先っちょマンブログ

2010年08月

民主党の野田財務省が円高・株安の危機的局面でわざわざ「何もしない」という低能丸出しの会見をやったおかげで、円高と株安がさらに進むハメになった。「何もしない」のであれば、会見すらする必要がなかった。

市場の反発、国民からの批判を受け、民主党政権はようやく重い腰を上げた。経済なんかどうでもよく、党内の代表戦のことで頭がいっぱいだろうが、何かしている振りをしなければいけないと考えたらしい。

民主党というのは所詮は日和見政党であるので、そのトップである鳩山、菅のふたりの首相はぶれまくった。経済政策でも全く同じ。円高対策をやらないと言って批判され、しょうがないのでやると言い出した。
日銀と話をして、とりあえず何か適当にやっておこうというわけだ。

30兆円の金融緩和も、市場から「想定の範囲内」「物足りない」などと見透かされ、昨日の発表後すぐ、午後から円高、株安が進んでしまった。

日本の大企業というのは、多くが輸出をメインにしているから、円高になると影響が大きい。大企業は耐えられる体力があるが、問題はその下に掃いて捨てるほどある中小の企業だ。

中小企業の典型のような私の勤める会社は、せいぜい海外生産をするくらいで、市場のターゲットはほとんどが日本。部品を輸入して、作って、国内で売るのだから、円高になれば原価が下がって儲かる計算になるが、実際はそうではない。

国内での商いをメインにしている中小企業がコンシューマ市場をターゲットにしているのならそれでいいが、実際は企業向け、産業向けが多い。
すると、日本の経済界、産業界のヒエラルキーのトップに位置する企業が円高で弱まると、商い量が減る。当然そのしわ寄せは、下の企業に来る。
資材部門が、下っ端の企業に対して「お前ら、円高で儲かってるだろ。部品代下げろ」と脅しをかける。売上が減る中、円高で儲かるわけでもないのに、むちゃくちゃ言われる会社はたまったもんではない。

民主党が貧乏人の味方を気取るのであれば、中小企業を助けるために円高対策をなんとかするべきだ。
日本の状態が決していいわけでもないのに円が買われているのである。日本政府はそれに対抗して、「円高を止めるため、ドルをバンバン買う」と言えばいい。財務大臣がブラフで口にするだけでも効果があるだろうし、実際、ドルを買いまくって円高基調を止めることだってできるだろう。
「就職で新卒・既卒をなくすようにする」とか、今さら急にできないし、企業がやるわけないことを呑気に経済対策として掲げている場合か。

景気の二番底という地獄が来ないよう、民主党政権は何とかしてくれ。代表選でごちゃごちゃやっている場合ではない。
これは民間企業に勤める人間の叫びだ。

 

昨晩、晩飯を食べながら録画したバラエティ番組を見ていた。番組が終わったのでレコーダを停止させたら、テレビのチャネルが10(よみうりテレビ)になっていて、ちょうどはるな愛が武道館に帰ってきたところだった。

メイクが取れた男丸出しの顔で泣きながら帰ってきていたが、これをニヤニヤしながらでも見ることは、あの偽善番組に手を貸すことになると思い、さっさと別の録画番組を再生した。

今朝になって、情報番組の芸能ニュースで、オカマが走った距離が85キロだと知った。膝を痛めたとかで100キロから減らしたらしい。
たったの85キロ。時速4キロの遅い歩行で、21時間ちょっと歩くだけの距離である。これのどこがマラソンなのか。

私は何の練習もしていないが、オカマの10分の1のギャラで、今すぐにでもテクテク歩いて24時間で85キロを"完歩"してみせよう。
金をくれたら、24時間で85キロ歩く貧乏サラリーマンは、世の中に100万人くらいいるだろう。

偽善チャリティ番組である「24時間テレビ」はほとんど見なかったが、チャネルのザッピング中にちらりと見ることはあった。
夜中に芸人が出ているところだけちょっと見たのだが、その企画中に流れるCMに、嫁さんがぼやいていた。

それは、翌朝の8時25分から放送する、「アルケミスト」という音楽ユニットにスポットを当てた企画の番宣CMであった。
その番宣CMでは、生まれつき左手の先がないボーカルについて紹介していたが、嫁さんが「ボーカルと関係ないじゃん」と言っていた。

皆そう思ったに違いない。生まれつき口がないのに、腹話術で歌を歌うのはスゴイことだが、左手の先がなくても歌えるではないか。
番宣CMで「障碍を乗り越えて…」云々と言っていたが、意味が分からん。

で、その翌朝。目が覚めてリビングのテレビを付けたら、ちょうどその「アルケミスト」の企画をやっているところであった。
そいつらが何を言っていたのか全く憶えていないが、左手の先がないという障碍を売り物していることだけは分かった。

まあ、大きな特徴であるのだから、そこをアピールしていくのは当然かも知れないし、悪いことではないと思う。しかし、結局はどんな言い分を垂れたとしても、自身の障碍を売り物にしているのに変わりはない。
その音楽ユニットのやり方に文句を付けるわけではないが、アホなテレビ局は、その障碍があることを、さもものすごい悲劇であるかのように主張する。しかし、そうやって売り物になるのだから、悲劇ばかりではないではないか。

テレビでは、「視聴者に悲劇を知らせる」という建前で、見せ物小屋みたいな感じで世界中の珍しい病気や奇形の人々を紹介することが多い。
特にそれが目に付くのが、「世界仰天ニュース」と、その裏でやっている「ザ・ベストハウス123」だ。「ベストハウス」の方は、昔は「すごいネジ ベスト3」とかやっていたのに、今では「猟奇事件 ベスト3」とか「難病 ベスト3」とか、「世界仰天ニュース」と同じことをやっている。

それらの番組の中では、食っても食っても満腹にならない人や、老化がものすごいスピードで進む人、整形のしすぎで顔がエレファントマンみたいなった人、頭がくっついた奇形児など、皆が好奇の目で見るような人たちを紹介する。
番組としては、"困難を乗り越えようと努力する人を紹介"している建前にしているが、ただ見せ物にしているだけのようにしか見えない。

そして視聴者は、「可哀想」とか思うだけでなく、「ああならなくてよかった」、「自分の境遇はマシだ」と思うのである。"下"を見させて多くの人々に満足させる手法は、作られた制度的な差別と同じだ。

「こんな悲劇を乗り越えようとしている」と身体障碍者を紹介するのが偽善ならば、それを見て単純に感動したり、同情しているのも偽善に思えて仕方がない。
結局は、見せ物小屋の支配人と、その客ではないか。
 

 

今日8月29日は、韓国では国恥日というらしい。ようやく自分たちの恥を知り、それを国民に知らしめる日を作ったのかと思ってしまうが、実際は、100年前に日韓併合条約が発行された日であるかららしい。

100年前の韓国といえば、李氏朝鮮時代で、シナに媚びるしか能のない両班と呼ばれる役人と王族が国をめちゃくちゃにし、ゴミ溜めのような国であった。
シナに媚びるあまり、せっかく昔の王が世界で最も遅く作られた文字であるハングルを作ったのに、公文書では使用禁止にし、シナに倣って漢字だけを使った。「ホラ見て、僕も漢字だけ使ってるよ!エライでしょ!!」というわけだ。

そんな国だから、訪れた外国人にも極めて評判が悪かった。

イギリスの女流紀行作家であるイザベラ・バードが、1894年から3年間で4回かけて朝鮮半島を旅行し、それを紀行文「朝鮮紀行」にしたためた。ソウルの描写はこうだ。
「泥壁の掘っ立て小屋が軒を連ねるみすぼらしい路地。厚く覆い被さった褐色の屋根。汚物と腐ったゴミで悪臭のする溝」
酷いもんである。

さらには、「ソウルにはいかなる芸術作品もなく、古代の遺物も殆どなく、公衆の広場もなく、極めて稀に見られる王族の行列以外にいかなる行事も、劇場もない。ソウルには他の国の都市にはある文化的魅力が欠けている」とも書いている。

バードは、朝鮮半島を巡る旅の16年前、日本にやってきて、東京から新潟、山形を経て北海道に抜ける温泉旅をしたり、京都や大阪、神戸などの都会を訪れている。
その度の中でバードは、日本の美しい風景を絶賛し、非常に清潔な宿を賞賛した。特に山形の赤湯温泉は「東洋のアルカディア」と表現した。

3か月に及ぶ東京から北海道の旅について、バードはこのように記している。
「私は1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」

別に昔のオバハンひとりの旅行記を持ってして、いかに日本が優れ、朝鮮がクソだったかをこれ見よがしに言うつもりはないが、実際に日本は東洋一で、朝鮮半島はゴミ溜め以下だった。
李氏朝鮮の人間はバカばかりだから、木を切るだけで植林することを知らず、洪水ばかり起こしていた。まともに測量もできず、人々も嘘つきばかりだったから、石高も正確に測れなかった。

そんな国が、シナやロシアに取り込まれる前に日本に面倒を見て貰うことにした。
施しを受けるばかりに腰巾着の国としては、懸命な判断だろう。日本では、征韓論に根強い反撥もあったが、李氏朝鮮側の要望があって併合し、多額の投資をした。
小学校を5000校建て、朝鮮人に教育を受けさせ、植林し、半島を網羅する鉄道を敷き、ダムを建設した。

日本はむちゃくちゃ頑張って、となりにあるゴミ溜の住人に手を貸してやったのに、100年経ったらこのザマである。
まるで搾取だけされたかのように韓国人に吹聴されている。
韓国人のプライドを傷付けたのは確かだろうが、それは自分たちが出来損ないだったからだろう。

恥も外聞もなく、小中華主義でいう弟の日本に、兄の朝鮮を救ってくれと頼んだくせに、その恩を忘れる韓国人は、恩を忘れない犬にも劣るのではないのか。

気が優しくて、他人から文句を言われることが大好きで、大人しい日本人は、その逆ギレに黙ったままどころか、同調する始末。
日本も今日か8月15日あたりを国恥日にし、「韓国人にないことを言われて黙っている日」にすればいい。恥以外の何ものでもない。

 

笑い飯の哲夫が書いた本に触発され、私も般若心経の写経に挑戦してみた。挑戦してみたといっても、もう4か月もやっている。
別に密教などを信仰する仏教徒ではないのだが、何か精神的に鍛錬されるのではないかと思ったからだ。

私は毎日定時の30分以上前に出社するのだが、始業前の15分ほどを使ってノートに書いている。
最初は無印の罫線だけのリングノートに書いていたのだが、最近はコクヨのドット入り罫線のリングノートに書いている。これに書くと、文字のサイズや間隔が揃って、それなりにキレイに見える。

4か月も毎日やってみたおかげで、般若心経をそらで書けるようになった。お経なので当然漢字ばかりだが、意味不明な漢字の羅列ではなく漢文であるので、意味を知った上で書いていれば自ずと憶えられる。

 


本日分


多分そらでも唱えられると思うが、唱えたことがないし、どんな風に読むのかはよく分からない。

別にこれ以上やり続ける意味があるとは思えないのだが、特にイヤだとか面倒だとかも思わない。慣れるとスラスラ書けるからだ。だからやめ時が分からずに4か月も続けてしまった。

般若心経の写経をしたり、内容について学ぶと、必ずといっていいほど江戸時代後期の曹洞宗の僧侶である良寛の般若心経が出てくる。
良寛という坊さんは、多くの人に親しまれ、かなりのエライ坊さんらしいのだが、歌人や書家としても知られている。

ただ、書家といっても、字が笑えるくらいヘタクソだ。ヘタウマと表現した方がいいのかも知れない。
「味がある」と評価する人が多いが、私にはその良さがよく分からない。Googleで「良寛」と入力してイメージ検索するとゴロゴロ作品が出てくるが、どれを見ても半笑いになってしまう。

後世に残る良寛の作品で、最も衝撃的なのが般若心経の写経である。とにかく誤字脱字のオンパレードで、あとで間違いに気が付いたであろうところは、文字を添え書きにしてあるが、ないところも多い。
同じ漢字が続くところは、「〃」となっているし、重要な「般若波羅蜜多」の「蜜」を「密」と書いていたりする。

さらには、五蘊と呼ばれる「色受想行識」の最後の「識」(しき)を、最初の「色」(しき)と間違って2回書いていたりする。
「能除一切苦」というところは、読んで字の如く「一切の苦を取り除くことができる」であるのに、「苦」が抜けて「能除一切」になっていたりする。

「ぜってー意味分かってねーだろ」と思わずにいられないのだが、めちゃくちゃヘボい間違いをしている良寛の般若心経が、どういうわけか人気が高く、写しが掛け軸になっていたりするし、解説本まで出ているのだ。

何だかよく分からないが、しょっぼい間違いばかりの般若心経を見て、「ほっとする」とか思う人がいるらしい。
私には、「小学生の下書きレベルの書き物がなんで今まで残っているのか」としか思えない。

ただ、良寛という書家が好きな人には、しょっぼい間違い、ヘタクソとしかいいようがない字がいいらしい。
これも、僧侶としての良寛の人柄なんだろう。そこらへんにいるオッサンが同じものを書いたとしても、誰も評価しない。良寛が書いたから評価される。

良寛の般若心経を評価する人の中には、間違いを都合よく解釈して、「きっとこんな深い意味があるに違いない」と主張する人もいる。
「度一切苦厄」という箇所で、災いという意味の「厄」を、良寛は危険の「危」と間違って書いているのだが、ある人の解説では、「世の中の危険性が云々…」とのことらしい。
ただ単に、「熊」と書こうとして「態」と書いてしまうように、凡ミスしただけに思えるのだが。

別にそのような解釈をしても、誰に迷惑を掛けるわけでもなし、個人の自由でいいのだが、端から見ればご都合主義でしかない。
大好きな良寛が間違った字も、ごく好意的に解釈し、都合のいい結論に持ち込むのだ。

世の中の大抵の人はそうだろう。好きな人は庇いたいし、好意的に解釈したい。それで当然のように思えるが、どうしても釈然としないというか、「いいように言うなよボケ」と思わずにいられないことがある。

民主党の代表選に、小沢一郎が出馬することを決めたわけだが、それについて、小沢の腰巾着である民主党の議員がこんなことを言っていた。
「始めは国民の支持は得られないだろうが、公約を次々と実現し、国民の支持を得る」

当たっているのは「国民の支持は得られない」だけで、それ以外は全部ハズレ。例え首相になろうともマニフェストを実現させるわけがないし、国民の支持率が上がるわけがない。
「結果を見ておけ」ということだろうが、期待が大きすぎる。そんな風に好意的に小沢の出馬を解釈するのは、てめえが小沢のシモベのひとりだからであろう。

都合のいい解釈を、いちいち全国民にアピールする必要なんかない。
政治家ならなおさらで、それが小沢一郎という犯罪者まがいの政治家を支えるヤツならもっとだ。
 

 

まさかの小沢一郎の民主党代表選出馬が世間を騒然とさせている。

小沢一郎といえば、未だ起訴もされていないし、有罪判決を受けたわけでもないが、皆がクロと見ている、金に汚く、腹黒い政治家である。
政治資金規正法違反事件では強制起訴目前という状況で、それから逃れるように代表戦に出馬し、総理大臣になってしまおうという魂胆か。

読売新聞の記事では、菅首相が25日に行った鳩山由紀夫との会談の際、鳩山の要望にも関わらず、首相続投を任されても、小沢一郎を副総理や幹事長などの要職に付けないと言ったため、小沢を燃え上がらせたとある。

出馬しそうでしないと思われながら、結局出馬したということは、小沢一郎には勝利の道筋が見えているのだろう。選挙のプロなのだから、自分の党内の票読みくらいは楽勝かも知れない。十分勝てると見込んで出馬したとしか思えない。

民主党の代表選は、ひとり2ポイントを保有する国会議員413人の826ポイント、地方議員の100ポイント、外国人でも慣れる党員・サポーターの300ポイント、計1226ポイントを候補者で取り合う。
今日発売の週刊新潮の予測では、菅直人と小沢一郎の一騎打ちになった場合、120ポイントという僅差で小沢一郎が勝つとあった。

晴れて小沢一郎首相の誕生だ。3年間で6人目の総理大臣。しかもこれまでとは違って、かなりのワルである。

もしかすると反小沢派が巻き返し、菅直人の続投になるかも知れないが、菅にしても小沢にしても、どちらもいいとは思えず、日本国民にとっては究極の選択のような状態であることには変わらない。
どっちもイヤだが、どっちがマシかという選択だ。猫のウンコと犬のウンコ、どちらかを食すという選択と大して変わらない。

来月の14日まで、民主党内で血みどろの戦いが繰り広げられるのであろう。いずれにしてもロクな結果にしかならないだろうし、その結果総理大臣になるヤツは期待できそうにない。

諦めの境地であるわけだが、一番恐ろしいのは、この円高・株安の経済状況で、景気の二番底も見え始めたこの時期に、民主党の連中がこぞって代表選にご執心してしまうことだ。
すでに経済問題を民主党政権が蔑ろにしていることは世界中の人々に見透かされているが、その蔑ろ具合がより一層続くに違いない。

小沢一郎が総理大臣になるとか、代表選の結果として民主党が分裂するとか、そんなことよりも、日本経済の行く末の方が心配だ。
何でこの重要な時期に、アホみたいな政党が政権の座に就いていて、犯罪者が総理大臣になるとかで揉めてしまうことになるのだろう。
日本は本当に大丈夫か。
 

 

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