20190114-1

台湾で「深夜食堂」という名前の食堂を何件か見かけたことがある。店名とは別の愛称として「深夜食堂」を名乗っている食堂もある。
台湾で日本の漫画原作のドラマ「深夜食堂」が大ヒットしたことが影響していると思う。
台湾では「深夜食堂」のドラマがヒットし、その影響で漫画もよく売れている。新刊は日本とほぼ同時に発売され、漫画を取り扱っていない書店でも平積みで置かれていた。

「深夜食堂」はビッグコミックオリジナル連載の漫画で、深夜にだけ営業している食堂に来る人たちの何気ない人間模様が描かれている。
路地裏の食堂に集まる人たちの人間味やら温かさが台湾のみならず、韓国や中国でもウケてそれぞれの国でもヒットした。
何気ない感じが喜怒哀楽が激しい台湾や韓国、中国のドラマにはないから新鮮らしい。

何十年も前の話になるが、日本の漫画ブームの先駆けでフランスで漫画ブームが起こったときのニュース番組を見ていて、フランス人が「めぞん一刻」について熱く語っているのを見た。その彼曰く、海外の漫画はスーパーヒーローが出てきて勧善懲悪をするものばかりだが、日本の漫画は普通の人が出てきて普通の暮らしを映画いているのが新鮮だという。「めぞん一刻」の登場人物は普通じゃないし、普通の暮らしでもないが、人々の日常を描いた漫画はフランス人には目新しく映ったようだ。
普通の人の普通の話の「深夜食堂」が海外で評価されたのも似たような感じなのかも知れない。

「深夜食堂」のドラマがヒットしたことで、韓国版と中国・台湾版が作られたのだが、どちらもその国向けに作られたのに評判はあまり芳しくなかった。
韓国版では原作で重要なゲイバーのママの小寿々やストリッパーのマリリンが登場しない。韓国のテレビではゲイバーやストリップなどの水商売の人間をテレビに出してはいけないらしい。
中国・台湾版は中国が舞台なのだが、中国には絶対にないような日本風食堂で普段食べるような中華料理が出てこない食事をする非日常的設定で、さらにスポンサーの宣伝色が強い食事も多く、興醒めした視聴者も多かったようだ。
いずれもお国の事情に合わせてリメイクしたのに、それがかえって不評を買ってしまうという結果に相成ってしまった。

いいドラマや映画があったとして、よその国でリメイクしたり、時代が変わったことでリメイクしてうまくいったことなどほとんどない。
よく「荒野の七人」はリメイクの成功例として挙げられるが、見たことがないので知らない。それをさらにリメイクした「マグニフィセント・セブン」は見た。まあまあ面白かった。
国を移してリメイクして成功したものがあまり思いつかない。

昨年の10月~12月期に放送された月9ドラマ「SUITS/スーツ」を見たのだが、結局耐えきれなくなって2話で見るのをやめてしまった。アメリカの原作ドラマに比べると酷いできて、織田裕二のクソさぶい感じが見ていられなかった。
視聴率はそこそこだったらしいが、個人的には完全なる失敗である。原作のドラマが持つニューヨークのハイソサエティな弁護士のドラマを日本で再現することなど不可能だ。

アメリカのドラマを日本でリメイクすることなど絶対ムリだろうと思っていたら、この1月~3月期のドラマとして日曜夜9時の日曜劇場で「グッドワイフ」が始まった。これもアメリカの弁護士ドラマが原作で、原作の方のドラマは同じく原作の「SUITS/スーツ」より100倍面白い。

ドラマ作りに定評がある日曜劇場だけあって、ドラマの内容自体は面白かった。だが、原作を知っているとどうしても比べてしまう。原作の「グッド・ワイフ」は私がプライムビデオで見ているのを嫁さんもときどき見ていたので、嫁さんも登場人物はほぼ把握している。夫婦で見ていて「ないわー」という配役が多かった。

主人公の常盤貴子の夫が唐沢寿明なのだが、原作の油ギッシュなオッサンと比べるとあっさりしすぎである。
弁護士事務所の経営者である賀来千香子も、原作のダイアン・ロックハートと比較すると迫力不足。10分の1くらいだ。
一番最悪なのが、妖艶で謎が多いがめちゃくちゃ優秀なインド系アメリカ人の調査員が水原希子になっていて、しかも調査員ではなく弁護士見習いのパラリーガルという立場だったことだ。日本の弁護士事務所には調査員を雇っていることがないのかも知れないのでパラリーガルに設定を変えたのはいいにしても、水原希子はない。とにかく浅い。

以前にも書いたが、アメリカの弁護士ドラマを日本でリメイクするのは無理がある。アメリカの陪審員制度と重要な刑事事件だけ裁判員裁判を行う日本の制度では違いすぎる。原作の法廷シーンでは陪審員対策がめちゃくちゃ重要なのだが、日本では必ずしもそうではない。
「グッドワイフ」の話自体は面白かったが、果たしてアメリカの原作から設定を借りてやる必要があったのかは疑問だ。「深夜食堂」のリメイクが失敗したのと何が違うのか。
日曜劇場なら月9よりは面白く作ってくれるだろうが、それならばオリジナルでよかったのではないか。

ドラマのネタ切れか何か知らないが、アメリカのドラマのリメイクなんてやめときゃいいのに、今度はテレビ朝日が開局60周年を記念して2020年度に「24」の日本版を制作するらしい。原作と同じように24回の放送で24時間にするのだろうが、6か月間の放送に耐えられるものができあがるだろうか。ハリウッドの実写版「ドラゴンボール」の逆みたいになるのではないか。

どこの国の制作者も「自分たちなら自分たちなりに面白いものが作れる」と思っているらしい。
そういこともあるかも知れないが、数多の人が望んで失敗している現状を見ると、どうしてそのような自殺行為をやめられないのか、どうして「自分は大丈夫」と思えるのか不思議でならない。
そんなことに力を使うくらいなら、面白いオリジナルを作れやと思うわけだが、リメイクする方がオリジナルを作るより楽なのだろう。続編ばかり作られるのも同じだ。水は低きに流れるのである。

リメイクしてもせいぜい8掛けくらいのものしかできないのにリメイクされるのは、8掛けでも取れたら御の字と思っている関係者が多いのだろう。
リメイクされるドラマや映画を見るたびに、そういう志の低さが見えるようで残念に感じてしまう。