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最近、ブルーレイなど映画のソフトをあまり買わなくなった。昔は発売後すぐに買うことが多かったが、1~2年経てば廉価版が販売されて1000円くらいになることが多いし、ブルーレイとDVDのセットなんかで売られても、DVDを見ることなんかないし、映画の舞台裏を見せる特典ディスクとかこれまでに一度も見たことがない。
それに、ストリーミングサービスに入っていれば、そのうち見られるようになるので、買う必要がなくなった。

それでも、久々に「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の4K UHDとブルーレイのセットを買った。4K UHDのディスクは高いので6000円くらいしたが4Kで見たいので買ってしまった。昨年、劇場で見たのだが、見終わってからジワジワと「なんかよかった」と思える映画だった。

映画のレビューを見ると「どこが面白いのか分からない」という意見が多い。ロマン・ポランスキーの妻だったシャロン・テートがマンソン・ファミリーに殺害されたという史実を知らなかったら訳が分からないだろうし、それ以前にタランティーノの映画が好きでなければ面白いと思うわけがない。タランティーノの映画はストーリーと一切関係ない会話をうだうだ入れるのが特徴だし、B級映画や古きよきハリウッドを好んで作られたことを分かっていないと楽しめない。
ナチスを焼き殺し、ヒッピーをぶちのめすなど、タランティーノがやりたいことをやったのが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」だ。

この映画はブラッド・ピットがとにかくカッコよく、彼のプロモーションビデオのようにも思えるのだが、昔からなぜかブラピ好きだった私の母親も劇場に見に行ったという。私の母にタランティーノの映画が分かるとは思えなかったのだが、母が私の嫁さんに「面白かった」と語っていたそうな。面白いと思う年寄りもいるようだ。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にはニヤッと笑ってしまうシーンがいくつかあって、ブルース・リーがブラピに投げ飛ばされて車に叩きつけられるシーンでは劇場で笑い声が出ていた。ブルース・リーはこの映画に高慢で嫌なヤツとして出ており、「俺ならモハメド・アリも倒せる」と吹聴していた。
そのブルース・リーをブラピが軽くいなしてしまうのだから、面白くないと思う人も出てくるだろう。

実際、ブルース・リーの実娘のシャノン・リーやトレーニングパートナーだったダン・イノサントからタランティーノが抗議を受けた。シャノン・リーは「私の父が劇場で笑われているのを見て不快だった」と言っており、まあそうだろうなと心中察するものがあるが、タランティーノはそんなものは一切意に介さず、「ブルース・リーは尊大で横柄な自信家だったじゃないか」と反論した。ブルース・リーの伝記にそうあるし、ハリウッド関係者もあんな感じだったと同意する。

映画の中でナチスを焼き殺すシーンやヒッピーをぶちのめすシーンは絶対に必要なのだが、このブルース・リーのシーンはなくても特に困らない。ブラピの喧嘩強さをアピールはできるが、タランティーノはストーリーと特に関係ないのに入れた。「キル・ビル」のヒロインの衣装を見ても分かるように、タランティーノはブルース・リーのファンなのだが、ファンだからといってブルース・リーのことを特別にカッコよくしたりしないのがタランティーノらしい。

このシーンは劇場公開時にソニー・ピクチャーズがタランティーノに大してカットするよう強く要求したという。これまでのタランティーノの映画は暴力シーンが多く、中国での外国映画の審査に通らなかったのだが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は暴力シーンが少ないのでタランティーノの映画として初めて中国公開できると配給会社が期待していたのに、ブルース・リーをあんな風に描いてしまったため、中国公開が幻のものとなってしまった。

中国公開できていれば興行収入の数十億円、数百億円の上積みが可能だったのに、ソニー・ピクチャーズの関係者は頭を抱えてしまったという。
中国におもねり、中国人を喜ばす映画ばかり作っている今のハリウッドに対してタランティーノが反旗を翻したように感じるが、実際は単にやりたかったからやっただけで、そのシーンを誰かに言われて外す気などまったく起きなかっただけだろう。
一般的な観客、映画会社、中国人を喜ばす映画を作ろうと思わないタランティーノの姿勢がよい。

日本がバブル全盛だった頃、ハリウッドで日本が憎まれ役、叩かれ役になる映画が多く作られた。「ダイ・ハード」の舞台がナカトミビルで、タカギ社長がテロリストに金庫の番号を教えずに射殺されたのはその最たる例だろう。
現在では、経済でも安全保障でもアメリカを脅かす中国がアメリカ映画の適役としてバンバン出てきてもよさそうなのに、そのような映画はほとんどない。むしろ中国がアメリカの味方をし、中国が舞台になる映画では中国政府の意向を伺って汚い街並みを見せずに、キレイな街並みを見せる。そうすることで中国政府から劇場公開の承認を得て、中国の観客を喜ばせ、たくさん稼ぐことができるからだ。
中国人を不快にさせないようにするための原作シナリオの改変も多く見られ、ハリウッド映画が中国に魂を売ったと見られても仕方がない。ハリウッドの現状がこれだから、「昔々ハリウッドでは...」という映画を作り、中国人におもねらないタランティーノが輝いて見えるのだ。

現在、新型肺炎のことで日本政府が叩かれている。中国人を全面的に入国拒否せず、湖北省や浙江省に2週間以内に滞在した外国人のみに限っているため、手ぬるいと批判されている。
入国拒否の水際対策が実際にどこまで効果があるのかはともかく、これは中国人におもねっているというよりも、日本経済への影響を考えてのことであろう。しかし、アメリカやオーストラリア、シンガポール、台湾などが中国人を全面入国禁止にしていることを考えれば、中国の顔色を窺っていると見られても仕方がない。

それよりも問題なのは、習近平を4月頃に国賓として招こうとしていることである。これは経済的ではなく政治的な目論見で、香港の民主化問題やウイグルの弾圧、ウイルス禍がありながら習近平が日本に国賓として迎え入れられたことを中国はアピールできるし、日本は大きな貸しをひとつ作ることができる。習近平については、国家主席に就く前に小沢一郎が強引に天皇との会見をセッティングしたことがあったが、習近平がその借りを返すことはなかった。今度の国賓待遇でも、それが控えておきながら尖閣諸島への挑発をやめようともしない。やることはせいぜい、新型肺炎に関する日本からの支援を大々的に報道したり、しかめ面の報道官に支援の礼を言わせたりすることだけ。金のかからないことだけやって、日本を喜ばせようとしている。

天安門事件で世界的にバッシングされた中国を救ったのは、天皇陛下の訪中という形で雪止めムードを作った日本だった。習近平との会談と同様に天皇の政治利用にほかならない。やる必要のなかった大きな貸しのリターンはあったのだろうか。
私は習近平の国賓待遇にそもそも反対だが、ちょうどそれと重なるかのように新型肺炎の問題が起き、取りやめになるチャンスができた。これがなけりゃ「やっぱやめます」と日本から切り出せなかったが、「とりあえずやめときましょうか」と言い出せるではないか。
日本と中国は互いに何が何でも習近平の国賓来日を実現させたいようだが、得するのは中国だけで、大騒ぎの最中に日本は何をやっているのかと見られるだけではないか。

単純に中国におもねっているわけではないのは分かるが、習近平や中国政府を喜ばすことばかりやるべきではない。ハリウッドは中国公開での興収によって自分たちが儲けるために中国におもった映画を作るが、習近平の国賓は日本の国益に直結するとは思えず、何のためにやるのか理解できない。
言うならば、中国公開もされないのに中国をやたらと褒めそやし、中国政府を持ち上げる映画を作るようなもんである。それを見た中国人が満足するだけ。誰がそんな映画を見たいというのか。