先週、ギリシャとマケドニアの国境で難民と国境警備隊が激しく衝突する騒ぎがあった。マケドニアはシリア、アフガニスタン、イラクからの難民限り国内の通過を許可しており、それ以外のモロッコやパキスタンの難民がギリシャ国内で足止めされ、それを不満に思った難民が暴れたのだ。
なかには抗議のために口を糸で縫い合わせるヤツまで出てきた。日本大使館への抗議で指を切り落とす韓国人のようではないか。
こんなんだから難民の受け入れなどやめるしかないと思う。気に入らないことがあったらすぐに暴れるヤツを自分の国に招き入れ、なにかいいことがあるのだろうか。
日本は1年間に5千人が難民申請をし、11人しか認められなかった非人道的国家であると他国や朝日新聞が批判するが、難民受け入れに慎重なのは当然である。日本の対応は難民問題で悩む欧州の一般人からは理解されている。
そもそもの話として、日本は難民を11人しか受け入れていないというが、いい加減な難民申請ばかりでマトモなのが11人しかいなかったというのが現状である。週刊新潮が詳しく記事にしていたが、難民の申請理由が自国での宗教的迫害、民族的迫害ではなく、近所同士で揉めたとかそんなレベルが多いのだという。それを1件1件確認していたら時間がかかり、明らかに難民に当てはまらない連中を除外していったら11人になるのも仕方がない。
日本は難民の受け入れに消極的であると見られているが、難民申請する連中のほとんどは日本での就労か、日本の社会保障を目当てにやって来ている。そして、難民申請をしている間は就労が可能で、申請を拒否されても何度か再申請ができるので、日本で仕事をするという目的は達せられるのだという。
そんななか、国連などが日本に対してシリア難民を受け入れろと口を酸っぱくして文句を言っている。
フランスでの同時多発テロでシリア難民に紛れてテロリストがやって来てテロを実行していたことが明らかになった以上、シリア難民の受け入れにはデメリットしかない。
「シリアのような政情不安定国の難民を受け入れることが先進国の役目だ」などと説教を垂れるヤツがいるが、これは見ず知らずの浮浪者を家に招き入れ、食事や風呂を振る舞ってやれと言っているのと同じではないのか。
チベットやウイグルで独立運動をしたとかで中国政府は迫害された人は受け入れるべきだろう。中国でマトモに暮らせそうにないし、国外での運動を支援できる。
しかし、シリア難民はどうだろうか。私から言わせれば、シリア難民は祖国を捨ててよその国で暮らしたいと思っているだけの人間だ。シリア政府、トルクメン人の反政府組織、イスラム国の三つ巴の戦いが行われ、その戦火に巻き込まれて命からがら逃げてきたのだろうが、それでも祖国を捨てて他国に安寧の地を求める感覚が理解できない。
島国にかじりつく日本人と、流浪を繰り返してきた中東の連中との違いかも知れないが、簡単に国を捨てるような連中を受け入れる気にはなれない。
内戦の極限状態を味わったことがないからそんなことが言えるのかもしれないが、それでも私には祖国を捨てて他国で暮らそうという、ある意味売国的な振る舞いを理解できないのである。シリア難民には大勢の男が混じっているが、そいつらはどうしてシリアで戦おうとしないのか。
日本が戦争状態になったとして、中国や韓国に逃げたいと思わないし、もし逃げるヤツがいるのなら軽蔑してしまう。
「命を捨てるくらいならプライドを捨てる」というシリア人の考え方なのだろうが、公よりも個を大切にするような連中を受け入れて、いいことなんかあるわけがない。
子供たちは可哀相かも知れないが、可哀相だからといってなんでも手を差し伸べていたらキリがない。インドで貧乏な物乞いの子供を憐れむのと同じである。
先ごろ、カナダがシリア難民2万5千人の受け入れを表明したが、家族連れや女性に限り、男性の単身者は除外するという。テロリストが紛れ込むことを防ぐ目的らしいが、それ以外に簡単に祖国を捨てて尻尾を巻いて逃げてくるような男はまっぴらゴメンという思いもあるのではないかと穿った見方をしてしまう。