先っちょマンブログ

2013年03月

先週26日(火)のサッカーW杯最終予選・日本対ヨルダン戦は見ていてイヤな気分になる試合だった。日本が負けたからではなく、ヨルダンの連中がクソ過ぎたからである。

日本の国歌斉唱のとき、静かにするどころかブーイングを浴びせた。まるで中国である。
さらには、ヨルダン側のフリーキックのときにキーパーの川島をレーザー光線で狙ったり、日本のPKのときにキッカーの遠藤をレーザー光線で狙っていた。高出力のレーザー光線は網膜が焼けたりして危険なのだが、そんなことはお構いなし。しかもPKのときだけではなく、日本選手を常に狙っていて、センタリングのときに日本の選手の足下にレーザー光線がちらちら映っていた。ずっと狙っていたらしい。

さらにテレビ中継では分からなかったが、前半終了間際にヨルダンがコーナーキックで先制し、ハーフタイムで引き上げるときに、ヨルダンの選手が日本のザッケローニ監督に向かって、首を切る仕草をしたそうな。よく欧米の映画で見る、親指で首を切る仕草だ。

観客のマナーもなっていなければ、選手のマナーもなっていない。
ヨルダンはまるで韓国である。

韓国人は日本人をなぜかサルだと見下しているので、韓国の選手が日本戦で点を取ったときに、日本を挑発するためにサルのマネをした。「お前ら日本人はエテ公だ」というわけである。
さらには、東日本大震災のあと、韓国人の観客がサッカーの試合場に「日本の震災をお祝いします」という横断幕を掲げたりもした。

ヨルダンは中東における韓国のようなバカ国家なのだ。
反日が動機ではなく、ただ単に民度が低いだけであるが。

私の父親は、心臓に小型AEDが埋め込んである身障者1級で、さらに食道ガンを患っているのだが、ヨルダン戦も見に行った。南アフリカのW杯と平壌での予選を見に行って、心臓が悪くなって死にかけた経験があるのだが、身障者は海外旅行の保険に入れないので、母親が付き添い、英語ができる妹が通訳として付いて行った。

父親はサッカー観戦のため、イランやバーレーン、カタールなどに行っているのだが、「中東の連中はやりたいことをやるからなぁ」と言っていた。日本戦が行われたサッカー場に、サッカー好きが集まったかどうかもアヤシイ。

ヨルダンは日本人からはチケット代として5000円取るくせに、ヨルダン人はチケット代が100円程度とタダみたいな値段だったそうだ。
そのくらいじゃないと客が入らないらしいが、そんな国に負けたのかと思うと今になって腹が立つ。
さらには、タダみたいな値段で入ったクソみたいな連中が、日本代表選手にレーザー光線を当て、ブーイングを浴びせていたのかと思うと余計に腹が立つ。

しかも、試合が行われたサッカー場は、マトモではなかった。
中継でも言われていたが、これまで4戦負けなしのサッカー場だから験を担いで日本戦も無理矢理そこで行った。ピッチはボコボコ、選手が見られる時計も電光掲示板もないから、何分経ったか分からない。
しかも、父曰く、「これまで見たサッカー場で一二を争う小汚いサッカー場だった」そうで、日本チームのロッカーが壊れていたり、シャワーが使えなかったというのも納得のボロさだったとか。

こういうのを見たり聞いたりすると、ヨルダン人がどういう人間かよく知らなかったが、本当に嫌いになる。
ヨルダン人は好きなことをやり、日本の批判は受け入れない。
先程は韓国人みたいだと言ったが、中国人みたいでもある。やりたいことをやるから、子供にどこにでも大便をさせ、注意されても知らんふりをするどころか相手をなじる。
ヨルダン人が韓国人と中国人を足して2で割ったような連中だと思うと、こんなヤツらがW杯に進出するのは死んでも避けたい。だが、現在単独2位なので、その可能性は非常に高い。

ちなみに、父たちは、前日に日本代表の練習場に行って、選手に会ってサインを貰ってきた。
色紙が4枚あったので、旬な香川、父が好きな遠藤、同じ滋賀出身の乾、そしてなぜか今野。

 


香川選手のサイン 向きが合っているかは不明


練習場をあとにする選手にサインを貰うとき、一悶着あったらしい。
なんでも、何故か現地在住の日本人が取り仕切っていて、「子供以外はサインを貰うな」と観戦のために来ていた日本人に対して強く命令していたらしい。もちろんその子供というのは、自分たちが連れてきた子供でもある。

母がそんな命令をガン無視し、関西のオバハンパワー丸出しでサインを貰ったらしいが、そのような意地悪をする理由が全く分からない。
なぜ、サッカーの応援に来た日本人を敵視し、自分たちだけが選手に会ってサインを貰える権利があると思えるのだろうか。

クソッタレ揃いのヨルダンに住むと、日本人までクソッタレになり、底意地が悪くなるらしい。
ヨルダンなんかには住まない方がいいだろう。

 

クリント・イーストウッドが監督した映画「硫黄島からの手紙」はよかった。
ストーリーもよかったのだが、何よりよかったのが日本兵が人間として描かれていたからだ。栗林忠道陸軍大将を始めとする日本兵が主役の映画で、日本兵たちは家族のため、祖国のため、悩みながら自らの命をなげうって戦闘に参加していた。

これまでのアメリカ映画は、第2次大戦ものだと敵国としてナチスドイツがよく出てきたが、ドイツ人はちゃんと人間として描かれていた。ドイツ人は白人だからだ。
一方、日本を敵国として扱った映画では、日本人が「バンザイ」など叫びながら自爆したりだとか、何を言っているか聞き取れない不明瞭な言葉で喚き散らして、トーチカで米兵に焼き殺されるとか、そんなのばかりであった。
まるで、「非白人の日本人は人間に非ず、畜生なり」と言われているようだった。

中国人監督のジョン・ウーによる「ウインドトーカーズ」も、日本兵がバカみたいな感じで描かれていて、見ていて不愉快だった。
アメリカ人は、ドイツ人は賢く、日本人はバカと思っているのだろう。

戦争に負けたのだから、日本が敵国として戦勝国の映画に出てくるのは仕方がないと思う。
ただ、ちゃんとした人間として描いて欲しいのに、どうしてもそうはならない。

アメリカ映画より酷いのが、中国の抗日ドラマである。
中国では毎日どこかのケーブルテレビのチャンネルで放送していて、チャンネルを回せば抗日ドラマが見られる。
これまでにのべ10億人の日本兵が、中国共産党の兵士に殺されているそうだが、第2次大戦中に日本がシナで主に戦っていたのは、蒋介石率いる国民党軍であり、最初の設定からウソばかりのドラマである。

その抗日ドラマに登場する日本兵は2パターンしかない。
ひとつは、めちゃくちゃ残忍な日本兵。中国人民や中国兵の捕虜を残虐な方法でいたぶり、殺す。
もうひとつは、めちゃくちゃバカでマヌケな日本兵。中国人視聴者に嘲笑される役割だ。
いずれにしても、最後は中国兵にぶち殺されて終わる。毎回毎回同じパターン。日本の子供が見る戦隊モノの番組と同じで、分かりやすい悪役を、正義の中国共産党軍がやっつけるという話ばかりだ。

 

 日本兵は真っ二つにされて殺される。これを見て、大人も子供も喜ぶ。

 

日本兵は残忍でバカで醜い反面、八路軍(中国共産党軍)の兵士は美男美女揃い。

 
日本人への劣等感が、このようなドラマを量産させ、ワンパターンでもそれを見て中国人が喜ぶのであろう。
国民党軍にせよ、共産党軍にせよ、日本との戦闘で互角以上に渡り合えたことなんかなかった。日本軍から逃げ回り、ゲリラの便衣兵として卑怯な方法で日本兵を殺す内容では爽快感が得られないから、中国兵がありもしない大活躍をするのだ。

そんなバカみたいな内容のドラマを見続けたら、中国人はバカになる。実際バカになっていて、虚構と現実の区別が付かなくなっているのだろう。
そうでもなければ、反日デモのとき、ショッピングセンターを歩いていた日本人を殴りつけたり、ラーメンの汁をぶっかけたりなんてことはできないだろう。

中国人がバカになり、勝手に暴れるのは別に構わないが、抗日ドラマで恐ろしいのが、骨の髄までそのドラマに染まった連中が出てくることである。
テレビ番組のインタビューで、中国の小学校低学年くらいのガキが、「テレビのアニメ番組は見ません。毎日抗日ドラマを見て、日本との戦争に備えています」などと大マジメで応えていた。
そんなヤツが大人になったら、日本は何をされるか分からない。
日本人だからという理由で殴られたり、ラーメンの汁をかけられるくらいでは済まないだろう。「地球上から日本人を消し去ってしまえ」などと言い出しかねない。実際、そんなことを言っているヤツがいる。

人民日報が荒唐無稽な内容の抗日ドラマに対して苦言を呈したらしいが、さすがの中国政府も、こんなバカ製造機のようなテレビ番組ばかり放送していても、大したプラスにはならないと考えているのだろう。
人民の思想は、教育と共産党の報道でのみ制御すればいいと思っているのかも知れない。
それはそれで恐ろしい話なのだが。

 

5、6年前までは、私が勤める会社の北京や上海の支社で採用した中国人は、どんどん辞めるのが普通だった。
会社を辞めて、もっといい会社に転職するのである。
中国で大卒新人の中国人を雇って、基礎から基板開発やプログラミングを3年ほど教えたら、ほかの会社に転職されまくっていた。しかも、転職先はマイクロソフトだとかレノボだとか、一流のところが結構あると聞いた。

アホみたいな話である。給料を払って勉強させ、そこそこ仕事ができるようになったら辞められる。
中途で採用する企業は新人教育をする必要がない。うちみたいなショボい会社だけが損をする。

だから、中国で中国人を採用するのをやめろやと日本で日本人社員が言っていたら、そのうち中国人が辞めなくなった。
転職していい会社に勤めるという中国人の野望が消え失せたわけではなく、中国で職が極端に減ったからだ。大卒で就職できる仕事が減り、大学を出て工場のライン勤めなどが当たり前になった。
転職もほいほいできていたのは過去となり、辞められなくなった。今の開発や営業の仕事があるだけマシと考えるようになったのだ。

中国人の野心は並々ならぬものがある。「今の会社でもうちょっと頑張ろう」とか、「会社のために仕事しよう」などという考えはさらさらない。ただひたすら、いい条件の職場を求めて転々とする。給料が上がるためなら何でもやる。そんな印象だ。

その一方で、日本人の新人には野心なんてものはまったく感じられない。たまにぐいぐい来るヤツがいて、中堅社員くらいになると積極的にキャリアアップを狙うようなウザいタイプがいるが、数は少ない。
最近の調査によると、目標を持つ若手社員が外国に比べて圧倒的に少なく、さらに中間管理職にもなりたがらない社員が多い傾向にあるという。

さらに、財団法人日本青少年研究所の高校生への調査によると、「偉くなりたいか」という問いに対し、半数以上の高校生が偉くなりたくないと回答し、出世欲があまりないとの結果を公表していた。
調査結果を見ていると、「自分の店を持ちたいか」との問いには、日本人の75%は否定的だった。逆に、中国人の75%は肯定的だった。

こういう結果は、最近になって多少顕著になってきたのかも知れないが、昔に調査していても似たようなもんではなかっただろうか。
「普通でいい」という、日本人特有のものの考え方が表れているのだ。

この高校生に関する調査は、朝日新聞の中国語版が中国版Twitterの新浪微博で紹介していた。
中国人の反応を見ていると、興味深いものがあった。

「日本で三平(平均的な年収、平均的な外見、平穏な性格)が流行しているように、日本人は平均的であることを好むから」
「日本という国が成熟しているから、こういう結果になるんだろ」
「日本はアメリカに骨抜きにされたこうなったのか?」
「普通であることは幸せのひとつだ」
「中国と日本の文化は似ているが、かなり異なる部分もある。中国人は出世競争が好きだが、日本人は終身雇用や教育制度、文化的な側面から競争を好まない。日本では易姓革命のようなものがなかったからだろう」

などなど。なかなか冷静に分析していると思う。

日本人は外国と比べてああだこうだと言いがちだが、日本人と外国人は歴史、文化、ものの考え方、全く異なるのである。
サミュエル・ハンチントンは、世界の文明を7つに分けて、日本だけ唯一、一カ国で日本文明なる文明を築いた国と分類している。
別によその国がどうだから、いいとか悪いとか考える必要はない。
特に悪いとは思えない内容なのだから、日本は日本であればいいのだ。

 

このブログをご覧になっている方は分かっていらっしゃると思うが、私はまあまあ保守的で、そこそこ右寄り思想であると自分で理解している。
ただ、その考えはこのブログで発散しているだけで、普段は思想信条を人に話すことがない。
周りにあまり政治的なことを話す人がいないのだ。だから、そもそもの話として、思想信条を話す機会がないのだ。

別に特に誰かに訴えなければならないという使命感を抱いているわけでもないので、Twitterでも殆ど思想的なことをツイートしておらず、どうでもいいことか、台湾のアイドルのことばかりツイートしていて、幾らかのフォロワーにがっかりさせているかも知れない。

話すことは山ほどあるのだが、ついついこうなってしまうのは、日本人は極めてニュートラルな思想の人が多く、あまり政治や思想の話をせず、誰かと討論する人なんか殆どいない。
だから、中国人や韓国人に領土問題や歴史問題でごちゃごちゃ絡まれて困ったという日本人留学生の話をよく耳にする。

普段から思想信条に拘らず、確たる考えも持たず、ニュートラルな人が多いから、他人の意見に割と染まりやすい人が多いと思う。
韓国や中国の傍若無人で厚顔無恥な振る舞いに腹を立てる日本人が多いが、歴史問題や領土問題をどこまで知っているのかと問えば、あまり知らない人が多いだろう。家、学校、職場でそんな話をしないからだ。

だから、学校で教師に教えられることを鵜呑みにしてしまう。

南京事件なんざ、中国人やアメリカ人のでっち上げでしかないのだが、日本人が本当に南京攻略後に20万人、30万人殺したと思っている日本人がいる。
当時の南京の人口は20万人ということも知らず、日本軍がシナ人を皆殺しにするには1日あたり7000人殺さないと間に合わない。にも関わらず、日本軍はいちいち軍刀で斬首したり、赤ん坊は放り投げて銃剣で刺し殺したと思っているヤツがいる。
1日7000人の人を殺すには、ナチスのホロコーストのように、計画立ててガス室でも用意して、手際よくまとめて殺害し、まとめて埋めていかないと、とてもじゃないが間に合わない。
にも関わらず、中国人たちがあれだけ言うのなら、ちょっとはあったのだろうと考えてしまうヤツがいる。

従軍慰安婦だってそうだ。ただの売春婦が、日本から金をせびろうとしている問題であるにも関わらず、日本軍が強制連行したことになっている。何の証拠もないのに、親から女衒に売られた女どもが日本軍に強制連行されたと嘘を並べている。
これについても、本人たちが言うのだから本当なんだろうと考えるヤツがいる。

イギリスのBBCに勤める自虐史観丸出しの日本人女性記者が、日本が先の戦争でいかに悪いことをして、近隣諸国に嫌われ、それを日本の教育では一切教えないというウソの記事を書いていたことについて、Twitterでそれらを否定し、文句を言ったことがあった。
すると、あるフォロワーが「ずいぶん偏った意見ですね。ほかの意見も参考にする必要があるんじゃないですか」と言ってきた。

そのフォロワーは、台湾好きという共通項で私をフォローしてくれた女子高生らしかった。
中道を装い、相手の意見を否定するばかりではいけないという、いかにも高校生の優等生らしい意見であるが、相手が間違っているのだから、否定するしかない。
間違ったことを言いふらすヤツを黙って見過ごしたり、そいつの意見にもどこか正しいところがあると探す必要なんかないのだ。

私の人生の半分も生きていないような若いヤツにディベートで負けるとは思えず、これまで自ら勉強してきたことをフル活用すれば、女子高生なんざケチョンケチョンに言い負かして、ボロカスに叩きのめすことができたと思うが、そこまでするのは大人げないので、日本の教育における近隣諸国条項などの問題について説明して、相手が落としどころを見つけられるようにしてやった。

そして同時に思った。ニュートラルな生徒を、中道のフリしたサヨク人間に変えるのは実に簡単であり、何と恐ろしいのかと。
思い返せば、私だって政治や思想のことについて、自分から積極的に学んだのは社会人になりたての頃からであり、学生時代は何も考えていなかった。教科書に書いてあって、教師に教えられたことを素直に受けとめていたから、もしかすると同じようなことを誰かに言ったかも知れない。

それを思うと、今の小学校、中学校、高校の教科書において、近代史の記述が自虐史観であふれていることを危惧せずにはいられない。
あんなもんで勉強したら、日本がいかに悪い国であったか、日本はその償いのために未来永劫謝り続けねばならないなどと思っても不思議ではない。
しかし、そのような自虐史観を押しつけるサヨク教科書ばかりが目立つのが現状だ。マトモな教科書、許容できる教科書はほんの少ししかないし、そういうものに限って、殆ど採用されていない。

教師が補足でもしれくれたらいいが、教師がわざわざそんなことをするわけがない。
だとしたら、日本人の大人が正しい歴史認識を持ち、家庭で子供に教えるしかない。
子供をサヨクがかった変な思想に染めないための自衛の策は、それしかない。

 

昨日、広島高裁で昨年12月の衆院選が「1票の格差」によって無効という判決が出て、訴えた弁護士までも驚かせたが、今日は同じ広島高裁の岡山支部で無効判決が出てしまった。
おかげで、広島1区2区、岡山2区が違法状態となってしまった。

ただ、同じ広島高裁でも、今日行われた判決では、広島1~3区は違憲状態ではあるが、無効とはしなかった。
同様に、大阪高裁も今日の判決で、大阪4区など5選挙区を違憲状態ではあるが、無効とはしなかった。

広島1区2区、岡山2区での選挙が無効であるという状態が続くとどうなるのだろう。
広島1区2区を担当した筏津順子裁判長は、11月26日まで猶予を持たせたが、もし無効判決が確定してしまった場合、11月26日までに選挙を行わねばならない。
いずれも自民党の議員が当選している選挙区であるが、もう一度やり直したところで結果は変わらないだろうし、何より、「1票の格差」がある状態で特定の選挙区だけ選挙をやり直しても、結局は格差があるままでの選挙となってしまい、同じことを2度繰り返すだけである。

どう考えても、司法が納得するように"格差の少ない"選挙をやり直すには、区割りから全部変えていかないと無理だと思うのだが、無効判決を出した裁判長は一体どう思っているのだろうか。
まあ、司法としては、格差の改善方法なんぞどうでもいいのかも知れない。知ったこっちゃない。でも改善しろ。これ以上放置することは許されない。

普通に考えれば、これまでのやり方が悪いと言うのなら、代案を出せと言い返したいところだが、司法は違法か否かを判断するところなので、違憲、違法だから選挙は無効と言うだけなんだろう。
文句ばかり言う上司みたいで、何とも無責任に思えるが、司法は文句を垂れるだけだからお気楽なもんである。

そもそも、「1票の格差」などというが、どこまでがよくて、どこまでがダメなのであろうか。
今回、広島高裁は、2.30倍の格差を違憲であり無効な選挙と判断した。

よく耳にする0増5減をやりゃ、とりあえず2倍未満に抑えられるわけだが、2倍未満であればいいのだろうか。
細田官房長官も「0増5減で2倍未満を目指す」と言っていたが、2倍未満であればOKの根拠はなんだろう。

これまで2倍未満であれば司法は問題ないと判断してきたからかも知れないが、裁判官連中の心づもりが変わって、「1.9倍でもダメ」と言い出さないのだろうか。
大体、2.3倍だったのが1.9倍になったとして、下がったのは0.4だけである。ならば2.3と1.9なんぞ、1.9と1.5くらい大して変わらない違いでしかないと思うのだが。

とにかく、これまで国会がダラダラしてきて、1票の格差是正を後回しにしてきた怠慢は間違いないが、だからと言って特定の選挙区で選挙をやり直すほどムダもあるまい。
ムダに税金が使われるわけだし、該当選挙区の自民代議士はムダな金と労力をもう一度使うだけである。

「今国会中に必ず改善すると約束させて、次からでいいじゃん」と思わずにはいられないのだが、形式張っているのが司法だから、そうもいかないのだろう。
政府の人たちはどう思っているのだろうか。いちいち構っていられない面倒な問題が出てきたのはお気の毒だ。ほかの外交での懸案事項などを疎かにせずに、「1票の格差」是正に向けてとりあえず何かせねばならないのだろう。
想像するだけで面倒臭いではないか。

 

このページのトップヘ