20200401-1

私の父親が死んだとき、死装束としてサッカー日本代表のレプリカユニフォームを着せた。私の父はサッカー日本代表の応援を趣味にしていて、海外での試合の応援によく行っていたからだ。
葬儀の後、出棺する前に祭壇に飾っていた花や故人の思い出の品などを棺に入れるが、母親が父の棺にコピー用紙を入れていたので何かと思って確かめたら、週刊誌の記事のコピーだった。原発の事故処理のロボットが海外要人に紹介されている写真記事で、そのロボットに私が仕事で開発した機器が搭載されていて、それが写っていると闘病中の父親に見せたものだった。そのときの反応は「ふーん」くらいだったが、父がその週刊誌を大事に残していたので、母親がコピーを取って棺に入れたらしい。

サムライブルーのユニフォームを着た父の亡骸といろんなものが入った棺を霊柩車に載せて同乗し、火葬場に行った。
火葬場で最後の対面をし、棺を火葬炉に収め、火葬場の職員がスイッチを押して父は火葬された。しばらくして火葬炉から出され、まだほんのりと熱を帯びている骨を骨壷に収める骨上げをした。足の方から骨壷に入れていき、「これが喉仏です」と火葬場の職員の解説を聞きながら、頭の骨を上に入れ、骨壷に蓋をしたら随分小さくなったと感じた。何度か骨上げをしたことがあるが、毎回「死んで火葬したらこんなに軽く小さくなるのか」と思う。年寄りを火葬すると、若い人より残る骨が少ないし軽いというのもある。

新型コロナウイルス感染症で死んだ志村けんの実兄が骨壷を受け取り、「重いですね。それにまだ温かい」と話していたが、状況によって骨壷の感じ方は異なるのだろう。
志村けんは葬儀も行われず、親族らは遺体と対面することも叶わなかった。棺に思い出の品を入れることもできず、直葬の形式で火葬され、親族に骨上げされずに骨壷に入った状態で戻ってきたのだという。
身元不明遺体でもあるまいし、これほど悲しい送られ方があるだろうか。

テレビでそのニュースを見た私の嫁さんが「うちの犬でもちゃんと見送れたのにね」とつぶやいていた。12月に我が家の柴犬が死んだとき、三井寺に隣接した圓満院という門跡寺院でやっているペット向けの葬儀を行った。簡素な葬儀だったがちゃんとしており、ダンボール製の棺に犬と思い出の品、持参した花を入れて火葬した。火葬の際はお坊さんがお経を上げてくれた。人間と同じように骨上げもした。

うちの犬ですらこうなのに、志村けんが不憫でならない。
志村けんに限らず、新型コロナウイルス感染症で死んだ人はみんなこうなってしまう。誰からも見送りされずに火葬され、文字通り変わり果てた姿で骨壷に収まって帰ってくるのだ。これでは本人が浮かばれないのはもちろん、親族や友人らも無念な気持ちでいっぱいになるだろう。
残された人の故人の記憶は、元気だった頃の姿と箱に入った骨壷だけになってしまう。闘病の様子や遺体の状態、それを見送った記憶がないことがいいこととは思えない。

新型コロナウイルスはSARSやMERSほど怖い感染症ではないだろうし、医療崩壊さえ起こさねば致死率は季節性インフルエンザより少し高いくらいかも知れない。しかし、季節性インフルエンザと違って、新型コロナウイルスが原因で死んだら死んだ後の展開がまったく異なってくる。葬儀もされず、誰か知らない人の下で火葬されて骨上げされる。
そういう意味では季節性インフルエンザで死ぬのとは雲泥の差がある。

さらにこれに加えてイタリアのように社会が医療崩壊を起こせば、死ぬ人が桁違いに増えるだけでなく、今度はまともに火葬もされなくなる。その他大勢の遺体と一緒に並べられ、何日も放置されて火葬される。火葬場は大混乱だろうし、手元に渡された遺骨が本当に故人のものかさえ疑わしくなる。
自分が死んでそうなるならまだ耐えられても、嫁さんや母親がそんな目に遭うのはまっぴらゴメンだ。

だから、感染するかしないかのことよりも、自分が死んだり、大切な人が死んだときのことを考えるべきだと思う。
若い人に危機感が足らず、大した対策も取らずに暇を持て余して遊び歩くことによって感染拡大させているという批判があるが、そうなるもの仕方がない。若い人は重症化しにくいし、あり余るほどの元気があるためにじっとしていられない。なにより人の死に接した経験が中年以上より圧倒的に少ないため、死に対する認識が希薄だ。
要するにバカで元気だから、若い人には今ひとつピンと来ないのではないか。

世間では緊急時代宣言を出すか出さないかで騒がしいが、出されたところで法制上外出禁止にはできず、外出自粛の要請しかできないため、大して変わらないかも知れない。
それよりもむしろ、今ひとつ実感の湧かない人たちに向かって死んだらどうなるかを教えてやった方がいいように思える。肺炎になったら肺がどうなるか。肺が弱ることで呼吸困難という地獄の苦しみを味わい、それで死んだら誰にも見送られずに火葬場に直行し、骨壷に入れられて無言の帰宅。写真付きで説明してやれば、遊び呆けている人でも少しは考え方が変わるのではないか。

日本の現状では、全国民が3週間ほどおとなしくしていれば、感染爆発が起きず、医療崩壊も起きないかも知れない。ただ、現状ではおとなしくできない人が多すぎるし、おとなしくさせる方法もないから、バカな連中を怖がらせるか、認識を改めさせるしかない。
自分が死んだときのことについて、「死んだ後のことはどうでもいい」と思う人がいても、大切な人が死んだ後はどうでもいいと思う人は少ないだろう。それを教えれば、少しは認識が変わるのではないか。