先っちょマンブログ

2014年03月

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プロ野球の阪神戦があった翌日は、サンケイスポーツのホームページで阪神の試合結果を伝えるニュースを読んでいる。
そのなかでもっとも楽しみなのが、熱烈な阪神ファンで知られるダンカンが連載しているコラム「虎の通信簿」だ。毎試合、最後まで観戦しているダンカンが、その日の試合の感想を書いている。

今日の「虎の通信簿」は、守備で福留と激突して大怪我を負った西岡について書いているのかと思ったら、ふがいない榎田についてだった。

【サンスポ】 母の仏前にかける言葉もない…榎田よ次は頼むでェ!! (03/31)

昨日30日(日)は、ダンカンの母親が亡くなってからちょうど四十九日で、納骨をしたらしい。
父子のケンカが絶えなかったプロ野球を好ましく思っていなかった母であったが、ダンカンが実家を片付けていたら、ダンカンの連載コラムが掲載されたサンスポが山のように出てきたという話だ。

親ならば、子供を応援しているものである。母親がサンスポをたくさん集めていたのを知ったダンカンは泣いたとある。自分の母親が、自分の連載コラムを楽しみに読み、集めていたのを亡くなったあとで知れば当然のことだろう。

この話については私も思うところがある。

先日亡くなった父を荼毘に付すとき、棺桶のなかに父親の思い出の品を幾つか入れた。
自宅で納棺したとき、父が最後に観戦したサッカー日本代表の日韓戦で、韓国で勝った日本と韓国の国旗でクロスさせて立てるヤツを入れようとしたので、「韓国の国旗なんか入れたらアカン」とか何とかごちゃごちゃ言ったのだが、それ以外にも自宅で飼っていた猫の写真だとか、闘病中の病室に飾っていたひこにゃんと群馬のゆるキャラのぬいぐるみだとかを入れた。

母が予め用意して、納棺の際に母が入れたもののなかに、コピー用紙があった。
何のコピーなのかと思ったら、雑誌の記事のコピーであった。来日したダライラマ14世の前で原発作業ロボットが披露されたときの様子を写した写真記事だ。
その原発作業ロボットには、私が勤める会社で私が作った製品が搭載されているので、病院から一時帰宅していた父の元に持って行って、「このロボットに載っているコレ、自分が作ったもんやで」などと話をした。
先日も書いたが、父は原発に少し関連する仕事をしていた。どういう反応をするか興味があったが、「ほー」で終わりだった。

私が読んだあと、いつも父に渡していた雑誌だったのだが、「残しておきたいので返してな」とお願いしておいたら、私の元に返ってきた。
「思ったほど興味なさそうやったな」と思っていたのだが、母がコピーを取っていたようだ。そのコピーが納棺の際に棺に入れられていた。
実はもう1冊買ったので、父から雑誌を返して貰う必要はなかったのだが、今思うと悪いことをしたように思う。

コピー用紙については、棺桶に入れるものを用意した箱のなかを確認したときに気が付いたのだが、そのときから今に至るまで、コピーを取った理由や、私の前以外で父がどうだったのかは母には聞いていない。何となく分かるし、聞くと悲しくなりそうでイヤなのだ。

思い返せば、父は私に勉強しろとか何しろとか一度も言ったことがなかった。自分がどんな仕事をしているかも殆ど語ったことがなかった。
口数は少ない方だが、かなりひねた性格で、段取りが悪いとすぐに文句を言っていた。
性格的には私とよく似ていると思っていた。だから、私が原発作業ロボットの記事を持って行っても反応が薄かったのかも知れない。

父はひねた性格で、割とイヤなことを言うタイプだと思っていたのだが、お通夜が終わってから駆けつけた、父が昔に勤めていた会社の部下の人が語っていた。
「昔、いろいろお世話になりました。私がしなければならない仕事も、遅れていれば文句も言わずに全部やってくれました。いつもニコニコされていました」

私と嫁さんは顔を見合わせ、「オトンのイメージと全然ちゃうな」などと言わずにいられなかった。
私や嫁さんのイメージからすると、ごちゃごちゃと厳しい文句を言いそうだからだ。

大して関心を示さなかった雑誌のコピーを取っていたり、職場ではおよそ想像も付かない感じだったのを知って、今さらながら親について知らないことだらけだったと思った。
親の生前に知っておいた方がいいのか、あとから知ってもいいのかは分からないが、いずれにしても父に関するいい思い出のような気がする。

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AmazonのBlu-ray、DVDのセール商品を見ていたら、スティーヴン・スピルバーグとトム・ハンクスが制作した戦争ドラマ「バンド・オブ・ブラザース」のBlu-rayが半額になっていたので買ってしまった。全10話、Blu-ray 5枚、DVD1枚組で5800円だった。

2001年にBBCとHBOで放送されたテレビドラマシリーズで、製作費1億2000万ドル、制作期間1年半という超大作だ。さすがアメリカのドラマは桁が違う。
第二次大戦時、アメリカ陸軍の空挺部隊が訓練を行い、ノルマンディー上陸作戦に参加し、対ドイツ戦に勝利するまでを描いている。

週末の土曜日に届いて、4話まで見た。私は戦争映画が大好きで、できる限り説教臭くないヤツがいい。
普通の戦争ドラマは低予算なので、兵士の心情を描いたシーンなど戦闘シーン以外がてんこ盛りになるが、「バンド・オブ・ブラザース」は兵士の心情などは極力排除し、戦闘を中心にして構成されているのがいい。
史実を元にしたドラマであるが、それなりに魅せる展開になっていて素晴らしい。

アメリカの第二次大戦ものを見ていつも思うのだが、テーマは圧倒的にドイツ戦が多い。ドイツ人俳優を使いやすいだろうし、フランスやドイツでの戦闘も撮影しやすそうだし、何よりナチスやらヒトラーが絵になるからなのだろう。

それに対して、太平洋での対日本戦の戦争映画は酷いものが多い。
「パールハーバー」で、山本五十六が戦国時代みたいな妙ちくりんな陣営で、真珠湾攻撃についてごちゃごちゃ話をしていたとき、見る気が失せてしまった。
ドイツ兵は割とかっこよく、手強い感じに描かれるのに対し、日本兵は日本語とも分からぬ言葉をキチガイのように叫びながら突撃して来るとか、そんなものが多かった。

ジョン・ウーが監督した「ウインドトーカーズ」も反吐が出るほど酷かった。所詮は中国人だからか、日本のことを全く理解しておらず、マヌケな日本兵が大声出して塹壕から飛び出して撃たれるとか、悪意しか感じられなかった。

こういうことになるのには、日本に対する無知、理解しようとしない姿勢や差別意識がアメリカ人のなかにあるからだろう。
第二次大戦時も、日本人は脳の発達が遅れているから、飛行機の操縦には向かないとするレポートがあった。だが実際は、零戦の活躍を見るように、欧米人に対して劣っていることなどはなかった。
そのようなステレオタイプが過ぎるから、第二次大戦の対日本戦の映画はあまり好きでない。

「バンド・オブ・ブラザース」に話を戻そう。
このドラマでは、毎回冒頭に実際にノルマンディー上陸作戦に参加して、ドラマの登場人物として描かれている退役兵の老人が出てきて、当時の戦闘などについてインタビューで語るシーンが流れる。

このようなことができることが大変羨ましい。第二次大戦でドイツと戦った彼らは祖国の英雄であり、国民の誰からも尊敬される存在である。
ドラマに登場し、インタビューも放送される。
これも、アメリカが悪役のドイツと戦い、第二次大戦に勝利したからであろう。

ベトナム戦争に従軍した兵士をアメリカがボロカスに叩いたように、日本では第二次大戦に従軍して戦争を生き延びた元日本兵がいても、これと同じようにはできない。
日本を褒めそやす映画やドラマは作れないし、インタビューして英雄のように描くこともできない。元日本兵は、まるで人殺しであるかのように教師が子供や孫の世代に刷り込みを行っている。

現に、百田尚樹の小説「永遠の0」を読んだり、映画を見て、「戦争賛美だ」などとマヌケな評論をするヤツが多すぎる。
少しでも先の戦争を肯定的に捉えるような部分があると、右翼、国粋主義者の映画、小説となる。

クリント・イーストウッドが映画「硫黄島からの手紙」で、ハリウッド映画として初めて日本兵を人間らしく描いたかも知れないが、そこにあるように、日本兵だから残虐な殺しをしていたわけでもなく、根っからの人殺しだったわけでもない。
家族を思い、祖国を思い、それらを守るために戦っていた兵士ばかりである。
日本が負け、侵略戦争と言われたために、元日本兵は家族や祖国のために戦った英雄から、単なる人殺し扱いされている。そんな酷いことがあっていいのだろうか。

祖国のために戦った人々を、素直に英雄として描いているアメリカの映画やドラマを見る度に、心底羨ましくなってしまう。

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東電OL殺人事件と同様に、冤罪が疑われる事件の代表ともいえる袴田事件の袴田巌・元被告が保釈された。
みそ製造会社の専務一家4人を殺害したかどで死刑判決を受けた袴田・元死刑囚の第二次再審請求で、静岡地裁が再審開始、死刑、拘置の停止を決定したためだ。
30歳で逮捕され、死刑判決を受け、再審請求が認められるまで48年。袴田元被告は78歳になっていた。

ニュースで知れば知るほど、冤罪としか思えない事件であった。
再審決定の争点となったのは、事件から1年2か月経ち、裁判中に突如検察が証拠として出してきた5点の衣類だった。被害者の返り血が付いていたためみそ樽に埋められたものと検察が主張したが、1年2か月浸かっていたわりには、まだ白い部分も見える衣服であった。弁護側の検証では、6か月みそに漬け込んだ同じ衣服は真っ茶色になっていた。
衣類についても、袴田元被告が穿けないような小さいズボンで、誰が見ても事件当時にそれを穿いていたとは考えられない。

そして、静岡地裁に再審開始を決めさせる決定的な証拠が、検察側と弁護側双方が実施したDNA鑑定で、半袖シャツの右肩に付いた血痕が袴田元被告のDNAと一致しなかったのだ。

これで疑われるのが、検察側による物的証拠のでっち上げである。被告の体のサイズもろくに調べず衣服を用意して、適当に血痕を付け、みそにしばらく漬けてできあがった"証拠"。当時は今のような精巧なDNA鑑定ができないからそれでもよかったが、およそ半世紀経って科学技術が進歩したおかげで、これまで話からなかった事実が分かった。

袴田元被告は恐らく無罪を勝ち取ることだろう。
死刑判決を受け、死を恐れながら48年も拘置されていたのだから、刑事補償請求をしたらどれほどの額になるのだろうか。1日あたり1000円以上、1万2500円を上限として補償される。仮に1万2500円で48年だとすると、およそ2億2000万円になる。
だが、30歳からそろそろ寿命を迎えそうな78歳まで無実の罪で拘置され、奪われた人生が2億2000万円で償えるとは到底思えない。
何ともやりきれない話だ。

この袴田事件の劇的な展開をもってして、またぞろ死刑反対派が息を吹き返してきた。
ここ最近、凶悪事件が続き、国民の間で死刑存続やむなしの声が広まってきた。裁判員裁判でも死刑判決が多く出された。
しかし、死刑反対派は、袴田元被告の悲劇をダシにして、「このような冤罪があるのだから、死刑は廃止にすべきだ」などと主張している。

この考え方はどう考えてもおかしい。物事の本質、袴田事件の根本的な原因を意図的にずらしている。
袴田事件が冤罪事件だったとして、問題なのは死刑が存在していることではなく、冤罪であったことである。冤罪となった根本的な原因は、これまでの裁判官の判断や、検察側が物的証拠をでっち上げていたのだとしたら、それである。
仮に死刑がなくて終身刑があったとして、48年も服役することは死刑より少しマシなだけで、死刑がなかったところで悲劇は起こる。

だから、「袴田事件の悲劇を繰り返さないようにするためには…」と訴えるのであれば、冤罪を極力なくすよう努力すべきだと訴えるべきである。
すでに、自白だけでは死刑判決を受けられないような時代になってきているが、DNA鑑定などの最先端の科学技術を積極的に取り入れるとか、そんな話だ。

袴田事件をもってして死刑廃止を訴える論理は、反原発を訴えるのとよく似ている。
福島で原発事故があった → 原発が存在したのが原因 → 原発を廃止しよう、という考え方だ。
原発がなければ原発事故が起きないのは当たり前だが、福島第一原発の事故の根本原因は、津波対策が十分に取られていなかったことである。だから、「これからはもっと津波や地震に注意を払い、十分な対策を取ろう」と考えるのが技術的なものの考え方だ。
情緒に基づいて考えると、「原発は危ないから廃止してしまえ」で終わってしまう。

私も技術者の端くれだから、どうしても「問題があれば、その問題を取り除けばいい」と考えてしまう。
反原発派は「その問題が取り除けないじゃないか」というが、リスクはどうやってもゼロにはならない。それを承知の上で成り立っているのが今の科学技術だ。
飛行機は落ちることもあるが利用されている。それと同じだ。

同様に、司法制度を考える。
冤罪はどうやってもなくならない。「冤罪がゼロにならないから死刑を廃止しろ」という考え方はおかしいし、先の原発の理論でいくと、「冤罪を生み出してしまうのだから、裁判自体やめてしまえ」は誰が考えてもおかしいだろう。

世の中ではいろんな不幸が起こりえるわけだが、どうすればよくなるのか、もっと論理的に考えたい。
サヨク論壇の吉本隆明は、東工大出身の理系的な考えから、「反原発で人間は猿になる」と主張していた。原発コワイ、原発やめようでは、火がコワイ、火に近づかないでおこう、と考える猿と同じだからだ。
人間であるのなら、問題に立ち向かったとき、何が問題の根本的原因であるかを探り、それを解決すべきなのだ。

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父の葬儀で親族から幾つか供物を出して貰った。葬儀の席に置いてある、大きなカゴに入った菓子や果物の詰め合わせだ。
利用した葬儀場では、果物の詰め合わせが1万2000円、菓子が1万円だった。どう考えても、中身だけ普通に買えば2千円から3千円くらいにしか見えないが、葬儀価格なので仕方がない。そんなところでケチるとか、あまりみみっちいことはしたくない。
そういうところが、葬儀の価格が下がらない理由だろうが、まあしょうがない。

葬儀会場に出された花や供物は、初七日法要まで終わって親族が帰るときに適当に分けるわけだが、菓子のカゴのひとつに、台湾の旺旺企業集団が売っている三幸製菓の「雪の宿」のパクリ商品がたくさん詰められていた。「D Price」とかいうプライベートブランドで、ラ・ムーというスーパーが販売しているものだ。
ついでにいうと、旺旺企業集団の会長は、中国に極めて近い人物で、中国の指示に従って、金を出して尖閣諸島周辺に台湾漁民を大勢派遣した人物である。

「1万円もする菓子の供物に、超絶安物のパクリ商品なんか入れんじゃねーよ」と思わずにはいられなかった。ほかの菓子は日本の菓子会社のものだったのに何なのか。
「雪の宿」ではなく台湾で「雪の月」という名前で売られているこのパクリ商品は、「雪の宿」に比べると、せんべいの表面にかかった白い砂糖の塊がかなり少なくて、パチモン感がハンパない。

台湾や中国、韓国あたりに行くと、この手の日本の菓子のパクリ商品が本当に山ほどある。
しかも、見た目は何となく似ているくせに、味は本家に遠く及ばないことが殆どだ。

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彎の脆果
台湾で「彎の脆果」という名前で売られているキャラメルコーンのパクリ商品は、東ハトのものにかなり近かった。台湾ではかなりメジャーな菓子で、台湾ナンバーワンの美女に選ばれたアイドル・郭雪芙がCMキャラクターを務め、パッケージにもプリントされている。

本家と同じかそれ以上と思われるのは「彎の脆果」くらいで、あとは軒並み本家以下だ。
韓国でもっとも売れているスナック菓子である「セウカン」は、カルビーの「かっぱえびせん」のパクリ商品で、パッケージも中身もよく似ているが、味がなんか違う。
「チョコパイ」のパクリ商品に至っては、中身のチョコの具合がまったく違って、おいしくも何ともない。

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セウカン
台湾の旺旺企業集団も、韓国で「セウカン」を販売している農心もそうだが、そこそこの大企業のくせに堂々と日本のパクリ商品を製造して販売している。
辛ラーメンで知られる農心に至っては、「セウカン」について「1971年の販売以来、韓国の国民食にまでなったスナック菓子の最高峰」だとしている。日本を含むアジア、欧米にも広く輸出していると胸を張っている。
どの面下げてそんなことを主張できるのだろうか。

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ペペロ
台湾、中国、韓国あたりでは、パクリ商品が堂々と販売されているため、消費者がそれをパクリ商品だと気が付いていないことが殆どだ。
特に韓国人は、先の「セウカン」、ポッキーのパクリ商品である「ペペロ」(ロッテ)などの有名菓子を時刻のオリジナル商品だと思いこんでいるフシがある。

パクリ商品をパクリだと気が付いていないこと、これが実にやっかいだ。

台湾のアイドルグループ・Twinkoのメンバーに、篠崎泫(しのざきげん)という女性タレントがいる。実の父も、両親が離婚後に再婚した継父も日本人、母親が台湾人という日台ハーフだ。日本語はあまりできないらしい。篠崎という通称で呼ばれている。

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コレパブ
その篠崎が、「香港に行くと必ず買うお菓子」としてSNSにアップしていたのが、韓国のオリオンという会社が販売している「コレパブ」だった。「コレパブ」は、森永の「おっとっと」のパクリ商品である。
韓国のオリオンが中国向けに輸出している「コレパブ」が篠崎の大のお気に入りなのだ。

日本人と台湾人のハーフタレントが、韓国によるパクリ商品を香港で買う。この構図は何なのか。
篠崎は「おっとっと」のことも知らずに、韓国の菓子会社の商品を「最高だ」と信じ込み、ファンにまで報告していることに複雑な気分になった。

この韓国のオリオンという会社も、それなりに大きい会社だ。それが我が物顔でパクリ商品を販売しているのだから、ため息しか出ない。

台湾、中国、韓国のこのへんの会社は、自社製品に対してプライドを持たないし、マトモに商品開発をしようとしない。
どこかの会社が作った商品をパクった方が早いし確実だ。
「雪の宿」も「かっぱえびせん」も「ポッキー」も「おっとっと」も、それぞれの菓子会社が商品の企画を立て、開発し、いろいろ工夫を重ねて販売してきたものだ。パクるだけなら、開発も工夫もいらない。開発費用をかけずに手っ取り早く商品化できれば、それほど安上がりで儲かるものはない。

これは菓子だけの話で済まない。韓国のSKハイニクスやポスコが、日本の東芝や新日鉄住金から極秘情報を盗んで製品化していることが問題になっている。
パクリの図式は、菓子から最先端の産業に至るまで、何も変わっていないのだ。

東芝や新日鉄住金の技術流出ばかりが問題になっているが、「割れ窓理論」のことを考えると、菓子などのパクリを放置してきたことからして問題なのかも知れない。
いちいち面倒臭いかも知れないが、「ただのお菓子だから」などと言わずに、もっと問題視すべきではなかろうか。

0326-1

客商売を生業とする社会人になると、あまり表立って感情をあらわにしなくなる。はらわた煮えくりかえっていても平静を装い、客の一言にブチ切れ寸前でもガマンする。
たまに、横柄な態度を取るヤツがいるが、そういうヤツは低能なのである。「腹が立つ」「面倒臭い」という態度を相手に伝えたところで、何も変わらない。相手をいらつかせて余計に話がこじれることが多いので、オトナであればそれなりの対応をするべきなのである。
相手を罵ったり、無視したりしても何も解決しない。むかついてもしかめっ面をせず、笑顔でいた方がいい。

常識のある人間であれば、そんなことくらいできるはずだ。人間は成長するにつれ、ガマンできるようになる。それができないのは、未熟で、器が小さい人間である。
その代表はズバリ、韓国の朴槿恵大統領である。

今日未明にハーグで行われた日米韓の首脳会談に出たわけだが、安倍首相が冒頭で「朴槿惠大統領とお会いできて嬉しいです」と朴槿惠の方を向いて韓国語で話しかけたにも関わらず、朴槿惠はうつむいて笑顔も見せず、安倍首相の方を向くこともしなかった。
会談では終始、朴槿惠は安倍首相の目を見ようとしなかった。朴槿惠が笑顔を見せたのは、会談冒頭に日米韓の首脳が一緒に写真撮影したときのみだった。

その上、記者から日米韓の首脳3人で握手した写真を撮りたいと再三言われたが、それに応じなかった。「安倍となんか手を繋げるか」ということなのだろう。

日本が韓国の歴史認識に合わせない限り首脳会談をしないと宣言していたのに、アメリカに押し切られる形で首脳会談に臨んだことを不覚とし、韓国国民に安倍首相と仲がよさそうにしているところを絶対に見せられなかったのだろう。北朝鮮のことばかり話すだけで、自身がこだわる歴史認識には一切触れることができなかった。

まるで安倍首相が存在しないかのように、朴槿惠が安倍首相の方を見ず、笑顔も見せずに終始しかめっ面をしている様は、底意地の悪い小学児童の女のようである。
日本とアメリカに対し、朴槿惠は自分のことを器が小さく、陰険で、意固地であることを示すことには成功した。

この態度には日本人として不快感しか感じないわけだが、逆にこれでよかったと思う。朴槿惠が笑顔を見せながら、下手に出てあれこれお願いする形になった場合、安倍首相がむげにそれを断りにくい雰囲気になっていた。
だが、相手がこれだけツンツンしているのだから、「手の施しようがない」と諦めムードで、今度も韓国と一定の距離を置くことができる。相手が何のリアクションも起こさないのだから、こちらからは何もできない。この状態が維持できる。

朴槿惠は、日米韓首脳会談に先駆け、ドイツの新聞の取材に対して、「日韓関係の悪化は日本の一部指導者の言動にある」と明言していた。「安倍のせいで、私のせいではない」ということだ。
その上で、またぞろ「ドイツは過去の歴史を真剣に反省した。日本はそれを学べ」などと強調した。

「問題はすべて日本のせい」、「日本は謝罪も反省も足りない」、「ドイツみたいにやれ」などという国とマトモに付き合いなんかできるわけがない。
仕事で取引のある人間や、近所の人間から、「こうなったのはお前のせい」、「金を出せ」、「だれそれを見習ったらどうだ」などと言われたら、そんなヤツとはマトモに付き合えないと考えるのが普通の間隔だろう。

朴槿惠のこの態度は、死んでも変わらないだろう。いつまでも日本のせいにしておけばいい。
そういう気むずかしいヤツはこちらからお断りである。
世界各国の政治家はオトナだから、どれだけ恥ずかしい対応をしていても、一定の付き合いはして貰えるだろう。これからも日本を蔑み、他国に日本の悪口を言えばいい。
韓国の外交など、それで満足しておけばちょうどいいのだ。

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