先っちょマンブログ

2010年03月

実家がテレビを3台もまとめて購入したらしい。リビング用は私がお勧めした東芝の42型 REGZA Z9000で、母の部屋用など2台はシャープのAQUOSなどにしたとか。同時にeo光テレビも導入したので、これまでアナログだった環境が一変した。
3台で30万円超の出費になったが、地デジライフはそれなりに満足しているようだ。

地デジが始まって、2011年にアナログ停波が決まったとき、「余計なことすんな」と思ったが、実際地デジの綺麗さを見てみたら、地デジでよかったと思う。地デジにすれば効率的に電波の利用ができる。
日本の地デジは、ダビング10とか、B-CASカードなど、著作権保護の仕組みに問題ありまくりだが、地デジの綺麗さだけは認めざるを得ない。
「すべらない話」などの地デジの番組を見て、後に発売されたDVDを見ると、DVDの画質が汚く思えてしまう。地デジは24Mbpsだが、DVDはせいぜい5Mbps程度の画質。地デジはBlu-ray画質なわけだ。比べると天と地ほどの差がある。
DVDが出た当初、ビデオと比べてあまりの綺麗さにビビったが、今やそのDVDでも汚い。

金を持っているくせに地デジ導入に消極的な人は、そもそもテレビに興味ないか、画質なんぞに全くこだわりがないのだろう。そのようなこだわりがなければ、地デジをただの金食い虫のように思っても仕方がない。

当初不可能と言われていた、地デジチューナーもそこらの店で普通に5000円で売っている。最悪それだが、それも出せないくらいにどうしても嫌なら、金を出さずに地デジを見ないようにすればいい。地デジを見なくても死にはしない。

産経新聞の記者は、昨年9月の時点で7割の国民が地デジ導入済みであることを受け、「日本人は文句を言わない国民だな」などと言っているが、地デジがそれなりにいいもんだから、あまり文句が出ないだけだろう。
よくなるのだから、それなりの投資も仕方がないと思っているだけだ。

その産経記者のコラムによると、従来のエコポイント制度が3月に終わって、4 月から基準が厳しくなるため、駆け込み需要でテレビが売れまくっているそうな。
地デジのテレビがエコポイントの対象になっていたこと自体、そもそもおかしな話なので、3月に大体終わってしまって当然だろう。
テレビの消費電力なんか、家電の中で占める割合は小さいのに、地デジ普及のために無理矢理テレビ中心にエコポイントの付与をしていたのだから。

もう十分テレビも値下がったし、あとは放っておいても売れるだろう。
あと1年ちょっとあるんだから、普及率は 100%に近くなる。これは確実だ。
地デジの難視聴地域などの問題はあるが、テレビの普及に関しては何の心配もいらないだろう。

 

我が家にはちょっとしたドッグランにもなる自慢の芝庭があるし、家の敷地の隣にはごく小さい畑があるのだが、花はあまりない。

花は、玄関先の新聞受けの下にプランターが2個、玄関に丸プランターが1個あるだけ。いずれもビオラが植えられている。プランターを置くのも冬の間だけだ。冬に咲くビオラは、1ポット60円くらいで売られていて安いうえ、寒い時期なら5~6か月咲いていて長持ちだ。コスト対効果がバツグンなのだ。

家の前に花がたくさんあればいいとは思うのだが、私はそれほど花が好きでもないので、あまり投資しようという気になれない。何だかんだいって、花自体を始め、プランターから土まで、何かとお金がかかる。それだけお金があるのなら、芝生用の目砂とか肥料を買った方がいいように思えて仕方がない。
私がそんな無粋なタイプだから、家の前に花をたくさん置いている人は、花好きか、だいぶ心に余裕のある人なんだろうと思ってしまう。
花なんぞなくても生活には全く困らない。見栄だけで花をたくさん植えることもできない。

毎朝の通勤の際、最寄り駅に行くまでにある家の前に、ものすごい数のビオラのプランターが置いてある。ひとつひとつのプランターからは、ビオラが溢れんばかりにこんもりと咲いていて、よく管理されている。たくさんの美しいビオラのプランターは、目の保養になる。

ミニスカートの女性なんぞも目の保養になるが、花はまたそれとは違う保養になる。

「花はいいなぁ」と思う人間の感情ってのは、人類共通なのだと思うのだが、そうは思わない人もいるらしい。また今年も、チューリップの花を折るヤツが出てきた。大阪の鶴見緑地公園では、園内のチューリップ700本が折られたらしい。
わざわざそんなことをするヤツの気が知れない。人が不快な気持ちになるのを見て、愉快になる変態の仕業か。

皆がカワイイという子犬や子猫を蹴飛ばしたり虐殺するようなヤツがいるし、目の保養になるミニスカ女性に暴力を振るうヤツもいる。
世の中には分からんヤツが多すぎる。

 

民主党が目玉政策として推していた「子ども手当て法」が成立した。
この法律は支給要件がかなりむちゃくちゃで、問題が山のようにある。

今年は子供ひとり当たり毎月1万3000円、来年からは2万6000円の手当ては、子供を育てる親が日本に住んでいれば親が貰える。
朝鮮学校の高校無償化で揉めていたとき、民主党の議員らは「子供に罪はない」とか言っていたが、高校無償化もこれも、結局はやはり親にやるのである。

産経新聞が特に問題にしているのは、外国人への支給だ。親子で日本で働いているのならまだ理解できるが、最悪なのが母国に子供らを残して出稼ぎに来ているヤツにも「子ども手当て」を支給するというものだ。
母国に子供が10人いる子だくさんの父親の場合、今年は毎月13万円貰える。来年は26万円だ。10人いないのに10人いると申請してウソの書類を出すヤツもいるかも知れない。そういうヤツらへの対応はどうするのか。
或いは、自民党の議員が追求していたように、養子縁組で子供を増やした親が正式な申請を出してきたらどうする。養子縁組で子供が100人になった親には、130万円、260万円を支給するのか。

このように、外国人の子育ても応援しようと大盤振る舞いするくせに、日本人の親が海外に住んでいた場合はびた一文やらないのが民主党だ。
名探偵コナンの両親はロス在住で、コナンだけ日本に住んでいるらしいが、コナン一家は「子ども手当て」を貰えないのである。

また、親に支給するものであるため、親がいない子供も貰えない。児童福祉施設で世話になっている子供は、「子ども手当て」の恩恵に与れないのである。

何たる不公平。一見、「子ども手当て」は少子化対策にいいように思えるが、それは民主の猿知恵、いや浅知恵だ。
結局、扶養手当がなくなることで、得にもならないのに、バラキキによって得したかのような錯覚まで起こってしまう。

財源確保もままならないで、見切り発車で始める「子ども手当て」は、一部の外国人を喜ばせるだけで、日本国民の殆どは得もしない悪法だ。
民主党は次の選挙のために、この悪法をいいように見せかけるようするのだろうが、賢明なる国民はそれに決して騙されてはいけない。

 

何のためにやっているのか全く理解できない日韓歴史共同研究について、今日26日に産経新聞と朝日新聞が社説を掲載した。
24日には読売新聞と毎日新聞が社説に掲載している。

【産経新聞】日韓歴史研究 認識の共有はやはり幻想 (3/26)
【朝日新聞】 日韓歴史研究―「国民の物語」を超えよう (3/26)
【毎日新聞】 日韓歴史研究 対立乗り越える努力を (3/24)
【読売新聞】 日韓歴史研究 相互理解を深める礎となるか (3/24)

読売、毎日、朝日は、日韓において歴史認識どころか、そもそもの根本的な考えが全く違うことを認めた上で、それでも継続していくべきだと主張した。
それに対し産経新聞は、全くかみ合わないこれまでの不毛なやりとりをもって、歴史認識の共有などといった幻想は持たず、違いを明らかにするだけでいいと主張した。

読売、毎日、朝日は、「話せば分かる」と主張し、共同研究の継続を訴えたが、やったとしても日本側が折れて韓国側へすり寄るという最悪のシナリオしかあり得ず、何の得もない。
そもそも、歴史なんぞは国によって解釈の問題によって(どこぞの国では捏造を追加して)異なるもんなのだから、それでいいのに、この3紙は日韓の共同研究は継続する価値があると言うのである。

朝日新聞なんぞは、「一見、不毛な言い合いにも見える研究にも大きな意味はある」とした上で、「互いの認識の違いを受け止め、克服していく必要性を教えてくれる」などと説いた。

普段、こいつらは「個性を認めろ」、「オンリーワンで何が悪い」とか言うくせに、日韓や日中の歴史になるとそうではないらしい。歴史の真実は本来ならひとつだが、実際は幾つもある。それではダメで、ひとつに突き詰めろということなんだろうか。しかし、韓国や中国以外の国との歴史観の齟齬については触れられない。

大体、「互いに理解を深めろ」と言うが、相手が全く話の通じない輩なのだから、何を話しても無意味だ。今回の研究成果発表でそれがよく分かっているはずなのに、理想主義者のアホどもが集うマヌケ新聞の社説子たちは、「話せば分かる」とお題目のように唱える。
「話せば分かる」で通じた話が、この世にどれくらいあるのだろう。

韓国にしても中国にしても、はなから日本の意見なんか受け入れる気はない。今回にしても、韓国側の学者が事実を正しく受け止めていないことが多かった。
女子挺身隊と"従軍慰安婦"の区別も付かない。
天皇を"国王"とか"日王"と表記する。韓国が天皇を"日王"などと書くのは、「"皇"の字を、中国の皇帝ではない日本人に使うなど以ての外」という小中華主義に基づく。そのくせ、てめえらに多少自信が付いたら、今になって李氏朝鮮の国王を"皇帝"などと言うようになった。

「つくる会」の教科書は、「右翼教科書」として叩かれるだけ。
竹島に至っては、議論の俎上にも載らない。都合の悪いことを言われるのを恐れているのと、議論する余地もないというアピールだ。

学者同士の話し合いのくせに、韓国側にマトモな学者が少なく、その上竹島問題などの政治まで持ち込まれるのだから、議論なんてできるわけないのがよく分かるだろう。
言葉が通じない宇宙人と討論するようなもんである。

もうすぐ、第2次事業仕分けが行われるらしいが、日韓、日中の歴史の共同研究なんか真っ先にぶった斬り、廃止にしてしまったらいい。
「スパコンで世界一ではなく、2位ではダメなのか?」と言った知恵遅れみたいな民主党のババアがいたが、そいつに言わせればいい。
「国家間で歴史認識に違いがあってダメなのか?」
 

 

私は子供の頃から新日本プロレスのファンだったので、新日系のレスラーというのは大抵好きなのだが、前田日明はどうも好きではなかった。
前田日明は新日本を捨ててUWFの旗揚げに参加し、新日に出戻りした後、長州力に負わせた怪我が元で新日を追われ、再度UWFの旗揚げをするなど、割と節操のないタイプなのだが、そこらへんが好きではない理由ではなく、ただ単に目が据わっていて、なんか怖い感じがするという理由である。

三又又三が昨年末に放送された「すべらない話」で、前田日明に千原ジュニアを紹介したら、前田が挨拶代わりに気合いを入れるためにボディを入れ、それにビビったジュニアが、そのあと見る予定だった格闘技の試合も見ずに帰ってしまったという話をしていた。

ジュニアがかっこ悪いという話なのだが、挨拶代わりにボディ入れる前田日明も相当気色悪い。

私は、そういう絡みにくいタイプの人間が苦手だ。

前田日明は元々、長州力と同じように在日韓国人であったが、新日本プロレスの勧めもあって随分前に帰化をして、日本国籍を得ている。
元在日ではあるが、思想は極めて日本の保守層に近く、うだうだと日本人に文句ばかり垂れる在日コリアンには非常に手厳しい。
別冊正論第2号「反日に打ち勝つ!日韓・日朝歴史の真実」に掲載されたインタビュー記事を見ればよく分かる。

前田日明は、かつて日本が戦った大東亜戦争について、理解を示し、全部が侵略だったと断罪する人々を卑怯だと言っている。当時の人たちの感情を顧みず、ただ侮辱するだけの人間を許せないのである。

また、"従軍慰安婦"や"強制連行"についても、親戚などに訊いたが、少なくとも知り合いではそんなことがあったとは聞いていないと発言している。

さらには、辛淑玉について、「差別されたとか日本が加害者だと言うばかりで、それだけ叫び続けて一生を送るのかと思うと情けなくなってくる」と語った。

そして、最後にはこんなことも言っている。「出自が在日だからということで韓国で就職差別を受けたり、北朝鮮に帰国すれば殺されたりひどい目に遭わされたりする。こういうことに黙っていながら、日本国内の差別反対だとか、参政権をよこせだとか言う人間を、少なくとも俺は信用できない」。

前田自身、中学生の時分に韓国で在日だという理由で酷い差別を受け、かなり憤慨しているらしく、その経験が日本への帰化や、反日韓国人への批判へと繋がっている。

そんな前田だから、外国人への地方参政権付与にかねてから反対していた。「日本での参政権が欲しいのなら、俺みたいに日本国籍を取れ」ということだ。

前田は、3月3日に民主党が公表した第1次公認候補で、内定しておきながら唯一選考に漏れ、公認見送りとなった。小沢一郎は朝日新聞のインタビューに、「比例区での出馬のことで調整に手間取ったから」などと、選挙戦略での食い違いによる選考漏れをアピールしたが、実際はそうではなかろう。
票集めのために比例区でタレントやアナウンサー、五輪メダリストをばんばん出すくせに、前田だけ選挙の調整が付かなかったなんて話はおかしいだろう。どう考えても、小沢と真っ向から意見、思想が対立する前田ががんとして考えを変えなかったから、公認を見送ったとしか思えない。

今週になって前田が民主党からの出馬を断念したというニュースが出て、今度は国民新党から出るかも知れないとの報道もあった。
本来ならば、自民党から出りゃ一番よさそうなもんだが、国民新党ならば民主党よりもまだマシだろう。外国人参政権反対の立場も同じであるし。

前田日明の今後の動向に注目だ。

 

 

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