20170911-1

曽野綾子氏の著書「アラブの格言」に、「一夜の無政府主義より数百年にわたる圧政の方がましだ」という格言が記されている。今のイラクやリビアを見れば、この格言が間違いないことがよく分かる。
フセインやカダフィが逮捕されたり殺されたりしたあと、イラクやリビアには混沌だけが残された。シリアのアサド大統領の圧政が弱まると、テロリスト集団のイスラム国が台頭して国中が混沌となった。

国民が怠け者のアラブやアフリカの未開な国では、独裁者や独裁者と変わらない国王が国を治めるくらいでちょうどいいのだろう。そんなところに西側先進国が民主主義を持ち込んだところでうまくいくわけがない。
アジアもそれと似ていて、アジアの未開な国を収めるには独裁者か軍事政権しかない。中国では習近平、北朝鮮では金正恩が独裁者として君臨する。韓国も少し前まで軍事政権下にあった。東南アジアも似たような国ばかりだ。

アジアには、韓国のように軍事政権下の国から民主化したミャンマーのような国がある。ただ、ミャンマーが民主化されたといっても、実際の民主化からはほど遠い。
イギリスで学んだアウンサンスーチーは、ミャンマーのような未開な国には独裁が必要と考えた。自身が率いる国民民主連盟 (NLD)が選挙で圧勝したことをうけ、スーチーが大統領に就任できない決まりの現行憲法を変え、自身が大統領に就任しようとしたが失敗した。
ミャンマーの憲法は、改正に議会の4分の3以上の賛成が必要だが、議会の4分の1は軍人が占めるように決められている。すなわち、軍人の賛成がなければ憲法の改正は叶わない。
憲法改正を諦めたアウンサンスーチーは、国家顧問や外務大臣、大統領府大臣など主要閣僚を務めることで政権の実験を握り、自身も「大統領を超える存在になる」と宣言した。

ノーベル平和賞を受賞したとはいえ、現行憲法を無視するような発言をし、法令遵守の精神の欠片もないようなアウンサンスーチーが権力を握るのは間違っていた。
ミャンマーでは2012年頃から、少数民族でイスラム教徒のロヒンギャの虐殺事件が相次いでいた。ミャンマーで多くを占める仏教徒との宗教対立から来る虐殺だが、当初はアウンサンスーチーはやめるようたしなめたものの、有権者からの反撥を食らって口をつぐんでしまった。

この独裁者の誕生が問題になりそうだとこのブログに書いたのが2015年だ。

独裁者誕生 (2015/11/20)

「一部のマスコミは彼女の勝利を喜んでいたが、数年後にはそれを後悔することになるかも知れない」と書いたが、現にそのとおりになってしまった。ロヒンギャの虐殺は止むどころかどんどん増し、ミャンマー国内で何万人も殺され、バングラディシュへの国外脱出が70万人を超えたという。
アウンサンスーチーはロヒンギャの迫害や虐殺を認めず、「偽情報に踊らされている」などと主張した。

これに対し、署名サイトのchange.orgでアウンサンスーチーのノーベル平和賞の取り消しを求める署名が始まり、今日11日の時点で40万人を超える署名が全世界から集まっている。

【change.org】Take back Aung San Suu Kyi's Nobel Peace Prize

ノルウェーのノーベル委員会は、これについて「受賞に至るまでの功績が評価されたもので、のちの行動は考慮しない」としている。
元々、かなり問題があったノーベル平和賞がこれでいかにダメかが分かった。北朝鮮にカネを渡して実現させた南北首脳会談で金大中が受賞し、核廃絶を訴えただけでオバマ大統領も受賞した。今度は受賞者が祖国で少数民族の虐殺に加担しているのである。

ミャンマーの軍事政権下ではこのような問題はほとんど起きていなかった。軍事政権の圧政が緩んできたところでロヒンギャの虐殺が始まり、民主化されてアウンサンスーチーが指導者になってから一気に加速した。民主化政権が舐められているからこんなことになるのだろう。

それを思えば、アウンサンスーチーの独裁が甘いのかも知れない。独裁者然としているが、独裁者になりきれていない。独裁者としてもっと厳しくやれば、ロヒンギャへの迫害や虐殺くらいすぐに止めることができるだろう。
なまじ民主化された国だから、仏教徒の票を失うことができなくて国民に従ってしまうのだ。

有権者の顔色ばかりを伺って、およそあり得ないような政治をする大統領が隣の国にもあるが、このような衆愚政治をしているような国はダメだ。絶対にうまくいかない。政治は国民がボトムアップで主導するのではなく、政治家がトップダウンでやるものだ。
有権者の票を気にして、当たり前のようなこともできない国であってはならない。日本はそこまでではないものの、似たようなことになるかも知れない。ミャンマーや韓国の政治を他山の石とし、そうはならないようにしていかねばならない。