川崎市の多摩川河川敷で13歳の中学1年生が殺害された事件で、神奈川県警川崎署が主犯格の18歳の少年を殺人容疑で逮捕した。防犯ビデオに映っていた3人のうち、残る17歳の少年ふたりも同容疑で逮捕された。
この事件では、事件当初から18歳の少年Aの犯行であると見られていた。今日、Aが自宅から出てタクシーに乗り、川崎書に向かう様子をマスコミが張って取材していたことからもよく分かる。
Aは年下の少年たちを子分として従え、街を徘徊して度々騒ぎを起こすようなワルだった。中年男性の頭を鉄パイプで殴って、鑑別書送りになった過去も持つ。
殺害された中学生は、不良というわけではなかったが、熱心にやっていたバスケットボールの部活動に身が入らなくなり、次第に部活から遠ざかって、夜中にゲームセンターに出入りしたり、公園でバスケットボールをして遊んでいたらしい。そこで知り合ったのがAだ。
Aは知り合った当初は優しくしてくれたが、被害少年を仲間に組み込んだとみなすや使いっ走りとしてこき使うように。学校に行きたいという少年の意向に反し、学校に行くなと命令し、万引きをさせたりした。被害少年が抵抗すると、青たんができるまで顔を殴った。
被害少年は、2月20日の深夜2時頃、多摩川河川敷で殺害された。裸にされ、結束バンドで縛られ、カッターナイフの刃などで手足を切られ、最後に跪いた状態で首をナイフで切られて殺されたと見られている。膝には擦り傷があり、首の傷は後ろから横にかけて鋭利な刃物で切ったような深い傷で、出血性ショックが死因である。
どうやらAは、被害少年をイスラム国の人質になって殺害された人たちと同じように殺したらしい。
被害少年は文字通りなぶり殺しにされた。頸動脈を切られての失血死であると、頸動脈を切られた時点で大量出血して血圧が急激に下がり、一瞬で気を失ってしまうのでまだマシらしいが、とどめを刺すまでに体中を切り刻まれている上、後ろから横にかけて首を切ったのでは即死できなかったに違いない。被害少年の恐怖は尋常ではなかったことだろう。
被害少年は1月にAの不良グループから抜けたいと申し出たところ、顔面をボコボコに殴られた。Aからは自分に殴られたことを他言してはならないと強く言われていたが、LINEで友人にAに殴られたことを告げた。
それを告げられた友人は、親しい先輩に被害少年がAにめちゃくちゃ殴られたことを伝え、その友人の先輩ら5人が2月15日か16日にAの家に押しかけたという。Aの自宅でAの姉と押し問答をしている間にAの母親が警察に通報して、Aをシメようとしていた5人が帰らされることになった。結果的にそれがよくなかった。
自分が殴ったことを他人にチクリ、自分をシメに来たヤツがいたことをAが知って激昂したに違いない。
ただ、友人が先輩に相談して、その先輩らがAの自宅に押しかけてしまったことはしょうがないとは思う。血気盛んな若い頃はそのようなこともあるだろう。教師や警察に相談していればまた結果は違ったかも知れないが、そのあと結局Aに逆恨みされるのは間違いなく、どう転んでも被害少年はAによって殺されていたのかも知れない。
残忍極まりな事件であるが、この事件で一貫して見えてこないのが、被害少年の家庭である。
中学校の担任は、被害少年が来なくなった1月以降毎日電話連絡をしており、自宅にも5回訪れている。このような事件があると、教師の怠慢が責められがちだが、教師はちゃんとやっていた。
被害少年は、不登校になる1月の前から、夜中にゲームセンターや公園に出かけるようになり、不良グループと付き合いだした。普通なら、中学1年生が夜中に家を出て、深夜まで帰ってこない現状を親が注意するもんだし、不登校を心配するはずだ。だが、教師からの電話に出た母親は、少年が寝ているとか出かけているというだけで、無関心なようだった。
被害少年の家族は、元々千葉に住んでいたが、2007年にIターン制度を利用して島根県の隠岐諸島・西ノ島に移住した。父が漁師になるためである。
ところが、その3年後に両親が離婚。母親は少年とその妹を連れて島のほかの地区に引っ越す。そのあと、看護師の助手の仕事をしていたが、働かなくなって生活保護を受給することになる。そして、2013年に川崎市に引っ越した。
何があったのかは知らないが、被害少年は若干複雑な家庭環境にあったようである。
この事件は加害少年Aの猟奇性ばかりが目立つ。逮捕されてもAは「殴ったが殺害はしていない」と供述しているようだ。警察署に赴くときもポケットに手を突っ込んで歩いており、反省の様子は見られない。
ただ、それ以上に、まったく見えてこない被害少年の母親の存在も気にかかる。子供の生活にまるで無関心で、子供が殺されてからもどうしているのかまったく分からない。
本当に、薄気味悪い事件である。