本人は丸メガネをかけ、細い目をして首からカメラをぶら下げてていいではないか。中国人は人民服を着てチャリンコに乗るか、チャイナ服に辮髪でいい。モンゴル人は全員がゲルに住む遊牧民でいい。アフリカの土人は肌が真っ黒で、唇が分厚く、鼻に人の骨を横に通していればいい。

少し前、任天堂Switchの新作ソフト「スーパーマリオオデッセイ」で、マリオがメキシコ人のような格好をしていることにUbisoftというゲーム会社の女性ゲーム開発者が「メキシコ人へのステレオタイプだ」と問題提起し、それが問題になったことがあった。マリオがポンチョを着てソンブレロを被り、ギターを持ってマリアッチになっているのだが、それはメキシコ人のステレオタイプで、メキシコ人への差別なのだという。
その問題提起について、当のメキシコ人たちが「なにか問題あるのか」と反論し、彼女のツイッターがプチ炎上した。
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そもそもマリオはイタリア人という設定で、イタリアの有名人としてマリオが挙がることにイタリア人も大して気にしていない。口ひげを生やし、赤いつなぎを着て、キノコを食っている配管工のオッサンがイタリア人の代表のようになっているが、いちいちこれに目くじらを立てるイタリア人もいないだろう。

そのマリオがメキシコ人みたいな格好をしただけで問題視されるのが欧米の風潮だ。誰かがメキシコ人に代わって代弁し、それが正論のようになってしまう。
実際、「スーパーマリオオデッセイ」にはメキシコのマリオの画像が小さく入っていたのだが、リリース版にはそれがなくなったという。

いちいちステレオタイプだとか文句を言うバカバカしいヤツがいるわけだが、それにいちいち対応するのもバカバカしい。
日本のイメージがスシ、ゲイシャ、ハラキリでもなんとも思わない。そもそも、自国のイメージが他国に正確に伝わるわけがないのだ。ちょっとくらい間違っていても、害がないならそれを笑っているくらいでちょうどいい。