先っちょマンブログ

2013年06月

現在の従軍慰安婦問題の発端は、吉田清治の創作が発端だった。
吉田は1977年頃になって従軍慰安婦の強制連行を口にするようになり、1983年に「私の戦争犯罪」という著書を上梓した。吉田はその本に、韓国の済州島などで奴隷狩りをしたと記した。

本が出版された当初は、済州島の住民や韓国の歴史家などがこれを否定していた。「人口が少なかった済州島でそんなことをすれば、島民が知らないわけがない」というわけである。
その上で、本を売るためにデタラメを書く吉田のことを厳しく非難した。

また、1992年には秦郁彦が現地調査を行い、何ひとつ証拠が集められなかったばかりか、島民からも「そんなことがあったわけがない」と先と同様の否定をされた。

吉田の証言は虚偽である可能性が極めて高く、まったく根拠がないために何の証拠にもならなかったが、吉田は頑としてそれを認めなかった。

しかし、1996年に週刊新潮のインタビューで、吉田は自身の証言に創作を交えたことを認めた。だが、最後まで強制連行があったことは事実だと主張し、虚偽であることを絶対に認めなかった。

吉田がどういう理由で従軍慰安の強制連行というウソを証言し続けたのかは分からない。当初、韓国人の歴史家が言っていたように、本を売る目的だったのかも知れないし、ただ目立ちたかっただけかも知れない。
理由は分からないが、従軍慰安婦の強制連行の証言が、吉田清治の生き甲斐になっていたことは間違いないだろう。
虚偽だろうが何だろうが、証言をすることでアイデンティティを確立し、人々に注目されることに喜びを見出していたのだろう。さぞかし、生きているという実感を味わったに違いない。

自分を偽ることで生き甲斐を見出すことは人間にはよくあり、映画のテーマにもなっている。
10分しか記憶を保てない前向性健忘の男が主人公の映画「メメント」は代表的なものだろう。

「メメント」の主人公は、自分の妻を殺害した犯人を探し、殺すことだけを目的にして生きている。ところが、10分しか記憶が持たないので、最終的に見つけたヤツを殺したことを忘れてしまう。それを周囲の悪い人間に利用されるのだ。

映画のラストで、最初から殺人犯などいなかったことを映画を見た者は知る。健忘にかかった主人公は、その症状を苦にした妻の自殺の手伝いをしたことに責任を感じ、自分の記憶を作り変える。妻は自分が殺したのではなく、殺されたのだと。
さらに、周囲の人間から利用されて殺人をしていることも甘んじて受け入れているようなフシがある。
妻を殺害した人間を殺し、復讐を果たすことが、唯一の自分のアイデンティティであり、生きていく望みであるからだ。殺して終わりでは、自分の生き甲斐が失われてしまう。

アイデンティティが失われた人間がそれを取り戻すには、なりふり構わず行動する。それは、人間の真理であるのかも知れない。

だから、鳩山由紀夫が中国で繰り返し売国発言をすることにも、理解をすることはできる。理解して、鳩山由紀夫を哀れに思う。
能なしが理由で政界を去った鳩山由紀夫は、元総理大臣という肩書きを活かして、中国で売国行為に励むことに生き甲斐を見出した。中国に理解を示すことで"優等生"の"良心的日本人"であることを中国人にアピールし、自身のアイデンティティを確立することができた。

日本人からはマトモに相手にされないが、中国人は受け入れてくれる。日本にいても文句しか言われないが、中国で日本の売国行為に励めば、中国人が認めてくれる。

生き甲斐を見つけた鳩山由紀夫は、これからも売国行為を続けることだろう。この世に自己の存在を確認するためには、アイデンティティの確立が必要で、鳩山ができる唯一の方法が、中国での売国行為なのだ。

だから、鳩山由紀夫に幾ら文句を言っても、説法を垂れても、何の意味もない。日本人から説教を受けたところで、鳩山のアイデンティティは確立されないし、生き甲斐を見つけることもできない。

しかも、尖閣諸島が中国に奪われたとしても、鳩山の売国は終わらないだろう。それで終われば、「メメント」の主人公のように、彼の生き甲斐が失われてしまう。

誰か、哀れな鳩山由紀夫を楽にしてあげることはできないのか。

 

昨日はこのブログで、まるで中国人のごとくそこらへんにゴミをポイポイ捨てやがる不届き者の日本人について書いた。
中国人の田舎モンに憧れて、それをマネしているならまだしも、蔑むべき中国のバカと同じことをやっている日本人が多すぎる。

それは他のことにもいえて、「まるで中国人や韓国人ではないか」と思うことが多すぎる。

例えば、ヨットで太平洋横断をしようとして、難破して自衛隊に助けられた辛坊治郎の件。
彼が9年前のイラクの人質事件で"自己責任論"を展開し、自衛隊の世話になりながら、礼もしなかったバカな日本人を厳しく糾弾した。
そうしておきながら、自分も救助を求めて自衛隊に助けられるというマヌケなことをしでかした。

本人はそのことを引き合いに出し、それを恥じた上で、記者会見で深く反省の弁を述べた。
にも関わらず、未だにしつこく辛坊サンを叩いているヤツがいる。
いろいろ腹の立つことがあるのかも知れないが、本人が十分に反省し、謝罪しているというのに、どこまで叩けば気が済むのかと思う。

このように、水に落ちた犬を叩くのは中国人や韓国人のすることだ。反省の弁すらない鳩山由紀夫相手ならいざ知らず、相手が反省し、謝って頭を下げているのに、「これでもか」と言わんばかりに罵詈雑言を投げつける。
先の大戦のことで、何度も日本は中韓に何度も頭を下げ、反省の弁を述べさせられ、金品まで献上したのに、まだ文句を言われる。韓国の大統領に至っては、1000年経ってもそれは変わらないと明言した。

それとどんな違いがあるのか。いつになったら許そうと思えるのか。
自分が飽きるまで、興味がなくなるまで、相手が死に絶えるまでではないのか。

これ以外に、タレントのローラのことでも気になることがある。
バングラディシュ人の実父が海外療養費を搾取したかどで国際手配されていることについて、ローラ自身が謝罪をし、さらに芸能界などからローラを擁護する声が上がっている。
これの意味も分からない。

子の不始末を親が謝罪するのならともかく、父親の犯罪行為をなぜ娘が謝罪せねばならないのか。
ローラ自身は何の問題もないから、彼女を擁護する声が上がっているわけだが、これを裏返せば、ローラを責めるムキが国内にあるということだ。意味が分からん。

悪い儒教に侵されたバカな韓国人は、「親の罪は子の罪」と言わんばかりに、先の大戦で日本に与したと見なされた人間を過去の遡って「親日罪」として裁き、土地などの財産を没収するほか、その本人がいなくても遺産を相続した子孫にまでそれが及ぶ。
親日を罪とする事後法という時点でメチャクチャだが、子孫が所有する財産まで没収してしまうとは、これが法律であるとはビックリ仰天である。

親の罪を切り離せて考えられないのは、考え方が韓国化しているといっても過言ではない。

その他、中国や韓国の国旗を燃やすとか、デモで暴力を振るったり、罵詈雑言を投げつけるなど、やってることが中国人や韓国人と同じことが多すぎる。
中国や韓国のバカと同じ土俵に上がって、同じようなバカをして、何が楽しいのだろうか。
自分が相手を蔑んでみているのだとしたら、同じようなことをすれば、相手から蔑まれるだけではないか。

そんなことも分からないような、劣化した日本人が多すぎやしないか。

 

日本に来た外国人がよく口にする感想のひとつに、「日本はどこに行っても町並みがキレイだ」というのがある。
長らく日本に住んでいると今ひとつピンと来ないのだが、欧米人から中国人、台湾人まで多くがそう言うのだから、実際に他国と比較してそうなんだろう。

私はハワイと台湾しか行ったことがないので、自分の経験はあまりアテにならないのだが、確かに日本はどこへ行っても台北よりはキレイだと思う。

ソウル近郊の町に2週間出張に行っていた先輩社員は、「韓国はホンマに汚いからかなんわ」と言っていた。
台北にしてもソウルにしても、高級店が軒を連ねる商業区域はキレイなのだが、ちょっと脇に入ると途端に汚くなる。特に韓国はそれがひどくて、先輩社員は道の脇にある屋台のような店が、道ばたにゴミを捨てたり、食べ残しみたいなのを捨てたりして、道路が汚いのに辟易したそうな。
台北はそういうのは見なかったが、建物がオンボロなので汚く見えるのかも知れない。

道端のゴミが特に酷くなるのが中国だ。とにかくどこへ行ってもゴミだらけ。マンションから道端に向かってゴミから大便まで捨てることもあるらしい。

こういう道端が汚い国というのは、大抵昼間に役場に雇われた人間が掃除をしている。あとで掃除されるから、通行人は道端にポイポイものを捨てる。
だから、朝が最もゴミだらけでもっとも汚い。そんな汚らしい朝に出勤しないといけないのだから、そりゃイヤな気分にもなろう。

日本はそれに比べると道が格段にキレイだ。よく見ると黒くなったガムやタバコの吸い殻があるが、道の端がゴミだらけというのは滅多にない。
しかも、海外に比べると極端にゴミ箱が少ないのに、落ちているゴミが少ないのだ。しかも、毎日、清掃の担当が掃除しているわけではない。道端にゴミが落ちていても、近所の人や、店の人が掃除をして片付ける。
これは外国人が驚くことらしい。

その例外として、新宿歌舞伎町がある。朝の歌舞伎町に行ったのだが、道がゴミだらけでビックリした。チラシから空き缶まで、様々なゴミがそこら中に落ちている。
昼過ぎになるとキレイになっていたので、誰かが掃除しているのだろう。
日本人は、基本的にそこらへんゴミを捨てないはずだが、歌舞伎町のようなところでは、誰かがやり出すと止まらなくなるのだろう。

町がキレイであることは、間違いなく日本人の美徳のひとつだ。
ところが、それを知ってか知らずか、恥知らずにもそこらへんに平気でゴミを捨てるヤツがいる。マクドナルドでテイクアウトし、食べながら歩いたり自転車に乗って、食べ終わったら袋ごと捨てるヤツがいる。タバコの吸い殻なんて日常茶飯事で捨てられるし、空き缶やペットボトルをさっきまで座っていたベンチに置いていくというのもある。

こいつらは、日本人よりも中国人に近い。ゴミをそこらへんに捨ててもいいと考えていて、自分が捨てたゴミを誰かが片付けると思っていやがる。
こういう連中に、「お前は中国人か!」と言うと、「中国人と一緒にするな」と怒るに違いない。
だが、やっていることが中国人の最下層にいる人間らと同じなのだから、それはもう同一と考えて問題ない。

こういう日本人としての矜恃を持たないヤツに、ゴミを捨てないよう教え込むにはどうするべきか。
ゴミが落ちていない美しい町並みについて、外国人が驚いていることを知れば、少しはポイ捨てを考えるようになるだろう。
だが、そういうことを知る機会もないから、ずっとバカをやり続ける。
やはり、ものを知らない中国人と同じということか。

 

今年に入って、政界を引退したはずの鳩山由紀夫が"外交的成果"を次々と上げている。もちろん、売国的な成果ではあるが。

1月に中日友好協会の招待で訪中すると、楊潔篪・外交部長らと会談で、「尖閣諸島が係争地であると互いに認めるべきだ」などと発言した。
尖閣諸島はいうまでもなく日本の領土であり、それを中国が因縁を付けて奪い取ろうとしているだけであり、領土問題でもなんでもない。
当たり前の話であるが、鳩山などの媚中派からすると、尖閣諸島は中国様に献上したい土地だから、日中で領有権を巡って争っていることにしたいから、このような発言が飛び出す。
ついでに南京虐殺記念館に夫婦で訪れ、意味の分からない哀悼の意を述べていた。

4月には尖閣諸島の件について、香港の雑誌「亜州週刊」のインタビューに対して、改めて尖閣諸島が係争地であることを主張し、「領土問題は存在しない」とする日本政府を批判した。
また、日本国民に対し、「日本人はポツダム宣言とカイロ宣言を理解していない」と発言した。日本人はバカだから、歴史を知らず、尖閣諸島が日中間の係争地であることを分かっていないのだと主張したのである。

鳩山由紀夫は、自分が過去に「ルーピー」と揶揄されたことを棚に上げ、日本人を蔑み、中国におもねる発言を繰り返した。
この発言について、小野寺五典防衛相から「国賊」と言われたが、鳩山本人はどこ吹く風だ。

さらに今日になって、これまた香港の鳳凰電視の李淼という記者のインタビューで、これまでよりさらに一歩踏み込んで、「尖閣諸島を日本が盗んだと思われても仕方がない」という発言をし、そのニュースは中国国内を駆けめぐった。日本の首相経験者が、尖閣諸島を係争地であると認めたばかりではなく、日本が盗んだと認めたというニュースになった。

鳩山は、このインタビューでまたもやカイロ宣言を引き合いに、「中国に返還すると定められた土地に尖閣諸島が含まれる解釈は十分理解できる」などとした。
尖閣諸島は第2次大戦よりも日中戦争よりも以前に日本に編入されたというのに、どういう理由で中国政府の言い分に理解を示せるのかが分からないが、こいつは中国にヘーコラすることしか目がないので、理由なんぞどうでもいいのだろう。

日本国民の一時の気の迷いで、マスコミに騙されて民主党に政権を与えてしまった。その結果、鳩山由紀夫と菅直人という、歴代で一二を争う超絶売国総理大臣が誕生した。

政界引退後の中国での数々の売国行為を見ると、鳩山由紀夫が歴代最悪になるのだろう。
総理大臣経験者ということで、中国におもねる発言について「その発言には重みがある」と中国に受け取られ、それを言質として尖閣問題に利用されている。これ以上の売国があるだろうか。
日本では「政治家失格の低能が、またバカを言っている」くらいで済むのだが、中国がこいつのバカ発言を利用しないわけがない。

もうこうなったら、鳩山の暴走は止まらないだろう。尖閣諸島について「係争地」だと言いだし、ついには「日本が盗んだと思われても仕方がない」まで来てしまった。
鳩山が中国に気に入られるために残された手札は、「尖閣諸島は間違いなく中国の領土です」しかないではないか。

現に、4月の「亜州週刊」でのインタビューで、鳩山由紀夫は最近学んだ中国の言葉を自慢げに披露していた。
「退一步海闊天空」という言葉で、「一歩退けば、わだかまりはなくなる」という意味だ。

こんなもんは、夫婦喧嘩などの争いで使う言葉ではないか。鳩山がこの言葉を引き合いに出したということは、「日本が一歩引いて、中国に迎合するべきだ」と考えているということである。
すなわち、日本が引いて、尖閣諸島に領土問題があると認め、中国と折り合いを付けるべきということだ。

争いを認めただけで中国が納得するわけがなく、最終的には「尖閣諸島は中国の領土だと認め、漁業権を中国に恵んで貰おう」などと、朝日新聞の論説主幹みたいなことを言い出すに違いない。

鳩山由紀夫のこの暴走を止めるには、もう鳩山が死ぬしかないと思う。
バカは死んでも治らないというではないか。

 

昨日行われた東京都議選は、案の定自民党が圧勝だった。59人が立候補し、全員が当選し、議席数を大きく伸ばした。
公明党も改選前と同じ23人が立候補して、23人全員当選。自民公明で、127の議席のうち82議席を獲得した。

自民党が勝ちそうな選挙になると、投票率が下がるのがいつものパターンで、今回も過去2番目の投票率の43.5%だった。
投票率が低くなると、組織力のある政党が議席を獲得しやすくなる。
だから公明党だけでなく、共産党も17議席となり、改選前の倍に増えた。とんでもない躍進である。

その一方で、選挙のたびに与党批判したくてしょうがない無党派層の連中を取り込んでそれを議席に変えてきた民主党は、議席数を45から15に減らす大惨敗。共産党にも負けて、議会の第一党から、第四勢力へと大幅ダウンした。
当たり前である。15でも多いくらいだろう。未だに民主党に投票する連中は、自民党が政権を取っていた3年半のことを何とも思っていないのだろうか。

国政と東京都は違うかも知れないが、結局は同じであって、有権者からも同じように判断されている。
民主党は、今や絶滅危惧種となった共産党員の支持に支えられている共産党より支持が少ない政党なのだ。そんな政党が、現在の与党に唯一対抗できる政党だと自負しているのだから片腹痛い。

共産党より支持が少ない政党でありながら、共産党のように思想信条が一貫しているわけでもない。
この政党の存在意義は何なのかと思ってしまう。

それにしても、今度の東京都議選の結果で恐ろしいと思うことが、支持基盤と組織によって進められる選挙である。
公明党の支持者なんか創価学会の人間しかいないだろうし、共産党だってほぼ共産党員による支持だろう。
そいつらが組織力を発揮すると、こんな結果になる。共産党はともかく、公明党のこの強さを見せつけられると、自民党は連立を解消する気にはなれないだろう。創価学会票の旨みを知ってしまうと、そうは簡単に手放せなくなるだろうし、敵に回したくないと思うかも知れない。

政権与党の自民党に対してもいろいろ不満があるわけだが、そのうちの大きなもののひとつが、公明党と連立を組んでいることになる。
なぜ創価学会の出先機関が政教分離の原則を無視して公明党を作って、それと自民党が組んでいるのか。自民党と公明党では、党の考えとして合わないことが多すぎるのに、なぜ連立なのか。少しくらい目をつぶるというレベルではないではないか。

連立を組むなら、日本維新の会やみんなの党の方が100万倍マシに思える。
だが、維新の会は都議選でたった2議席しか取れず、次の参院選を前にして風前の灯火だ。みんなの党は7人が当選して、維新よりちょっとはマシだが、自民党に協力するとも思えないし、何より渡辺喜美のワンマン政党にしか見えない。

参院選もこのままの勢いで、自公連立で圧勝したとなると、ますます公明党から離れられなくなるに違いない。自民党だけで猛烈に圧勝することはないだろうし、あったとしても公明党と手を切りそうにもない。
繰り返すが、自民党が公明党なんかと手を組んでいることが非常に残念だ。本来ならそんな政党を支持したくはないのだが、いろんなことに目をつぶって何とか支持できる政党が自民党くらいしかないという悲しい現実がある。

 

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