先っちょマンブログ

2009年11月

共産党のビラを配るために、勝手にマンション内に侵入して住居侵入罪に問われた坊主の裁判が最高裁で開かれ、最高裁は、無罪とした地裁判決を破棄し、罰金5万円の有罪とした高裁判決を支持した。荒川庸生とかいう坊主は、前科ありの坊主となった。

坊主や支持者たちは、「表現の自由を犯す不当判決」と息巻いており、朝日新聞も「刑事罰を科すことには疑問が残る」などと坊主を支援するが、この坊主はマンションの集合ポストにビラを入れりゃいいものの、自分で直接各戸に配るという信念の元、勝手にマンションに侵入して、各戸のドアポストに共産党のビラを入れたのである。

朝日新聞は、「事件前に苦情を受けていたわけではないのに、逮捕までするのはオカシイ」などと書いているが、現実には各戸のドアポストに入れているところを住民に通報されているのだから、おかしくも何ともない。23日間も警察に身柄を拘束されたのは警察のやり過ぎかも知れないが、自信を無謬の存在と勘違いして、人の迷惑を顧みない坊主にお灸を据えたようなもんだろう。

どうも、この手の左派イデオロギーに満ちた政党や団体の関係者は、どんなビラだろうが、どこに対してだろうが、配っていいと勘違いしているらしい。世の中はそんなもんに興味がない人がほとんどであるのに、その人たちにどう思われようが、自分たちが正しいことをしていると思っているから、平気でできてしまうのだろう。

昨年の4月には、最高裁が東京都立川市の自衛隊官舎で自衛隊イラク派遣に反対するビラを配った連中について、有罪にする判決を支持した。この事件では、反戦団体の人間が、自衛隊の官舎に住む自衛官の家族に向けて、イラク派兵へ反対するという意見だけでなく、自衛官は人殺しだという趣旨の意見までビラに書いた。つまりは、「お前たちの旦那や父親は、人殺しだ」とわざわざ家族に向けて言っていたのである。それを見た家族はどう思うだろうか。

しかし、それでもこの反戦団体を支持し、最高裁の判断を批判する連中が大勢いる。そいつら曰く、自衛官やその家族に対する嫌がらせも「表現の自由」なんだそうな。
「表現の自由」という言葉は便利だ。どんなことだって許される免罪符となるのだから。

この理論が通用するなら、橋下府知事が光市の母子殺害事件の弁護士らに訴えられても、「表現の自由」の一言で済むのだろう。

今回の坊主が有罪になった裁判で、他人の迷惑なんぞ全く考えない坊主の横柄な態度も気になるのだが、それ以上に気になるのが、坊主が共産党の支持者であることも気になって仕方がない。

日本共産党は、マルクスと違って宗教を否定せず、宗教の意義を認め、信教の自由を擁護するという方針があるらしいが、やはり基本的には社会主義的なイデオロギーと宗教は結びつかないような気がしてならない。
それでもくだんの坊主は、高校生の頃から40年以上にわたってそこら中の家にビラを配っているのだから、よほど共産党に心酔しているのだろう。

マルクスは「宗教はアヘンであるとか何とか言っていたらしいが、「共産党はアヘンである」とも言えるではないか。

 

麻生前首相は総理大臣だった頃、ホテルの高級バーで飲んでいたら、新聞や雑誌で叩かれた。総理が高い酒飲んでんじゃねぇと。
金持ちが自分の金をどんな風に使おうが問題ないはずなのだが、総理大臣たるもの、下々の庶民のひがみを考慮して、そういうことは慎まねばならないらしい。

また、麻生前首相は、庶民が食するカップラーメンの価格をほかの議員から尋ねられ、「1個400円くらいかな」と答えたら、新聞や雑誌で叩かれた。庶民が世話になるカップラーメンの値段も知らねぇのかと。
世の中には金持ちかどうかに関わらず、食品の買い物をしない男もいるし、カップラーメンを食わない男も大勢いるはずなのだが、総理大臣たるもの、下々の庶民の主食とも言えるようなカップラーメンの値段を知らないと、政治なんかできないと言われるらしい。

財産の多寡や金銭感覚などは政治力とか統率力とは関係ないはずなのだが、アホな日本人は一国の首相は自分たちと同じ感覚を持ち合わせていなければならないと考えるらしい。

総理大臣は、庶民的な感覚を持ち合わせていなければならないのだ。

だから、日本の総理大臣になるような人間は、どれだけ金持ちであっても、庶民感覚を持っているふりをして、庶民がするようなことをしなければならない。庶民と同じようなことをするパフォーマンスが欠かせないのだ。

鳩山由紀夫は、衆院選前の選挙運動で訪れた商店街で、メンチカツを買って食うというパフォーマンスをしてみせた。こいつの家は、母親方がブリヂストン創業者の家系で、金は唸るほどある。だから、メンチカツなんて滅多に食わないだろうし、ましてや買い食いなんかしないはずだ。けれども、庶民のふりをしないといけないから、食わねばならなかった。

しかし、鳩山由紀夫は、150円のメンチカツを買うのに千円札を出したのに、メンチカツを食うパフォーマンスに一生懸命になり、釣りを貰い忘れた。あとで「人混みが凄かったから、云々」と言い訳していたが、別に釣りなんか貰わなくても、メンチカツが1個千円でも、何でもよかったんだろう。

普通だったら、「貰い忘れた」で笑い話になるところだが、そう言うといろいろ勘繰られるから、しょうもない言い訳を考えたに違いない。

鳩山由紀夫は必死に庶民のふりをするが、メンチカツの釣りを貰わなかったことに象徴されるように、ここへきてどんどんボロが出てきた。
秘書の偽装献金問題で、母親から5年で9億円もの金を貰っていたらしいが、鳩山首相は「金は秘書任せだったんで知らん」ときた。
毎年1億8000万円を母親から貰っていたというのに、「知らん」とは麻生さんもビックリの金銭感覚だろう。
鳩山家にとったら1億も10億も大したことない金額かも知れないが、会社員が死ぬ気で働いて受け取る生涯賃金が2~3億円である。その金額の3~4倍の金を母親から受け取っておいて、知らないわけがない。
婆さんが息子の孫に内緒で小遣いをやるのとはわけが違う。

「9億の金、俺んとこの団体に母ちゃんが入れといてくれんたんだけど、知らなかったよ。母ちゃん水くせえな」なんて、言ってみてぇ~。(芸人の今泉風に)


結果的に、鳩山首相は5年で4億円も贈与税の脱税をしていたことにもなるのだから、秘書を責めてごちゃごちゃするだけでなく、本人を逮捕するくらいの勢いが必要だろう。「知らん」で済まされるような話か。「知らん」で許されるのは、本当はカップラーメンの値段ではないのか。

自民党はここを突いていき、民主党政権を瓦解させるくらいでやって貰いたいが、心配なのは弟の鳩山邦夫だ。こいつも9億貰っていたら話にならん。
それだけなければいいのだが。

 

漫画「陽だまりの樹」は、手塚治虫の漫画の中でも最高傑作の部類に入るだろう。
手塚得意の史実とフィクションを混ぜ合わせた作品で、幕末を舞台にしている。主人公はふたりいて、ひとりは府中藩士の伊武谷万二郎で、もうひとりは手塚の曾祖父に当たる蘭方医(オランダ医学の医者)の手塚良仙(良庵)だ。
大きな時代の波にもまれるふたりの運命が漫画の中で描かれている。

その漫画の中では、当時の蘭方医たちの苦難も描かれている。当時の江戸ではオランダ医学が軽視されていて、幕府に仕える御典医はみな漢方医であった。蘭方医が診療を許されていたのは外科と眼科だけであった。
漫画では、天然痘を予防するための種痘所を江戸で開設するために、蘭方医たちがいろいろ手を尽くしている。

結局、漫画の中では将軍の治療のために御典医が蘭方医の手を借りることになる。当時、西洋では医学がかなり進んでいて、漢方では治せない治療方法が多く見つかっており、麻酔の発明によって虫垂炎の手術なども蘭方医は行えた。
和漢医療にも優れたところが多いが、西洋医学も当然のことながら優れており、互いのいいところを用いるのは懸命なことであろう。

私は高校生の時分に重い椎間板ヘルニアになってしまった。半年くらい背筋をまっすぐにして歩くことができなかった。
病院の整形外科などで診て貰っても、治すには手術するしかないと言われた。当時の椎間板ヘルニアの外科手術は、切開して腰椎部分の神経をかき分け、飛び出た椎間板をメスで切り取るというものばかりであったが、背骨を走る神経は下半身に繋がる重要なものであるのに、手術でそれが傷付いて、下半身不随になるということがよくあったらしい。
だから、私はそんな賭けには出られなかったから、柔道部の先生に紹介して貰って、紹介でしか入れない京都にある整体の先生に診て貰うことにした。

整体といっても、どちらかというとやってることはカイロプラクティック(アメリカ発祥)だったのだが、半年ほど通ったら腰が随分とマシになった。

カイロプラクティックが西洋医学に分類されるかは別として、西洋医学では基本的に腰痛は痛み止めでごまかすか、リスクのある外科手術で根本的に治すしかない。
しかし、腰痛で悩んでいる人のいくらかは、整体や鍼灸に行って、痛みを和らげる。
ある程度の痛みなら、整体、鍼灸、カイロプラクティックに行き、まともに歩けなくなったら外科手術。これが普通だろう。

日本には、西洋医学も東洋医学もどちらも好きなように選べ、なおかつ種類も方法も多種多様だ。自分にあった治療法が選べるのである。
ところが、政府の事業仕分けに関する連中は、東洋医学を真っ向から否定した。

新聞やテレビではあまり大きく報じられていないが、政府の行政刷新会議による事業仕分けによって、医療用漢方薬の保険適用が見直されることになった。
見直されると言うより、ほかの事業と同様に最初から廃止の方向へ向かうことは決まっているのだろう。

ツムラがCMでやっているように、医療の現場では意外と多く漢方が使われている。私が利用する近所の総合病院にも、漢方専門の科がある。私はまだ世話になったことがないが、利用している人は多い。

嫁さんの友人は、たいそう体が弱くてボロボロになっていた。それが、漢方の医者に診て貰って漢方薬をしばらく飲み続けたところ、改善に向かっていた。
ところが、民主党政権のアホどもが、「漢方よりも安くてよく効く薬はたくさんある」と説教を垂れて、保険の医療費圧縮のため、保険適用外にするというのだ。
嫁さんの友人はかなり焦っていたし、怒ってもいた。そらそうだろう。今まで3割負担だったのが10割負担になってしまっては、今後その治療が続けられない。

漢方を利用する患者の多くが困るだろうが、漢方を専門にやっている病院や薬品メーカも一大事だ。保険適用外になってしまえば、利用者が減るに決まっている。存続の危機である。

政府の事業仕分けは、科学研究費を削って国民の生活に回せとした。いかにも国民のことを思っているかのようなお為ごかしであるのだが、その裏で、一部の国民の命を削り取ろうかというようなこともしているのである。
私は、医療用漢方薬を保険適用外にするなどの医療関係の事業の見直しには断固反対する。

ちなみに、医療用漢方薬に関する事業仕分けに関連して、漢方以外に湿布薬も保険適用外にしようとしている。腰痛が酷くなったとき、病院で湿布を貰い、それを貼って大人しく寝ているのだが、湿布代が3倍以上になるのかと思うと、何も貼らずに寝ることに違いない。なんてこった。

 

JR東海の53歳の男性車掌が、勤務中に静岡で運行している普通電車の車掌室でタバコを吸ったとニュースになった。
JR東海では、乗務員の喫煙は社内規定で禁止されており、JR東海は車掌の処分を検討しているとのこと。

たかがタバコを隠れてすったくらいでニュースにするような内容だろうか。まったくくだらんニュースだが、JR東海が乗務員に対して勤務中に喫煙したらアカンと決めているのだから、処分は仕方がない。

それよりも気になるのが、乗務員の喫煙を咎めてJR東海のサービスセンターに電話でチクった女がいるということだ。
女にはこの手の嫌な性格のヤツが多い。正義感から行動したのではなく、車掌を貶めてやろうとチクっただけだろう。そういうことで自信の鬱憤を晴らしたり、何かしら快感を覚えるヤツがいるのだ。
乗務員が盗撮していたとかなら話は別だが、喫煙くらいでいちいちチクる神経が分からない。

まったく嫌な女である。そんな女には関わり合いたくもない。

この女と同様に、実に嫌なヤツのニュースがほかにもあった。光市の母子殺害事件で、被告を死刑にさせないためにむちゃくちゃしていた死刑反対派の弁護士19人が、橋下大阪府知事と読売テレビを相手取り、総額1億2000万円の損害賠償を求めて広島地裁に訴えた。

橋下知事は「たかじんのそこまで言って委員会」で、「光市の母子殺害事件の弁護団が許せないと思うのであれば、懲戒請求をかけて貰いたい」と視聴者に呼びかけた。そのおかげで、7000通を超える懲戒請求が各弁護士会に殺到し、母子殺害事件の弁護士らはその対応に追われた。

この件で、くだんの弁護士のうち4人が橋下知事に対して損害賠償請求の訴えを起こし、広島地裁はひとり当たり200万円の賠償を命じた。橋下知事は高裁に控訴したが、反省すべき点もあったとして、4弁護士にそれぞれ200万円の支払いをした。

それがあったことが関係しているのかどうかは知らないが、今になって19人の弁護士がさらに橋下知事を訴えた。今度は、同番組で遺族感情を意図的に傷付ける弁護活動を行っているかのように放送したのが理由だ。

どう考えてもあの弁護活動は遺族の気持ちを蔑ろにしたものであるが、「意図的ではない」と言いたいのだろう。そんでもって、前回橋下知事がおとなしく賠償金を支払ったもんだから、今度もふんだくれると見越してのことだろうか。
どうせ「金の問題じゃない、名誉の問題だ」とか言うんだろうが、名誉を気にするのであれば、もっと気を遣うべきところがあるだろうに。

何にせよ、光市の母子殺害事件のあの弁護団は、本当に底意地の悪い嫌なヤツに思えて仕方がない。裁判ではふざけた主張を繰り返し、遺族のことなど顧みない。自分たちを無謬の存在であるかのように過信に、楯突くヤツらを次々に訴える。
人にどう思われるか何か、あいつらにとっては関係ないんだろう。

嫌なヤツが出てくるニュースを見ると、本当に嫌な気分になる。

 

今日の産経新聞朝刊の「正論」欄で、平川祐弘とかいうエライ先生が、日本人も英語を使いこなせるようになるべきだとの趣旨の論説を書いていた。
小学校での英語授業云々は抜きにして、言っていることは正しいと思う。

英語の前にまず国語としての日本語を正しく使えるようになることが大前提ではあるが、これから社会で生き抜いていくためには、英語が少しでもできれば必ず優位に働く。それを仕事をしてよく分かった。

私はパソコンやらネットワーク機器などを製造開発する会社に勤めている。うちの会社みたいなショボいところには、英語がペラペラの技術者なんかひとりもいないが、開発などをする人で英語に全く触れないという人はいない。
例えば、IC部品などのデータシートは英語が基本だ。RenesasのSHなど、日本メーカのICには日本語のデータシートやマニュアルが用意されているが、海外メーカには当然そんなものはない。英語のデータシートが用意されているだけ。

電源ICなどの部品なら英語のデータシートでも構わないが、CPUなど複雑なものになると英語マニュアルは泣きそうになる。500ページの英語マニュアルなんぞ、見ただけで吐き気を催す。
CPUなんかは日本語マニュアルでも内容が難しいのに、それが英語になると、私のように英語がほぼできない人間にとっては地獄なのだ。

また、仕事の種類にもよるが、外人と英語で話す機会も多い。その度に、いちいち通訳を付けていたりするとめんどくさくて仕方がない。

英語ができなくても死にはしないだろうが、少なくともIT関連のハードウェア開発、ソフトウェア開発をする技術者になりたいのであれば、英語が全くできないのでは話にならない。

それを思うと、日本人ってのは台湾人や中国人に比べると遅れていると思う。
台湾人や中国人の技術者の多くは、英語を書いて、話すことができる。書いたり読んだりするのはともかく、話す方はものすごく適当で、文法も何やら怪しく、発音も絶対訛っていると思うのだが、それでも彼らは英語を話す。
一方の日本人は、英語に自信にある人でないと英語で会話をしない。英文メールを出すことはできるが、話はしないのだ。

これもひとえに、積極さという民族性の違いによるものと思われる。とにかく台湾人や中国人はあまり気にしない民族のようで、めちゃくちゃな日本語でしか喋れないくせに、日本語で電話をかけてくるくらいのアグレッシブさがある。
一方の日本人で、英語に全然自信がないのに、海外の会社に電話できる人はどのくらいいるのだろう。

学校の授業で、もう少し実践的な英語を習って、実際に英語圏の外人と話すなどして自信を付ければ、少しはできるようになるんだろうが、今の日本の英語の授業ではそんなことは望めそうにもない。

日本人の多くに英語力が備われば、技術力と相まって最強レベルになれると思う。今のままでは、そのうち台湾や中国に肝心の技術力で抜かれるなんてことになるかも知れない。
 

 

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