先っちょマンブログ

2016年02月

20160229-1

小学校の社会科の時間でインドのカースト制度について、バラモン、クシャトリヤ、バイシャ、スードラとかいう4つの階級に分かれた身分制度だと習った。
実際は4つの階級とかいう単純なものではなく、バルナと呼ばれる4つの種姓(家柄や血筋)に、地域や職業などで分けたジャーティ(出自)と呼ばれる分類があり、インドの身分を細分類すると3000くらいになるという。

手塚治虫の漫画「ブッダ」を読むと、お釈迦さまが生まれた2500年前には既にインドには確固たる身分制度が存在し、それが少しだけ形を変えて現在でも受け継がれている。
掃除や洗濯、皮革製造などの地位の低い職業の家の子供は、親と同じ職業にしか就けないなど、およそ現代社会とはかけ離れた身分制度がインドでは息づいている。

主にヒンズー教の身分制度であるわけだが、ヒンズー教ははたから見るとロクな宗教ではない。職業や婚姻などを縛る強固な身分制度のほか、夫に先立たれた寡婦が焼身自殺をするサティーという慣行も未だに残る。
インド政府はサティーを禁じているが、夫が死んで寡婦となった女性が原因不明の焼死を遂げる"事件"が多発する。警察は「台所で衣類に火が付いて死んだ」などとして片付けるが、大半は親族らが寡婦を焼き殺しているという。

サティーに見られるように女性蔑視が甚だしく、強姦事件、強姦殺人事件が毎日のように起こっている。バス通学の女性とが複数の乗客とバスの運転手から強姦されたり、強姦被害を受けて匿われた女性がさらに強姦被害を受けるなど、まさに異次元の事件が起きている。
いつまで経っても身分制度が解消されず、酷い差別も横行している。
インドはどうしようもない国であり、紛れもない後進国だ。中国と同様に核兵器を持つ後進国である。

安倍首相はインドのモディ首相と懇意にしており、高速鉄道の売り込みに成功するなど、インドとの友好関係をアピールしている。日本の保守層でも中国への対抗手段としてインドとの友好を勧める人が多いが、正直言ってインドは中国と同じくらい、日本と価値観を共有できない国である。
中国とインドの国民性は目くそ鼻くそであり、どちらも日本人にとっては理解不能だ。

インド人はカースト制度によって職業選択の自由が極めて狭められているわけだが、その例外がいくつかある。IT分野など新しい職種は古い時代からの身分制度にない職業であるため、現在の身分に関わらず就労が可能であるとか。インドでITが発展したのは、掛け算を19の段まで暗算できるからではなく、身分制度に縛られにくい職種であるからだそうだ。

そんなインドで身分制度に関係する暴動が起きている。
インド北部からパキスタンに多くいるジャートと呼ばれるカーストがハリヤナ州で暴動を起こしているのだ。このジャート族の連中は、農業関係の仕事に就いていることが多く、インドのなかでもそれなりに裕福な身分であるわけだが、それが身分制度のことについて暴れている。商業施設を放火・破壊し、略奪や殺人などが多く起こった。
この暴動の程度を見れば、インドが中国と同じくらいの国であることが分かる。

ジャート族の暴動は身分制度に基づく逆差別が原因だ。インドでは身分制度による差別があるため、大学や就職において身分が低い階級の人たちを一定数採用するという制度がある。ジャート族はそれに不満を訴えて暴動を起こしたわけだが、逆差別の解消を訴えて暴動を起こしたのではなく、「自分たちもその優遇的身分にしろ」と訴えている。
実際、暴動が起きているハリヤナ州とは違う州でジャートが差別を受ける身分だとして優遇されているのだが、「自分たちが逆差別の恩恵を受けられる身分にせよ」と主張して暴れているのが救えない。
インド人はこういうどうしようもない連中ばかりではないのか。

世界各国、いたるところに逆差別の問題が存在する。例えばアメリカでは大学入試において、黒人やラテン系の生徒に加点をして人種ごとの割合を是正する制度がある。逆に、増えすぎたアジア人は減点されるほどである。
そんなことをして学生の割合を調整することになんの意味があるのか。純粋に学力だけでなく、人種によって加点されたり減点されたり、不公平極まりない。

日本の大学にはそのような制度はないが、社会には逆差別が存在する。同和問題などその典型で、今や昔のような差別はないのに、同和地区出身というだけで公務員に優先的に採用されたり、税金の優遇、同和地区の改良住宅の家賃補助など、様々な恩恵を受けられる。
おかしな話ではないか。

また、安倍政権では女性の社会進出とやらを推進するため、「2020年までに女性管理職を30%にする」という目標を掲げ、企業に対して中間管理職に女性をもっと採用するよう企業に圧力をかけている。能力がどうのとかいう以前に、数合わせで女を管理職にさせるのだから、信じがたい愚策であり、逆差別以外のなにものでもない。
女が差別されているから管理職になれないわけではないのに、むりやり女性管理職を増やすことにどんな意味があるのか。

日本人はおとなしいから、この程度のことでは暴動など起きないだろうが、「差別がある」という一方的な言い分を鵜呑みにして逆差別を生み出したり、数合わせのために逆差別を生み出すことほど愚かなことはない。
そうやって社会の不満を溜めていくと、そのうち日本でもインドみたいに爆発するかも知れない。

20150228-1

YouTubeで台湾のテレビ番組をよく見ている。音楽番組や日本への旅番組だ。台湾のテレビ番組は放送後にテレビ局の公式チャンネルがYouTubeに配信するものが多い。違法アップロードが多いから、公式が自ら乗り出したみたいな感じに見える。日本のテレビもそうすればいいように思えるが、台湾より権利関係が厳しいからムリなのだろう。
台湾のテレビは生放送以外は必ず字幕が付くから、中国語の勉強にちょうどいいのだ。

ただ、台湾のテレビ番組はすごく面白いというわけではない。特にバラエティは顕著で、笑いのレベルは日本より遥かに下だと思う。台湾在住の会社の先輩も「台湾のテレビはクソつまらん」と言っていた。

ほかにも「日本のバラエティ番組は規制が多すぎる」と都度に言われるが、台湾のテレビはもっと多そうなのが気になって仕方がない。
台湾では男でもケツ出しNGで、ケツは隠される。台湾版の「テルマエ・ロマエ」は、風呂のシーンがぼかしだらけだ。ケツの割れ目を全部ぼかすからである。「クレヨンしんちゃん」で「ぞうさん」と言ってチンチンを出すシーンは、アクション仮面の顔の画像でしんちゃんのチンチンが隠されていた。
タバコを吸うシーンもダメらしく、日本ロケで年寄りがタバコを吸っているところがモザイクになっていた。
また、タレントが叩かれるシーンや雪のなかに投げ込まれるシーンで必ず「テレビの演出です。真似しないでください」と注意書きの字幕が出るし、タレントが酒を飲むシーンでは「お酒の飲み過ぎは健康を害する恐れがあります」と字幕が出る。
とにかく制約だらけなのだ。日本のテレビの自主規制は他国と比べてもまだゆるゆるなのである。

しかし、台湾の旅番組では別のゆるさが目立つ。番組作りのプロ意識がいかがなものかと思うことが多いのだ。
日本では商店街を歩いて食べ歩きするタレントが自分のカバンを持っていることはないが、台湾のタレントはカバンを背負っていることが多い。なぜタレントのカバンをスタッフが管理しないのか。
それ以外にも、キレイな景色が見られる場所や、美味しそうな食事が出てきたときにタレントがスマホで写真を撮ったりする。仕事なのに、あとでFacebookやInstagramにアップする写真を番組撮影中に撮るのである。信じられない。

ほかにも、スキー場で「アナと雪の女王」のエルサのコスプレをした進行役以外、タレント全員がサングラスをしていた。タレントの表情が見えないではないか。
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この番組は「綜藝玩很大」という毎週日曜夜9時からの2時間番組で、台湾各地や外国に行って2チームに別れてゲームをするという番組だ。ちなみに、レギュラー出演している呉宗憲は、台湾で毎晩2時間の帯番組の司会をしている大物芸能人である。
なぜ旅先でゲームをするのか、番組の主題がよく分からないのだが、3か月に1回くらい日本に来ている。
この放送は先週の2月20日の放送で、万座温泉と軽井沢に行っていた。

万座温泉スキー場では、スノボと自転車を足したようなスノースクートというのに乗り、ゴール後にクイズに答えるというのをやっていて、そこで日本のちなんだ問題を出していた。

「日本の著名人である安藤忠雄の職業は?」(答:建築家)
「ちびまる子ちゃんのクラスの学級委員は?」(答:丸尾)
「陽岱鋼の所属チームは?」(答:日本ハムファイターズ)
「台湾観光の宣伝をしている日本のタレントは?」(答:木村拓哉)
「クレヨンしんちゃんのママの名前は?」(答:みさえ、中国語で美冴)

そのなかに、「日本の最南端はどこか?」という問題もあった。それに対して女性タレントが「長崎県」と答えていて不正解になっていたのだが、呉宗憲が「沖縄県だよ」と答えを教えていて、番組では日本地図を出して「沖縄県の波照間島」と解説していた。
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日本列島の形や北の向きがどうかと思うのだが、その前に日本の最南端は東京都の沖ノ鳥島である。台湾本島よりも南に位置する。クイズ番組でよく出てくる問題だ。
「いい加減な地図を出して、なにを間違ったことを答えとして教えているのか」と思ったが、少し考えてその謎が分かった。

沖ノ鳥島は中国政府から「島ではなく岩であるから排他的経済水域(EEZ)の設定は認められない」と度々文句を言われているが、それと同じことを台湾と、そしてなぜか韓国を主張している。
だから、台湾として日本の最南端は東京都の沖ノ鳥島ではなく、沖縄県の波照間島なのだ。
意図的に問題を作ったのかも知れないが、だとしたら「沖ノ鳥島ではなく波照間島です」と言いそうなもんだが、そんなもんはなしで、さらっと自分たちの主張を通している。

台湾は中国と同様に日本が沖ノ鳥島の領有権とEEZを設定していることに異議を唱えていて、尖閣諸島の領有権も主張している。尖閣諸島については、台湾は「自国の領土だ」と主張し、中国は「台湾の管轄で、台湾は中国の一部だから中国のもの」だという主張だ。
いずれの主張も日本人として認められるものではないが、日本の最南端について自国の主張を曲げずにうまくやっていることに感心してしまった。日本では自国の領土はおろか、政府の主張も正しく認識されず、スタッフがネットで適当に調べた間違いを(ときには意図的に)テレビでいい加減に放送することが多いからだ。

ちなみに、台湾は沖縄のことを「沖縄」と呼ぶが、沖縄まで領有権を主張しだした中国は絶対に「沖縄」とは呼ばない。シナとの交流があった琉球王国の流れから「琉球」と呼ぶ。シナに朝貢していたから自国の領土だとはめちゃくちゃな言い分である。
そんな中国で「日本の最南端はどこか?」という問題を出した場合、なにが正解になるのだろうか。

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大阪市・梅田で起きた乗用車の暴走事故は、梅田に行ったことがある人なら誰でも驚いたに違いない。ヨドバシカメラ・マルチメディア梅田と新阪急ホテルの交差点で、梅田で買いものをする場合はここらへんをよく通る。

昼間に繁華街の歩道を普通に歩いてきただけで、暴走した車が突っ込んできて撥ねられ、死んだり大怪我を負ったりするのは不運としかいいようがない。しかも今回の事故の場合、運転手が危険ドラッグをやっていたとか、治療をしていないてんかん持ちだったわけではなく、突然死してアクセルが踏み込まれ暴走したのである。
今日のニュースによると、事故当時死んでいた運転手の死因は、「大動脈乖離による心タンポナーデ」というものらしい。大動脈の内壁がはがれる大動脈乖離が起き、心臓近くの血管が破れて心臓が圧迫されたそうな。要するに心臓が止まったということか。

自己を起こした当人が既に死んでいて、しかも病気だったのだから被害に遭った人は怒りをぶつける場所もなく、「しょうがない」と受け入れるしかないのが不憫だ。
昨日の報道ステーションを見ていたら、古舘伊知郎が「自動車の自動運転の技術を利用して暴走を防ぐことはできないだろうか」と力説していたが、かなり難しそうだ。

できるに越したことはないが、運転手が生きているか死んでいるか確認するシステムや、対人事故を防ぐシステムを車に導入する費用対効果が問題となる。対人事故が完璧に防げるならともかく、運転手が死んでいたら車を止めますという装置を取り付けるのに20万円かかるなどとなったら誰が取り付けるのか。
特に、運転手が運転中に死んでしまうとか、滅多に起こらないことの監視装置はムダに思える。

人を撥ねそうになったら、車の自損事故を起こしてでもそれを防いでくれるシステムがあれば交通死亡事故を大幅に減らすことができるだろうが、実現できるだろうか。
私が乗っている車には周囲をカメラで監視して、車庫入れ時などにものにぶつかりそうになったら警告音を鳴らすのだが、普通にバックで駐車するときに後ろに停まっている車に反応するなど、過剰にピーピー鳴らすのでうるさいし、車を駐車場から出そうとして停止して左右確認しているときに車の前を人や自転車が通ると、車がなにかに当たりそうになっているとこれまたピーピー警告音を出す。アホなのである。

認識技術はどんどん発展していくだろうが、運転手の健康がどうとか、歩行者を巻き込む事故が起きそうだとか、完璧に判断できるようになるとは思えない。
技術革新には期待したいが、それですべて解決するわけもなく、期待はほどほどにしておいた方がいい。この世の中、なにが起こっていつ死ぬか分からない。

交通事故の場合、「しょうがない」と思わねばならないようなことがたまにあるわけだが、それは人を殺そうとしてどうにかしたわけではないからだ。
逆に、人を殺そうとして殺したヤツの場合、なんらかの防ぐ手立てがあったと考えることができる。

例えば、アメリカでまた銃の乱射事件が起きたわけだが、そもそもの話としてアメリカが銃社会でなければこんなことが起きなかった。銃が山ほど出回っている状況で、今さら規制したところで大した効果はないのかも知れないが、徐々に変えていかないと、年に何度も起こる銃乱射事件が減ることはないだろう。
全米ライフル協会は学校で銃乱射事件が起きても、教師や警備員が銃を持っていれば防げたなどとバカげたことを言うが、銃がそこらへんにゴロゴロあることが根本的な問題なのである。

乗りものは使い方を間違えると銃のように人を殺めてしまう道具になるが、少なくとも日本にはアメリカのように銃がなくてよかった。日本も銃だらけの社会ならば、銃乱射事件がたくさん起きていたような気がする。
事故で誰かが死んでしまうことはしょうがないこともある。しかし、銃とか爆弾とかで人が死ぬのはしょうがないことではない。

普段の生活に銃は不要だが、車は必要だ。人を傷つけるという目的を果たせない銃はあり得ないだろうが、人を傷つけない車はあり得る。
だからやはり、難しいと分かっていても、車で間違ったことが起きないように少しでも努力すべきなのかも知れない。

20160225-1

私が勤める社に入社して1年目のとき、営業に連れられて「うちの製品を買ってくださっているお客様でどのように使われているか」を見学するために工場見学なんぞに行かされた。
大阪には松下電器(現パナソニック)、三洋電機、シャープという巨大企業があり、いずれも行ったと思う。

それら3社のうち2社が経営危機に陥り、消えてなくなるか外資に買収されるとは思いもしなかった。
三洋電機は一部がパナソニックに吸収され、白物家電事業は中国のハイアールに買収された。シャープは今日のニュースで台湾の鴻海精密工業に買収されて参加に入ることが決まったとあった。
大企業で働く人たちを見て羨望の眼差しを向けていたわけだが、今になって思えば、三洋電機やシャープの社員でないことをありがたく思える。

シャープは官民ファンドの産業革新機構からの3000億円規模の出資案を蹴り、全部で7500億円出すという鴻海の提案に飛びついた。鴻海は現経営陣の続投、40歳以下の従業員の雇用維持、太陽電池事業以外の事業やブランドの維持など好条件を出したらしい。
自分たちのクビが繋がると思って今の無能な経営陣が飛びついたようにしか見えない。

以前にも書いたが、シャープは鴻海が出してきたアメに飛びついたわけだが、台湾企業がそんなに甘いわけがない。特に鴻海は徹底した成果主義を雇用の基本としており、日本式の会社経営や雇用形態がそのまま維持できるわけがない。
台湾では残業代を支払う企業など皆無で、サービス残業が当たり前なのだが、鴻海でもそうだろう。だとすると、若い社員の雇用は維持されたとしても、全員に成果主義と年俸制が強要され、サービス残業当たり前で死ぬほど働かされることになるのではないか。

鴻海精密工業は傘下に生産委託事業などを手掛けるフォックスコンという会社を抱えているが、iPhoneやiPadを作っていたここの中国工場では毎週自殺者が出て、酷いときには数日おきに自殺者が出るというとんでもない労働環境になっている。月の給料は1万6千円で、工員なのにサービス残業もある。労働者は住み込みで働き、寮で寝起きして工場で働くだけの毎日。薄給やきつい労働に耐えかねて出て行ったり、鬱病を患って自殺しても、労働力だけは豊富な中国では代わりの工員がどんどん入ってくる。

フォックスコンも鴻海も、中国人の工員がどれだけ自殺しようがなにも気にしていなかったが、世間体を気にしたアップルが気にするようになり、フォックスコンは工員らに「自殺しない」という誓約書を書かせるなどしたという。

フォックスコンの工場では、生産ラインのロボットは大切にされるが、工員は大切にされない。中国人工員が死んでも構わないとは思わないが、鴻海の経営陣はそうではない。「中国人が自殺した?なら代わりを探せ」で終わり。

シャープが鴻海に買収されることによって、虎の子の液晶パネル事業の技術が海外に流出するのみならず、シャープの社員らも大変な目に遭うに決まっている。
産業革新機構の提案は、経営陣の刷新やリストラなどの痛みを伴うものだったが、シャープの無能な経営陣はそれすら拒否し、甘言につられてしまった。

シブチンの台湾企業が7500億円ものカネを出すのだから、シャープの全員がハッピーでいられるわけがない。鴻海としては液晶パネル製造の技術とノウハウを手に入れることで、iPhoneを一気通貫で作れるようになるかも知れないが、そのメリットのために日本人だけ甘やかすなんてことは絶対にあり得ない。

水は低きに流る。シャープの経営もそれと同じだ。
2~3年して「こんなはずじゃなかった」と掃き溜めで愚痴をこぼしているシャープの経営陣が目に浮かぶようだ。

20160224-1

先日、乗っていた電車が発車した途端に急停車する事態が起こった。車内アナウンスを聞くと、ホームの客が電車と接触したらしい。
どういう状況なのか意味が分からないが、10分ほど停車して運転再開になった。

さすがにこれから発車する電車に飛び込んで死のうと思うヤツはいないだろう。ふらついて接触したか、スマホを見ながらホームの端を歩いてぶつかったかどちらかだろう。
実際、金曜の夜には酒によってホームでふらついて電車にぶつかったりする酔っぱらいが多い。ベンチに座っていた酔っぱらいが立ち上がって歩いてホームから転落し、電車に撥ねられるパターンも多い。だから、最近はホームのベンチを線路と並行の向きではなく、垂直の向きに付け替え、酔っぱらいが立ち上がってまっすぐ歩いてもホームから落ちないようにしている駅が増えてきた。

不注意でぶつかったのは百歩譲ってしょうがないとして、たまに駅で電車への飛び込み自殺をするバカがいる。そのバカのなかの最小のバカは、駅に停車する電車に飛び込んだりする。速度を落としている電車で死ねたらいいが、車輪に轢かれて足だけ切断して死ねないことが往々にある。なんらかの苦しみから解放されようと自殺を試み、もっと苦しむとはバカの極みだ。
駅から飛び込み自殺するときは、貨物列車や特急などの駅を通過する電車の1両目の前面にぶつかるようにせねばならない。
まあその前に、電車に飛び込み自殺するヤツは数万人に迷惑をかけることになるので、飛び込み自体やめてもらわないと困るわけではあるが。

内閣府の統計によると、日本ではこの10年、毎年3万人以上が自殺しているという。交通事故の死者数が5千人の割り込んでいるのだから、自殺者がいかに多いか分かる。しかも、明確な自殺だと断定されていない変死者はその5倍くらいいるらしいから、実態はもっと多いのかも知れない。

自殺した人の数のうち、およそ75%が遺書などによって動機が判明しており、その半分は病気などの健康問題が原因だという。25%は借金などの経済問題、残りが家庭問題や仕事上での問題だという。

自殺はよくないことなのだろうが、どうしても死にたい理由があるのはよく分かる。借金くらいなら自己破産すればいいだろうが、病気の場合はどうしようもならない。鬱病などの精神疾患なら本来死ぬ必要などないのだが、末期癌など不治の病で苦痛に耐えられないのなら仕方がないのではないか。苦しんであとで死ぬか、苦しまずに今死ぬかだけのことだ。
モルヒネなどをたくさん打てればいいが限度がある。かといって自殺する体力もなければ、自分で踏ん切りも付けられない。その手助けをすることは悪いことなのだろうか。

義母や実父が癌で死んだが、最後の方は相当苦しんでいた。特に義母の方は足の付け根にできた腫瘍で歩けなくなり、家族に下の世話をして貰っていたために最後の方は感情がおかしくなって、常に「死にたい」と言っていたそうだ。それのせいで嫁さんの実家も暗くなり、義父の方まで精神的におかしくなりかけていた。
苦しみを終わらせる方が、本人のため、家族のためになることがある。

しかし、死にかけの人を医師や家族が殺してしまうと殺人の罪に問われる。ならば、国が自殺の手助けをしてやってはダメなのか。いわゆる尊厳死というヤツである。
アメリカでは州によって尊厳死を認めているところもあるし、韓国は今年の1月に尊厳死に関する法律が成立した。日本でも認めるべきだと思うし、もっと踏み込んで「自殺の手助け」といわれるくらいのことをやってもいいと思う。

ドライな言い方をすると、助かる見込みもなく、本人も苦痛しか味わっていないのに、終末医療で健康保険を使うのももったいない。苦痛だけを味わい、本人も国もカネを使うばかり。なんのために生きているのか分からない。
それ以外に、生活苦で死にたいとか、人生で嫌になったから死にたいとかいう理由でも、60歳とか70歳とか一定の年齢を超えていたら自殺の手伝いをしてもいいように思える。

日本の社会保障はこのままだと近い将来に間違いなく破綻する。ロクに年金を受け取れない老人が増えまくり、生活保護が財政を圧迫する。生活保護費も出なくなるに決まっている。
小泉内閣によって市場主義経済とやらが積極的に導入され、派遣労働が極端に増えたために低年収の人が増えたし、年金を支払っていない人も増えた。そんな人たちの生活はずっと維持できないだろう。生活保護に頼りたくても頼れない、年金も受け取れない。そんな人が増えてくる。
すると、生活苦による自殺者も増えてくるだろう。全員が人目につかないところで首吊りでもすりゃいいのかも知れないが、電車に飛び込んだりビルから飛び降りて派手に死ぬヤツが増えるだろうし、新幹線を放火した犯人のようにヤケクソになって自爆テロ同然の自殺も増えるだろう。

「楽に死ねます」と国が自殺を促してもいいかも知れないし、放っておいても世界中でそんな世の中になるかも知れない。

これは、諦めの境地からなんとなく思うことである。本来ならば、どんな病も治せ、生活苦もサポートされるような世の中ならばいいのだが、実際はそんなに甘くなく、どんどん悪くなっていっている。
多くの人が、病気以外で人生を諦めたくなることが今後出てくる可能性が高い。「自分でなんとかしろ」などと突き放されるよりも、人生の最期の面倒を見てくれる方がまだいいように思えてならない。

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