先っちょマンブログ

2009年12月

年末年始は何かと忙しい。年末の休みに掃除をまとめてやると大変なので、今年は12月に入ってから毎週土日にちょこちょこ掃除をするようにしていた。
ベランダやテラスなど、特にめんどくさい外の部分を先にやっておくことで、この年末休みは随分と余裕が持てている。

今日は自分の部屋の掃除と、寝室の本の整理をした。いつの間にか漫画ばかりになっていて、置く場所がなくなり、積み上げているだけだったので、それを片付けた。
本の置く場所がないので、どこかに用意しなければならない。だから、これまで私の部屋の本棚の上に載せてあった「正論」を捨てることにした。
私は雑誌でも、ほかで使えそうなものは残しておく性分なのだが、「正論」はもういらない。

 

 さいならっきょ


以前に書いたが、私は社会人になってから産経新聞が発行している「正論」を買っていたが、2007年の10月号を読んで、アホらしくなって読むのをやめようと思った。それ以来、月刊の「正論」は全く買っていない。

何が書かれていたか、おさらいしてみよう。
その記事は、2007年8月3日に新興宗教である阿含宗の荘本殿で行われた、阿含宗管長の桐山靖雄と、産経新聞お抱えのエロ漫画家・さかもと未明との対談である。

 


205ページ

  

207-208ページ


徳のない子供は、私と縁ができることで救われる」という前科持ちの新興宗教のトップと、それを「釈迦そのものものになってらっしゃる。お目にかかれて光栄です」と持てはやす太鼓持ちの漫画家。
こんなキチガイじみた対談が、一流とされるオピニオン誌で行われているのである。ああ、恐ろしい。

キャンプファイヤーをやって金儲けしている胡散臭い新興宗教の提灯記事を掲げるような雑誌は読むに値しないだろう。「正論」は、創価学会の「潮」と同レベルに成り下がったわけである。

産経新聞は、保守っぽいことを主張する桐山靖雄が金を出すから、「正論」に提灯記事を掲載するし、終戦記念日には阿含宗の宣伝以外の何ものでもない特集記事を掲載する。

産経新聞を取るのをやめると、読む新聞がなくなってしまうので取っているのだが、産経新聞の阿含宗マンセーはいつまで続くのだろうか。
金を出してスポンサーになれば提灯記事を掲載してくれるのだから、朝鮮総連あたりも産経新聞に広告を出してみてはどうだろう。

 

 

23日の早朝、出勤するために駅に向かっていたら、携帯電話が道に落ちていた。というよりも、正確には、落ちているのを前日から知っていたのだが。

22日の夜遅くに帰宅する際、道端にケータイが落ちているのは気が付いていた。しかし、そこで拾って家に持って帰るわけにも行かず、交番に届けるために引き返すのもめんどくさい。それに、落とした人が探しているかも知れない。
だから、翌朝まで待っていたのだが、ケータイは道端に転がったままだった。

しょうがないので、それを持って交番に届けることに。
交番に行くと、ドアのところに「警官が出ているので、○○署まで電話してください」と札がかけてある。

いちいちそんなことしてられないので、とりあえず交番の机の上にでも置いておこうと思い中に入ったら、警官が「何ですか?」と言いながらふたり出てきた。若い警官と中年の警官である。

「おるんかいな」と思ったが、「ケータイが落ちてたんですけど」と伝えた。
ここからは私と中年警官の会話。

警官「どこにあった?」
「(指を差して)向こうの飲食店ですね」
警官「あ~、○○ね」
「あの~、電車があるんでコレお願いしてもう行きたいんですが」
警官「わかったわかった、ちょっと待って。この紙にサインだけしといてよ」

なんかよく分からんが、拾得物を交番に届けたら、届け出の紙に署名はしないといけないらしい。

警官「お礼とかはどうする?」
「そんなのは結構です。じゃ、行きますんで」

恐らく、多くの人が思うんじゃなかろうか。なんで警官はため口なのかと。お前は私の友だちか。

中年警官は私が年下だからため口を利いたのか、王様だろうが乞食だろうが関係なくため口なのか知らんが、初対面の人間(しかも大人)に対してため口で喋るヤツはアホだろう。口の利き方を知らん亀田興毅がバッシングされるわけだが、亀田だけでなく警官も口の利き方を知らんのだから、かめだのことだけ悪く言うのは可哀想かも知れない。

郵便局で職員が窓口に来た人にため口で喋るだろうか。市役所の職員が市民にため口で喋るだろうか。
客だからため口で喋らないのかも知れないが、職場に来る人に対してため口で話すのは警官くらいではなかろうか。

思うに、そういう警官は仕事を舐めきっているんだろう。「お前らに喰わせて貰っているわけじゃない」とでも思っているのかも知れない。どんな口を利こうが、公務員なら関係ないと思っているのかも知れない。
それならそれで結構だが、それでも日本人ならばちゃんと最低限の丁寧語を使って話して貰いたい。

犯罪に手を染める警官が全体のほんの一部なように、ため口でしか話せない警官は一部なのかも知れない。だとしても、そんな警官を交番に勤務させるってのはどうなんだろうか。
そんな警官を見た人は、警官はどいつもこいつもアホなのかと思ってしまうではないか。

 

昨日の産経新聞のWEB面で、価格.comのクチコミ掲示板のことが紹介されていた。

【MSN産経ニュース】ネット番記者:泣けるいちずな「姉心」 (12/24)

生まれたばかりの妹のために、3万円ほど貯めたお金でデジカメを買いたいというスレッドで、最初は「そんなぼんやりした書き込みで何がいいかなんか勧められるか、ボケ」という感じの回答があったが、スレが進むにつれて、どうも普通の内容ではないと読む人が感じる。
どうやら、スレ主はまだ子供のようで、自分が小さいときの写真がないことを気にしており、妹には写真を残してあげたいとデジカメを買おうと思っているらしいのだ。

【価格.com】 初めてデジタルカメラを買います

最後は妹思いの子供に掲示板を読んだ大人がほだされて、何となくほんわかした気分になる。実際、スレ主の子供はデジカメのデータを見たり、保存したりするパソコンを持っていないようで、そこらへんがもどかしい気持ちがするのだが、まあ何かいいと思うスレッドには間違いない。

ただ、これが本当に妹思いの少女が立てたスレッドであるかどうかは分からない。
内容を読む限りは、誰かが面白おかしく釣りで少女を演じているとは思えないのだが、店で調べたカメラの型番がスラスラ出てくるのが、何かアヤシイ感じがしないでもない。

紹介記事を書いた猪谷千香記者は、「本当に少女なのか」という疑問があることに対し、「嘘だとしても実害もないからいいじゃないか」という風に書いている。「嘘も方便」などと言うが、だからといってウソだったとして許せるようなもんだろうか。
まあ、かといって答えなんか絶対出ないと思うのだが。

インターネットの書き込みなんぞ、何が本当で何が嘘かは分からない。だから、常に疑いの目で見なければならないし、ウソかホントかは読んだ人が決めればいい。「信じるか信じないかは、あなた次第です」がインターネットの掟だ。

ネット上の掲示板などへの書き込みってのは、ウソが溢れていると思う。
「本当の話」を騙ったウソが多すぎる。

例えば、先月映画が公開された「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」というのがある。これは、「電車男」のような、2ちゃんねるのスレッド文学とされている。
引きこもりだった主人公が、社員をこき使うブラック会社に就職し、ソフトウェア開発者として仕事をこなしていく話だ。
主人公が自分の体験したことを2ちゃんねるに書き込み、そこの住人の反応などがまとめられたものが本となって出版されている。

新潮社から文庫版になって出たので、「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」を読んでみた。登場人物のキャラが全員立っていて、いや立ちすぎていて、非常に面白い話だとは思ったが、これがとても実話とは思えなかった。
実話と言い張るには、ところどころの詰めが非常に甘く、実際にソフトウェア開発などを行う会社に勤めている人だったら、すぐに分かるウソが多すぎる。

例えば、美人で若い中西という女性の派遣社員がやってくるのだが、その女も皆と一緒に深夜まで残業を行う。派遣は時間給で働いているため、基本的に残業なんかない。社員に残業代を出さない会社が、派遣社員に残業させるわけがない。派遣社員を残業させるには、社内でもいろいろと手続きがあるし、社員と一緒になってやるなんてあり得ない。

また、私が最も奇妙に感じたのが、上原という先輩社員についてだ。上原は吃音でまともに喋れないという設定になっている。「はい」ということすら言えず、「は…、は……、はは…」といつも喋っているが、そんなことあり得ない。
何故なら、そこまでの吃音であれば、本人は喋らなくなるか、別の言葉で言い換えるようになるからだ。
さらに、カラオケでもどもってしまい、それをからかわれるシーンが出てくるが、通常、吃音の人間は歌を歌うときにはどもったりしない。少なくとも、全く歌えないなんてことはない。
本に出てくるような描写になるのは、上原自体がいないか、上原が吃音でないかのどちらかだ。

さらには、ラストの方で出てくるヘッドハンティングの話には笑ってしまった。
非常に聡明で、仕事もできる藤田という先輩がヘッドハンティングされる話が出てくるのだが、そんなことがあり得るわけがない。派遣で来ていた女がほかの会社に移り、そこで藤田を薦めてヘッドハントされるのだが、あまりにもアホな設定に笑うしかない。
派遣できている女の薦めでヘッドハントする人間を決める会社がどこにある。それに、そもそもプログラミングができるだけの人間が、ヘッドハンティングされる人材なわけがない。そんなヤツは掃いて捨てるほどいる。ヘッドハンティングされる人材ってのは、SEやプログラマの経験があって、プレゼン能力もあって、プロジェクトリーダなどを経験した管理職であることが多い。プログラマという会社にとっての捨て駒を拾ってくるわけがない。

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」の本の中では、書き込んでいる主人公を応援するレスばかりが掲載されているが、実際はいちいちオカシイと指摘するレスがたくさんあった。しかし、書き込んでいるヤツは都合の悪いことは全部無視して、話を進めていった。

こいつがもう少し賢ければ、職場でもう少し経験があれば、リアリティのあるウソになったはずなのに。
話のベースは面白かっただけに、実に惜しい。

インターネット上にある話なんぞ、基本ウソだと思って、全部疑いの目で見るくらいがちょうどいい。新聞だってウソを書くんだから、誰か分からんヤツが書いている話なんぞ、信憑性に欠けるのが当たり前だ。
このブログだって例外ではない。

純真な心があれば、殆どが信じられるかも知れないが、私のようにスレた心を持った人間は、どうも信じられないことばかりなのだ。
私はいつから、そんな風になってしまったんだろうか。

 

24日の朝日新聞に、ブラジルで行われている「郵便局のサンタクロース」という制度が紹介されていた。

【朝日新聞】 サンタさんに手紙、本当にプレゼントが来た ブラジル (12/24)

郵便局が子供たちからのサンタクロースへの手紙を預かり、郵便局で手紙を見てサンタになりたいと思った市民が、子供が欲しいと願っているものを持ち込み、郵便局がそれを無料で配送するという事業だ。

ブラジルでは多くの子供が貧しく、サンタクロースへの手紙には、「食べ物が欲しい」とか、「服と靴が欲しい」、「薬が欲しい」という切実な願いのものがある。

何かが欲しいと手紙を出し、何も貰えなかったら子供たちはさぞがっかりすると思うのだが、100万通の手紙のうち、46万通は願いが叶えられて品物が届けられるらしい。ふたりにひとりくらいは何か貰えるようだ。
また、何も貰えなかったとしても、手紙を出した子供の元には、サンタクロースからの手紙が届く。

私はその記事を読んで、「エスパー魔美」の「エスパークリスマス」という話を思い起こした。
サンタクロースの格好でバイトをしていた魔美が、街で出会った女の子から「パンダのあかちゃんがほしい」という手紙を貰う。魔美がその子のあとをつけてみると、その子は、ボロボロの家に父親と兄と3人で住んでいた。
父親は仕事もせずに飲んだくれているどうしようもない人間で、家は貧しく、クリスマスのお祝いもできない。

それを見た魔美は、友人の高畑君に「ケーキでも持って行ってあげて、その子の家でパーティをしよう」と話を持ちかける。ところが、聡明な高畑君は魔美に言う。

「僕はそんなの嫌だ。その場限りの自己満足じゃないか」
「安っぽい同情はかえってその子たちのためにならない」
「いつも他人の施しを期待する子供になったらどうする」

高畑君に説得され、魔美はしょんぼりとして家に帰る。

ブラジルの貧しい子供たちも、それと同じではなかろうか。ロクデナシの親がいて、酷い目に遭わされていたり、とてつもなく貧しい生活をしている貧しい子供は可哀想だと思うが、その子たちに何か与えて喜ばせたところで、乞食根性が身に付くだけかも知れない。

それに、長年慈善事業を行ってきた曽野綾子氏が言っているが、与えたモノがどのように使われているか確認もできないのに、貧乏人に渡しても意味がないのだ。子供は大切にするかも知れない。しかし、また親が取り上げて、売ってしまうかも知れない。
そうしたら、子供は二重の落胆を覚えるはずだ。

「エスパー魔美」では、夜になって高畑君が「一夜だけ楽しませてあげよう」と考え直し、貧しい女の子の家でパーティをする。
そして、魔美と高畑君が帰るのを目撃したロクデナシの父親は、「サンタが来たんだよ」と父親に報告する女の子を、涙を流しながら抱きしめる。

世の中漫画のように甘くはない。実際はどうなんだろうか。

さすがに、日本では食べ物や着る物に困って、まともな生活もできないような人はいないので、そんな事業は必要ないだろうと思っていたのだが、実際は15%くらいの割合で、「欲しい食べ物が買えなかった」とか、「服が買えなかった」ということを経験している人がいるらしい。主に高齢者世帯や、ひとり親の世帯であるようだ。

ブラジルのように、靴がないから裸足で暮らしているレベルの貧しさではないかも知れないが、食べ物や着る物に多少の不自由を感じている人は意外と多いらしい。
日本は戦後、貧しい国から豊かな国になり、もう一度一部の人にとって貧しい国になりつつあるらしい。

日本でも、ブラジルで行われているようなサンタクロースの事業が行われたりする日が来るのであろうか。

 

次々と最悪な政策ばかりを打ち出す鳩山内閣は、本当にどうしようもない内閣だ。なんせ、内閣を率いる総理大臣が、母親から11億円も貰っておきながら「知らん」と言い通して脱税を否定する、殆ど犯罪者と言っても過言ではない輩なのだ。
どうしようもないのは仕方がないか。

麻生前首相は漢字が読めないとか高級バーで飲んでいるとかでしつこく叩かれていたが、鳩山由紀夫に比べたらカワイイもんだ。同じ金持ちのボンボンでも、かたやただの漫画好き。こなた、脱税犯である。挙げ句の果ては、逆ギレして、上申書を出して「贈与税払えばいいんだろボケ」と言っている。
納税のことをどうとも思っておらず、金銭感覚が果てしなく狂っているヤツが総理大臣でいいのか。

私が最も鳩山由紀夫の言動でムカツクのが、「おぼっちゃまくん」みたいな金銭感覚ではなく、踏ん切りの悪い女の腐ったみたいな性根をしているところだ。
それが最もよく表れているのが、普天間基地移設問題だ。

親中反米でアメリカが嫌いなんだったら、いっそのことアメリカに対して「日本から出て行け」と啖呵を切るくらいだったらまだいいのだが、どっちつかずの態度で、なよなよして、党内の意見をまとめられず、社民党の意見ばかりを聞いて、問題を先送りにするという態度が許せない。
今そこにある問題に目をつむり、見ないようにしているだけとしか思えない。

今決めても、あとで決めても最終的な結論は大して変わらんだろう。時間を稼いだところで、妙案が見つかるわけがない。ダラダラと時間を無駄にすることで、アメリカをイラつかせるだけではないか。

目の前の大問題から目をそらしたがる鳩山由紀夫は、世間でよく言われるダチョウのようだ。

ダチョウは、ライオンなどの外敵に遭遇すると、頭を砂の中や穴ぼこに入れて、見ないようにすると言われている。

鳩山由紀夫はまさにそれをやっているとしか思えない。

だが、実際は、ダチョウはそんな自らの首を絞めるようなことはしていない。実際は、外敵に出会ったとき、危険が迫ると身を伏せて、長い首を地面に押しつけて目立ちにくくするだけだ。立ったまま首をどこかに突っ込んで、危険を見なくするわけではない。

果たして鳩山由紀夫はどうなのか。
あのアホ面を見ていると、何も考えていないか、小沢一郎や社民党などからの突き上げを食らってパニックになっているとしか思えない。

それを思うと、サバンナに住むダチョウは、日本で総理大臣をしているハトよりも賢いように思えてしまう。

 

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