先っちょマンブログ

2011年05月

全国知事会議に出席した菅直人が改めて明言した。
「浜岡原発以外の原発の停止は求めない!」

菅直人は、浜岡原発が危ないというイメージだけで、中部電力に半ば強制的な命令として浜岡原発の停止を強要した。
電力会社ながら一民間企業でしかない中部電力に、年間2500億円の損失を出させ、しかもその損失分を電気代の値上げではなく、中部電力に社員のリストラなどを迫って2500億円を捻出せよと迫った。

民主党は、"埋蔵金"が子ども手当や高速道路無料化の財源になるとずっと信じていたが、できなかった。
中部電力にリストラやらコスト低減を迫ったところで、何も結果が出ないに決まっている。
政府に脅されて浜岡原発を停止させられたのに、中部電力は電気代に損失を転嫁できず、結局は身銭を切らねばならない。

まるで、国営企業を恫喝する、どこぞの国の指導者のようではないか。
菅直人国家主席が、中部電力を怒鳴りつけた。「私のイメージアップのために、原発を止めないと酷いことするアルよ!」

話を戻そう。
このファシストみたいなバカ首相は、浜岡原発の停止命令で、ただただ原発を恐れる反原発派の国民から多くの指示を得られたことに十分満足したのか、「ほかの原発は止めない」としている。

ほかの原発を止めさせる命令を出すまでもないだろう。電力会社を恫喝しなくても、原発を保有する各電力会社は、幾らかの国民と原発周辺住民からの強い反撥で、定期点検で停止した原子炉を再稼働させられないでいる。
いちいち停止命令を出さずとも、あと1年ほどすれば、日本中の全原発が停止するのだ。

そのあと、菅直人はどうするつもりなんだろう。
強権発動で原発を再稼働させるだろうか。勝手に「1000万戸に太陽光発電を取り付けさせる!」と国際舞台で明言したバカだから、原発がなくなっても太陽光発電なんぞでカバーできると思っているのかも知れない。

"埋蔵金"が財源として全然足らなかった目玉政策は、東日本大震災でうやむやにして終わらせた。一件落着というわけだ。
火力発電や急ごしらえの太陽光発電で足らない電力は、どうやって終わらせるのであろうか。もしかすると、日本を潰すことで、電力不足を解消するつもりなのだろうか。日本がなくなり、日本人がいなくなれば、電気も必要がなくなる。

民主党政権が金もないのにむちゃくちゃな政策を推し進め、さらに人権救済法案やら中国人の受け入れやらを進めることで、日本が破滅すると危惧していたが、まさか大災害に乗じた原発の停止などで日本を潰すとは予想だにしなかった。

菅直人の狙いが、日本をめちゃくちゃにするというものであれば、それはうまくいっていると言うほかない。

 

前の民主党の党首も、今の民主党の党首も、思いつきをほいほい口にして、総理大臣の立場としてそれを政策としてやろうとする、とんでもないヤツだ。

前の宇宙人総理は、勝手に「CO2を25%削減します」と国際舞台で高らかに宣言し、できなければCO2排出権買い取りという罰金を支払うつもりだった。
今度のブチギレ総理は、震災の対応で"政治主導"たる政治がいかなるものか、自らの手腕を国民に見せつけるため、重要なことは、発表を遅らせてでも自分で発表した。

さらに、「被災地に自衛隊を10万人派遣する」、「福島第一原発は9か月で安定化させる」、「1000万戸に太陽光発電設備を設置する」など、具体的な数字だけ示して、むちゃくちゃなことを思いつきで垂れまくった。

このブログで何度も書いたが、言うのは簡単で、実際にやるのはすごく難しいというのが世の常だ。
「気合いでなんとかなる」という論外の根性論を振りかざすヤツもいるわけだが、実際、気合いなんかどれだけあっても、できないものはできない。

そして、本当にできなかったときの政府の言い訳は、「努力目標だった」というものばかりだ。
しかも、猛烈に努力してできなかったのではなく、何となくできないと思っていたら、本当にできなかったということが、これからじゃんじゃん出てくるだろう。
できる目標を掲げることもできないのかと思ってしまう。

何となくの思いつきで言う前に、できるかできないか、きっちり考える必要がある。どう考えたかのプロセスを出した上で、目標を発表したり、提言すべきである。

それは政府関係者や官僚に言えるだけではなく、マスコミなども一緒だ。
今日の朝日新聞の社説を見てビックリした。菅直人を始めとする民主党イデオロギーを共有する新聞として、同じようにただの思いつきで「やってみろ」と提言していたからだ。

【朝日新聞】 電力安定供給―全国融通する送電線を (5/30)

朝日新聞は社説の最後で、電力を互いに融通できるようにするため、商用電源の周波数を国内で50/60Hzと分けるのではなく、統一するよう検討しろと提言した。

明治時代に商用電源の周波数が東西で分かれ、戦後に統一するよう検討されたが、思いの外復興が早かったため、頓挫してしまったという経緯がある。
インバータの進化によって、50/60Hzを気にせず使える家庭向け家電が殆どだが、だからといって簡単に周波数変更なんぞできない。
例えば、東日本の50Hzを60Hzにするとして、東日本にある発電所は全部作り直しだ。

一体、どのようにして商用電源の周波数を変更するのか、私には想像もつかない。
できれば、お利口な朝日新聞の社説子に説明していただきたかったが、社説では何の根拠も説明もなく、「とりあえずやってみろ」と言わんばかりに検討を促しただけだった。

とりあえず言うだけなら、誰だってできる。
言いっぱなしであとは他人任せにするのではなく、ちょっとは考えて、具体的にものを言う必要があるだろう。

 

AKB48はよく知らないのだが、テレビはバラエティ番組だけよく見ているおかげで、それらに出演しているメンバーだけ少し顔の判別が付く。
前回の「AKB48選抜総選挙」で、トップ10くらいの上位メンバーだけだが。

例外として、前回17位だが、「笑っていいとも」など、バラエティ番組にちょくちょく出ている秋元才加というゴリラみたいな人は知っている。

30代のオッサンとしては、まあそんなもんだろう。

AKB48には殆ど興味がないわけだが、秋元康がしかけた「AKB48選抜総選挙」の商売には非常に注目している。
何という恐ろしいシステムなのかと思わずにはいられない。

投票権のシリアルナンバーが付いたCDシングルが発売され、1600円のCDの初回出荷が145万枚。CDが売れなくなって久しいこの時代に、ものすごいことをやっている。
ファンたちは、"推しメン"とかいう、自分がプッシュしたいメンバーに投票することで、選挙での順位を上げ、シングル曲を歌うメンバーに入れさせたり、よりセンターに近い位置に立たせたりするために頑張る。
大島優子を押し上げるため、ひとりで5500枚もCDを買う猛者もいたそうな。

AKB48に興味ない人間にとっては、何という金の無駄遣いかと思えて仕方がないわけだが、そんなもんは人の好き勝手で、誰がどんなもんに金をつぎ込もうが放っておくべきなんだろう。

それにしても、秋元康はうまい商売を思いついたもんだ。あとになってみれば、金を出した側が「何であんなもんに大金を注ぎ込んだのか」と思えるような商売を思いつき、仕掛け、成功しているのだから、これはもう才能というほかなかろう。
おニャン子クラブで培ったアイドルの回し方と、現代日本人のファン心理をうまく突いている。

「AKB48選抜総選挙」は、はまったファンにクソほど金を使わせる恐ろしいシステムであるが、投票される側のメンバーから見ても恐ろしいシステムだろう。
票は金で買えるわけだが、得票順位が人気の順位と見なされるから、1票だけ投票するファン1000人よりも、5500票投票するファンひとりを持っているメンバーが重要視される。

それが秋元康の商売だが、メンバーにとってはプレッシャーだろう。
熱心なファンをいかに多く獲得するかが重要になるわけで、露出の少ないメンバーは、順位を上がるために少ない出番で頑張らねばならない。上位のメンバーにしても、順位を下げると人気が落ちたと見なされるわけで、皆が皆、相当なストレスに感じているだろう。

社会人になれば、周囲の人間との競争を定年までしなければならないわけだが、AKB48ほど熾烈なもんじゃない。
ゆとり世代の若いメンバーが、猛烈な競争を迫られているのだから、可哀想に思えて仕方がない。
その競争で勝った、ごく一部の上位メンバーだけが芸能界で生き残り、負けたメンバーは一般人になるか、AV女優になるくらいの転落人生を歩まねばならないわけで、相当大変だと思う。

AKB48を見る度に、嫁さんといつも決まった話をする。

「前田敦子はまあまあ可愛いが、演技がロボット並み」
「メンバーの多くは、中の中から中の上レベル。中の中が多い」
「板野友美は顔をいじってあんな風になった」

いろいろ言われるわけだが、そこらの一般人より頑張って、猛烈な競争をしているのは確かだろう。
馬車馬の如く働かされ、使い捨ての駒のアイドルで頑張っているのだから、それなりに評価されていいと思う。

 

手塚治虫の漫画で最も好きなものを挙げろと言われれば、「火の鳥」か「ブッダ」で迷う。
「火の鳥」はそれぞれの編で好き嫌いが分かれるが、「ブッダ」は全体を通して面白いから、総合的に「ブッダ」の方が好きかも知れない。

「ブッダ」は、いわゆるお釈迦さまの生涯を描いた漫画で、1972年から1983年まで、創価学会傘下の潮出版が出している少年漫画雑誌で連載された。
連載誌は創価学会の雑誌であるが、創価学会臭さは微塵もない。創価学会系の漫画雑誌に連載された作品だと聞くと、毛嫌いする人もいようが、10年以上の長きにわたって連載できたのは、創価学会系の漫画雑誌だからである。
そんなことをいちいち気にする必要はない。

「ブッダ」が素晴らしいところは、ただ単に伝記漫画として描かれたものではなく、手塚一流の創作がふんだんに織り込まれ、ダイナミックすぎる脚色が面白いのだ。
ブッダの生涯を、仏典を元にただそのまま漫画にしてもつまらない。手塚の創作があってこその「ブッダ」なのだ。

30~40年前の漫画だが、最近アメリカでも漫画賞を受賞するなど高く評価されており、ここへ来て、3部作のアニメ映画かもされることになった。
手塚ファンとしては喜ばしい限りである。

漫画が映画化されると、ついでに原作も大々的に売られ、読む人がぐっと増える。
ただ、ブッダや仏典のことを何も知らずに「ブッダ」を読むと、何が本当で、何が手塚の創作なのか、どこまでが仏典にあることなのかが分からなくなってしまうのは間違いない。
創作がかなり入っていると知っていればいいが、知らなかったら全部仏典にある本当の話だと勘違いする人もいるだろう。

「ブッダ」の始めのうちに出てくる不可蝕民のチャプラや、その友人のタッタ、のちにタッタと結婚するミゲーラなどは、全て架空の人物だ。

「ブッダ」の中で、のちのブッダになるゴータマ・シッダルタに悟りを開くきっかけを与えたアッサジ(見た目が「三つ目がとおるの写楽と同じ)は、実際は、悟りを開いたブッダが最初に弟子になった5人(五比丘)のひとりだ。
仏典では、ブッダの十大弟子であり、最も重要な弟子のサーリプッタとモッガラーナをブッダに弟子入りさせるのだが、漫画ではブッダが悟りを開く前に死んでいたので、霊となって登場した。

また、ブッダの十大弟子のひとりで、ブッダが死ぬまでの25年間、ブッダに付き添い、身の回りの世話をしたアナンダは、「ブッダ」の中ではかなり違った描かれ方をしている。
実際の仏典では、ブッダの従兄弟であり、同じくブッダの従兄弟で、後にブッダを裏切るダイバダッタの弟なのであるが、「ブッダ」の中では、殺人鬼の過去を持っていたとして描かれている。それが理由で、ほかの弟子たちから迫害を受けるのだが、ブッダには信頼されていて、最後の旅にも連れて行かれたという役回りになっている。

私も、「ブッダ」を読んだ最初は、人物関係や、誰が架空の人物なのか、実際の仏典ではどうなのか、何が何だかさっぱり分からなかったが、ボチボチ仏教の勉強をして、ようやく大まかなことが分かった。

漫画の「ブッダ」と、実際のブッダの生涯がどう違うのか比べられるような、ブッダの生涯をそこそこ詳しく、なおかつ簡潔に書いた本がなかったので紆余曲折があった。
いろいろ買ってみたが、もっともよかったのは、西東社の「図解 ブッダの教え」という本が最もよかった。735円と安価ながら、ブッダの生涯から、ブッダの教え、仏教の伝播などがきっちり書かれていて、漫画の「ブッダ」と実際の違いを手っ取り早く比べるにはちょうどよかった。

そうこうして、仏典でのブッダを知った上で、手塚治虫「ブッダ」を読むと、また違った受け止め方ができるし、手塚治虫がいかに偉大であったかを知ることができる。
相当なセンスと、構成力がなければ、あれほどの大作は不可能だろう。"漫画の神様"であることは間違いない。

というわけで、私のお勧めは、漫画の「ブッダ」を読み、ある程度仏典の勉強をした上で、もう一度「ブッダ」を読み返すというものだ。
映画は、漫画「ブッダ」の魅力を十分分かってからでいいんじゃなかろうか。

 

福島第一原発1号機の海水注入が55分止まった件について、今日の夕方まで、散々侃々諤々の議論が行われ、政府内でも責任のなすりつけ合いが行われていたというのに、東電が今になって、「海水注入は中止していませんでした」などと発表した。

海水注入について、菅首相が納得していないとの報告を受け、東電の本部と現場の人間がテレビ会議で海水注入の停止を決定した。ところが、福島第一原発の所長が「アホな菅首相のことなんぞ知らん」と言わんばかりに、その決定に従わず、独自の判断で海水注入を続けたというのが真実であるらしい。

結果的にいい判断であったわけだが、これで菅直人も救われた。自分がめちゃくちゃな"政治主導"を発揮し、原子炉の冷却作業を止めさせたとなると問題以外の何ものでもないが、結果論としてそうなっていなかったのだから、「菅のせいで1号機が爆発した」という批判はかわせる。
自分の意見を現場の一民間人に無視され、顔に泥を塗られた気持ちかも知れないが、救われたのは間違いない。

在日からの違法献金を震災によって回避できた強運首相は、またもすごい強運を見せつけた。

それにしても、東電は一体何なのかと思わずにはいられない。
恐らく、民主党からの圧力で、菅首相を救うために「実際は止めてませんでした」と嘘をついたわけではあるまい。さすがにそこまでやるとは思えないが、じゃあ、今まで何をやっていたと問わずにはいられない。

混乱しているのは分かるが、原子炉の爆発が起きてエライことになってから2か月以上も経っているというのに、それぞれの原子炉に対して何をやったか、全く把握していなかったということだ。
どう考えても、状況整理のため、何をやって、現在何をすべきなのか、東電がきっちり分かっていなかったら、誰がやるのか。この重大事に、いちいち現場の責任者に改めて確認せねば分からないとは、正気の沙汰とは思えない。

そんなことをやっているから、誰からも信用されなくなるのだ。不確かな情報がたくさん出て、あとから情報を訂正することばかり。国民に疑いの目を向けられ、何か隠していると思われるのも当然だ。

東電は勉強のできる賢い連中ばかりだと思うのだが、有事の対応はまるでダメだ。政府もクソなら東電もクソ。
一体どこに頼ればいいのか。いっそのこと、フランスのアレバ社に全投げしてみた方が、ちゃっちゃとやってくれるんじゃないのか。

政府にも東電にも、「しっかりせえよ」と言いたい。
でも、間寛平のギャグのように、「しっかりできるなら、ぼさっとするか」と返ってくるに違いない。
 

 

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