先っちょマンブログ

2011年08月

今日は、静岡への出張だった。いつもより1時間遅く起きて朝の情報番組を見ていたら、東海道新幹線が遅れているとの情報だった。
ネットで調べたら、運転再開はしているので大丈夫だろうと思い、京都駅へ向かった。

京都駅では、東京から来る下りの新幹線に軒並み1時間以上の遅れが発生していたが、上りは定刻通りだった。
「よかった」と思って新幹線に乗ったのだが、よかったのはそこまでだった。

私が乗っていた新幹線は、米原駅で停車することになった。
早朝、静岡・新富士間の大雨で運転を見合わせていたのだが、そこがまた大雨で運転見合わせとなったのだ。
ここ数年で、やたらと注目されるようになったゲリラ豪雨というヤツのせいだろう。

今日の出張の予定は、13時半から客先で打ち合わせで、12時に客先の会社の近くまで行って、うちの会社の営業と飯を食いながら前もって打ち合わせをするというものであった。
だから、1時間半の余裕がある。大雨で運転を見合わせても、せいぜい1時間だろうから、別に慌てることはなかった。営業にメールで、1時間ほど遅れるかもとメールを打って、あとは車内で優雅に週刊新潮を読んでいた。

私は余裕だったが、ほかの客はそうではないのだろう。
何となくざわつきだした。しかも、停車中に車掌が切符のチェックに来たので、乗客が車掌に「いつ動くのか」などと質問していた。豪雨がいつ止むかなど、静岡から遠く離れた滋賀の新幹線にいる車掌に分かるわけなかろう。

そのうち、新幹線の遅れをどこぞで聞きつけたのか、乗客の携帯電話に次々と着信が入るようになった。
電車に乗るときは、音が鳴らないようにマナーモードにすべきなのだが、それをやっているヤツなど殆どいない。
しかも、そのうちのひとりは酷かった。

私の斜め後ろに座って、隣と大声で話していたババアの携帯がデカイ音を鳴らしたかと思うと、そのババアは電話に出るなり、ハンズフリーで話し始めた。

にわかには信じられない話である。ハンズフリーで、しかもスピーカの音も最大だったらしく、ババアの声はもちろん、通話相手の声も聞こえまくり。
そのババアは、箱根かどこかに行くらしく、相手が間に合うか心配していたが、ババアは「早めに出てるから間に合うわよ」と話していた。
知るかボケ。

ババアのマナーもへったくれもない、むちゃくちゃな電話があったおかげか、そのあと堰を切ったように、皆がそこらで自分の座席から電話するようになってしまった。
普通、新幹線では連結部分の通路に出て電話するもんだが、座席でイラつきながら、「電車が遅れてる」とか何とか話すサラリーマンが目立った。
どいつもこいつも、マナーを知らないボンクラの低能である。

雨で電車が止まっている非常事態だし、車内で平気で電話するヤツもいるから、自分もいいだろう。
こういう考え方の連中ばかりだ。
皆が痰を吐いているから、オレも痰を吐こうと考える中国人と全く同じだ。日本人が劣化してマナーを守らなくなると、ただの中国人になってしまうのである。

「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのは、中国人の考え方だ。
マナー知らずの中国人と同じようなことをやって恥ずかしくないのであれば、勝手にやっていればいい。「自分はバカです」と周囲にアピールすることができるだろう。
私は恥ずかしいから、到底そんなことはできない。

 

上岡龍太郎が芸能界を引退すると言い出したとき、「禁煙しない」、「ゴルフはしない」、「マラソンもしない」と宣言しながら、あとでそれを破ったように、引退も撤回するものかと思っていた。
ところが、引退だけは反故にされず、引退後の芸能界復帰もなかった。上岡龍太郎は2000年、55歳で完全に芸能界から去ってしまった。芸能人として、21世紀を迎えることはなかった。

上岡龍太郎のテレビは、「EXテレビ」もよかったが、なんといっても「鶴瓶上岡パペポTV」が最高に面白かった。思い出補正がかかっていなくとも、今もってこれまでにもっとも面白かったテレビ番組だと思う。
笑福亭鶴瓶はテレビ大阪で、オセロの松嶋と似たようなトーク番組をやっているが、松嶋がアホ過ぎるので、鶴瓶がツッコミのようになってしまい、「パペポ」のような面白さは出ていない。

私は、上岡龍太郎から結構影響を受けた。だから、そんな上岡龍太郎が芸能界を引退すると言ったときは、本当にショックだったし、できることなら撤回してくれと思ったものだ。

昨晩もこのブログで書いたが、島田紳助の引退も、上岡龍太郎の引退に次ぐくらいのショッキングな出来事だった。
自分を名プロデューサと勘違いしているところや、年を取ってから体を鍛えだしたと言って、しょぼい筋肉を自慢するところなどが鬱陶しくなってきたし、紳助の番組を見ることも減ってきていた。
それでも、紳助が前々から「引退したい」と口にしたときは、やめないで欲しいと思っていたし、実際にこれから紳助のトークが聞けないのかと思うと、残念で仕方がない。

あんな事態になってしまった以上、上岡龍太郎以上に芸能界復帰はあり得ないことだろう。
Yahoo!ニュースの記事に付けられたコメントでは、「どうせ、しばらくして復帰するんだろ」という書き込みが多く見られるが、それは100%ないと思う。どの面下げて戻ってこられるのだろうか。
それを思うと、引退せずとも二度目の謹慎処分での復帰も難しかっただろう。だから、引退は仕方なかったのかも知れない。

今日になって、紳助が会見で言っていた、暴力団との仲を取り持っていた「Aさん」が元プロボクサーで世界チャンピオンの渡辺二郎で、暴力団組員の「Bさん」が、山口組6代目組長の側近で若頭補佐であるということが分かった。
その「Bさん」に解決して貰ったトラブルというのが、関西でやっていた「紳助の人間マンダラ」で、紳助が政治的な発言をし、右翼団体に相当絡まれていたことがあったのだが、そのときのトラブルであったことも分かった。

それが今さら分かったところで、どうということはないのだが、それで芸能界引退なのであれば、山口組5代目組長と懇意であることを前面に出し、ヤクザの力を借りて吉本興業でブイブイ言わせている中田カウスは引退どころで済むレベルではない。
にも関わらず、記者会見では誰もカウスのことに触れないし、カウスについて言及するマスコミもない。

紳助の引退や、ヤクザとの付き合いを「芸能界の闇」とか書くマスコミばかりだが、中田カウスこそ「芸能界の闇」であり、週刊誌以外では全く追求されない中田カウスの暗黒面は、紳助のそれとは比べものにならないくらい恐ろしいと思う。

 

私は昔から島田紳助が好きだった。子供の頃から「クラブ紳助」とか「紳助の人間マンダラ」を見ていて、紳助の話の面白さにすぐにファンになった。好きなタレントを問われれば、間違いなく紳助を挙げていた。

よく同期の明石家さんまと比べられるが、さんまの笑いは、ただテンドンが好きなベタな笑いで、人の笑いも自分のものにしてしまうものだが、紳助の話は面白かった。

紳助の番組は長らく欠かさず見ていたのだが、「クイズ!ヘキサゴンII」がただの歌番組みたいになって、紳助が好きに作った歌をただ披露するだけのオナニ ー番組が増えて、急に疎遠になってしまった。
羞恥心の頃まではよかったが、新撰組リアンとか、イタすぎて見ていられなかった。
今や見ているのは、日曜日の「行列のできる法律相談所」くらいだ。

紳助の不幸は、彼の気が小さすぎ、周囲の反対意見を取り入れられなかったところだろう。
音楽ユニットのプロデュースにしても、後輩芸人への厳しい態度にしても、週刊誌やらインターネットのニュースを読んだりすればよかったのに、紳助は以前から「いいこと書かれてないから週刊誌は読まない」と言っていた。
周囲もイエスマンばかりだ。紳助ファミリーに入れば、彼の番組で使ってくれる。周囲の人間が悪いことを言うわけないし、スタッフなどなら尚更。医者などの知人も多いらしいが、そういう人たちが芸能界のことに口出しなんかしないだろう。

昔、関西の紳助の番組には、土建屋よしゆきという素人で土建業をしている紳助の友人がよく出演していたが、あるときを境に、紳助と仲違いして、まったくテレビで見なくなった。
数年後に友人関係は修復したようだが、一瞬で消えた土建屋よしゆきのことを思うと、紳助ファンとして複雑な気分になったものだ。

そんなミニ金正日みたいになった島田紳助が、どんどん落ち目になっていくような気がした。
事実、Yahoo!ニュースのコメントが残せるニュースでは、まったく関係のないエンタメニュースでも、「紳助やめろ」などと書かれていて、世間の一部からは相当嫌われていた。

ところが、落ち目になるどころか、今日、急に島田紳助が芸能界を引退することになってしまった。
私は、風呂上がりに「NEWS ZERO」を見ていて、番組冒頭からずっと紳助の会見を流しているのに驚いてしまった。

なんでも、10年ほど前に暴力団関係者の世話になったことがあって、どうしようもなく悩んでいた問題(6年前の暴力事件ではない)を解決して貰ったのだという。ヤクザが解決させるのだから、ロクな解決方法ではなかろう。
そのヤクザとは過去に何回か会っただけで、間を取り持ってくれた人物とも頻繁に会っていたわけではないが、日曜日に吉本興業本社に呼ばれ、その人物と交わしたメールを突き付けられたらしい。
紳助本人は、間に誰か入って貰っていたし、そのヤクザとも直接あったことは4~5回しかなく、親密に付き合っていたわけでもないから問題ないと思っていたらしい。だが、吉本から問題だと言われ、引退を決意したのだという。

紳助本人は会見で、「辞める人間だから、包み隠さず全部話す」と言っていた。多少伏せていることはあるだろうけども、まあ、それが真実なんだろう。

小林旭や細川たかしは、暴力団員と親しく付き合い、ゴルフまでやる仲になっても、しばらくテレビに出られなくなるだけだった。小林旭なんか、ソフトバンクのCMにも出るようにもなった。
紳助は、吉本から謹慎を言い渡されるはずだと思ったらしいが、自分から引退を口にしたのだという。

紳助は前々から、そろそろ辞めるか仕事を減らして、のんびりしたいと言っていた。
本人が会見で言っていたように、去り際としては実に格好が悪い。最悪の終わり方だ。レギュラー番組はどうなるのか。新撰組リアンはどうなるのか。「行列」や「オールスター感謝祭」の司会なんか、紳助以外にできそうにないだろうに。
無責任としか言いようがないが、そこらへんの批判も承知の上なんだろう。

極めて残念だ。上岡龍太郎が引退した次くらいに残念である。
紳助が引退することも残念だが、こんな去り方になったことも残念である。

紳助は、会見で、「芸能界のルール」を盛んに口にしていた。それは、「暴力団とは付き合ってはならない」というルールだ。
紳助はそれに抵触していないと思っていたらしいが、吉本側はルール違反だと迫ったのだという。

ここからは私の推測だが、紳助が引退を口にしたのは、山口組5代目との仲を吹聴し、吉本興業のなかでヤクザを盾に好き勝手やっている中田カウスと、それを許している吉本への当てつけではなかろうか。

中田カウスは、M-1の審査員を務めていたが、紳助とは仲が悪く、6年前の紳助の暴力事件の際は、暴力団の力を借りて紳助の復帰を拒もうとしていた過去がある。

 

目は笑っていない邪悪な中田カウス (2007/04/07)
↑ Googleで「中田カウス」を検索すると、結構上の方に出てくるこのブログのエントリ


だから、紳助は会見でやたらと「暴力団と付き合ってはならないという芸能界のルール」を口にしていたんだと思う。
それは、芸能界を去る紳助の、せめてもの最後っ屁かも知れない。

 

あまり大っぴらに語られることはないが、地方自治体に裁量権がある公務員の採用枠には、同和枠というのがある。同和団体が推薦する人物を採用する枠である。
同和枠で採用された人は、多くが環境局で働く。ゴミ収集などを手がける部署だ。

今年5月、九州大学の理系で女性枠を設けたところ、男性受験者から「男女差別だ」との声が上がったとニュースがあった。
映画館のレディースデーなど、女だけ優遇する男性差別のサービスは許せても、将来に関わる大学受験では男性差別は許せないということだろう。当たり前の話だ。

就職に関わることなのだから、同和枠にも文句が上がってよさそうなものだが、なかなか聞かれない。公務員志望者は、ゴミ収集はしたくないということなのだろうか。別に同和枠は環境局だけではないのだが。

その同和枠であるが、それぞれの地方自治体の人事部門で選考せずに、同和団体からの推薦をそのまま受け入れたものだから、とんでもないヤツが公務員になることがある。
年に数日しか働かず、給料を満額貰いながら、公務員が禁止されている副業をやっていた奈良市の公務員がいい例だ。

これは紛れもない事実であるが、このこともあまり世間の明るみに出ることはない。こういう同和関係に不利なことを言うと、部落差別だと一方的に決めつけるヤツがいるからだろう。そんなことを言っているから、なかなか逆差別が解消しないし、改善もしないのだろう。

ただ、5年前に京都市長が同和枠の問題について謝罪したことがあった。
2003年から2006年の4年間で、京都市の公務員で70人が懲戒処分を受けたのだが、そのうち、39人が環境局の職員であった。特に2006年は、20人が免職になり、そのうち4分の3が環境局職員だった。
それを受け、京都市長が同和枠での優先雇用が原因と認め、世間に謝罪したのだ。

2006年の京都市はすごかった。特に、環境局の職員には、二度目の免職を受けた人間が3人もいたのだ。

ある職員は、1983年に覚せい剤取締法違反と銃刀法違反で逮捕され分限免職されたにも関わらず、17年後の2000年に再び京都市環境局に雇用されて、2006年にまた逮捕され免職となった。

別の職員は、1988年に交通事故をめぐる保険金詐欺で懲戒免職になったにも関わらず、5年後の1993年に京都市環境局に再雇用され、2006年にまた逮捕され免職となった。

また別の職員は、1984年に"病気休職中"にタクシー強盗をして分限免職になったにも関わらず、9年後の1993年に京都市環境局に再雇用され、2006年にまた逮捕され免職となった。

こんなこと、一般企業であり得るだろうか。犯罪者を退職金が出る分限免職にすること自体あり得ないが、免職した人間を再雇用するなんてもっとあり得ない。
しかも、そいつらが恩を仇で返すかのように、再び犯罪を犯して、二度目の免職を言い渡すことになっている。バカの極みではないか。

京都市長は素直に同和枠に問題があったと認め、謝罪したわけだが、この犯罪者の再雇用については、京都市の人事部門は地方公務員法を持ち出し、「懲戒免職から2年経てば雇用することができるから問題ない」と正当性を主張した。

うむ、これぞ公務員である。犯罪者だろうが何だろうが、同和枠や縁故採用で採用し、その公務員が犯罪を犯しても知らんぷり。
それでよくなるわけがない。

地方公務員の同和枠は、「職業の機会均等を保障するため」というもっともらしい理由が付けられている。今現在、就職で同和差別なんぞしている会社など皆無だから、同和地区の人間だけに「職業の機会均等の保障」をするのはおかしな話だ。
まあ、それは百万歩譲っていいとしても、在職中に罪を犯した犯罪者を再雇用するのはダメだろう。犯罪者にも"職業の機会均等を保障"するのも重要なのかも知れないが、それはほかに任せればいい。地方自治体の公務員採用で、そんなもんをいちいち保障してやる必要なんかない。
 

 

藤子・F・不二雄が亡くなるまで35年間在住していた川崎市に、9月3日、「藤子・F・不二雄ミュージアム」がオープンする。
Fファンとしては是非とも行きたいのだが、いかせん遠すぎるので、来年の夏あたり、横須賀市の嫁さんの実家に行ったら、寄ってみることにしよう。

私は、まあまあの藤子・F・不二雄ファンだ。
どの程度のファンかというと、2年前から出ている「藤子・F・不二雄大全集」を買うくらいのファンだ。

これまで、1期(1年目)、2期(2年目)をそれぞれ小学館から全巻購入した。それぞれ33巻あって、価格は5万円強だ。嫁さんは渋い顔をしていたが、強引に買った。
その「大全集」が、この9月から3期目に突入する。今度は34巻出て、6万円弱である。これまた嫁さんが渋い顔をしていたが、ここまで買って、途中から買わないなんてあり得ないので、これももちろん買うことにした。
100巻ほどで、しめて16万円の出費である。16万円もあれば、テレビとブルーレイレコーダが買える値段ではないか。

キリのいい100巻リリースだし、めぼしい作品は大抵出きったはずなので、この3期目で終わると信じたい。4期目でまた来年に5万円出すのは勘弁願いたい。
それでファンと言えるかどうかは知らんが、ファンでも金には制限があるのだ。

私は、手塚治虫も好きだが、ファン歴では藤子・F・不二雄の方が圧倒的に長い。やはり、私くらいの年代は、コロコロコミックで「大長編ドラえもん」などをタイムリーで読んでいた世代だから、藤子・F・不二雄ファンになるのだ。

ただ、今になって思うと、やはり手塚治虫は偉大だったと思う。

比較するべきものではないかも知れないが、手塚治虫は、いろんなタッチで、いろんな種類の漫画を描いた。「一輝まんだら」のようにクソつまらん漫画もあるし、漫画家として後期に当たる1980年代は作風でいろいろ悩んでいたみたいだが、概ね安定した面白さがある。

それに対し、藤子・F・不二雄は漫画の質のバラつきが大きいように思える。
特に私が気に入らないのが、「ドラえもん」の後期である。

例えば、「大長編ドラえもん」が面白かったのは「のび太と竜の騎士」くらいまでで、それ以降の作品は全く面白くない。面白く亡いどころか、どう考えても藤子・F・不二雄がペン入れしていないだろうと思われるものになってしまった。
思えば、「ドラえもん」本編でも、途中で突然、あるいは最初から全く絵柄が変わっていて、明らかにアシスタントが描いたと全ての読者が思うのもあった。これは、多忙だった藤子・F・不二雄に代わって、チーフアシスタントのたかや健二がネームの上からペン入れしたものらしいが、ヘタクソすぎて、読んでいて萎える。
しかも、連載の締め切りに間に合わせるためそうしたのであれば、単行本掲載時に描き直してくれりゃいいのに、単行本にもそのまま掲載されて、もちろん大全集の方にもそのままである。

手塚治虫は、例えばライフワークであった「火の鳥」は、単行本化に際して、何度もページを書き直した。「太陽編」などは、いろんなバージョンがありすぎて、どれが正なのか分からないくらいになっている。
「三つ目がとおる」でも、連載時の表現が卑猥すぎたということで、単行本で描き直されることもあった。

それを見ると、アシスタントがペン入れしたハンパなものがそのままになっている藤子・F・不二雄の作品を見ると、「プロとしてハンパだなぁ」と思ってしまう。ファンだからこそ、批判的に思ってしまうのだ。
アシスタントが途中から描いた「ドラえもん」や「パーマン」がなければ、手放しで藤子・F・不二雄が好きなのだが、ホント、その中途半端なところだけが引っかかって仕方がない。

 

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