先っちょマンブログ

2012年06月

昨年の4月下旬、アノニマスとかいうハッカー集団がPlayStaion NetworkにDDoS攻撃をしたけたり、情報を盗むなどして大暴れしたせいで、PlayStation Networkが2か月以上に渡って停止し、大型連休中にゲームのネットワーク対戦で遊ぼうと思っていた私をイラつかせた。
アノニマスとソニー(SCE)間でいざこざがあって、こうなったわけだが、酷い話だった。

そのアノニマスが、今度は日本の政府機関などのホームページなどを攻撃しているらしい。
「違法ダウンロードの刑事罰化」に反対しての行動らしい。違法ダウンロードに刑事罰を与えるという著作権法の変更を改めない限り、攻撃を続けるなどと宣言しているらしい。

アノニマスは「言論の自由」を掲げている団体で、なにかの義賊気取りらしいが、迷惑な連中である。
警視庁公安部が捜査に乗り出したらしいが、FBIなんぞでも対処できない連中を、トーキョーの警視庁がどうやって捕まえるつもりなんだろうか。

ただまあ、アノニマスが言うように、著作権法の改正によって違法ダウンロードに刑事罰が設けられたのは問題だと思う。

YouTubeなどのストリーミングサービスに違法にアップロードされたファイルをブラウザで視聴する分には違法ではないらしいが、それをダウンロードできるツールで自分のPCに落とすと違法になるそうな。
YouTubeから洋楽PVをダウンロードして自分のiPod Touchに入れたことがあるが、これをしただけで逮捕されて、前科者になってしまう恐れがある。

現状では、ローカルに保存するのは絶対違法だが、解釈によっては、YouTubeなどで見るだけで違法になる恐れもある。

音楽や映画は大体がNGだ。
私は、iPodに入れたい音楽はCDレンタルで借りてくるし、映画も買うなりレンタルするなりしてキレイな映像を見たいので、音楽や映画なんぞネットで落とす気にならないが、落としたらアウトだ。
嫁さんがたまに友人からmp3ファイルを貰っていたりするみたいだが、これも完全NG。

一番最悪なのが、DVDのリッピングが違法になるということである。
DVDにはCSSという暗号化技術が用いられていてコピーできないようになっているものが多いが、CSSはとっくの昔に破られていて、DVDをコピーできるツールは幾らでもある。

借りてきたDVDをコピーしたりはしないが、自分が持っているDVDをリッピングして、iPod Touchに入るように動画変換することはある。
ひとりで勝手にやっている分にはバレないわけだが、個人で買ったDVDをリッピングして、iPod Touchに入れたら違法なのである。
警察官に職務質問され、iPod Touchを調べられ、中に自分で吸い出した動画が入っていたら、果たして逮捕されるのだろうか。その可能性だってゼロではない。

何年か前に、音楽CDにもCCCD(Copy Control CD)というクソみたいな技術が導入されたことがあった。
あまりにも不便なので、導入に積極的だった東芝EMIなどでもすぐに使われなくなったが、CCCDのリッピングももちろん違法である。
著作物を出した会社が、何らかの暗号化技術を用いてコピーしにくくしているのであれば、それを破ったら違法なのだ。

著作権法が変わったせいで、廃れたクソ技術のCCCDが盛り返して、いろんなCDに入る恐れがある。
今ではCCCDでも普通にmp3にリッピングできるツールが多いが、それも違法行為の助長を恐れて、仕様を変更してくる恐れがある。

さらに、もしかするとコピーコントロールのかかっていないCDからのリッピングも違法と判断される恐れがある。

これまで、自分で買ったDVDやCDを、音楽プレイヤーに入れたり、カーナビのDVDで再生するためにリッピングすることは合法だったが、この10月から違法になるのである。
mpeg4の動画ファイルにしたり、mp3の音楽ファイルに勝手に変換することが許されないのだ。
つまり、自分がDVDやCDを持っていたとしても、動画や音楽のファイルは、それらを売っているサービスから買えというわけだ。

こんなクソみたいな法律の成立を勧めたのが、レコード会社や映画会社などの権利者団体だ。
特に日本レコード協会や日本音楽著作権協会は、「CDの売り上げが落ちているのは、違法ダウンロードによるものであり、法的な罰則は絶対に必要」と主張している。

CDの売り上げが下がっているのは、インターネットの普及と違法ダウンロードだけが原因ではなく、コンテンツの問題が大いにあると思うのだが、そういうのは全部無視して、ダウンロードやリッピングを厳しく取り締まる法律がないせいだと責任転嫁した。

その結果、不利益を被るのは、私たち市井の一般人である。
CDを買った上で、さらにネットの音楽配信サービスで買えというわけだ。それなら2倍儲かるってか。
いい加減にしろ。

 

先週放送された「人志松本のすべらない話」に、生活保護問題の渦中にいる次長課長・河本は出演しなかった。
そのことについて、松本が「今出ても笑えない」などと番組内で語っていた。まあその通りだろう。
今さらどれだけ面白い話をしても、「不正をして母親に生活保護を受給させていたくせに」としか視聴者が感じないのは間違いない。

河本の生活保護問題が盛り上がっていた頃、フジテレビや日本テレビは、吉本興業の意向を受けて、早速「河本は問題ない」との意見を表明していた。
河本は、「万引きがバレたら買えばいいんだろう」という泥棒の主張と同じ方式で、「バレたから生活保護を返す」と主張していた。それで問題ないと即断できるとは、テレビ局の人間はどういう思考回路になっているのかと思った。

だが結局は、河本は徐々にテレビ番組の出演機会を失っているようだ。
テレビ局は、吉本の意向もあるが、収録済みの番組をトバしたくないからそう言っただけかも知れない。

そもそも、河本は芸人としてそれほど面白くなかったのだから、別に出て貰わなくても構わない。
そこらへんは、私が好きだった島田紳助とは違うところだ。

河本が芸人として売れ始めたきっかけは、「人志松本のすべらない話」だった。
深夜にやっていた初回に出演し、「犬のタロ吉」の話を3回もしていた。それや、のちに生活保護を受けることになるオカンの話のインパクトが強く、徐々に注目されるようになった。

別の放送で芸能人が「すべらない話」の感想を述べたとき、「河本さんのタロ吉の話が好きです」などと言っていたヤツがいたと思う。
私には、河本の話のどこらへんが面白い話なのかまったく理解できなかった。むしろ、不快な話であった。

「犬のタロ吉」は、河本が幼少期に飼っていた雑種犬の話だ。
河本が子供のころ、母親の都合で姉とともに引っ越しをしなければならなくなったが、引っ越し先では犬が飼えなかったため、泣く泣く山に捨てることになった。姉は泣きじゃくりながらタロ吉に別れを告げていたのに、山で話されたタロ吉は名残惜しみもせず、ぶわーっと走り去ってしまったという内容だった。

要約すると、引っ越し先で犬が飼えないから、それまで飼っていた犬を山に捨てたという話だ。
私からすると、不快感を覚えるだけである。

「昔だから」で済まされる話ではない。たかだか30年ほど前の話だ。飼えなくなったから犬を捨てるとは、無責任の極みである。
どうせ飼えるような引っ越し先を探したわけでもあるまい。恐らくだが、市営住宅などを引き当てて、そこに越すことになって捨てただけではないのか。

自分の都合で犬や猫を捨てるヤツ、保健所にほいほい持ってくるヤツは、動物を飼うことを一体なんだと思っているのだろうか。
飼っていた金魚をそこらへんの池に放すのと同じ気持ちなんだろうか。

犬や猫を飼うということは、最後まで面倒を見る責任を負うということであって、それを早々に放棄するなんてことがあってはならない。
「手は尽くした」などと言うヤツもいるかも知れないが、どれほど手を尽くしたのかは、想像しなくても大体分かる。大したことなんかやっていないに違いない。

そこらへんに捨てられた犬は、結局は保健所に連れて行かれることになる。保健所に持って行くのと等しい。
保健所では犬や猫を安楽死させない。ガス室に15分入れ、炭酸ガス(二酸化炭素)によって窒息死させ、それを焼却処分するだけである。
たまに体力のある雑種犬などは、15分で死なない場合があるが、瀕死の状態で焼却炉に投げ込まれることになる。

このブログで何度も書いているのだが、犬や猫を気軽に捨てるヤツには、この現実を突きつけるべきであろう。
犬や猫は人間の都合で飼われる動物であるが、飼い主の都合でほいほい殺していい動物ではない。しかも、自分の手を汚さずに、お気軽に殺していいわけがない。

飼っている動物のことを省みない家庭で、無責任に育ったから、河本家では生活保護を搾取しても何とも思わないし、何とかしようと努力もしないのだろう。何とかして、犬を飼い続けようと努力しないのと同じだ。
生活保護は金の問題で済むが、犬は殺されてしまう。

犬が殺されても誰の懐も痛まないから、大した問題じゃないと思う人もいるだろうが、私は守銭奴のように金をせびる人間よりも、動物を気軽に殺してしまう人間の方が問題ではなかろうか。

 

 

今月だけで、静岡にある会社に4回も出張に行った。もう、目隠ししても新幹線に乗って辿りつけるんじゃないかと思うくらいである。
静岡出張に行くと、これまで、静岡営業所の営業担当の先輩社員が、毎度ウナギ屋さんに連れていってくれて、そこで昼のサービスうな丼を奢ってくれていた。

切ったウナギが2枚(おそらく1匹の3分の2の分量)載った丼で、1000円だった。
それが、1年前からウナギ1枚、エビ天1本に変わってしまった。
さらに、今年に入って、ウナギ1枚、エビ天1本の丼が1500円になってしまった。

毎回奢ってもらっていたのだが、実は私はそれほどウナギが好きというわけでもない。嫌いでもないが、別にウナ丼じゃなくて、ハンバーグ定食
で構わない。
だから、1500円になった時点で「ファミレスにしましょうよ」と言って、いつも行っていたウナギ屋さんに行かなくなった。
どう考えても、1500円の価値はない。

ちなみに、4月に静岡営業所の担当営業が代わってしまったため、昼飯を奢ってくれなくなってしまった。
だから、ファミレスで安くあげることにしてちょうどよかった。
ウナギが以前の半分しか載っていないのに、値段は1.5倍になったウナ丼なんぞ自分で払う気になれない。

先に書いたように、私はウナギがそれほど好きでもないので、ウナギを食べるのは、静岡出張で奢ってもらったときか、土用の丑の日だけだ。
土用の丑の日も別にウナギを食べたいなどとは思わないのだが、スーパーでパートをしている嫁さんが、店で買わされるから食っているだけである。

ウナギが高いのなら、食うのを諦めたらいい。外人に邪魔されて食えなくなったクジラと同様に、高いのなら食わなきゃいいじゃんというわけだ。
土用の丑の日や夏の暑い日に死んでもウナギを食いたい人なら別だが、わざわざ高すぎるウナギを食う必要なんかない。

「土用のウシなんだから、ウナギじゃなくてウシを食べよう」と企画しているスーパーもあるらしいが、それでいいと思う。
高騰して庶民に手が出なくなったウナギをむりやり食うくらいなら、その値段で腹いっぱい焼肉を食った方が世の中のためになるような気がしてならない。

 

ここ1週間ほどで政局が急展開し、消費税増税を含む社会保障・税一体改革法案が衆院で可決されたり、小沢一郎が子分を引き連れて民主党を離党し、新党を作る動きが活発になってきた。

野田首相の「何が何でも消費税は増税させる」という意気込みだけは伝わってくる。
消費税の増税は必要だろうが、今の時期でいいのかどうかは分からない。リーマンショックを超えるヨーロッパ発の不景気が日本に到来することが予想されるなか、消費税増税はデフレを一層進めるだけかも知れない。

ただまあ、いつかは必要であって、時期を見ていたらいつまで経っても消費税を上げられない。「肉を切らせて骨を断つ」を実践するかの如く、民主党が分裂しようがどうなろうが、この法案を進めるのだから、野田首相の決意は相当のものだろう。
どうせ民主党は次の選挙で大敗するから、信念に基づいてやるべきことはやって、歴史に名を刻もうという魂胆か。

それを思えば、未だに民主党のマニフェストにこだわる小沢一郎が、逆に一途に思えてくる。
小沢は放射能を恐れて地元に帰らないと嫁さんに暴露されていたし、財源も確保せずに子ども手当にやたらこだわったし、子分を引き連れて中国詣でをするし、クソ野郎の権化みたいなヤツだが、「マニフェストに書かれていない消費税増税には賛成できない」という意見は正しいように思える。

マニフェストに書かれていないと何もできないわけではないが、消費税増税のような重要な事案は必ずマニフェストに書いておくべきであって、都合の悪いことはマニフェストに書かず、都合のいいことばかり書いてそれを破るとは、いかにもめちゃくちゃである。

毎月2万6000円の「子ども手当」はなくなって、名称だけ「児童手当」に戻って、結局月1万円になった。そして所得制限だけが残った。
中止を掲げていた八ッ場ダムは、昨年末に中止を撤回した。
高速道路の無料化は全く実現しなかった。
ガソリン税の暫定税率を廃止してガソリンの価格を下げると言って、「ガソリン値下げ隊」まで作っていたのに、結局なかったことになってしまった。

マニフェストの目玉政策で、何とか実施できたのは、高校授業料の無償化くらいではないのか。

めちゃくちゃ騙されて、挙げ句の果てにはマニフェストに書かれなかった消費税増税である。
めちゃくちゃ過ぎて話にならん。

1年生議員が頭を抱えて、自分の行く末を心配するのも無理はない。
こんな政党に未来はなかろう。

結局、マニフェストは破られるためにあった。
3年前にこのブログで下のような画像を貼ったが、3年間で何も変わらなかった。

 


変化を求めても、中途半端なヤツらには、何もできないということなんだろう。

 

私が育った実家は、元々あまり外食をしない家だったので、大学生になって知り合いと焼肉屋に行くまで、外で焼肉を食べたことがなかった。
我が家は、年に1度外食すればいい方だった。

大学生になって初めて行った焼肉屋で、初めてレバ刺しを食べて、いたく感動した。
塩を溶いた胡麻油が最高にうまく、「この食べ方を編み出したヤツは天才やな」と思った。

その後、狂牛病騒動のときに、日本人特有の「特に意味も分からず、危なそうなものを禁止する風潮」のせいで、何故かレバ刺しが焼肉屋から消えるという、バカみたいなことがあって、本気で腹が立った。
狂牛病で悪くなる脳みそ関係の肉と、肝臓の違いも日本人には分からないらしい。

レバ指しを提供する店は減ったが、それでもややお高い店では食べられた。
おいしさではレバ刺しに劣るが、生に近い形で肉を食べるユッケは、どこでも食べられた。

ところがユッケは、どこぞの店で食った人が死んで、そこらじゅうで禁止になり、次なるターゲットがレバ刺しになった。
お国が、「レバーを生で食べるなんてアブナイじゃないか」というお触れを出したのである。
余計なお世話である。

この国の役人は、国民が本当のアホだと思い込んでいるらしい。だから、散々ニュースでやっていたにも関わらず、凍らせた蒟蒻ゼリーを食べさせて子供を殺したアホな親や祖父母が出てきたら、そいつらのアホな行為を正すのではなく、蒟蒻ゼリーメーカに「販売を中止しろ」と迫った。

レバーに含まれる何かの菌で感染症に罹る恐れがあると分かったら、全国民に「レバーの生食禁止」を通達した。
レバーを食って当たって死ぬのは、小さい子供と老人くらいだろう。そうでなければちょっと腹が痛くなるくらいなのだから、そんなもんは放っておくか、ジジイとガキに食べさせるのを禁止すればいいのである。

いろんなヤツからクレームが来るのを嫌って、そういうお節介な対応をしているのだろうが、本当に余計である。
「生レバーを食べる → たまに病気に罹る → レバーの生食を禁止する」という流れが正当であって、そうしないといけないのであれば、「外を歩く → たまに車に轢かれて怪我をしたり死んだりする → 外出を禁止する」という流れも正当に思えてくる。
レバーに当たって死ぬより、外を出歩いて車に撥ねられて大怪我したり死んだりする確率の方が遥かに高そうだ。

こうやって、"イタい市民"が抗議しているのだから、国土交通省は、人が道路を歩くのを禁止するか、車の運転を禁止すべきだ。
さあ、さっさとやってくれ。

 

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