20181203-1

横須賀出身だった嫁さんが関西に来て、テレビの漫才番組が多いと驚いていた。関西では月に何回か週末の昼に2時間くらいの漫才だけを放送するテレビ番組が放送されている。
それに加え、年末年始になると漫才特番が激増する。

漫才番組ばかり見ている嫁さんは、若手漫才師にめちゃくちゃ詳しくなった。かつては私の方が圧倒的に吉本の芸人のことを知っていたが、今では嫁さんの方が遥かに詳しい。
関東から遊びに来た友人を連れてなんばグランド花月やその向かいにある若手専門の劇場であるよしもと漫才劇場に足を運んでいるし、夏休み時期には甥っ子らを連れて祇園花月で行われていた辻本茂雄の新喜劇の公演を見に行っていた。

昨日放送された「M-1グランプリ」も当然見た。「M-1」は「R-1ぐらんぷり」や「キングオブコント」といった他のお笑いコンテストと違って面白い。特に「R-1ぐらんぷり」はクソみたいなピン芸人がつまらない芸を披露しているだけなので、優勝しても一発屋にすらなれないことが多いが、「M-1」はお笑いとしての質がよく、ほかのコンテストと違って優勝することに価値がある。

昨日の戦いもなかなかよかった。優勝した霜降り明星のネタは半分コントみたいなもんだが、小道具を使うわけでもなく漫才で間違いない。短期決戦のコンテストでは爆発力が必要だ。霜降り明星にはそれがあった。和牛も面白かったが、スロースタートだったのが敗因かも知れない。

出場者のなかでトム・ブラウンというコンビだけまったく面白いと思わなかったが、ほかは全部面白かった。
そのトム・ブラウンはケイダッシュという事務所所属だが、決勝進出のほかの9組は全部よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属だった。

「M-1」で吉本勢が強いことについて毎度「吉本びいきだ」と批判をするヤツが出てくるが、まったくの的外れだ。吉本の芸人が優遇されているのではなく、ただの地力の差でしかない。
吉本は全国に多く劇場を持っていて、関東や関西に特に多い。劇場で場数を踏んでいる芸人と、劇場を持たない事務所所属の芸人で大きな差が出るのは当たり前だ。
「M-1」は毎度関西出身のコンビが特に強いが、それも経験の差であろう。関西は嫁さんが言うように漫才番組が多く、テレビ局主催の漫才コンテストも多い。吉本の関西勢が強いのは当然の結果でしかない。

テレビの漫才番組、コンテスト、劇場で場数を踏んだ芸人が自身の力量を試す最高の舞台が「M-1グランプリ」だろう。それを企画した島田紳助は立派だった。出場する芸人だけでなく、見ているこちらも緊張するお笑いのコンテストなど「M-1」以外なかろう。

その漫才であるが、欧米には話芸としてスタンダップコメディしかないのと比較して日本独自のお笑い文化だと思っている人が多い。しかし実際は中国や台湾に相声(そうせい)という漫才に似たお笑いがある。
相声はボケとツッコミがいて、2~3人でやるのは漫才に近いが、落語のようにひとりでやるのも相声に含まれる。要するにしゃべくりで笑わせるお笑いを指す。

ふたりでやる相声は日本の漫才に近いが、中国語ができる日本人に言わせると漫才とはだいぶ違うという。大きな違いがツッコミだ。
台湾のバラエティ番組をよく見るが、いつもツッコミが非常に弱いと感じる。ボケが面白いかどうかはともかく、誰かがボケたら的確にツッコんで笑いを倍増させないといけないのに、ツッコミとは言えないような普通の指摘のようなことを言うとか、間が悪いとか、とにかく何か違う。どうも台湾や中国の人たちはテレビでも映画でも誰かがボケたら見ている人がツッコミたがるせいで、ツッコミの役割の人の仕事が弱いという分析があった。
実際そうなのか知らないが、だとしたらずいぶんもったいない話だ。ボケだけで笑いを成立させると面白さは半減するのではないか。ツッコミがあるからこそ引き立つボケなのに、台湾は中国の連中はそれが分かっていない。

ついでにいうと、台湾のバラエティ番組では芸人がしばかれたりすると、「番組上の演出です。マネしないでください」といちいち注意書きのテロップが出る。すなわち、どつき漫才のようなきついツッコミもお笑いとしてそぐわないということだ。笑いの幅をすごく狭めているわけで、すごくもったいない。

中国や台湾の相声は形式上は漫才と似ているものの、内容はかなり違ったものになっている。そういう意味では、漫才は間違いなく日本独自の文化である。
と、四の五の講釈を垂れてみたが、単純に面白ければ何でもいい。この日本独自のお笑い文化をもっと増勢させてもらいたい。「M-1グランプリ」は若手漫才師の底上げについてその役目をきっちり果たせていると思う。「M-1」にはこれからも期待したい。