先っちょマンブログ

2015年11月

20151130-1

先週、ギリシャとマケドニアの国境で難民と国境警備隊が激しく衝突する騒ぎがあった。マケドニアはシリア、アフガニスタン、イラクからの難民限り国内の通過を許可しており、それ以外のモロッコやパキスタンの難民がギリシャ国内で足止めされ、それを不満に思った難民が暴れたのだ。
なかには抗議のために口を糸で縫い合わせるヤツまで出てきた。日本大使館への抗議で指を切り落とす韓国人のようではないか。

こんなんだから難民の受け入れなどやめるしかないと思う。気に入らないことがあったらすぐに暴れるヤツを自分の国に招き入れ、なにかいいことがあるのだろうか。

日本は1年間に5千人が難民申請をし、11人しか認められなかった非人道的国家であると他国や朝日新聞が批判するが、難民受け入れに慎重なのは当然である。日本の対応は難民問題で悩む欧州の一般人からは理解されている。

そもそもの話として、日本は難民を11人しか受け入れていないというが、いい加減な難民申請ばかりでマトモなのが11人しかいなかったというのが現状である。週刊新潮が詳しく記事にしていたが、難民の申請理由が自国での宗教的迫害、民族的迫害ではなく、近所同士で揉めたとかそんなレベルが多いのだという。それを1件1件確認していたら時間がかかり、明らかに難民に当てはまらない連中を除外していったら11人になるのも仕方がない。

日本は難民の受け入れに消極的であると見られているが、難民申請する連中のほとんどは日本での就労か、日本の社会保障を目当てにやって来ている。そして、難民申請をしている間は就労が可能で、申請を拒否されても何度か再申請ができるので、日本で仕事をするという目的は達せられるのだという。

そんななか、国連などが日本に対してシリア難民を受け入れろと口を酸っぱくして文句を言っている。
フランスでの同時多発テロでシリア難民に紛れてテロリストがやって来てテロを実行していたことが明らかになった以上、シリア難民の受け入れにはデメリットしかない。
「シリアのような政情不安定国の難民を受け入れることが先進国の役目だ」などと説教を垂れるヤツがいるが、これは見ず知らずの浮浪者を家に招き入れ、食事や風呂を振る舞ってやれと言っているのと同じではないのか。

チベットやウイグルで独立運動をしたとかで中国政府は迫害された人は受け入れるべきだろう。中国でマトモに暮らせそうにないし、国外での運動を支援できる。
しかし、シリア難民はどうだろうか。私から言わせれば、シリア難民は祖国を捨ててよその国で暮らしたいと思っているだけの人間だ。シリア政府、トルクメン人の反政府組織、イスラム国の三つ巴の戦いが行われ、その戦火に巻き込まれて命からがら逃げてきたのだろうが、それでも祖国を捨てて他国に安寧の地を求める感覚が理解できない。

島国にかじりつく日本人と、流浪を繰り返してきた中東の連中との違いかも知れないが、簡単に国を捨てるような連中を受け入れる気にはなれない。
内戦の極限状態を味わったことがないからそんなことが言えるのかもしれないが、それでも私には祖国を捨てて他国で暮らそうという、ある意味売国的な振る舞いを理解できないのである。シリア難民には大勢の男が混じっているが、そいつらはどうしてシリアで戦おうとしないのか。
日本が戦争状態になったとして、中国や韓国に逃げたいと思わないし、もし逃げるヤツがいるのなら軽蔑してしまう。

「命を捨てるくらいならプライドを捨てる」というシリア人の考え方なのだろうが、公よりも個を大切にするような連中を受け入れて、いいことなんかあるわけがない。
子供たちは可哀相かも知れないが、可哀相だからといってなんでも手を差し伸べていたらキリがない。インドで貧乏な物乞いの子供を憐れむのと同じである。

先ごろ、カナダがシリア難民2万5千人の受け入れを表明したが、家族連れや女性に限り、男性の単身者は除外するという。テロリストが紛れ込むことを防ぐ目的らしいが、それ以外に簡単に祖国を捨てて尻尾を巻いて逃げてくるような男はまっぴらゴメンという思いもあるのではないかと穿った見方をしてしまう。

20151129-1

昨日の夕方、テレビのチャンネルをザッピングしていたら、TBS系列の「報道特集」とかいう番組で、韓国の従軍慰安婦の婆さんにインタビューをしていた。
従軍慰安婦だったと主張する婆さんと日韓の若者がボランティアスタッフとして共同生活を送る「ナヌムの家」だか「ナムルの家」だかいう施設に行って、そこに入所している婆さんに話を聞いていた。

ある婆さんは、TBSのインタビュアーに対して「謝罪もしていないのにインタビューとはなんだ」とブチギレていた。自分が気に入るような謝罪を日本政府がしていないからといって、日本の民放のスタッフがどやされ、インタビューもままならないとはどういう了見だろうか。
だがそのあと普通にインタビューを受けていて、警察官に中国に行けと言われて従ったらそこで慰安婦にされたなどと言っていた。日本人の警察官なのか朝鮮人だったのかは知らないが、強制連行されたとは言っていなかった。もうひとりの婆さんも民間人に騙されたと言っていた。

ブチギレ婆さんの方は、慰安所で日本兵に酷いことをされたと言っていた。具体的になにをされたかは語っていなかった。
韓国人の話では、慰安婦は毎日何百人に強姦され、しまいには刃物で腹を切り裂かれたり、釘をたくさん打ち付けた板の上を転がされて肉片にされたらしいが、この婆さんはどのような酷いことをされたのだろうか。

従軍慰安婦に関する本を読むと、慰安婦は日本兵より遙かに多くの給料を貰っていて、日本兵はなけなしのカネをはたいて相手をして貰っていたとある。
慰安婦はヤクザみたいな民間業者が管理しているわけで、日本兵が手を出したりしたらタダでは済まなかったのではないのか。

どちらにしても、日本兵に酷いことをされたのか、誰かに騙されて慰安婦をさせられたのか、そもそも慰安婦だったのかも分からない。
だが、韓国曰く、「証拠はこのお婆さんたちだ!」などと平気で言う。韓国の司法を見ても分かるが、韓国には決まりとか証拠とか、そんなもんは関係ない。国民の情緒のみで成り立っている国だから、証言こそ最大の証拠なのだ。
だから、あることないこと言えばそれがすべて証拠となる。

自称慰安婦らの証言は時代によって変遷している。金学順や李容洙といった有名な慰安婦は、最初は「母親にキーセンに売られた」とか、「知り合いに付いていったら慰安婦にされた」と証言していたのに、何年かすると「銃剣を突きつけられて連れて行かれた」などとなったりする。

故意であってもなかっても、証言ほどアテにならない証拠はない。人はウソをつくし、ウソをついていなかったとしても、人は無意識のうちに記憶を変えてしまう。ウソも百回唱えると、それが真実であるかのように信じ込んでしまう。

李容洙は「日本の首相が自分の目の前で跪いて謝罪し、賠償せねばならない」とし、自分の意見に異を唱える日本人は犬だとした。
TBSのインタビューに答えていた婆さんも日本は謝罪をして、カネを出せと言っていた。この婆さんらのいう謝罪は、鳩山由紀夫がやっていたような土下座のことだろう。安倍首相を土下座させ、その頭を踏んづけないと気が済まない。いや、それでも足りないくらいか。

仮にこの婆さんらの証言通り、誰かに騙されて慰安婦になり、日本兵に酷いことをされたとして、日本の総理大臣がなぜそんな謝罪をせねばならないのか。安倍首相がそうしたところで、今度は李明博のように天皇陛下に対して求めてくるだろう。
こいつらは、ものには限度があるということを知らない。つけ上がらせるといくらでも終わりのない要求をしてくる。

TBSのインタビューを受けていた婆さんは、「韓国と日本は仲よくならなければならない」などとも訴えていた。自分は理解ある人間だから、話を進めないといけないというアピールをしていた。警察の尋問で出てくる悪い警官といい警官のように、日本への恨み辛みを吐き捨てる悪い婆さんと、日本への理解を示すいい婆さんをひとりで演じていた。
誰の入れ知恵なのか。

仲よくしないといけないから、さっさと謝罪してカネを払えということらしいが、日本は別に韓国に媚びへつらって生きていかないといけない理由などない。慰安婦問題でキレていたいのなら、この先もずっとキレていればいい。
慰安婦の問題が本当にあったとして、そこらへんの補償は日韓基本条約に関する取り決めて解決済みであるが、韓国人は当時知られていなかった問題は別だと本気で思っている。朝鮮人が強制連行され、日本兵の慰みものにされた問題が戦後40年50年も経たないと出てこないなどあるのだろうか。吉田清治がウソ証言をするまで、韓国人は誰も知らず、誰も疑問視しなかった問題があとから出てくることなどあり得るのか。

とにかく、慰安婦の婆さんらの話を聞いていると、バカバカしくなってくる。TBSのインタビュアーは跪いて神妙な面持ちで聞いていたが、ひとりでブチキレ、本当かどうか分からない話をまくしたてる婆さんの話をよく聞いていられるものだ。
本来ならば、婆さんの前で話の不自然な点などを全部指摘してやるべきなのだが、そういう人はインタビューする機会すら与えられないのだろう。婆さんらの話をおとなしく聞いて、信じる人間でなければならない。

日本の悪口を吹聴し、ヘンな入れ知恵をする人間に囲まれて、さらに自分をちやほやしてくれるイエスマンもいて、慰安婦だったと主張する婆さんらには、生きがいができてよかったのかも知れない。死ぬ間際の第二の人生だ。人々に注目されるなか、日本を叩くことで自己のアイデンティティを確立することができる。戦後何十年か経ってから生み出した恨みを大きくし、それを生きがいにしている。
李容洙は200年生きて、自分に謝罪しない日本の犬どもの末路を見取ると言っていた。どうぞご自由に。

そんな婆さんとそれをバックアップする韓国政府の相手をせねばならない日本にとっては災難だ。婆さんと話をしたり、韓国政府と交渉したりするすることになんの価値も見いだせない。
そんな無意味なことをこれからもやり続けないといけないのかと思うと、心底ウンザリさせられる。

20151127-1

今日の産経新聞朝刊1面トップの記事を見てめまいがしそうになった。
消費税の軽減税率制度について、低所得者にプリペイドカードを配布する方式が自民党内で検討されているのだという。

【産経新聞】プリペイドカード方式が浮上 全飲食料品が適用対象に 限度額年4千円が有力 政府・自民党が検討 (11/27)


記事によると、低所得者に対してスーパーでの食品や外食で使えるプリペイドカードを配布し、それを使って精算すれば10%の消費税が8%になるという。そのようにすれば、どの食品に軽減税率を適用するかなどを考える必要がなく、消費税軽減分の上限を4千円として決まった数の人に配布すれば、軽減税率の条件としていた税収減4000億円で済ませることができるのだという。

これまで、軽減税率を適用するには小売業者にインボイスの提供をさせる必要があって負担増になるといっておきながら、このようなことを思いつく思考回路を知りたい。

この自民党案を実現させるには、カードの読み取り装置が必要だ。記事には読み取り装置を政府が事業者に配布するという案があるというが、日本にPOSレジが一体何台存在すると思っているのだろうか。
例えば、セブンイレブンは国内に1万8千店舗あり、1店舗あたり2台から多くて5台くらいレジがある。平均して3台とすると、セブンイレブンだけで5万4千台もあることになる。

個人経営の小売店や飲食店から巨大チェーンまで含めて、飲食関係の店舗にレジが50万台あったとしよう。カードの読み取り装置のコストに1台あたり1万円かかれば、装置を無償配布するだけで500億円もかかってしまう。
それはいくらなんでも費用がかかり過ぎるとして、店側の負担にしたら店側は大変なことになる。

それに、読み取り装置が接続できないような古いレジを使っている店はレジごと買い換えなければいけない。その費用は店持ちになるに決まっている。
そうなると、「軽減税率適用カードは使えません」という店が続出するのではないか。

新しいレジを使っている店にしても大変である。読み取り装置をポンと付けて終わるわけではない。POSにプリペイドカードから消費税軽減の2%分を引くという改修をせねばならないが、それをやるのも大変である。システム屋が半泣きになって作業している姿が目に浮かぶようだ。

そもそもの話として、本当に消費税10%のアップを予定通りに行うのだろうか。8%になったとき、予想以上に消費マインドが下がって、アベノミクスによる景気の上昇に相当な邪魔になった。次も絶対に同じことが起きる。
軽減税率制度を導入して少しでも消費マインドの下げを防ぎたいのなら、ケチケチせずに「食品は0%、それ以外は10%」とすべきではないのか。
決められた枠分しか税収を減らさないとうい財務省の思惑通りに動こうとするから、どの食品に軽減税率を適用するか悩む必要が出たり、プリペイドカードを配ろうかとアホなことを考えたりするのだ。

正直、食品で2%分の消費税だけ安くなるとか、1年で4千円まで還付されるとか聞いても全然お得な感じがしない。たった2%である。食費に毎月5万円使っていたとして、月々たったの千円でしかない。4千円の上限があるなら4か月だけ。

軽減税率制度を導入するのなら、分かりやすいように0か1、0%か10%にするべきだ。欧米人はアホで暗算をしないから、商品ごとにバラバラで、しかも端数だらけの消費税にしたりする。
フランスではキャビアが19.6%、フォアグラとトリュフは5.5%である。なんだそれは。適用の仕方も気になるが、税率が信じられないようなハンパな値ではないか。

そんなめちゃくちゃな消費税にする必要などない。今の8%でも暗算しにくくて困っている。
10%は数値的にはいい数値だ。だから、邪魔くさいから「全部10%」か、「食べられるものは0%、ほかは10%」などと明確なものにして貰いたい。死んでもそれをしたくないのなら、価格表示は全部内税方式を義務付けるしかない。
幾ら食ったのか分からない飲食店の会計じゃあるまいし、もっと"明朗会計"を心がけるようにして欲しい。

20151126-1

痴漢や強制猥褻で捕まったヤツのニュースを見ると、犯行の理由について大体が「仕事のストレスで」などと言っている。
仕事でストレスを感じてイライラすることはあるが、誰かをぶっ飛ばしたいとか、なにかをぶっ壊したいと思うことはあっても、女の子にチンチンを見せたいとか、女の子のパンツに手を突っ込みたいとは思わない。

酒のせいにするヤツもいるが、私は酒を飲んで酔っ払っても気分が悪くなるだけで、痴漢や強制猥褻を起こしたいとは思わない。
たまに、酔っ払ったせいで上司など本人の目の前で悪口を言ってしまうヤツがいたり、ゲロを吐いたり暴れたりするヤツもいるが、酔っ払っていても幾らかは自覚があるだろう。前後深にくなるまで酔っ払ったとして、痴漢や婦女暴行をしようと考えるとは思えない。

性犯罪者の思考回路は一般の人とは違うのだろうか。そんなことはないと思う。
結局のところ、自分の性癖を知られることが恥ずかしいので、仕事のストレスや酒のせいにしているだけだろう。
気持ちは分からないでもないが、男らしくないのである。たまに子供への猥褻事件で「性欲を抑えられなかった」などと供述するヤツがいるが、犯行は卑劣であるが、そちらの方が男らしく思えてしまう。

逮捕されて人生パーになろうとしていても、この期に及んでまだイイカッコしたがるのが人間なのだろうか。

新潟の地方紙・新潟日報の上越支社に勤める坂本秀樹(53歳)とかいう報道部長が、匿名でやっていたTwitterで数々の暴言を履いていたことが明らかになるというニュースがあった。
ことの発端は新潟水俣病訴訟の弁護団長を務める高島章弁護士に対するTwitterでの暴言で、高島弁護士が知人などから「Twitterで暴言を吐いてくるアカウントは新潟日報の記者のものではないか」と言われていろいろ調べていくうちに坂本秀樹に辿り着き、坂本が暴言アカウントを書き込んでいたことを認め、勤め先の責任者を連れて弁護士事務所まで謝罪しに来たのだという。

この坂本という男は、Twitter上で保守やネトウヨと呼ばれる人たちを叩きまくっていた。「レイシストはすべて死ね」などと日常的に書き込み、文句を言ってきた人物には「お前の赤ん坊を、豚のエサにしてやる!」と返信。安倍首相の中小も繰り返していた。
くだんの弁護士はこれらのツイートに対して批判をしていたらしく、それを気に入らなかった坂本は弁護士に対して「クソ馬鹿ハゲ野郎」「はよ弁護士やめろ」などとツイートを送っていた。そして、マヌケにも正体を知られることになってしまった。

Twitterアカウントの素性がばれ、坂本秀樹は弁護士事務所に謝罪に行ったのだが、その場で「職場のストレスで」、「酒を飲んでいた」という例の言い訳をした。
ご多分に漏れないアホな言い訳に笑ってしまう。
どう考えても、Twitterアカウントの数々の暴言はコイツの本性を表すものだろう。

新潟日報はほかの暴言ツイートについても調査すると約束していたが、坂本はアカウントをフォロワー以外に見られない状態にしたうえで、問題のありそなツイートを3000個以上削除してしまった。

しかし、とき既に遅しである。報道部長という職は解かれ、経営管理本部付とされた。懲戒免職になるのか諭旨免職になるのか、はたまた自主退職になるのかは知らないが、新聞記者という仕事を続けられそうにないだろう。
Twitterで調子に乗ったせいで人生パーである。あまりにもアタマが悪くて笑ってしまう。

坂本秀樹という男は、Twitterで自身に批判的な人物について個人情報を調べてとことん追い詰めると脅迫していた。保守系デモの参加者には車のナンバーを調べて身元を明かすと言っていた。
この口だけ野郎は、自分自身がそういう目に遭うとは思ってもいなかったのだろう。まさに因果応報である。

この坂本はこれから転落人生を歩んでいくことになる。そんな転落人生が待ち構えているどん底の状態でも、数々の問題ある発言を仕事のストレスや酒のせいにした。
「自分はそれほど悪くない。仕事や酒が悪い」と責任転嫁して、誰が「ほう、そうですか」となるのか。「これがオレの性格」、「本心からムカついたので」などと言った方がまだよかった。
ネットで誹謗中傷するくらいしか能のない小者だから、この程度のアホみたいな言い訳になってしまったのだろう。

自分を少しでもよく見せようとする言い訳は、他人から見ると余計に悪く見えてしまうものである。

20151125-1

神奈川県藤沢市の滝の沢小学校で、40歳の女性教師が4年制の算数の授業で電卓の使い方を教えるときに、「嫌なヤツ(18782)と嫌なヤツ(18782)を足すと皆殺し(37564)になります」などと発言して問題になっているらしい。

【神奈川新聞】算数授業で「皆殺し」 藤沢市立小教諭、謝罪へ (11/19)

これを最初に報じた神奈川新聞によると保護者の反撥が強まっているとあるが、実際はこれに抗議した保護者はたった1名だったそうな。その1名のために、保護者説明会を開き、そこで教師が謝罪するという。
アホみたいな話だ。

藤沢市の教育委員会は「命の大切さを伝える教育に取り組む中で、不適切な指導方法」としているそうだが、本気で言っているのか疑いたくなる。教師が「バトルロワイヤル」のように児童らに「殺し合いをしてください」とでも言ったのなら分かるが、「へー」というくらいの語呂合わせを児童に教えたくらいで一体なんの問題があるとういのか。
文句を言った保護者は、子供が家で「みなごろし」と言って困るというが、困るのならテメエの子供をテメエで叱ればいいだけではないか。

こんなことで教師が謝罪させられ、新聞の社会面の記事になるなんて、日本の社会は正気ではないように思える。

最近はなんでもかんでも「コンプライアンス」と言われるようになった。法令遵守は大切かも知れないが、杓子定規に法律を守り、それに違反する人物を厳しく罰するばかりの世の中でいいのかと思う。

今月20日、岐阜刑務所の職員がカネをかけた麻雀大会を開いていたとしてこれまた新聞沙汰になった。ただ、1000点100円とかの賭け麻雀ではなく、参加費3000円で順位に応じてカネを分配するというめちゃくちゃ健全なものだった。これだと、3千円までしか損をしない。麻雀を何時間か打って3000円の負けで済むのなら、ヘタクソでもそれなりに楽しめる。
参加者はいずれも休みの日に参加していたのだが、参加しなかった職員が問題視して法務省にチクったのだという。法務省側としても対処せざるを得ないのかも知れないが、本当にバカバカしいと思う。

今から17年も前の話だが、漫画家の蛭子能収が新宿歌舞伎町の雀荘で麻雀を打っているときに警察の手入れが入って逮捕されたことがあった。当時、蛭子は「雀王」という月刊の麻雀漫画雑誌に1か月どんな賭けごとをしていたかの連載をしていたが、有名人の割には低いレートで売っていた。捕まったときも歌舞伎町としては低レートの1000点200円だった。
東尾修が1000点1000円のレートで打っていたことは有名だが、千点500円くらいからが逮捕されるラインとされていたのに、200円でも逮捕される事例が出てきて、当時の麻雀打ちに衝撃を与えた。学生やサラリーマンは1000点50円か100円くらいで打つことが多いが、200円はスリルを味わうことができるレートで、非現実的なものではない。誰もがやりそうな賭け麻雀で逮捕され、前科者になったら堪ったもんじゃない。
それを思えば、岐阜刑務所の麻雀大会がいかに健全化が分かる。

ほかにも、今月6日にはJR東日本郡山総合車両センターの社員112人が高校野球賭博をしていたとかでニュースになっていた。これも野球賭博というような大袈裟なものではない。ヤクザに通じた組織を通してハンデ師のポイントで野球の賭けをする巨人の選手がやっていたようなものではなく、一口500円で優勝予想をし、当たった人たちで分け合うというものだ。
こんなもん、そこらへんの会社でよくやっていることではないか。私の父も職場の高校野球の賭けをしていて、出場49高にそれぞれポイントを振って、試合に勝ったらそのポイントが入り、ポイントの積み上げで順位を決めて賭け金の賞金を分配するというのをやっていた。

これらの賭博は、狭義の犯罪なのかも知れないが、この程度の賭けで犯罪扱いとか、どうなっているのかと思わざるを得ない。職場の人たちでやったことが問題視されている面もあるが、職場以外の知らない人たちが集まってやっている方が問題だろうに。

自転車の傘さし運転もそうだが、昔は問題にならなかったことが最近はなんでもかんでも問題にされ、ときには逮捕されたり行政処分を受けたりする。
教師は保護者に謝罪させられ、職場でちょっとした賭けごとをしたら処罰され、ヘタすると前科者になってしまう。
そのうち、深夜に車の走っていない道を赤信号なのに渡ったから逮捕とか、加齢臭が臭すぎるから逮捕とか、ありそうで恐ろしくなる。

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