先っちょマンブログ

2011年03月

石川遼が憎たらしい。

若くて、すらっとした男前で、ゴルフがうまくて、金持ちで、人気もあって、礼節をわきまえ、全てが完璧なのが石川遼だ。
オッサンで、だらしない体型で男前でもなく、ゴルフなんかしたことがなければ、貧乏サラリーマンで、人気者でもなく、無礼な言葉遣いをしてしまう不完全人間の私とは全くの正反対である。
共通点は、ホモ・サピエンスのオスということくらいしかない。

ここまで段違いだと、もはや嫉妬すら感じないわけだが、人間として私と10くらいランクの違う石川遼が、今季のゴルフツアーの獲得賞金全額と、1バーディにつき10万円を、東日本大震災の被災者支援の義捐金として寄付すると表明した。
非の打ち所がないが優等生。完全無欠の石川遼である。

スポンサー料があるから、金には困らないのだろうが、昨季の計算なら1億8000万円になる金額の寄付を申し出るのだからスゴイ。しかもまだ19歳である。
あまりにも完璧すぎる。完璧すぎるから、憎たらしいのだ。出来杉くんをやっかむのび太みたいなもんだ。

口が臭いとか、インキンだとかの欠点でもありゃいいが、石川遼には多分そんなもんもなく、全てが完璧なのかも知れない。

完璧男の行動に、下々の庶民は驚くばかりであるが、ほかのプロゴルファーには多大なプレッシャーを与えることになるだろう。

石川遼と同じ寄付ができるゴルファーなんていないだろうし、いたとしても、今さらだったら二番煎じとしてしか見られない。
完璧で、皆に好かれる石川遼は、当然皆から応援される。ほかのプロゴルファーは、さぞかし肩身の狭い思いをするに違いない。

どういうわけか世間では、有名人が多額の寄付をしなかったり、チャリティに参加しなかったりすると、太っ腹な寄付をした人物と比較され、人非人のように見られている。

ユニクロの柳井正が10億円寄付したのに、ソフトバンクの孫正義はどうして多額の寄付を表明しないのか、などと言うヤツがいる。恐ろしい話だ。金持ちだから寄付して当然と思うヤツが、この日本には大勢いるのだ。
そんなことがあったから、楽天の三木谷浩史も1億円くらいでよさそうなところを、柳井と同じ10億円も寄付せざるを得なくなったのではないのか。

そいつらは、「善意は寄付金の多寡ではない」などと前置きしておきながら、やっぱり寄付をどれだけしたかとか、どのような寄付をするのか旗幟鮮明にしろなどと迫るのである。
これではまるでモンスターではないか。てめえがどれほどの寄付をしたのか知らないが、他人に善意を強要するほど気色の悪いことはない。そんなもんは善意でも何でもなく、ただのプレッシャーで、嫌がらせ以外の何ものでもない。

その証拠に、嫌われ者はモンスター国民から寄付を迫られる。孫正義しかり、島田紳助しかり。
対象はいずれも、金持ちの嫌われ者だ。
寄付云々とごちゃごちゃ文句を垂れているヤツは、ただ単にそれら金持ちに嫉妬して、嫌がらせをしているのであろう。そうでなければ、Yahoo!ニュースのコメント欄への嫌がらせコメントや、Yahoo!知恵袋へのわざとらしい質問なんかできないはずだ。

被災者支援、復興支援のために金持ちは金を出すのが当たり前であるかのように主張するヤツらは、生まれながらの難病で、助かるには海外で高額な手術をするしかない子供のために寄付を迫ることはしないだろう。
自分の尺度でものごとを解釈し、未曾有の災害には金持ちが金を出して当然と主張し、ただ金持ちを貶めているだけである。

それが一体何のためになるのだろうか。一体何のためにやっているのか。
結局はてめえの憂さ晴らしのためだろうに。

 

MSN産経ニュースで、被災地の人々の写真を見るのを楽しみにしている。
楽しみにしていると言うと語弊があるかも知れないが、最悪な状況下で子供たちが楽しそうにしている写真などを見ると、陰鬱になるニュースばかりの中、ホッとすることができる。

あと、MSN産経ニュースでは、「被災地からのメッセージ」という企画も組んでいて、被災地の避難所などで被災者が書いたメッセージを写真に撮って掲載している。

今日の産経新聞の朝刊に掲載されていた写真はすごかった。
「トラックが屋根にのったままなので取ってください」というメッセージと、ローアングルから撮った写真。

【MSN産経ニュース】 被災地からのメッセージ Vol.12

写真の角度、メッセージ、いずれも何となくユーモアを感じる。
ここまで来ると、笑わせようとしてんじゃないかと思うくらいだ。

これら「被災地からのメッセージ」には幾つかのパターンがあって、大別すると、支援についての感謝の言葉、或いは被災者を励ますタイプと、何かが欲しい、何かをして欲しいという要求タイプだ。

要求タイプは、大人が書いているものは深刻だ。仮設住宅が欲しい、風呂に入りたい、ガレキを撤去して欲しいなどなど。これは、政府が何とかするしかない。我々が政府のケツを叩いて、やらせる必要があるだろう。

子供が書いているものは、ゲームが欲しいというものが多い。「それって、被災する前から欲しかったもんじゃないのか」と思うものもあるのだが、とにかく避難所での暮らしが退屈過ぎるのだろう。
大人はやることがいっぱいあるかも知れないが、子供はやることがない上、時間が経つのも遅い。暇で暇で堪らないのだろう。

どこぞのゲーム会社がゲーム機とテレビとソフトを送ってくれないものかと思うのだが、電源の確保が難しいし、子供らで取り合うだろうから、実際には無理だろう。
ガマンして貰うしかない。

恐らく、避難所には何もすることがなくて、暇を持て余している人が多いのだろう。男はいろいろすることがあるかも知れないが、年寄りや子供には退屈している人が多いんじゃなかろうか。
だから、ブックオフなんかは、1000万円の義捐金を送るんじゃなくて、在庫の小説や漫画を被災地に届けるようにすりゃいいと思うのだが。

そうすれば、ゲームが欲しくて堪らない子供も、幾らかの暇潰しができるだろうに。

支援物資は、食料や衣類、生活必需品などに偏りがちだが、もっと子供のおもちゃとか、一見不要そうなものもいるんじゃないかと思う。
昨日の産経スポーツの記事で、野口健が被災者にタバコを差し入れしたら喜ばれたというものがあった。タバコなんてどう考えても優先度は低いが、愛煙家にとっては堪らん話だろう。これを機に禁煙をすればよさそうなもんだが、タバコの一服でリラックスできるのであれば、そんなのがあってもいいかも知れない。

そのほかに、多分被災地に送れば、一部の人には大喜びされるだろうけど、絶対に送られていないだろうなというものがある。
エロ関連の物資だ。

被災地には、10代、20代あたりの男といえば、普段エロいことしか考えていないのが普通だ。
被災して一時的にエロどころじゃなくなったかも知れないが、ずっとエロ抜きというわけにはいかないだろう。

恋人や嫁さんがいたとしても、ゴソゴソできるプライベートな空間がないだろう。
独り身の人なら、エロ本やエロDVDが欲しいんじゃなかろうか。

誰かものスゴイ猛者が、「被災地からのメッセージ」で、「ビデオ試写室が欲しい」とか「エロ本が欲しい」と書けば、AV業界やエロ本業界が動いてくれるかも知れない。覆面でもしてない限り無理だろうけど。

エロ業界は、不謹慎だと言われるのを恐れず、被災地でのエロの支援をすればいいのにと、個人的に思う。

 

阪神大震災のとき、避難所に送られてくる支援物資に、使い古しの下着がたくさんあって、「誰もそんなものを使わないから送ってくれるな」というボランティアの声がニュースになっていた。

当たり前の話である。北朝鮮の乞食ならまだしも、日本人が、幾ら被災者とはいえ、誰が着たのか分からず、洗濯してあるのかどうかも分からない下着を好きこのんで身に付けるはずがない。
私だったらまっぴらゴメンである。ずっと同じパンツを履き続けるのも嫌だが、知らんオッサンのパンツを履くのも嫌だ。やむにやまれぬ事情があるのなら別だが、よほどの事情がない限り、そのうち新品の物資が回ってくるのを待ちたいと思うのが心情だろう。

使われない中古下着なんぞが送られてきても、避難所でゴミになるだけで、その処理も大変だったそうだ。

被災者に支援物資として使い古しの下着まで送るというのは、どういうつもりなんだろうか。
「被災者は例え中古下着でも欲しがるだろう」と見下した気持ちが、いつの間にか善意に切り替わり、それでいいと思ってしまうのではなかろうか。
或いは、ただ単に「捨てるくらいなら被災者にやろう」くらいにしか思っていないのかも知れない。

今回の東日本大震災では、衣類の支援物資は新品に限って集めている団体が殆どらしい。毛布などは、新品か、クリーニングに出したものとなっている。
阪神大震災の教訓があるのだろう。

コートやジャンパーなどの上着は中古でもいいかも知れないが、下着やスウェットなんかは新品がいいに決まっているから、それが当然だろう。
使い古しの下着にすがりつかねばならぬほど、被災者が困っているというわけでもなかろう。

身に付ける中古品を嫌がるのは、被災者が贅沢なんだろうか。
私は決してそうではないと思う。送る側に、「送ってやったんだから喜べ」という驕りがあるだけだろう。自分が相手のみになってみれば分かりそうなもんだが。
そんなもんは善意でもなんでもなく、ただの自己満足でしかない。

 

スピッツのボーカル、草野マサムネが"急性ストレス障害"とやらでダウンし、4月3日から行われる予定だったスピッツのツアーが延期になったらしい。
ストレスでダウンした理由は、地震関連のニュースや原発の深刻なニュースを見て、急激にストレスを感じるようになり、病気になってしまったんだとか。

「被災者でもないのに、なんて感受性の強いヤツだ」と思うわけだが、どんな人でも程度の違いこそあれ、ストレスを感じ、鬱状態に入っているのではなかろうか。
スピッツのボーカルは、その程度が人よりやや強かっただけだろう。

震災後に、何かの専門家が、「震災による躁状態から鬱状態への移行が危険だ」と言っていた。
大災害の直後は、被災者もそうでない人も、極度の躁状態になるのだという。それにより、被災者はとりあえずその場の悲劇は乗り越えるよう努力でき、被災していない人は被災者のために頑張ろうと奮起する。
ただ、それがずっと続くと、被災者にはストレスがどんどん溜まるし、被災者でない人は毎日同じような情報ばかり見て、だんだん何も感じなくなってくる。それが鬱状態。こうなると全体的に気力が落ちるため、いろいろと問題が起きやすいのだそうだ。

避難所生活を送る被災者の過度のストレスは想像に難くない。家族を失った人の落ち込みも相当だろう。
被災体験のトラウマも残るだろうし、それで鬱状態になるなと言うのが無理な話だ。

ただ、被災していない人はいろいろやり方があるはずだ。
鬱病経験者として言わせて貰うと、将来の不安ばかりを案じる"予期不安"ばかりをしていたら、確実におかしくなってしまう。原発は大丈夫だろうか、食べ物は大丈夫だろうか、水はどうなるのかなどと考え始めたらキリがない。答えがないことを心配しても、自分がどうしようもないことを心配しても意味がないのだ。

さらに、ニュースばかり見続けたら、知らず知らずのうちに食傷気味になって、震災関連のニュースに慣れてだんだんと何とも思わなくなってくる。
ニュースなんぞはちょいちょい見るだけでいいんじゃなかろうか。

そうやって落ち込まないようにしないと、国民の消費マインドがどんどん下がり、自粛ムードが延々と続いて、日本経済に与える打撃も大きくなる。
被災しておらず、東電管内で計画停電の範囲でもないのならば、普段通りに過ごし、普段通りに消費するよう心掛けないといけない。

だから、西日本ではじゃんじゃん金を使わねばダメだ。
そう自分に言い聞かせて、「無駄遣いかな」と思うようなものをネットで幾らか注文してしまった。嫁さんは私が何を勝手も特に怒らないが、少しは嫌だと思っているに違いない。

せいぜい、日本のためだと思うようにしよう。
こういうのを、お為ごかしというのだろう。

 

今回の未曾有の大災害で、それまで聞いていたことと実際違うじゃないかと思うことが幾つかあった。

ひとつは、米軍だ。
日本に駐留する米軍は、「日本に何が起こっても何もしてくれない」と言われていた。だが実際は、日本のために尽力してくれている。

中国の人民解放軍が責めてきたのと、大災害とは違うかも知れないが、それでも、福島第一原発の危機では、初期段階において消火活動などをしてくれたのは米軍だ。
東電が、役に立たない日本政府を差し置いて、米軍に直接依頼したなどと週刊誌に書かれていたが、真相はともかく、原発事故を広げないためにいろいろやってくれたのは確かだ。

福島第一原発を放っておくと、偏西風に乗ってハワイにも被害が及ぶ可能性もあるわけだが、それがなかったとしても助けてくれたような気がする。

現在は、本国から原発より50カイリ以上離れろとの命令が出ていて、自衛隊や消防などが原発での放水に当たっているが、その代わりに、宮城や青森での空港の修復や救援物資の輸送などの任務を請け負っていてくれる。

在日米軍や日米同盟が、多少なりとも役に立つことが誰の目にも明らかになった。

そしてもうひとつ思ったことが、原発の安全性についてである。
北朝鮮がテポドンなどを飛ばしたとき、「原発に攻撃されたらどうなる」という問いに対し、専門家らは、「原子炉建屋は暑さ2メートルの鉄筋コンクリートなのでびくともしない」という回答だった。

原発はめちゃくちゃ丈夫で、ちょっとやそっとじゃ壊れないのかと思っていたが、福島第一原発の1号機と3号機は、いとも簡単にぶっ壊れ、3号機に至っては、建屋が全部吹き飛んだ状態だ。

中からの水素爆発と、外からのテポドンでは、破壊力が違うのかも知れないが、テポドンで壊れないのかどうか怪しいもんである。

ただまあ、原発が思ったほど安全じゃないと分かったが、直ちに操業を止めろとは思わない。寧ろ、今の現状を見る限りは、操業を止めるなと思ってしまう。

ドイツでは、福島第一原発の惨状を見て恐れをなした25万人のバカが、原発停止を訴えるためデモを繰り広げたらしい。
「危ないから止めろ」というのは簡単だが、じゃあ、その代わりの電力はどうするのかと問いたい。代替案があるのならいいが、それもないのに原発停止を訴えるのは、いくら何でも頭が悪すぎる。自分たちが電気を全く使わないのであれば構わないが、そうではあるまい。

日本でも原発反対の気運が高まりそうな気がするが、不幸中の幸いというか、日本では電力が足らずに大変なことになっている。これでもし、全ての原発が操業停止になったら、家庭生活はおろか、日本の産業も全て止まってしまい、とんでもないことになるのは誰でも分かるようになった。
だから、原発の直接被害に遭った福島県以外は、気軽に原発反対を訴えられるような雰囲気になりそうにはない。

危険性をはらんではいるが、原発は必要。
これも今回の震災で分かったことのひとつだろう。

 

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