20211018-1

コロナ直前の2019年12月から2020年1月にかけて、台湾の半導体製造大手のTSMCの台南工場に出張に行っていた。私が出入りしていたのは稼働中のファブ(工場)だったが、このとき建設中だった別ファブでは世界最先端の5nm半導体プロセスの製造ラインを作っている最中だと聞いた。

半導体の話が出ると、nm(ナノメートル)という単位をよく見る。これは簡単にいうと半導体内部の回路に電気を通すための線の幅のことで、1nmは10億分の1メートルだ。
細ければ細いほど最先端の技術で、最新のiPhone 13に載っているA15というSoCが5nmプロセスが採用されており、TSMCで製造されている。

TSMCはAppleなどから半導体の設計、製造などを請け負うファウンドリと呼ばれる企業で、世界ナンバーワンの技術と売上を誇る。現在、5nmのラインが稼働中だが、台南に3nmや2nmのラインも作ろうとしているらしい。
TSMCの台南工場一帯はだだっ広い土地で、今後も工場がいくらでも増やすことができそうだ。

ファウンドリ事業でTSMCに対抗しうる企業は韓国のサムスンだけになるが、サムスンは7nmや5nmのプロセスで苦戦を強いられていて、最先端の微細化プロセスはTSMC一強といって間違いない。
日本はどうかというと、同じ土俵に上がって戦うこともできない状態で、文字どおり蚊帳の外である。

私が入社した頃はCPUだけでも日立(現ルネサス)、東芝、NECなど日本の半導体が結構あったのだが、今やルネサスしかない。そのルネサスも自前での半導体製造が減ってきて、自動車向けの28nmプロセスはTSMCに製造委託している。日本の半導体企業は20nm台のプロセスの時点で開発競争から脱落しており、国内で量産できていない。
日本は安売り競争が苦手だったが、最近は技術競争でも台湾や韓国、中国の企業に余裕で負けてしまうというのが現状である。

今度、TSMCが熊本に工場を建てることになった。熊本にはソニーのカメラモジュールなどの半導体を作る工場がある。その隣接地にTSMCが22~28nmプロセスの半導体工場を作り、2024年の稼働を目指すという。
TSMCの工場は内部の設備を含めて1棟が1兆円くらいするわけだが、日本政府が半分の5000億円を補助するという。

半導体工場というのは、ほとんどの工程が自動なのに中で何百人も仕事をしている。工場の中にいるのはTSMCの社員ではなく、出入り業者の従業員がほとんどで、メンテナンスや工事の人が多いと思うのだが、ほかの人がなにをやっているのかは不明だ。
日本政府が5000億円も出すのは半導体確保のほかに雇用促進の効果を期待しているわけだが、正直なところ半導体工場で仕事をするのはゴメンだ。

いくらくらいで募集がかかるのか知らないが、半導体工場労働者は台湾では1日1500元(6千円)、月3万元(12万円)くらいが相場の最低ラインらしい。日本だと1日1万円、月20万円くらいになるような気がするが、半導体工場の仕事はストレスだらけでキツイ仕事だ。
クリーンルームなのでクリーン服という全身つなぎの専用の服を着て、薄手のゴム手袋を着け、マスクとヘアキャップも必要だ。トイレに行くのも面倒で、全部脱いで、また着ないといけない。ちょっとした休憩でも同じ。面倒だから誰もトイレに行かないし、休憩もない。工場内には椅子もないので座ることもできず、午前午後でそれぞれ4時間立ちっぱなし。
台湾で週5000元の仕事は結構貰える方の仕事であるが、それでもすぐに辞めてしまう人が多い。ストレスがハンパなく、しんどいからだ。
私なら地元にTSMCの工場が来て、そこに出入りする業者から仕事の募集がかかったとしても応募しないと思う。出張で1か月なら我慢できる。私のような技術者の技術調査はせいぜい半日程度工場に入るだけで済んだが、これを1日8~10時間、月20日やるのは無理だ。

TSMCの経済効果はよく分からないが、熊本に半導体工場が建設されることは歓迎すべきことだろう。茨城県ひたちなか市にもTSMCの工場ができるというニュースがあったが、あれは半導体の後工程に関する工場で、半導体を作る工場ではない。

ただ、熊本に作られる工場が22~28nmプロセスの半導体工場なので不満を示す自称ジャーナリストをチラホラ見かける。
例えば、JBpressにあった記事がこれ。

ところが日本で生産するのは、28ナノメートルなのである。「日本はガソリン車の国だから、これくらいの車体用半導体で十分でしょう」ということなのか。
と書いてあるが、日本ではその28nmプロセスの半導体すら作れない。車載用半導体では40nm台のものが多い中、今後もっとも需要が出てくる20nm台の半導体を作ることになにが不満なのか。「アメリカには最先端プロセスの半導体工場を作り、日本には枯れた技術の工場を作る。日本は舐められている。ムキー」という意見だが、バカ丸出しに見える。
記事を書いた近藤大介というジャーナリストは東大出身らしいが、半導体製造の技術や受給のことをまったく理解していないようだ。
最先端の5nmとか7nmの半導体はスマホなどに使われるもので、汎用的なものは20nm台のものになる。日本では車載用半導体の引き合いが多いので、ソニーと合弁の工場が熊本に工場があるのは理に適っている。

また、この近藤というジャーナリストは日本の技術がTSMCに流出するかも知れないと危惧しているが、そのような引き抜きはもっと昔からあったもので、今さら危惧するようなものでもない。

NANDフラッシュを発明した東芝や液晶テレビで最先端を行っていたシャープから日本の技術者がサムスンに引き抜かれ、サムスンが技術力を得て大躍進したきっかけにもなったわけだが、それは技術者を評価せずにただの従業員といてこき使う日本企業に問題があった。サムスンに引き抜かれた日本人技術者は技術だけ吸い取られてポイ捨てされたらしいが、それでも何年かは高給取りとして働いた。
もし日本の技術者がTSMCに引き抜かれたのだとしたら、待遇面でTSMCを選ばせた日本企業の問題ではないか。
この近藤という御仁は台湾から泥棒がやってきたかのように書いているが、そもそもの話として日本の優れた技術が台湾に流出してしまうという考え自体、今の日本の技術的立場を分かっていない上から目線の思い上がった論評に感じる。
TSMCが来るメリットをなんら考えず、なにか盗られてしまうと心配しているのが滑稽でならない。

こういう、未だに日本が優れていて、世界をリードしていると思っていたり、そう思わせようとする煽動屋がいるせいで、台湾や韓国に追いつかれ、追い抜かれつつある日本の危機的現状が理解されなくなるのだろう。
こういう人たちは、「日本はやればできる」と思っているのかも知れないが、実際はやってもできないことだらけだ。

日本人はかつて日本が得意分野だったことが多方面で台湾や韓国に負けていることを理解せねばならない。そうしたとて、どうしようもなく、ただ見ているだけのことが多いのが歯がゆいが、まずは自分たちの立ち位置をしっかり見極め、なにをやるべきかを理解する必要がある。もはや選択と集中しかなく、脱落してしまった分野は捨てていくしかない。企業が技術者をただの労働者、従業員としてぞんざいに扱うのもいい加減やめるべきだろう。
少なくとも、TSMCが熊本に来て「優秀な日本人技術者の頭脳流出が加速するかも」と心配するのはもっと後のことではないか。
心配する順番が間違っているようなアホな国では、今後もますます転落していくように思えてならない。