プロ野球の阪神戦があった翌日は、サンケイスポーツのホームページで阪神の試合結果を伝えるニュースを読んでいる。
そのなかでもっとも楽しみなのが、熱烈な阪神ファンで知られるダンカンが連載しているコラム「虎の通信簿」だ。毎試合、最後まで観戦しているダンカンが、その日の試合の感想を書いている。
今日の「虎の通信簿」は、守備で福留と激突して大怪我を負った西岡について書いているのかと思ったら、ふがいない榎田についてだった。
【サンスポ】 母の仏前にかける言葉もない…榎田よ次は頼むでェ!! (03/31)
昨日30日(日)は、ダンカンの母親が亡くなってからちょうど四十九日で、納骨をしたらしい。
父子のケンカが絶えなかったプロ野球を好ましく思っていなかった母であったが、ダンカンが実家を片付けていたら、ダンカンの連載コラムが掲載されたサンスポが山のように出てきたという話だ。
親ならば、子供を応援しているものである。母親がサンスポをたくさん集めていたのを知ったダンカンは泣いたとある。自分の母親が、自分の連載コラムを楽しみに読み、集めていたのを亡くなったあとで知れば当然のことだろう。
この話については私も思うところがある。
先日亡くなった父を荼毘に付すとき、棺桶のなかに父親の思い出の品を幾つか入れた。
自宅で納棺したとき、父が最後に観戦したサッカー日本代表の日韓戦で、韓国で勝った日本と韓国の国旗でクロスさせて立てるヤツを入れようとしたので、「韓国の国旗なんか入れたらアカン」とか何とかごちゃごちゃ言ったのだが、それ以外にも自宅で飼っていた猫の写真だとか、闘病中の病室に飾っていたひこにゃんと群馬のゆるキャラのぬいぐるみだとかを入れた。
母が予め用意して、納棺の際に母が入れたもののなかに、コピー用紙があった。
何のコピーなのかと思ったら、雑誌の記事のコピーであった。来日したダライラマ14世の前で原発作業ロボットが披露されたときの様子を写した写真記事だ。
その原発作業ロボットには、私が勤める会社で私が作った製品が搭載されているので、病院から一時帰宅していた父の元に持って行って、「このロボットに載っているコレ、自分が作ったもんやで」などと話をした。
先日も書いたが、父は原発に少し関連する仕事をしていた。どういう反応をするか興味があったが、「ほー」で終わりだった。
私が読んだあと、いつも父に渡していた雑誌だったのだが、「残しておきたいので返してな」とお願いしておいたら、私の元に返ってきた。
「思ったほど興味なさそうやったな」と思っていたのだが、母がコピーを取っていたようだ。そのコピーが納棺の際に棺に入れられていた。
実はもう1冊買ったので、父から雑誌を返して貰う必要はなかったのだが、今思うと悪いことをしたように思う。
コピー用紙については、棺桶に入れるものを用意した箱のなかを確認したときに気が付いたのだが、そのときから今に至るまで、コピーを取った理由や、私の前以外で父がどうだったのかは母には聞いていない。何となく分かるし、聞くと悲しくなりそうでイヤなのだ。
思い返せば、父は私に勉強しろとか何しろとか一度も言ったことがなかった。自分がどんな仕事をしているかも殆ど語ったことがなかった。
口数は少ない方だが、かなりひねた性格で、段取りが悪いとすぐに文句を言っていた。
性格的には私とよく似ていると思っていた。だから、私が原発作業ロボットの記事を持って行っても反応が薄かったのかも知れない。
父はひねた性格で、割とイヤなことを言うタイプだと思っていたのだが、お通夜が終わってから駆けつけた、父が昔に勤めていた会社の部下の人が語っていた。
「昔、いろいろお世話になりました。私がしなければならない仕事も、遅れていれば文句も言わずに全部やってくれました。いつもニコニコされていました」
私と嫁さんは顔を見合わせ、「オトンのイメージと全然ちゃうな」などと言わずにいられなかった。
私や嫁さんのイメージからすると、ごちゃごちゃと厳しい文句を言いそうだからだ。
大して関心を示さなかった雑誌のコピーを取っていたり、職場ではおよそ想像も付かない感じだったのを知って、今さらながら親について知らないことだらけだったと思った。
親の生前に知っておいた方がいいのか、あとから知ってもいいのかは分からないが、いずれにしても父に関するいい思い出のような気がする。