先っちょマンブログ

2011年02月

「Yahoo!知恵袋」など、コミュニティ形式のQ&Aサイトがある。私のイメージでは、バカ御用達のサイトだ。

質問するヤツのパターンは大体2種類で、ひとつは、インターネットで検索すれば答えが出てきそうな質問をするヤツ。2ちゃんねるならば、「ググレカス(ggrks)」などと言われる質問だ。

仕事でよくC言語の関数についてネット検索するのだが、「Yahoo!知恵袋」が検索結果によく出てくる。
海外のQ&Aサイトは、結構専門的な質問がひっかかるが、日本のそれは、大学の授業で出された課題をそのまま「どうプログラミングすればいいですか?」などとバカ丸出しの質問をしているものが多い。
自分で調べたり考えたりするつもりは全くないらしい。

そして、質問パターンのもう1種類が、答えが分かっているのにやる質問だ。よくあるのが、「竹島は日本の領土なのに、韓国が…」とかいう質問で、どう考えても、質問者がある種の答えを期待しているのが分かる。
いったい何のために質問をしているのかが不明だ。

いずれにせよ、しょーもない質問ばかりで辟易するわけだが、それに一生懸命答えているヤツが多いことに驚く。
本当にカスみたいな質問でも、たくさん答えて、そのサイトからポイントを貰って、"いい回答者"になりたいと思っているのだろうか。
しょーもな過ぎる質問をするヤツは甘やかさず、「てめえで調べろカス」と回答すべきであると思うのだが、世の中にはいちいちちゃんと回答する奇特な人が多いと思う。

いちいち答えるヤツがいるから、京大などの入試の最中に、試験問題についての質問を「Yahoo!知恵袋」に出すヤツがいるのだろう。
ここ数日世間を騒がせているこのカンニングには、ご丁寧にも、質問を出して10分ほどで回答がついていたそうな。

質問するヤツも質問するヤツだが、いちいち回答するヤツも「どれだけ暇なんだ」と思わずにはいられない。

このカンニングを予防するのは簡単だ。
試験会場で、携帯電話やPHS、WiMAXなど、通信手段となりうる無線通信機器を使えなくするために妨害電波を出す装置を置けばいい。映画館などでは既に携帯電話を強制的に圏外にするため、そのような装置が置かれている。
トイレなど途中で中座した場合が問題だが、そう何度も中座するわけにはいかないだろうから、試験会場にあるだけで十分だと思う。

個人的には、「Yahoo!知恵袋」みたいなサイトがなくなればいいと思うのだが、それがなくなっても根本的な解決にはならないだろうから、やはり強制的に携帯電話などを使えなくするようにすればいい。

 

自分が花粉症ではないかと思ったのは、10年ほど前の2月頃だった。
外を歩いていて、くしゃみと同時に鼻水が垂れ、「あれ?」と思ったのがきっかけだった。

花粉症じゃないかと思い始めて2~3年は症状が酷かった。嫁さんに「当時、よく鼻水を垂らしていた」を言われたのだが、一番酷いのが頭痛だった。どうもヒノキ花粉に特に弱いようで、4月頃から頭痛に悩まされることになった。
鼻水、くしゃみ、目のかゆみより、頭痛が酷いと何にもできない。連休明けの花粉の飛散が収まる頃まで、毎日が地獄だった。

ところが、最近は花粉症の症状が酷くなくなった。原因は全く不明だ。鼻水は垂れなくなったし、頭痛も酷くなくなった。
注射を打ってるわけでもなく、最近はやりの減感作療法もやっていない。
もしかすると、社会人になってから、風邪を引きたくないという理由で、寒くなる時期に毎朝鼻うがいをやっているからかも知れない。思い当たることはそれくらいだ。

まあ何にせよ、症状が緩和してよかった。

花粉症は、多くて日本人の3割が悩まされているという。まさに国民病であるのだが、行政は何もしようとしない。
春に花粉症対策で儲かる製薬会社の陰謀としか思えないくらい、行政は何もしていない。金を貰っているとしか思えん。

花粉症患者を減らすには、そこら中のスギの木をどんどん切ればいい。
そのことを、「ホンマでっか!?TV」で環境評論家の武田邦彦教授が訴えていたのだが、何も知らない明石家さんまは、「あんたは環境評論家でしょうが」とツッコんでいた。

さんまは、武田氏がどういう立場の環境評論家であるか全く分かっていない。それに、環境評論家→自然を大切にする→木を切らない、という単純な考えに支配されているようだ。
そんなだから、経済評論家の門倉貴史が、番組の出演を辞退することになるのだろう。
まあ、門倉の場合、自ら進んでおちゃらけたキャラをやっていたフシがあるのに、何を今さら番組にケチを付けているかと思うわけだが。

それはさておき、武田氏が言うように、スギはこの際全部切ればいい。
外国産の安いスギが入ってくるようになり、国内のスギを誰も買わなくなり、スギ林が切られず、間伐すらされずに放置されているのが、すぎ花粉の原因だ。ヒノキも同様だろう。

行政がスギを根こそぎ切り倒せばいいのだ。スギが生い茂ると、スギ林の下は日陰になり、ほかの植物が育たなくなる。
人間に迷惑をかけるばかりの放置スギを切って、代わりにブナやナラなどの広葉樹を植えれば、それが育てば熊の食料になり、冬眠前に人里に熊が下りてくることもなくなるだろうに。

スギ花粉症対策になり、熊の被害も減る。人にも熊にも得になり、まさに一石二鳥ではないか。
税金は、そういうことに使って貰いたい。

 

サヨクの人たちは先の大戦のことについて、「ドイツは素直に謝っているのに、日本は謝らない」とよく言う。
いろんな国に賠償金を山ほどふんだくられ、ことあるごとに政治家が土下座と同じくらいの謝罪をしているというのに、どこらへんが足りないのだろうか。

そこらへんは全く理解の範疇を超えているのだが、そういうことを言う連中は、「ドイツはユダヤ人に繰り返し謝罪している」と主張するが、ことはそれほど単純ではない。
ドイツがホロコーストなどについて謝っているのは、簡単に言うと、「戦争当時、ナチスの連中がご迷惑おかけしてスミマセン」というものだ。
「ドイツ人が悪いことをした」ではなく、「ナチスに所属していたドイツ人が悪いことをした」という認識である。

ところが日本の場合は、まずホロコーストと違って、南京虐殺みたいなもんがなかったことはひとまず置いておくとして、「日本軍が悪いことをした」ということになっていて、すなわち「日本人全員が悪いことをした」というようになっている。
「オレは関係ないけど、ナチスは悪かった」というように、責任転嫁できるナチスのような存在がない。
訳も分からず謝罪すると、全部日本が、日本人が悪いというようになってしまう。

戦争責任におけるナチスのように、責任を転嫁できる、逃げの存在があると楽だ。
「自分は無関係」、「オレは知らん」と言い逃れできる隙を作ることができる。

ナチスを利用するドイツ人みたいなことをやっているのが、我が日本の現在の首相、菅直人である。
誰もが最初から無理だと思っていた子ども手当の満額(2万6000円)支給について、今になって、「小沢一郎が1万円の上乗せをやったのでビックリした」などと発言した。

まるで、満額支給できないのは、小沢一郎がむちゃくちゃしたからだと言わんばかりである。
実際は、今は満額の半分の1万3000円なので、1万6000円にも足りてないのだが。

確かに、民主党案では元は1万6000円で、小沢一郎が鶴の一声で1万円を上乗せしたわけだが、それをマニフェストに掲げたのは全部の民主党であり、民主党の議員だろうに。
それを今さら、小沢一郎に全責任をなすりつけるようなことをするとは、菅直人は卑怯この上ない。

たまに会社で、部署内での決定事項が守れなかったとき、部下に全責任をなすりつけるクソみたいな上司がいるが、それと似たようなもんである。

そんなヤツが日本の総理大臣をやっている。
どいつもこいつも、政治家は責任転嫁と言い逃ればかりするクソ野郎ばかりかも知れないが、そのクソの中でも、まだマシなヤツに総理大臣をやって貰いたいものである。

 

私は、結婚披露宴には一度しか出たことがない。義理姉の披露宴だ。
それ以外は、二次会に何度か出ただけ。

初めて披露宴に出席してみて、テレビや漫画でネタにされていることがよく分かった。
披露宴で繰り返されるスピーチだとか、友人代表が贈る歌など必要なのだろうか。

よくあんな場で歌なんか歌えるもんである。しかも、カラオケレベルの歌唱力で、照れ隠しをしながら歌って何が面白いのであろう。歌を披露するのは大抵女で、昔なら「てんとう虫のサンバ」、今なら木村カエラの「Butterfly」あたりがよく歌われるのだろうけど、それを聴きたいと思う人はどのくらいいるのだろうか。

歌はまだガマンできるが、スピーチは本当に限界ギリギリのものが多い。上司にしても古い友人にしても、スピーチをしている人の知り合いだけがやや盛り上がるが、赤の他人でスピーチを聞いているヤツなんか誰もない。
その割には、年配の上司なんぞは話だけ長くて、ちっとも面白くない。
まあ、スピーチは、参列者に聞かせるもんではなく、新郎新婦に聞かせるものだから、外野は大人しくしているしかなのだろう。

多くの人にとって退屈な時間となるスピーチは、聞いている人なんか殆どいないにも関わらず、スピーチをする人は緊張するし、何かと気を遣う。
披露宴のスピーチには、言霊信仰が大好きな日本人特有ともいえる忌み言葉なんてもんがあって、それを気にしなければならないらしい。

直接的な「死ぬ」などの言葉はもちろんのこと、離婚を連想させる「割れる」とか「裂ける」とか、再婚を連想させる「たびたび」とか「またまた」などの重ね言葉もイケナイらしい。
「またまた」と聞いて再婚をイメージするなんて、頭がオカシイんじゃないかと思えて仕方がない。なんというか、忌み言葉には無理矢理感がたっぷりで、嫁を苛めるための小姑の罠みたいだ。

縁起でもないことを連想させる言葉が結婚式の披露宴などであげつらわれるわけだが、もう少しほどほどにならないかと思う。

それと全く同じ構図で、「縁起でもないことを言った」とか、「悪いことを連想させることを言った」といって産経新聞が政治家を苛めていた。

【MSN産経ニュース】 自民ダブル問題発言 麻生氏「党内で生き埋め」 石原氏「大崩落」 (2/24)

記事によると、麻生太郎が民主党を揶揄するため、「党内の一部の人を"生き埋め"にしようとした」と話し、石原伸晃が「菅内閣の大崩落、山が崩れる予兆」と語った。
それについて、ニュージーランドの地震を連想させるため、産経新聞は問題発言だと断罪していた。

確かに、ニュージーランドで地震がなけりゃ、そんな言葉は飛び出さなかっただろうが、どうでもよすぎて驚くほかない。
記事はマスコミがお得意の「批判を受けそうだ」で結ばれている。

「○○しそうだ」と書かれている記事は、「○○しなさい」という意味である。
つまり、産経新聞は「麻生と石原のふたりを批判しなさい」と記事で言っているのである。
にわかに正気とは思えない記事だ。

これを朝日新聞が書くのなら、「朝日新聞必死だな」という感想になるが、産経新聞の記者が、こんなことを一生懸命書き、その上司が認めて記事として配信し、新聞紙面にも掲載するわけだ。

2ちゃんねるではあるまいし、まさか"釣り"ではなかろう。サンスポに雇われたライターが書いたのかと思ったが、そうでもないらしい。
エリートサラリーマンとされる全国紙の記者が、大マジメに書いたのかと思うと、空恐ろしくなる。

 

昨日の社説で、シーシェパードや反捕鯨国に屈服し、言いなりになって妥協点を探れとの"歩み寄り"を日本がするべきだと主張した朝日新聞が、今日の社説でも、"歩み寄り"をしろと迫った。
その相手は、野党である。

【朝日新聞】 予算関連法案―国民益を考え、歩み寄れ (2/23)

民主政権は参院で過半数の議席を確保して折らず、衆院でも無理矢理立法できる3分の2の議席に達していない。
野党は菅直人を解散させるか、解散総選挙しなければ予算案に賛成しないとしており、このままいけば、今年度中に来年度予算の成立が不可となる。すると、子ども手当が支給されなくなり、ガソリンや牛肉も高くなる。

朝日新聞は予算関連法案が通らないことを「国民の利益に反する」とし、野党に対して、政争に持ち込まないよう注文を付けた。
「野党が政権を追い込むことを優先するあまり、国会を機能不全に陥れることは、そうした高い代償を国民に払わせる結果を生む。今それだけの大義があるとは、到底思えない」と主張したのである。

野党時代、民主党が散々政権与党の足を引っ張ろうとしていたのに、それを顧みずに、民主党の肩を持ち、民主党に歩み寄りを進言せず、野党が屈服しろと朝日新聞は言うのである。

「双方が協議のテーブルにつく努力をしなければなるまい」と主張するのであれば、まずは民主党に注文を付けるべきだろう。こうなったのは誰のせいなのか。それを考えれば、自ずと先に誰に言うべきか分かりそうなもんだが。

結局、朝日新聞は、対立するふたつのグループがあったとき、双方に「歩み寄りしろ」と言ってみせるが、結局は好きな方を応援し、嫌いな方には相手に屈服するよう迫るのである。
だから、嫌いな日本が屈服するよう、シーシェパードのことには目をつむり、日本が相手の意見を飲めと主張する。嫌いな自民党などが屈服するよう、民主党のことには目をつむり、野郎が相手の意見を飲めと主張する。

分かってはいたが、朝日新聞は改めて恐るべき新聞であると確信した。
揉め事の仲介役に徹するようなふりをしながら、全く中立ではなく、嫌いな方を貶めるよう努力するのが朝日新聞である。中立のふりをするのは、小賢しいサヨクの常套手段である。

中立を装うヤツほど、たちの悪いヤツはいない。

 

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