先っちょマンブログ

2013年01月

ビックコミックオリジナル最新号の「ひよっこ料理人」というマンガで、箸を正しく持てない子供について取り上げられていた。
その中で、登場人物の小学校の教師が、箸の持ち方について学校で指導すると、「余計な躾をするな」と保護者に言われる反面、「躾は学校がするもんだろ」と言う保護者もいるなどと描かれていた。

教師は勉強を教える仕事であるから、教師が躾なんかする必要はない。子供の躾は家庭でするもんであり、教師はちゃんと躾けられていない子供を叱るだけでいい。

学校の教師をなんだと思っているのか知らないが、最近は教師に子供を起こせとか言う親もいるとニュースになっていた。低能丸出しの親が増えたおかげで、昔に比べて教師の仕事の量はだいぶ増えたに違いない。
やる必要のないことをしなければならないのだから、教師のストレスもハンパではなかろう。

だから、児童が給食のチーズ入りちぢみを食べてアナフィラキシーショックになったニュースを見て、「なんで教師が児童や生徒のアレルギーまで把握して気を遣わねばならないのか」という疑問しか浮かばなかった。

昨年12月、調布市の市立富士見台小学校で、給食のちぢみのおかわりを申し出た5年生の女子児童が、教師からチーズ入りのちぢみを渡されてそれを食べ、アレルギーで死んでしまった。女子児童には乳製品のアレルギーがあった。
最初に食べた分は、アレルギー用にチーズを抜いたちぢみであった。

このニュースで、アレルギーの子供のために別メニューの給食が用意されていることにも驚いたが、教師には児童らのアレルギー表と、給食の除去食一覧表なるものが渡されていて、それを参照して子供に食べさせていいものと悪いものを判断し、おかわりさせるかさせないかを判断しないといけないということに驚いた。
面倒臭い上に、間違えたら死の危険が伴う。ちょっと痒くなるくらいならいいが、アナフィラキシーショックで死ぬとか、教師はいつから人の命を預かる職業になったんだろうか。

そんな重度のアレルギーを持つのなら、本人にもちゃんと確認させるべきであろう。11歳にもなれば、自分が何を食べていいのか悪いのか判断くらい付くはずだが。
それもできないのなら、弁当を持たせればいい。「皆で給食を分かち合って食べるのも教育」とか面倒臭いことを言うヤツもいるのだろうが、別々のものを食っていようが、皆で食えれば、別のものを食ってもいいと思うのだが。
弁当を持ってきていても、普通に給食を食ってるヤツのを貰って食ったら意味ないだろうが、それは食った方の責任だ。

保護者説明会で、チーズ入りちぢみを渡してしまった教師に、保護者から非難が殺到したらしいが、他人の失敗には人一倍厳しい連中である。
失敗した人間を責めるだけなら誰でもできるわけで、幾ら気を付けても、このようなヒューマンエラーは絶対に起きるのである。
仕事での経験則からいうと、「チェックを強化します」とか、「気を付けるようにします」というのは対策にならない。

自分の子供に重度のアレルギーがあるのなら、自分と子供で十分に気を付けるべきだろう。
何でも他人任せにして、何かったら誰かを責める。そんなお気楽なことをしていていいのだろうか。
自分の身は自分で守るのが、人間のみならず生物の基本だと思うのだが。


 

とにかく何でもかんでも手当たり次第に日本と自国を比較したがる韓国は、中国にどちらが気に入られているか、重要視されているかまで新聞記事にする。
政治面で中国が日本を敵対視し、韓国とは仲良くやっていこうとしている姿勢を機器として記事にしていた。

本当に頭の悪い連中である。
中国みたいな国とは、経済的にそれなりの活動をやってりゃいいだけで、政治で中国に気に入られる必要なんかない。

韓国のこういうところを見ると、華夷秩序や事大主義がまだ抜けていないんじゃないかと思わずにいられない。根っからの中国の子分肌。千年二千年中国の属国をやったことで、DNAに刻み込まれてしまったのだろう。

今になって韓国は中国の子分だった過去をなるべく薄めて、昔から朝鮮半島は華麗なる朝鮮民族の国家が支配していたかのように謳っているがとんでもない。

李氏朝鮮に世宗が捻り出した世界で最も遅く発明された文字であるハングルは、日本統治時代に日本が広く教育するまで、こっそり使われているだけで、公文書は全て漢文だった。

また、朝鮮人はシナに倣って、名前をシナ風に変えてしまった。
私の考え方からすれば、他国風、他の民族風の名前に変えるなど、到底受け入れがたいわけだが、姓のなかった平民はおいといて、朝鮮人の王族・貴族たちは大昔にそれをやったわけだ。
日本統治時代の氏を新たに設け、名前を日本風に変えてもいいという創氏改名にガタガタ文句を言われる筋合いなんかないくらいのことではないか。

 


Dream Girls

いきなり話が変わるのだが、台湾にDream Girlsという3人組の女性アイドルグループがいる。3人とも可愛くて、歌がうまい。
このグループのメンバーは、ハーフっぽいのが李毓芬、ウマ面っぽいのが宋米秦、ショートカットが郭雪芙という。
全員台湾人だと思いきや、実は宋米秦が韓国人(しかもリーダー)なのである。
韓国人はシナ風の名前なので、台湾人や中国人の中に混じっても、名前で区別が付かないのだ。

今さら、韓国人はシナ風名前を少しでも弱めようとして、漢字表記できず、ハングルでしか表記できない名前を付けたりしているが、もう手遅れ。
新羅あたりの大昔に、ご先祖さまが朝鮮風の名前を捨て、シナ風の名前を選択した暗黒史は未来永劫消えることはない。

シナの属国であった歴史を薄めたい韓国は、漢字も排除していこうと必死だ。漢字復活を主張しているのは保守系の朝鮮日報くらいで、漢字がどんどん韓国社会からなくなっている。
日本語で平仮名ばかりの表記になったら読みにくいのは誰でも分かると思うが、今の韓国ではそれに近いモノがあるらしい。漢字を使わないから、漢字由来の韓国語について元の意味が分からない人が多いとか。

シナの属国を少なくとも千年以上やってきて、急激にそれに反発して過去を払拭しようとしている韓国を見ると、つくづく日本はシナの属国にならなくてよかったと思わずにいられない。
「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」とやってくれた聖徳太子に感謝するほかない。

 

 

日本はほかの国に比べると、女性が社会進出していないなどとして、よく国内外から非難されている。 世界経済フォーラムの「男女格差報告」によると、日本は女性の社会進出度で世界135か国のうち101位なんだそうな。

フェミニストに言わせると、日本の社会構造が女性を働きにくくしているという。特に問題になるのが子育てで、産休制度がキッチリ整っているのは一部の大手企業や役所くらいのもんで、産休制度があったとしても、子供を預けられる保育園も満杯状態では仕事もできない。
確かにそうだと思うが、子供を産んで専業主婦になり、ある程度大きくなったら、旦那の少ない給料を補うためにパートに出たりすることの何が悪いのかと思ってしまう。

私が女なら、喜んで仕事をやめて家事や育児に専念したいのだが、女はそれほど仕事をしたがるもんなのだろうか。

仕事で交流のある台湾や中国では、共働きが当たり前で、専業主婦は割と少ない。台湾や中国の会社の人に会うと、女性であることが非常に多い。専業主婦になれるのは旦那の稼ぎがいい家だとか。
専業主婦は家で料理を作るが、共働きの家では滅多に家で料理を作らない。朝昼晩、いずれも専ら外食となる。そらそうだ。男と同じくらい仕事をして、家に帰って炊事までやってられないだろう。
だから、台湾などでは外食できる店が山ほどあって、夜遅くまでやっている。

日本の女性が社会進出していないとか、余計なお世話に思えて仕方がない。日本は昔から男が稼いで、女が家を守ることをずっと続けていたわけで、それをやり続けて何が悪いのだろうか。
女性差別だというヤツもいるが、どこらへんが差別なのかがよく分からない。ただの分業にしか思えないのだが。別に女が働いて、男が家事や育児をやってもいいが、そんな女は殆どいないだろう。

女性差別だというのなら、女性の社会進出が日本より断然進んでいる中国、台湾、韓国といった中国文化圏の国々は、シナの文化を今も受け継いで、夫婦別姓にしかなれない方がよほど差別に思える。
女が男の家に嫁いでも、同じ姓にはなれず、あくまでも他人のまま。

それらの国々で家庭の女が虐げられているのかどうかは知らないが、本当に女が虐げられている国は山ほどある。

イランなどのイスラム原理主義の国では、女の顔に塩酸をぶっかけても男が捕まらなかったり、女が婚前交渉したというだけで石打刑で処刑されたりする。

インドに至っては、国教ともいえるヒンドゥ教が女性差別を推奨している。「妻は夫を神と崇め、従わねばならない」とか「女は幼いときには父に、若いときには夫に、年老いたときには息子に従わなければならない」という教えがあるのだ。
ヒンドゥ教は、カースト制度という身分制度による差別を作っただけでなく、女まで差別する宗教なのだ。

インドで女の地位の低さを表す風習に、ヒンドゥ教のサティがある。
サティはヒンドゥ教の神話におけるシヴァ神の最初の妻であり、シヴァのために焼身自殺をする女神だ。
その女神の名前に由来する風習は、夫に先立たれた未亡人が焼身自殺するというものだ。

実際、焼身自殺する風習というより、焼身自殺させられる風習といっても過言ではない。
インドでは1829年から法律でサティが禁止されているが、なかなか減らず、こっそりと殺される寡婦があとを立たない。

さらにインドでは、女児の出生率が非常に低くなっている。男女産み分けをしているわけではなく、女と分かった段階で堕胎しているのである。その数毎年50万人以上。違法に堕胎された女児が井戸に捨てられ、40人の女児の遺体が井戸の中から見つかったなんて事件もあった。

そんなインドだから、あれほど酷い女性への集団レイプ殺人事件が起こるのだろう。しかも、レイプ事件で社会が騒然となっている折、別の場所でバス運転手らによる別の集団レイプ事件が起こるほどである。
なんてメチャクチャな国なのかと思わずにいられない。

そんなインドの社会進出度は、「男女格差報告」で105位。Master Cardの調べによると59.6%。日本はそれぞれ、101位と60.1%。ほぼ同等である。
だが、日本の女性は、夫が死んだからといって焼き殺されたりしないし、バスに乗っただけでAVみたいに運転手や乗客からレイプされることもない。

何だかよく分からない調査と、その結果の数値だけで、女性の幸せのランク付けなんてできないと思うのだが、どうだろうか。

 

国家公務員の退職手当を減額する法改正に伴い、地方公務員の退職手当も下げる動きが全国で広がっている。
国がやっているのに、地方は無視するわけにはいかないのだろう。有権者の目もあるし、麻生財務相が厳しくやっているせいもあるらしい。

それは大変結構なことなのだが、問題は減額の時期である。地方によって決定した時期が違うのでバラバラなのだが、2月1日あるいは3月1日から減額するという地方が多い。
そのため、3月末で定年退職する予定だった公務員が、駆け込みで退職する事態になっているのだという。
おおむね、120万円~150万円が減額されるので、さっさと辞めてやれというわけだ。

駆け込み退職するのが役場の職員や警察官だったらまだいい。信じられないのが、教員でありながら、1月末で辞めていくヤツが相当数いるということだ。
2月から退職手当が減額される埼玉県では、110人の教員が1月中に退職する。そのうち30人は、学級担任をしている教員であるらしい。

夕方のニュースで、ますだおかだの増田が言っていた。
「駆け込み退職する教師は、生徒にどう説明するんでしょうね」
「どうせ、一身上の都合とか言うんでしょ」

増田の言うとおりだ。
例えば月給40万円として、3月に辞めたら退職金が150万円経るから1月に辞めるとする。2月3月の給料で80万円分を引いた70万円を損せずに済むということである。実際は労働をしているし、手取りとは違うので正確ではないが、たった数十万円のために学級担任を投げ捨てて辞めてしまう教師とは何なのかと思わずにいられない。

生徒にどのように話して辞めていき、残りの中途半端な2か月間、違う教員がクラスを受け持つことになる。
金のために辞めていったのかと思うと、生徒もさぞガッカリすることだろう。金のためだからしょうがないとは、子供はなかなか思わない。

公務員は学校の教員だけではないので、地方自治体は退職手当の減額を4月から実施するより、少しでも早く実施したのだろうが、こうなることは予想できたはずだ。
だったらもう、4月からでよかったんじゃないかと思わずにいられない。

ちなみに、私が住む滋賀県では、2月から退職手当の減額が行われるのだが、駆け込み退職する教員はゼロらしい。
ちょうど定年を迎える教員も都会に比べれば少ないだろうし、大津のいじめ自殺問題などがあって県民が学校不信になっているから、駆け込み退職するわけにはいかないという考えがあったのかも知れない。

ここのところ、滋賀では大津のいじめとか、嘉田知事の日本未来の党立ち上げとか、ロクなニュースがなかったが、駆け込み退職する教員ゼロというのは、なかなかいいニュースである。

駆け込み退職する教員は、子供に勉強を教えるために仕事をやってきたわけではなく、所詮はそこらへんのアルバイトと同じで、金のために働いていただけなのだ。
もう少し、教師としての気概を見せて欲しかった。

ただ、欲の赴くまま、金勘定で駆け込み退職する教員がいる一方、辞めずに続ける教員も多いのは事実だ。
駆け込み退職する教員が、金が好きなごく一般の人間だとすると、残った教員はちゃんと職務を全うする人間であると考えることができる。

駆け込み退職で辞めていく教員を非難する報道ばかりであるが、残った教員を褒める報道があってもいいのではなかろうか。
残るのが当たり前で、辞めるのは自分勝手と思うむきがあるかも知れないが、辞めるのが当たり前で、残るのがスゴイと考えるべきなんだと思う。

 

昨日の午前、仕事をしていて「何か調子が悪い」とずっと思っていた。何だか熱っぽいのだ。
昼を過ぎたら、それがいよいよ酷くなって、顔はほてり、リンパ節も痛み出した。

「これは絶対に風邪だ」と思い、仕事を15時で切り上げ、フレックスで早退することにした。
とぼとぼ歩きながら、何とか家まで着いて熱を測ったら、40℃もあった。
急いで病院に行ったら、A型のインフルエンザだと診断されてしまった。

昨日は熱がまったく下がらなかったので、ブログを更新している場合ではなかった。
今朝も39℃台の熱があるのだが、寝過ぎたため、これ以上布団に入っていることは退屈なので、ブログを更新することにした。
腹の立つことがあるので、書かずにはいられないのだ。

その腹の立つことというのは、公明党の山口那津男代表が、香港のテレビなどに対し、「容易に解決できないとすれば、将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ」と述べたことだ。
いわゆる棚上げ論で、かつて鄧小平が持ち出したものである。

尖閣諸島は係争地でも何でもなく、日本の領土であるのは間違いない。そこに中国が絡んできて、自分の領土だと言い出して揉めたから、解決は先送りしようなどという考えは、狂っているとしかいいようがない。

そもそもの話として、自民党が公明党と手を組んでいること自体が気に入らない。公明党は創価学会の出先機関であり、集票マシンとしては最高なのかも知れないが、自民党とは価値観が全く異なる。
価値観が全然違うから、公明党の代表が中国におもねるような発言を平然とするのである。

週刊新潮で報じられた記事によると、創価学会の名誉会長である池田大作は、日中国交正常化に自分が寄与したと思ってるらしい。だから、創価学会は中国を大切な国と思っているフシがあるそうな。
日中国交正常化のおりに総理大臣だった田中角栄の娘の田中真紀子が、中国が大好きなのと同じ理屈である。

だからといって、どういう理由で中国におもねるのか知らないが、中国と仲良くしたくてしょうがないのが創価学会なんだろう。
池田大作がそうで、創価学会がそうなのだったら、公明党の代表も同じ考えであるのは間違いなかろう。
だから、尖閣問題の棚上げ論を口にしてしまうのだ。

恐ろしい話である。創価学会という新興宗教の出先機関が連立与党であることもそうだが、中国が大好きで、中国のために働きたがる政党が与党なのである。
自民党が公明党と手を組むぐらいなら、日本維新の会と手を組んだ方がよほどマシに思える。

自民党は、公明党との連立を解消することはないのだろうか。
自民党に対して、そこが一番の不満だ。

 

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