先っちょマンブログ

2010年12月

今年の年末年始は、特に面白いこともなく、テレビも再放送ばかりでロクなのがやっていないので、大晦日に大雪でも降って盛り上がったらいいのにと思っていた。
昨晩、犬の散歩をしていたら、遊んだり飯を食ったりして、なんか楽しそうにしている人が多かったからだ。

すると、今朝目覚めてみたら、雪がチラホラ降っていた。思い通りになったかと思っていたのだが、昼を過ぎてもずっと降り続いて、かなり積もってきた。
ここまで来ると、スタッドレスを履いていないうちの車はもちろん、自転車どころか徒歩でも出かけられない。エライことになってきた。

雪が降って楽しいのは子供だけで、大人になると面倒なことばかりだ。ただ、うちの犬だけは毎年、雪が積もると嬉しそうに庭を走り回る。同様にあるとおり、庭駆け回るのである。

そう思って庭に出してみたら、うちの犬がガタガタ震えてやがる。いかにも寒いというアピールをして、すぐに家に入ろうとする。
前まではそうじゃなかったのだが、もう6歳という年寄り犬になって、寒さが苦手になってきたのであろうか。

庭で遊ぶ様子もなく、さっさとリビングに帰りたがり、暖房の効いたリビングで、自分のベッドから動かない。

犬も引くくらいの寒さは、三が日の間も続きそうだ。
まあ、元から犬の散歩以外家から出るつもりがなかったのでどうでもいいのだが、犬がこの調子だと、散歩も行きたがらないかも知れない。

 

 さむいさむい

 

動かざること山の如し

 

 

昨日の産経新聞朝刊に、大阪府が部落差別に繋がるような土地調査を禁止するよう、大阪府の部落差別調査等規制条例の改正案をまとめたとあった。

現在、どこの都道府県にも、興信所などが被差別部落出身者であるかの身元調査をすることを禁止する条例がある。大阪府はそれに一歩踏み込んで、不動産情報としてリサーチ会社が調査を行う際、同和地区であったかどうかなどの調べることも許さないとするらしい。

大阪の橋下府知事は、幼い頃に東京から大阪に引っ越してきたとき、同和地区に住んだおかげで、「同和差別がどのようなものか分かった」といい、部落解放同盟などが訴える同和関連事業の継続などに理解を示していた。
橋下府政らしい政策だろう。

いいことなんだろうけども、土地調査を禁止したところで、部落差別がなくなるとは思えないし、大して好転もしないだろう。

私の会社の先輩社員の実話を書く。

先輩社員は九州のド田舎の出身で、就職で今の会社に入り、大阪に住むようになった。そして家庭を築き、住宅ローンを組んで大阪府内に家を購入した。
そこまではよかったのだが、新居に越したときから、近隣住民の迷惑な行動に悩まされていると言っていた。

その悩みとは、結構な頻度で、自分の家の前に駐車するヤツがいるとのこと。一度、迷惑だと注意したら、ヤクザみたいにすごんできたので、恐ろしかったと言っていた。
先輩が近所の人から聞いた話では、先輩が住む地区のすぐ横に大きめの同和地区があって、そこのヤツがどういうわけか、少し離れた先輩の家の前の道に車を止めるらしい。

わざわざ誰かの家の前に駐車する意味が全く分からないのだが、とにかくよく、家の前に同和地区に住むヤツの車が止まっていて、注意しても改めないから迷惑しているというのは確かだ。

部落差別やら同和地区をよく知らなかった先輩が、「どうすればいいかな?」と訊く。私は「どうしようもないでしょ」としか答えられなかった。
実際、そうだからだ。

こうやって書くと、部落解放同盟などに近い人たちが、「そういうことを書くことこそが、部落差別がある証拠だ」などと言うわけだが、実際そうなのだから仕方がない。
「同和地区の人が…」と思うことが差別となるらしいが、これが同和問題でなければ、町内会などで厳しく対応することで何とかなることが多い。だが、同和問題がからむと、面倒を避けるために抗議すらしないことが殆どだ。実際に、同和問題が絡んで何ともアクションが起こされないのだから、触れないわけにはいかない。

別に同和だから人の家の前に迷惑駐車するとは言わないが、同和の笠を着て、調子に乗ったり人を脅かすヤツがいることは確かで、それは確実に問題であろう。

ハッキリ言って、こういう問題が起こると、経験則から考えても、どうしようない。
そういうのが面倒だから、皆が同和地区や、その近隣に住みたがらないのである。

これは誰の差別なのか。面倒を避けたいと思うことが差別なんだとしたら、もうそれでいいだろう。
ただ、同和問題について何の偏りもなく、何とも思っていなかった先輩が、同和についての考えに偏りが生じ、好ましく思わなくなったことは確かだ。

これは、先輩の考え方が差別に基づく悪い考えなのだろうか。
私には、とてもそうは思えないのだが。

 

強迫観念というのは、誰にでもあると思う。それがいきすぎると、強迫性障碍とか、強迫神経症と呼ばれる病気になるが、そこまでは行かなくても、全くないという人はいないんじゃなかろうか。

よくあるのが、潔癖症と、いきすぎた確認行為である。
潔癖症はいちいち説明する必要もなかろう。
確認行為は、火の元や戸締まりが気になって仕方がないというものだ。

私の場合、嫁さんが旅行や帰省で家にいないとき、ひとりで家に寝泊まりし、出勤することになるのだが、家を出たときに、電気が大丈夫かが気になる。
我が家はオール電化なので、ガスはないのだが、家電の電源を不用意に入れっぱなしにしておくと、ごくごく稀に熱を持ったりすることがあって、火事に至る場合がある。
そんなこと、日本の一流メーカの家電であれば、ビルの上から落ちてきた植木鉢に当たって死ぬくらい滅多に起きないことなのだが、HDDレコーダの主電源を落としたか、電源を入れる必要のない家電のコンセントは抜いたか、気になるのである。

ただ私の場合は、家を出てすぐ気になるが、1時間もすれば忘れてしまうのだが。

この程度の強迫観念であれば、何ら生活に困ることがなく、何でもいいかと思ってしまう。
だが、それがいきすぎてしまうとどうだろうか。強迫観念に振り回される状態になると、とてもじゃないがマトモな生活など送れなくなるだろう。

かなり前の話だが、高校生の時分に、京都駅前のアバンティの近くにあった駿台予備校に夏休みの間だけ通っていた。
そのとき、京都駅からアバンティ方面の地下に降りる階段のところで、上ったり下りたりする女の人をよく見かけた。

私はマンウォッチングが好きなので、しばらくその女性を眺めていたのだが、どうも、階段を上り始める足と、上り終える足が決まっているようで、階段の段数が合わないと気に入らないので、上り直したりしているらしかった。
階段の段数は何度上っても変わらないわけだが、そこは本人の決まりみたいなものがあって、10分ほど何度もやり直して、ようやく納得して階段を上り終えていた。

階段に出くわす度にそんなことをしていていては、これまでの人生で、階段の上り下りでさぞムダな時間を使ったことだろう。階段だけではなく、もっとほかにも強迫観念にかられた行動をしているに違いない。
私が見た女性は、その後の何十年の人生、ずっと時間をムダに使い続けるのであろうか。

ムダだと思っていても、やらずにはいられないという強迫観念に駆られる人物の代表として、プラスマイナスの岩橋という芸人が挙げられるだろう。
プラスマイナスは、そこそこ売れているし、「セボン」のCMにも出ているから知っている人も多いかも知れない。

岩橋は頭に浮かんだやってはいけないことをやってしまうという性分で、数々のお笑い番組で、その奇行が数多く伝えられている。
例えば、女性器の俗称を言ってはいけないと思いながら、家族との食卓で大声で叫んだり、ラジオの生本番で、リスナーに分からないようにさりげなく言ってみたりしている。
買ってきたCDを、折り曲げてはいけないと思いながら、開けてすぐに折ってしまったりもした。

どう考えても普通ではなく、病気と呼ばれても仕方がないのだが、岩橋はその強迫観念に基づく衝動の回避行動をいつも取っている。
手の甲でアゴを打ち鳴らすとか、ボディビルダーのようなポーズを取りながら「ヘミングウェイ」と叫んだり、腕を組んで足を伸ばして突然座り、「ギューン」と言うなどの行為である。

ここまで来ると異常で、とてもじゃないが普通の社会人としてはやっていけないだろう。
だが、岩橋は芸人であるのだ。芸人だと、そうやっても笑えるし、実際に岩橋は逆転の発想で、それをテレビで前面に押し出している。

岩橋は自分が「やってはいけないことをやってしまう性格」と前置きし、その回避行動のためにヘンなことをいろいろやってしまうと説明した上で、滑稽にしか見えない行動をいろいろやってみせる。
それがめちゃくちゃ面白いのだ。

はっきり言って、岩橋レベルの強迫観念になると相当深刻であると思われるが、本人がそれを前向きに捉え、逆に自分の特徴として活かしているのである。
それは素晴らしいことだと思う。

2009年9月9日の産経新聞朝刊に、曽野綾子氏がコラム「透明な歳月の光」で個人の特徴ともなる病気の話を書いていて、私はその内容に心を打たれた。
曽野氏は、次のように書いていた。

 

人間には多分、治す必要がない、というか、治してしまったらその人でなくなるという病気のような特徴がたくさんあるのであろう。私たちは、それと腐れ縁で仲良く付き合って生きていけばいいらしい。幸いにも私はスポーツ選手ではないから息切れしてもいい。小説は剛胆な人でも書けるのだろうが、恥ずかしいほどの小心な性格でも悲しい人生を書くことは可能だ。

自分らしい欠点は誰でも残しておけばいいのである。それが私が私たる所以だと自覚すれば自然になれる。その性格を利用して私たちは仕事をすればいい。いや、それどころか、その特徴がなかったら、私たちは存在の理由さえ失うと思えば、自分にも他人にも寛大になれるのである。


これは、まさに岩橋にピッタリの言葉である。
岩橋自身、自分が病気だと思っているのかどうかは知らないが、端から見ればリッパな病気だろう。

だが、岩橋は強迫観念を自分のアイデンティティとしてテレビに出演し、人々を笑わせている。
本人がどう思っているかは知らないが、私は岩橋が面白いと思うし、そしてスゴイとも思う。
 

 

24日から26日まで、ブログを更新しなかった。
どうも最近体調が思わしくなく、急に冷え込んだことも相まって、風邪を引いてしまい、体がだるかったからだ。
別に更新しようと思えば幾らでもできたが、新聞を読む気も起きず、インターネットも休みの日はあまりやらないので、あまり何かについて考える気が起きなかった。

私は少々の熱でも平気で、40度の熱があってもビッグマックを食べたくらいだが、さすがにこの歳になると37度を超えていたら、無理をしないようにしてしまう。
無理すると熱が上がってしまうからだ。
今年は28日まで仕事なのだが、28日に客先に提出しなければならないものあって、どうしても27日、28日が休めないので、とりあえず大人しくしていたのだ。

クリスマスのときにブログを更新しないと、何かエロいことでもやっていたのかと思われるかも知れないが、何もなかった。
血精液症はだいぶ改善したが、それでもしばらく、なんぞやろうとは思えないのである。

どういうわけか知らないが、日本のクリスマスは2種類ある。子供にとってはプレゼントが貰える日で、それはいい。大人ににとっては、セックスをする日みたいになっっている。
これは一体何なんだろうか。

だから、クリスマスシーズンになると、それを気にする人ばかりになる。
学生時分、アルバイト先で、24日の夜のシフトを空けるヤツが多すぎて辟易した。彼女がいようがいるまいが、とにかく休まないと恥ずかしいと思っているヤツが多く、どう見てももてそうにないのに、24日に休むのである。
私は、彼女がいるとかいないとか、そういうことを人にどう思われても全く構わないので、毎年クリスマスはバイトをしていた。

私は今、PS3の「コール・オブ・デューティ ブラックオプス」というゲームをやっているのだが、それに関する2ちゃんねるの掲示板で、クリスマスにどうするかという書き込みもまた非常に多かった。
オンライン対戦が主になっているゲームなのだが、登録しているフレンドには何のゲームをやっているか分かるようになっていて、クリスマスのときに戦争ゲームで人殺しの対戦をやっているのを見られるのを恥ずかしいと思っている人が多い。
フレンドが、クリスマスのときにオンラインになっていなかったことについて、「格好つけやがって」と書いているのもあった。

彼女がいる人も、既婚者も、週末だからオンライン対戦をやっている人が多いわけだが、それでも誰がオンラインになっているとかなっていないとか、気になる人がやたらにいるのである。

それもこれも、クリスマスを恋人たちの日として、セックス祭りに仕立て上げた日本が悪いのだろう。よその国でも似たようなもんかも知れないが、日本は結構ヒドイ部類に入るような気がする。

何年か前の12月24日から25日にかけて、トラブルで東京に行ったことがあった。家でご馳走とケーキを食べるはずだったのに、勝手にブチ切れているアホな客に説明したり、現地調査をしたりして、ビジネスホテルに泊まった。
夜7時頃にビジネスホテルのロビーで、先輩社員と翌日の作戦を練っていたのだが、次々とカップルがやって来る。本当に、ぞろぞろとやって来るのである。
主に学生らしき若いヤツらばかりなのだが、クリスマスイブにビジネスホテルに泊まって、セックスをするつもりらしい。

「ラブホテルはいっぱいで、シティホテルは高い。だからビジネスホテルで」というつもりらしいが、仕事で来ているこっちにとっては、何だか腹立たしい気分になった。「俺たちはアホな客に振り回されて、わざわざ出張に来てるのに」というやっかみである。
ホテルのフロントにいる従業員も、全く同じことを思っていただろうし、25日にツインやダブルの部屋を掃除するパートのオバハン連中もたまったもんじゃなかろう。

いつから、クリスマスはセックスをする日になったのであろうか。
別に私はキリスト教徒じゃないので、キリストの誕生を祝うつもりなんかないし、それをやれとも思わない。ただ単に、ケーキやチキンを食べ、子供にプレゼントをやる日でいいではないか。

クリスマスに誰を過ごすかで見栄を張ったり、しょーもないことに気を遣うのはムダな気がする。
なにより、スーパーや飲食店など、アルバイトを多く雇う店の従業員がシフトを組むのが大変だろう。東京では、クリスマスイブの夜には、コンビニやレストランなど、どこに行っても中国人アルバイトしか仕事をしていなかった。

クリスマスに踊らされている大勢の人を見ると、何だか日本がバカみたいに思えて仕方がない。

 

さかなクンは、半ば芸人半ば文化人のイロモンタレントかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

今月中頃、さかなクンが70年前に絶滅したと思われていたクニマスの発見に貢献したというニュースがあった。
京大の教授がイラストレータでもあるさかなクンにクニマスのイラストを依頼した。そこでさかなクンは、イラストの参考にするため全国各地から近縁種のヒメマスを取り寄せたところ、山梨県の西湖から来た分だけほかと特徴が異なったため、京大の教授の下で解剖やら遺伝子解析やらをしたところ、西湖の"ヒメマス"は、絶滅種とされていたクニマスであったことが分かった。

凡人にはよく分からんが、学術的にはなかなかの発見らしい。天皇誕生日を前にした昨日の天皇陛下の記者会見で、ノーベル賞受賞や「はやぶさ」の帰還と並べて、クニマスに言及され、「この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々がかかわり、協力したことをうれしく思います」と述べられていた。
天皇陛下が記者会見で名指しで称えられたのだから、これはスゴイことなんだろう。

このクニマス再発見のニュースだが、いろいろ後日談があった。
NHK広報局がツイッターで「さかなクン!ヽ(*´∀`)ノ」というツイートを書き込んだところ、フォローしている人たちから「さんを付けろよ、デコ助野郎」などとツッコミが入った。
NHK広報局慌てて、「さかなクンさんを呼び捨てにして申し訳ございません」などとマジメに謝罪のツイートを書くハメになった。

だが、「さんをつけろよ、デコ助野郎」というのは、アニメ映画の「AKIRA」で、主人公の金田が呼び捨てにされたときに言ったセリフで、ネット上ではいわば"コピペ"のようなものであり、ほかの「さんを付けろよ」などというリツイートも、普通に考えれば本気で書かれたものではなかった。
さかなクン本人や事務所も、「さんは不要」としており、結局はNHKの広報がクソマジメに対応したのをネットユーザが微笑ましく見たというニュースであった。

で、昨日の天皇陛下の会見では、「東京海洋大学さかなクン客員准教授」ではなく、「東京海洋大学客員准教授さかなクン」となっていたのが、ミソに思えた。京大の教授は「京都大学中坊教授」とされており、陛下がNHK広報の騒動をご存じであったとは思えないが、会見の原稿に関して何が助言があったのかも知れない。
ただ単に「さかなクン客員准教授」では変だからかも知れないが。

それにしても、さかなクンにとっては、記者会見で天皇陛下に言及して頂けたのだから、喜びもひとしおに違いない。
ノーベル平和賞を取ったとか、宇宙飛行したとか、すごい人でないとなかなか天皇陛下の記者会見の原稿には出てこないだろうから、さかなクンはすごい人ということになる。

実際、すごいかどうかはともかく、マジメなのは分かった。
仕事でクニマスのイラストを描いてくれと言われたら、絶滅種であるし、適当に図鑑でも見ながら描くもんかと思っていたら、近縁種を取り寄せて、それを参考にしながら描く姿勢には恐れ入る。
さらに、取り寄せた魚の特徴の違いを発見し、知的探求心から徹底的に調べる姿勢も、まさに研究員である。

また、さかなクンがいいと思うのは、魚が大好きでありながら、「おいしく頂きます」と公言しているところだろう。魚が好きで、魚が食べることも好き。魚をおいしく食べることが、魚への愛だとさかなクンは言う。

さかなクンの爪の垢を煎じて、シーシェパードの連中に飲ませてやりたいものだ。
まあ、ヤツらは、さかなクンとは違って、クジラが好きだとか、学術研究のために活動をやっているのではなく、金儲けと日本人叩きのためにやっているのだから、元から天と地ほどの差があるのだが。

 

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