先っちょマンブログ

2011年01月

今日の産経新聞の1面に掲載された、北沢防衛大臣直轄の防諜部隊が、保守系集会に参加している現役隊員を監視しているとういスクープ記事はよかった。

くだんの防諜部隊は、「自衛隊情報保全隊」と呼ばれ、2年前に機密保全の強化や自衛隊に対するスパイ活動の情報蒐集の効率化を図るため、防衛大臣直轄の部隊として新編された部隊だ。
その部隊が、自衛隊OBで代議士の佐藤正久議員(ヒゲの隊長)や、元航空幕僚長の田母神俊雄氏の講演に潜入し、現役隊員の参加情報を監視しているというのだ。

民主党政権にとっては、佐藤氏や田母神氏の保守系集会は目障りなものかも知れないが、どう考えても普通の考えの持ち主たちであり、現役の自衛隊員が参加しても何ら問題ない。
むしろ、積極的に参加すべきだと思うくらいだ。

枝野幹事長は今日の記者会見で、「事実と認識してない」と主張したが、その含みを持たせた言い方からすると、恐らくあとで認めることになるのだろう。
そして、「保守系集会へ参加した自衛隊員の情報を集めて何が悪い」と開き直り、逆ギレするに違いない。

集会が、共産党による赤化集会だとか、カルト宗教の変なセミナーだったら監視するのも理解できるが、ごく普通の保守系の集会を監視するとはただごとではない。
つまりは、国の在り方だとか、国益だとかを考える集会に自衛隊員が参加することは健全ではないということか。

大臣直轄の防諜部隊が、ありとあらゆる集会を監視していれば別だが、そういうわけでもあるまい。

そうなると、保
守系集会に参加していた自衛官は、今後参加しにくくなる。監視されているということは、上(大臣)がよろしくないと考えているということであり、その考えに背くようなことをすれば、将来に響く。
自らの出世を顧みずに、信念を貫き通せる人がいればいいが、自衛官といっても普通の人だし、そうではなかろう。

私はこのニュースを新聞で読んで、小説「チャイルド44」で読んだスターリン体制下のソ連を思い出した。国中、至るところに監視の目があり、気にくわないヤツは密告で消してしまうこともできた国の話だ。
公的組織に勤める人間は、警察官でも国家保安員でも全て監視され、政府の反動勢力と見なされた人物は、容赦なく蹴落とされた。

北沢防衛大臣が保守系集会に出席している現役自衛官の情報を集めて何をするつもりかは知らんが、絶対によくないことには間違いない。
産経新聞は「自由が危ない」という特集で報じているが、まさにその通りだと思う。
ごく普通の保守系集会にも自衛官が参加できない世の中って、それでいいのだろうか。

サヨクの連中は、保守系の政治家が政権を握ると世の中が窮屈になると訴えるが、実際はサヨク政治家が政権中枢にいる方が、よほど窮屈になるではないか。
民主党は、自衛隊の催し物で、民間人が保守的な発言をしてはいけないと規制をかけ、平気で言論弾圧をしている。
お次は、自衛官の監視である。

さあ、お次はなんだ。

 

田原総一朗が拉致被害者の有本恵子さんらの安否について、「外務省も生きていないことは分かっている」とテレビで発言したことに対する裁判で、大阪高裁は神戸地裁の判決を覆し、外務省高官への取材テープを出さなくていいという判断を示した。
まあ、そうなるだろうとは思っていたが、何か釈然としないものがある。

有本さん夫妻にとったら堪ったもんじゃない。北朝鮮に拉致された自分の娘について、アカの他人が「死んでるって外務省も言ってるだろ」と言われたら、腹が立つというレベルではなかろう。
しかも「証拠なんか出せるわけないだろ」と言われたら、怒りは尚更だろう。

田原総一朗が言いたいことはこうだろう。
「拉致被害者なんかみんな死んでるから、北朝鮮に要求してもムダだ」

朝日新聞が社説で、「拉致被害者家族は日朝国交正常化の妨げ」と書いたが、結局は田原総一朗も同じことを言いたかったのであろう。

取材源の秘匿はマスコミにとって最も重要なことだから、さすがの産経新聞でも大阪高裁の決定に異議を唱えることができなかった。
確かに、裁判で取材源が最終的に公開されるのであれば、誰もマスコミに情報をリークしなくなるだろう。悪人の悪行を明らかにするマスコミにとっては、それは困った事態になる。

それは十分に分かるのだが、田原総一朗のような無責任発言はどうなるのだろうか。誰が言ったか分からないことを言い伝えても問題ないのであれば、他人を貶め放題ではないか。

例えば、「仙谷由人が少年を買春したかどで、捜査が行われていると警視庁の人間が行っている」とテレビの情報番組で誰かが発言したとしよう。
どんなデタラメでも、それを見た視聴者に「へー、仙谷はホモのショタコンなのか」と思わせることができるし、何より仙谷の名誉を著しく傷付けることができる。

忘れてはならないのは、「証拠が出せないことは事実ではない」ということだ。
何年か前に産経新聞が、三重県の高校が夏の甲子園で学ラン姿の応援を禁止したことについて、「海軍を彷彿とさせる」というクレームに学校側が屈服したからだと報じた。
それに対し、朝日新聞が「そのような事実はなかった」と報じたのだが、産経新聞はその情報の提供者を示すことができず、それどころか、誰かも分からないという信じれない話だった。
結局、「事実ではなかった」ということになり、産経新聞が捏造したことになってしまった。

マスコミに提供された情報を何でも鵜呑みにするのではなく、誰もが自分で何を信じ、何を信じないのかを考えられればいいのだが、実際には言うのは簡単で、やるのは難しい。

ただ、無関係の人間がどう思うかはさておいて、今回の田原総一朗の発言が有本夫妻を傷付けたように、ターゲットを幾らでも傷付け放題にできるのは問題だろう。
幾らか賠償金は払わねばならない事態になるかも知れないが、その程度の出費で攻撃したいヤツを貶めることができるのであれば、安いものかも知れない。

他人のいい加減な言葉を引き合いに出し、事実でないことを事実であるような報道をすることを、マスコミやジャーナリストが自重してくれりゃいいが、今までのマスコミを見ると、それだけは絶対にできないだろうと思わずにはいられない。

 

私の性格を一言で言い表すと、"イラチ"である。ややニュアンスが異なるが、短気という意味だ。
とにかく待つことが何よりも嫌いで、少しもガマンできない。

ゆっくり歩くこともができない。ゆっくり歩いたら死んでしまう。
「クイック」という薬を飲んだドラえもんみたいなもんである。

有名料理店に並ぶのも無理だ。ラーメン屋やらレストランなど、有名店に行列ができているらしいが、タダで食べられるのならともかく、正規料金を払わなければならないのに、さらに何十分も待たねばならないなんて、正気の沙汰ではなかろう。

そんな性格だから、とにかく混んでいるところに行くのが嫌いだ。なぜわざわざ混んでいる場所に赴かねばならないのか。
人混みならまだガマンできるが、混んでいる場所というのは、駐車場がシャレにならんくらい混んでいる。
とにかく、駐車場に車を駐められないというのがガマンならん。車をムダにとろとろ走らせて、スペースが空くのを延々と待たねばならない。
さらに腹立つことに、「空いている」と思ってそこへ行ったら、軽自動車が駐車されていたりして、怒りと落胆の気分を同時に感じたりする。

私が住む滋賀は、交通機関が発達していないので、買い物に行くのに車を使うヤツばかりだ。私を含めてどいつもこいつも車で買い物に行くから、駐車場はどこも混んでいる。

だから私は、好きなDIYの店に行くときなどは、開店時間と同時か、閉店間際に行くことにしている。そのどちらかなら、駐車場がすいていて、空き待ちをする必要もない。

昼間に車ででかけると、駐車場に駐車するのに腹立たしくなることが多いわけだが、混んでいるという理由以外にも、駐車場ではムカつくことがある。
随分前から問題になっている、身体障碍者の乗降用に儲けられた特別駐車スペースに、平然と駐車する健常者が多いことだ。

そいつらの中には、車に車椅子のステッカーが貼ってあって、「自分には駐める権利がある」と主張しているのがいるが、どう見ても乗っているヤツが健常者で、同乗者も健常者しかいない。

先日も、嫁さんがスーパーで買い物をしている間に、駐車場の車の中で待っていたとき、身障者スペースに駐める車があった。
安物の軽自動車を改造したアホ丸出しの車だったのだが、車から降りてきたヤツが、絵に描いたようなロクデナシで、見た目が低能丸出しの太ったオッサンと、金髪のヤン毛を伸ばし、これまた金正恩のように太った小学校高学年くらいのガキだった。

バカな親に育てられると、子供もバカになる。バカの連鎖は止まらないという証拠を見たような気がしたのだが、同時に、そのオッサンを見て思った。
「身障者向けスペースに駐めたことオッサンは、知恵遅れなのかも知れない」と。
度を超したバカは、知性に問題があるから、堂々と身障者スペースに駐車できるのかも知れない。

嫁さんにこの話をしたら、「そんな話、人前でしないように」と言われた。
確かにこうやって書くと、問題があると言われるかも知れないが、バカ丸出しの行動を見ればそう思わずにはいられない。

ただ、付け加えるとするならば、私がみたオッサンのような連中は、道徳心の欠片もないのだから、人として間違っている。
社会のルールも守らず、「駐車したいところに駐車する」という考えそのままに行動したのでは、まるでやりたいことをやるだけの畜生ではないか。

 

今朝の産経新聞朝刊の記事に、厚生労働省が「人体の不思議展」で展示されている人体標本について、「遺体」との見解を示したとあった。産経新聞のスクープのようなもんである。
産経新聞の報道を受け、現在、京都市で「人体の不思議展」が開催されていることから、京都府警も捜査に乗り出した。

さらに、昼過ぎには、それがあったからかどうかは知らないが、京都市在住の大学教授が、精神的苦痛を理由に「人体の不思議展」を訴えるというニュースまで流れた。
恐らく、「人体の不思議展」を快く思わない人物が訴訟を起こしたのだろう。

関西の電車には、「人体の不思議展 最終展示 2012年で終了」という車内吊りがぶら下がっている。
何年も前から週刊誌で、いろいろ胡散臭い話が出ていたので、車内吊りを見る度に「誰がこんなもん見に行くのか」と思っていた。怖いもの見たさで見に行くヤツが多いのだろうが、今回のニュースで、本当に終わってしまうだろうから駆け込みで見に行くヤツがぐっと増えるかも知れない。

元々、「人体の不思議展」は、主催者である人体の不思議展実行委員会の実態が明らかでなく、とにかく胡散臭いと言われていた。
学術向け展示会とされているが、商売でやっているのは明らかである。
そしてなにより、人体標本の出所がさっぱり分からないということである。

主催者は、「中国で献体された人間」だとして、あくまでも出所はキレイで、正当であると主張しているが、証拠なんか何にもなく、めちゃくちゃ胡散臭い。
週刊誌報道によると、「人体の不思議展」の標本は中国人ばかりで、しかも死刑囚が多いとあった。
中国では死刑執行された死刑囚の臓器売買が盛んだが、それと同じで、人体標本もそれ用として売られたものではないかという疑惑が常につきまとっている。

「人体の不思議展」で見せ物にされている標本は、「プラスティネーション」という技術で、死体の水分を合成樹脂に置き換えたものだ。
ドイツ人解剖学者のグンター・フォン・ハーゲンスというヤツが発明した技術らしく、昔はハーゲンスが中国に所持していた死体加工工場で作られていたが、今では「プラストミック」という名前で、中国人が模倣して勝手にやっているらしい。

いずれにしても、人権を屁とも思わず、生に対する尊厳もない中国人が関与して、開催されているのが「人体の不思議展」だ。
そんなもんに1500円もの入場料を払って、しまいにはお土産まで買っていては、胡散臭い主催者や、中国人を儲けさせるだけである。
だから、私は「死んでも行かない」と思っていたのだが、そんな信念などなくても、どうせもうすぐ、どうやっても行けなくなるのだろう。

 

私が勤める会社で、同じ部署だった後輩社員が会社を退職した。理由は、「教師を目指すため」である。
まあまあ有能な後輩だったので惜しいのだが、沈みかかった泥舟のような三流クソ会社で働き続けるより、公務員の教師になった方が100万倍いい人生を送れるだろう。

その後輩は高校の数学の教師になるらしい。
採用倍率などが気になるのだが、後輩曰く、高校の理系教師は数が少なく、競争率が低いから教師にとして採用されやすいのだそうだ。

その後輩の送別会で、「女子高生に手出すなよ」というお決まりの話が出たあと、「モンスターペアレントとかはどうなん?」という話になった。
後輩曰く、さすがに高校くらいになると、いちいち怒鳴り込んできたり、ごちゃごちゃ言ってくる親も少なくなるらしい。小学校あたりがヒドイのだそうだ。

私には子供がいないし、小学校の教員に知り合いもいないので、モンスターペアレントの現状はよく分からないが、何となく様子は伺い知れる。

犬の散歩でよく小学校の近くを歩くのだが、私が散歩をする週末には、野球部の小学生らが野球の練習をやっている。

私も小学生の頃、野球部で野球をやっていた。私の頃は、監督がめちゃ厳しくて、土日は朝から日没までいつも練習だった。
練習には、監督とコーチが来るだけで、練習試合のときに車で送るため以外は、保護者が来ることは殆どなかった。

ところが、最近の小学生の野球部の練習を見ていると、母親がうじゃうじゃ来ている。
私が見る度、毎回10人くらいのクソババアども来ていて、ごちゃごちゃお喋りをしているのである。子供の練習を見つつ、親同士で情報交換したり無駄話をしたりしているのであろう。
アホな時間の使い方である。

それだけならまだいいのだが、小学校の野球部のコーチをやっている同級生に聞いたところ、練習や試合での選手起用にごちゃごちゃ口出ししてくる保護者が本当に多いらしい。
「自分の息子を試合に出せ」とか、「こういう練習をしろ」と、どう考えても野球を経験したことのないオバハンが、さも正論であるかの如く、厚顔無恥な態度で進言してくるのだという。

コーチをやっている同級生は、毎回それを拒否したり、理由を言うのが本当にめんどくさいとぼやいていた。そらそうだろう。
私だったらまっぴらゴメンである。

野球部でそれなんだから、小学校に対しても同様であると容易に想像できる。
勉強できないバカな児童の親が「授業が悪い」と文句を言ってきたり、遠足での集合写真がどうとか、運動会がどうとかクレームを付けてきて、それにいちいち対応せねばならないことを考えたらウンザリする。
昔は、教職は尊敬される仕事であったはずだが、今ではどこぞのサポートセンターの人間のように、ただ文句を言われるだけの存在になってしまった。

仕事で、頭が悪くて低能という以外ないクレーマーみたいな客を相手にしたことがあるが、そういうのは一時的だったら耐えられる。恒久的だったら、精神がおかしくなってしまうのも仕方がない。
教師に鬱が増えているのは、鬱判断の裾野が広がったとかいうのもあるだろうが、むちゃくちゃな親が増えたのが一番の理由だろう。

今日のニュースで、小学校の女性教諭が、担任をしている児童の両親を訴えたというのがあった。
訴えられた両親は、「教師こそ子供を苛めている」とアホみたいに見える反論をしている。

どっちの言い分が正しいのかは分からないが、経験則で言うと、多分教師の方が正しいのだろう。そんな気がしてならない。

教師はやりがいのある仕事なのかも知れないし、公立の学校で採用されたら公務員になれるのだからいい仕事かも知れないが、もれなくモンスターペアレントが付いてくることを考えると、なるもんじゃないように思える。

 

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