先っちょマンブログ

2011年07月

九州電力のやらせメール問題が、原発再開議論の足枷になっているのだという。
どんな意見が出てきても、電力会社から出てきたやらせ意見なんじゃないかと思われるし、どこの電力会社もやっていると思われる。
九州電力がしょうもないことをやってしまったおかげで、反原発派をますます勢いづかせてしまった。

それにしても、つくづく、九州電力の人間はあんなことをやってしまったのかと思って、不思議でしょうがない。
電力会社に勤める人はいい大学を出たエリートで、管理職にもなる人物ならば、その中でもそれなりに優秀だった人だろう。
それなのに、部下や子会社にメールでやらせ指示を出すという、証拠が残る方法を取るとは。
常識ゼロ、対応能力ゼロのボンクラである。

やらせをやるのは当然のことだろう。こんなこと言うと、「汚い」と言われるかも知れないが、社会人になれば、自社や自分が有利になるように工作し、ときにはウソをつくのは当たり前である。
ただ、それらは絶対にバレないようにしないといけない。メールで出すなど以ての外だ。

仕事では、客先だけではなく、ほかの部署にも微妙に誤魔化した内容を伝える場合、メールではなく電話でやる。電話で伝え、そのまま強引に押し込むこともできるし、適当にはぐらかすこともできる。何より、録音でもされていない限り、相手に言質を取らせたことにはならない。
部下や関連会社に伝えるならば、電話でやればよかった。

何千人もの社員に伝えるには、テンプレートを用意して、こういう意見を出せとやった方が簡単かも知れないが、九電といえども、グループ会社全社員を管理しているわけではあるまい。
共産党員はいなくても、共産党員に近い人間だっているだろう。現にやらせメール問題は、赤旗にネタが持ち込まれ、国会で暴露されてしまったではないか。

九電のバカすぎる幹部の決定と、管理職の対応のせいで、本当に原発再開の議論が成り立たなくなってしまった。
これはもう、首相が勝手に反原発路線を突き進むのと同じくらい、考え得る限りの最悪の事態である。

はっきり言って、この失敗は取り戻せないだろう。
論理的に物事が考えられない首相と国民がいて、原発を進める方もこれだけのバカなのだから、原発再稼働なんて夢のまた夢だ。
日本には、もうちょっと利口な人がいないのかと思ってしまう。そんな国は、滅んでしまえということか。

 

阪神大震災が起きたとき、総理大臣であった村山富市や兵庫県知事に何やら考えがあったようで、なかなか被災地に自衛隊が投入されなかった。
自衛隊が出動したとして、どのくらいの人が助かったかは分からないが、少なくとも何もさせずに指をくわえて被災地を見ているよりは、断然役に立ったに違いない。

低能の総理大臣や知事の失敗があったおかげか、今度の東日本大震災では、すぐに自衛隊に出動要請が来て、自衛隊が被災地へすっ飛んでいった。その活躍は、皆が見た通りである。
菅直人は村山富市に負けず劣らずのサヨクであるが、どんなにバカでも、さすがに自衛隊を使わないわけにはいかないと思ったのだろう。日本の国防をさておいて、思いつきで10万人を超える自衛官を被災地へ送り込んだ。

このように自衛隊が活躍すると、昔ならすぐに「軍靴の足音が聞こえる」などと騒いだマスコミがあったが、今回はさすがにそれがおきなかった。被災地での救出活動、原発での消火作業、遺体捜索活動などを見て、そんなことが口にできるわけがない。

朝日新聞などが持つイデオロギーは、ものすごく飛躍した考え、てめえしか思いつかないような考えを持って、しきりに危険だと騒ぐものである。
防衛予算を増やせば、自衛隊が最新兵器を持てば、自衛隊を自衛軍にすれば、力を持った自衛隊が近隣諸国の驚異となり、自衛隊と一部政治家が暴発して、侵略戦争を起こしてしまうなどとしている。
「風が吹けば桶屋が儲かる」式の考え方だ。

原発に対してしきりに反対するのも、日本が原子力開発の力を持つ → 核兵器を作れる能力を持つ → 周辺諸国に驚異となる、侵略戦争を始める、といった考えもあるのだという。

いずれもゼロではないかも知れないが、自衛隊が力を付けてクーデターを起こし、侵略戦争を始めるだろうか。原発のついでに原爆も作って、周辺諸国を脅かしたりするだろうか。

限りなくゼロに近い可能性を心配するのはバカみたいだが、朝日新聞などは本気でそれを心配しているわけではなく、それを口実にして単に文句を垂れているだけなんだろう。

だが、将来的なリスクと得られるメリットを天秤にかけることは重要だ。どの程度のリスクがあって、どの程度の利益があるのか。それを考えねばならない。

それを思うと、人権救済法案ってのは、つくづく危険だと思う。
ほとんどの国民にとってメリットなんか何もないのに、リスクだけは異常なほど高い。

民主党案では、"国民の人権侵害を取り締まる"という触れ込みの「人権救済機関」が、強い権限を持つ三条委員会の位置づけになっている。
簡単に言うと、公正取引委員会や国家公安員会のように、捜査令状などを取らずに、「人権侵害をした者」について幾らでも家宅捜索ができてしまうのだ。

それに属する人権委員は、「地方参政権を持っている者」となっているので、将来的に外国人の地方参政権なんぞが認められたら、朝鮮総連関係者に家宅捜索を受けることになるかも知れない。

新聞にコラムを寄せる評論家の多くは、在日朝鮮人や中国人に人権擁護を盾にして不利益なことを強制されることを危惧しているが、私は外人よりも、部落解放同盟などの方がよほど心配だ。
部落解放同盟は、この人権救済法にご執心だ。強い権限を持つ人権救済機関に構成員を送り込めば、強大な力を得ることができる。
部落解放同盟が欲しがる権力なのだから、ロクなことが起きないのは、火を見るよりも明らかだ。

私はこれまで、ここで散々部落解放同盟に文句を垂れてきたわけだが、それが人権侵害だと、人権委員に認定されたら、とんでもない目に遭ってしまう。
普通の批判であるが、部落解放同盟は自分たちへの批判をよしとしない団体だ。差別とされて、イザの運営にアカウントの情報を出せと迫られ、登録情報やプロバイダから個人を特定され、自宅や実家、勤務先に、世にも恐ろしい人権救済機関の人間がやって来るかも知れない。仕事は確実にクビになり、糾弾会でボロボロにされてしまう。

どう考えも、いいことなんかひとつもない。
人権救済法で救える人権侵害なんかあるのだろうか。考えられるのは、悪いことばかりである。

自衛隊が力を付け、日本が侵略戦争を起こす可能性と、力を持った人権救済機関が、国民の言論を封殺し、気に入らないヤツを叩きのめす可能性は、どちらが高いだろうか。
私は、圧倒的に後者だと思う。ほとんどゼロのことを心配するよりも、ありそうなことを心配するべきではないのか。

 

 

Googleで「未開の地」と検索すると、第一候補に「群馬」が出てくる。
2ちゃんねるやニコニコ動画などで、群馬が盛んに「未開の地」としてもてはやされているからだろう。

一部のネット上では、群馬県は「グンマー」と称され、人々がグンマーに入国するときの装備などを気にしたり、グンマーに生息する人間の写真としてペニスケースを付けた土人を紹介している。

これらは半ばジョークであって、誰も本気でそんなことを思っておらず、現実でも口にしない。単にネット上でのネタに過ぎない。
「照英が○○してる画像」のネタと似たようなもんだ。

その群馬が「グンマー」としてネットで揶揄されていることについて、自民党のインターネット番組で、大沢正明・群馬県知事が、「未開の地というのはいい言葉だと思う」と発言したことがニュースになっていた。
取り上げたのは産経新聞だ。

産経新聞は、大まじめに記事にして、マスコミが得意の「○○が起きそうだ」という問題提起の煽り文を持ち出し、「県民の反発が強まりそうだ」などと書いていた。
記事を書いた記者も、それを取り上げたデスクも、頭が悪すぎる。

どう考えても、知事の発言はネット上のネタを軽くあしらっただけのものであって、大したものではない。
「グンマー」としてネタにされているのを逆に面白がるくらいでちょうどよく、いちいち目くじら立てて怒るようなもんでもない。
だから、知事の発言は別にこれといって問題になるようなことではなかろう。

ネタをネタで記事にして、「グンマーの人々が石を投げて怒りそうです」などと記事にしてりゃ面白いが、大まじめに取り上げた上、今日になって知事の"釈明"を後追い記事として出しているのだから、正気とは思えない。
それほどまでして、人の揚げ足を取りたいのだろうか。

このことについて、群馬県の太田市長や、民主党の三宅雪子などがツイッターで批判していたが、こいつらもアホである。
ネタにマジレス、本当に格好悪い。

曽野綾子氏が、ずいぶん前の産経新聞のコラムで、「最近の若い記者は、冗談を理解せず、何でも本気で受け取るから困る」と書いていた。
「自分は賢いので」などと冗談めかしていっても、そのまま取り上げ、記事に書いてしまうボンクラが最近増えているらしい。
だから、軽々しく冗談も言えないのだそうだ。

何が冗談で、何がそうでないが、何を取り上げて、何を取り上げるべきでないか。
そんな区別も付かないバカばかりなんだろうか。

産経新聞としては、下半身がだらしない群馬県知事への攻撃材料を国民に提供したつもりなんだろうが、小姑みたいに、人の一言一句を取り上げてごちゃごちゃ文句を付け、国民を煽るのだから、新聞としての程度が知れる。
新聞は、小学校の帰りの会みたいに、しょーもないことを誰かにチクるためにあるもんじゃなかろうに。

 

ここのところ、毎週のように東京方面の出張に行かされている。来週は神奈川が決まっているし、今週あたり静岡に急に行かされそうな気がする。

今や全国どこもバカのひとつ覚えみたいに、効果あるんだかないんだかよく分からない節電を取り憑かれたようにやっている。
私が住む関西圏も、今週から節電モードに入ったらしいが、関東方面はずっと前からだ。
関東の方が今や電力が足りているような気がするのだが、新幹線を降りてから、訪問先までずっと節電続きでウンザリさせられる。

品川駅や東京駅は薄暗く、昼の電力ピーク時になると、JRの車内の電灯が消される。駅の券売機も、「節電のため休止しています」という張り紙があって、3分の1くらい止められている。
JR東日本は、自前の水力発電と火力発電で、電車の運行などの電力を自前で賄っているはずなのに、この事態は何なんだろうか。節電の啓蒙にしてはやりすぎだろう。

訪問先の客の会社も、節電で冷房が弱くなっているか、最悪なところになると、冷房が止められている。クソ暑くて仕方がない。

以前から、夏でも客先訪問する場合はスーツを着用し、ネクタイもするようにと会社からお達しがあったのだが、今年はその決まりがうやむやになっている。
東京の営業担当も、客先訪問に半袖のワイシャツにノーネクタイだ。だから、私もそれに倣って、客先だろうがどこだろうが、半袖のワイシャツを着て、ネクタイはせずに訪れている。

意味不明な電力不足と、吹き荒れる節電ファッショは腹立たしい限りだが、クソ暑い日でも客先にラフな格好で行けるようになったことだけは、よかったと思う。
別に、スーツなんぞ着ていなくても、ネクタイなんかしていなくても、誰も不真面目だとは思わない。アメリカなんかでは、1年中ホワイトカラーの数パーセントしかネクタイをしないというではないか。

私が思う不真面目なサラリーマンは、無精ヒゲみたいなむさ苦しいヒゲを生やしているヤツである。ヒゲ自体嫌いだが、顎のヒゲだけ伸ばしているヤツとか、バカにしか見えない。
茶髪のサラリーマンもそうだ。茶髪の女はすっかり慣れたが、サラリーマンで茶髪のヤツは嫌いだ。男が髪を茶色に染める必要なんかないだろう。サラリーマンなら尚更だ。

私が訪れる会社も、うちにやって来る会社も、多くはちゃんとした会社なので、その手の輩は見たことがないのだが、茶髪にヒゲのサラリーマンとかは通勤電車で目撃する。何の仕事をやっているのかと思う。

その私が思う不真面目サラリーマンに最近加わったのが、アロハシャツを着ているヤツらである。正確に言うと、サラリーマンではなく公務員か。
アホな政治家と官僚が音頭を取って、スーパークールビズなどと銘打って、アロハシャツもビジネスシーンで通用する服にしようとしている。
どう考えても、そんなことを考え、実行できるのは公務員だけだ。

環境省の下っ端などはやらされているだけかも知れないが、いい歳した日本人が、アロハシャツを着て仕事をしているなんて、ふざけているとしか思えない。
そもそも、アロハシャツも半袖のワイシャツも、涼しさはそんなに違わないだろう。どうしてバカな役所と、そこで働くバカな公務員はアロハシャツを着ようとするのか。暑さにやられて頭がパーになってしまったのか。それとも、アロハシャツを作る会社から袖の下でも貰っているのか。

ここまでしつこくアロハシャツを推す役人連中がいるのを見ると、「100回唱えれば嘘も真になる」と信じている中国人を見ているようで、本当に気持ちが悪い。

アロハシャツが日本のビジネスシーンに定着するだろうか。しないに決まっている。せいぜい、ふざけた公務員連中が着るだけだろう。

 

私は敬虔な仏教徒などではないのだが、慈悲の心みたいなのがあるのか、昔から無益な殺生をするのが嫌いだった。
虫などを簡単に殺すヤツがいるが、今でも信じられん。

暑い時期、よくミミズが焼けたアスファルトの上でひからびて死んでいる。どういう理由で移動しようと思ったのか知らんが、可哀想に思ってしまう。
同様に、我が家の芝生の庭で、ミミズがひからびて死んでいる。恐らく、地上に出てみたものの、地表が芝だらけで土の中に戻れず、そのまま死んでしまったのだろう。可哀想に。

ゴキブリや蚊などは憎たらしいので殺せてしまうが、基本的に家にいる虫は極力外へ出す。
クモが家の中に何匹かいるが、無害だし、虫を食ってくれるので、そのままにしている。

別に繊細というわけでもないのだが、虫でもそんな感じだから、犬や猫など大きな動物が無駄に殺されるのは耐え難いものがある。

このブログで何度も書いているが、保健所に犬や猫を処分しに行く人の思考回路はどのようになっているのか、本当に不思議である。
保健所は、犬や猫を安楽死させる場所ではない。炭酸ガスで窒息死させるガス室に詰め込んで、あとはゴミの如く焼却処分する施設だ。稀に窒息死せず、瀕死の状態で生きながらえる犬もいるが、生きたまま燃やされることになる。

新潮45のルポで、保健所に子犬を持ち込んだオッサンの言い分が紹介されていた。そのオッサン曰く、これまでは段ボールに子犬を入れて、川に流していたが、それではさすがに可哀想なので、保健所に連れてきてやったんだから何が悪いのか、というものだった。
ここまで来ると、無慈悲というよりも、頭が悪いだけである。

今日、坂本龍一が民主党の「動物愛護管理法改正を検討する議員連盟」の会合に出席し、鳩山由紀夫や小沢一郎らに、ペットの虐待防止策の強化、深夜販売の禁止などを訴えたらしい。
それについて、坂本は、「将来的に殺処分ゼロの国にしたい」と意気込みを語っていたそうな。

殺処分をゼロにするだけなら簡単だろう。
保健所での殺処分を、持ち込んだ人間にやらせるか、立ち会わせればいいのである。ガス室で悲鳴を上げながら死んでいく犬や猫、窒息死させられて燃やされる犬や猫をニヤニヤしながら楽しめる人間はそういないだろう。
そんなもん誰も見たくないから、誰も保健所に動物を持ち込まなくなる。

ただ、それでは野良犬や野良猫が増えるばかりなので、社会的にも問題が起きよう。世の中全ての人間が、犬や猫が好きで、それらに寛大なわけではないのだ。

ペットの飼育を、中国の一部でやっているような許可制にして、アホなヤツに飼わせないというのも手だが、それで殺処分がゼロになるかどうか分からないし、多分それをやると、そこらで権利がどうのとウルサイ輩も出てくる。

行政が避妊や去勢の費用を全額負担すれば、望まないのに生まれてくる犬や猫が減るだろうけど、税金の使い道に厳しなくなっている昨今、動物のために多額の税金を使うことも許さない人も多いだろう。

だから、これらを考えると、殺処分ゼロなんてのは、夢のまた夢のように思える。
本来ならば、国民全てに人間らしい常識を持たせるようにすればいい話だが、バカばっかりなんだから、それが一番難しい。

福島第一原発の事故で、原発周辺の動物は見殺しにされた。私たちは人間なんだから、動物たちを助けてやりゃよさそうなもんだが、「動物なんか構っている場合か」という意見が、意外なほど多かった。動物に税金を使うくらいなら、人間にやれというわけだ。

こういう考えがまかり通る世の中だから、動物たちの受難は、未来永劫続きそうである。

 

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