20170827-1

毎年毎年、飽きもせず「24時間テレビ」を放送するテレビ局があり、私のように飽きもせずそれに文句を垂れている人間がいる。
文句を言うだけに当然番組は見ていないのだが、昨晩、テレビのチャンネルをザッピングしているときに少しだけ放送を見てしまった。石原さとみが目の不自由な主婦の元を訪れたとき、「○○さんは目がご不自由でありながら、ふたりの子供を育てる母親です」というナレーションが入っていた。

前々から思っていたのだが、「ご不自由」という言葉に違和感しか感じない。「不自由」では失礼に当たると思っているのか、「ご不自由」などと言っているわけだが、「目が不自由でありながら、ふたりの子供を育てる母親です」という表現でどこか失礼に当たるのか。
同様に、「ご不自由でいらっしゃる」のように過剰な敬語も散見される。

障碍を抱えて生きていることが尊敬に値するということなのかも知れないが、障碍があっても生きるに決まっているし、目が見えなくても子育てくらいするだろう。
たまに自分のハンディキャップに絶望して自殺する人がいるかも知れないが、健常者で大した理由もないのに自殺する人もいるわけで、生きて生活していることにエライもクソもない。尊敬がどうとかいう話なのだろうか。

障碍者に対して敬語を使うことは逆に差別に当たるのではないか。「そんなにハンディキャップがあるのに、一生懸命生きていてエライですね。尊敬します」と言っているのも同然で、上からの立場でモノを言っているようにしか思えない。

くだんの主婦は、結婚して子供が生まれてから視力が弱くなり、強度の弱視になったという。見えていた目が見えなくなるのと、最初からまったく見えないのとどちらが辛いか知らないが、毎日の暮らしが大変そうなのは分かる。ただ、尊敬できるというほどのものでもない。

何年か前、釧路市動物園に四肢に障碍を持つタイガとココアというアムールトラが生まれ、テレビなどで注目されたことがあった。「一生懸命生きているタイガとココアに勇気を貰いました」などと言っている大人を見て「アホか」と思わずにはいられなかった。
トラが自分の手足が不自由なことにめげず、懸命に生きているというのだろうか。単に生存本能に従って生きているだけではないか。トラが「オレは手足が悪いから死にたい」と思って自殺したり、「手足が不自由だから動きたくない」と寝たきりになるのが普通ならまだ理解するが、そうではない。
人間が勝手に障碍のあるトラが一生懸命生きていると思い込み、勝手に感動しているだけではないか。

「24時間テレビ」を始めとする世間では、なぜだか知らないが障碍者が頑張って健常者と同じようなことをすると「エライ」と考える風潮がある。だから「24時間テレビ」は障碍者を山に登らせたり、海で泳がせたりすることに必死になっているわけだが、他人がやる必要のないことをやってなにが感動できるのか。
私から言わせれば、障碍者が山を登るのも、そこらへんの自堕落なオッサンが山を登るのも同じだ。世界選手権やオリンピックで金メダルを取ったのならともかく、知らん人が辛い思いをして山に登って感動してるのを見て、どういう思考回路が働けば自分も感動できるのだろうか。誰かが山に上っただけの話で、エラくもなんともない。

「24時間テレビ」では障碍者が一生懸命生きたり、頑張って山に登ったり海を泳いだりするのを見て、視聴者が感動したり、勇気づけられることを期待しているのだろうが、意味が分からない。YouTuberが20段のトランプタワー作成に挑戦し、成功しても感動しないのと同じだ。
昔、島田紳助が「阪神の金本に対して頑張れやとか言うてるオッサンがおるけど、プロ野球選手はめっちゃ頑張っている。そう言うお前が頑張れよ」とテレビで言っていたが、まさにそうだ。人の頑張りを見ている暇があれば、自分がなにか頑張ればいい。

「24時間テレビ」は、障碍者→頑張る→エライの構図にこだわるわけだが、たまには頑張らない障碍者も取り上げてみたらどうだ。世の中、なにかの目標に向けて頑張っている障碍者ばかりではあるまい。働けるのに働かず、自堕落に生きているのも多そうだ。年金を貰い、テレビの前でゴロゴロし、世の中の不満ばかり口にしている障碍者の方が逆に興味がある。

「24時間テレビ」が昨日、ツイッターで「2歳の時に小児ぜん息と診断された羽生結弦選手が、病気を言い訳にせず世界のトップで戦い続ける思いをテレビで初告白」などと宣伝ツイートをしたところ、「喘息の子供が喘息を言い訳にしていると思ってしまい傷つく」などという抗議が多数寄せられたのだという。
いちいちそんなことでイチャモンを付けてくるクレーマーもうざいが、ハンディキャップを乗り越えて努力する人をエライと考えている日本テレビの考えがここによく現れていると思う。

病気を持ちながらフィギュアスケートをすればエラく、病気持ちじゃないのにフィギュアスケートをしてもエラくない。障碍者がなにか頑張ればエラく、健常者が頑張ってもエラくない。これが日本テレビの価値観なのだろう。
「24時間テレビ」はその価値観の押しつけの集大成である。