自分にはとてもじゃないがマネできない、「ようやるわ」と思えるようなことをやっている人は、単純に感心してしまう。
私が特にそれを感じるのは、ブログやツイッターなどで、ひたすら同じテーマについて書き続けている人だ。
毎日毎日、韓国や中国の悪いところをネットで探してきて、揶揄したりバッシングしたりを、延々と繰り返している人がいる。
いかに原発が危ないか、福島がどれだけ汚染されたかを、ひたすらブログに書いたり、ツイートしたりする人がいる。
女性専用車両が気に入らず、それを撤廃させるために、同じようなことをひたすら書いている人がいる。
電磁波の危険性を根拠もなく訴え、最終的には秘密兵器云々とまで主張する、本人が電波を放出しているような人もいる。
主義主張が合う人、合わない人がいるわけだが、それでも毎日毎日、同じようなことを書き続けられる根性はすごいと思う。
私は飽きやすく、注意力も散漫だから、毎日特定のニュースを集める気になれないし、毎日同じようなことを書く気にもなれない。
そんなことをしていたら、それが義務のようになってしまい、すぐに飽きてしまうのが分かっている。
中韓叩きをしている人も、反原発を訴えている人も、いずれにしても、まるでそれが自分の責務であるかのようにやっているわけだが、ご苦労なことである。
私にはとてもじゃないがマネできないが、よくよく考えてみると、そういうことが好きで、それを続けることが苦にならないのであれば、趣味のように毎日できるのかも知れない。
私はちょっと前にツイッターのアカウントを作って、ちょろちょろツイートし始めたが、ツイートしている内容は、台湾エンタメの話ばかりである。
好きで毎日調べ物をしたり、YouTubeを眺めたりしていると、そのツイートばかりになってしまう。
最近は、先々週に日本でデビューしたばかりのウェザーガールズにはまっていて、毎日その話ばかりである。
ウェザーガールズ
ブログで台湾エンタメの話を書いても、イマイチ評判もよくなく、反応も悪い。
だから、ツイッターで好き勝手やることにしたのだ。
それを思うと、好きで毎日毎日、同じテーマについて調べ、同じテーマについて書くというのは、それが好きだからできるのだろう。
そうやって冷静に考えると、感心するようなことではないように思えてきた。
アイドル好きが、アイドルのことを毎日延々まくし立てたところで、すごくも何ともない。
やはり、落ち着いてものごとを考えることは重要だと気付いた。
身近なことに置き換えて考えれば、スゴイと思えることも、やはりそうではないように思えてくるものだ。