ずいぶん前にも書いたのだが、製品やらシステムやらで問題が起こった場合、その問題の根本的な原因を探り、その問題が二度と起きないように恒久対策を取るのがもの作りの基本だ。
適当に誤魔化していると、同じ問題を何度も繰り返すようになる。
逆に考えると、問題があったとしても、根本原因を知り、対策を取ればいいということである。
だから、原発で問題があったのなら、その原因を探って、対策を取ればいい。
原子力ムラの問題など、間接的な問題もあろうが、福島第一原発の事故の直接的な根本原因は、津波によってポンプを動かすための電源が水没し、電源を喪失したことだ。それによって原子炉を冷やせなくなった。
ならば、電源を失わないよう知恵を絞り、対策を取ればいいのだ。
JR西日本の宝塚線で107人が死んだ脱線衝突事故が起きたあと、JR西日本はしぶしぶながら自分たちの過ちを認め、改善した。
ATSが設置され、過密ダイヤは見直された。
今では、京都駅、高槻駅、大阪駅、三ノ宮駅など、乗降客数が多い駅で2~3分停車するため、ちょっとしたことで1~2分ダイヤが遅れても、停車時間を短くすることでダイヤを元に戻せることになった。
以前までなら、少しでもダイヤが遅れたら間に合わなくなり、運転士は運行速度を上げて時間を取り戻すしかなかった。
107人が死んでも、「JR西日本を取りつぶせ」とか、「JR宝塚線を廃線にしろ」とはならなかった。JRの路線は代わりが利かないからだろうか。阪急やバスもあるので実際はそこまででもないように思えるが、JRは謝罪と運行等の見直しだけで済んだ。
しかし原発の場合は、代わりがあるというものの心許ないものでしかない。にも関わらず、原因だけ探るよう言われ、対策なんかどうでもいいことになっている。原発は全部止めるから、対策なんかしないでいいというわけだ。
一度の失敗でこれまでやってきたこと、これからやるべきことを全部捨てるのである。おかしな話である。被害規模の問題なのだろうか。死人の数で言えば、JR宝塚線の脱線事故の方が多いように思えるのだが。
まあ何にせよ、問題が起きれば改善するのがビジネスであり、人間社会である。
これはよくPDCAサイクルなどと言われる。Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)を繰り返すことで、徐々によくなっていくのだ。
重要なのは、前述したように「評価」と「改善」である。これなしには、ものごとがよくなるわけがない。
それを思うと、基礎中の基礎であるPDCAができていない中国の鉄道が、マトモになるとはとても思えないのだ。
7月に中国で何十人か死んだ高速鉄道の脱線衝突事故が起こった。信号システムがおかしくなっているとき、手動や目視で電車を走らせ、停止していた電車に追突したという事故だ。
この事故で、中国は原因解析すらマトモに行わず、結局何人死んだか未だによく分からない。列車事故で行方不明者がいるとは、尋常ではなかろう。
原因解析という「評価」をしないから、当然「改善」なんかできるわけがない。
改善策は、せいぜい「気を付ける」くらいのもんだろう。
もの作りで問題が起こり、「ヒューマンエラーだったので次から気を付けます」というアホな対応を取ったとき、必ず同じ問題が起こる。人間がやることなんて信用できないのだ。絶対に問題が起きる。
問題が起きると思っていたら、やっぱり中国で次の列車事故が起こった。今度は死者こそ出なかったものの、信号システムが故障中に、地下鉄を昔ながらの人間が確認する方法で運行させたら、追突事故を起こしたというものだ。
中国は、全く同じ事故を、このたった2か月で二度も起こしたのだ。
完全に終わっている。
「二度あることは三度ある」とはよく言ったものだ。
今度の事故でもちゃんと原因の解析が行われず、ロクな改善策も取られないだろう。だから、また列車の追突事故が起こるに違いない。
だから、中国では電車なんぞに乗らない方がいいだろう。
というよりも、そもそも、用もないのに観光なんぞで中国に行かない方がいいと思われる。