先っちょマンブログ

2016年04月

20160429-1

産経新聞で27日(水)から「薬価危機 ― 迫られる選択」という特集が始まった。高額医薬品と保険治療に関して問題提起する記事だ。

【産経ニュース】「1剤が国を滅ぼす」高額がん治療薬の衝撃 年齢制限求む医師に「政権がもたない」 (4/27)
【産経ニュース】国と製薬会社、高額薬めぐる攻防 引き下げルール化に米業界反発「1日延命 いくら払えるか」 (4/28)
【産経ニュース】タブーだった治療のお金とやめどき 抗がん剤の引き際も患者自身の生き方次第ではないか (4/29)

記事で取り上げられているのが小野薬品工業が開発した抗がん剤「オプジーボ」である。これまでまったく異なり、免疫に作用する新しい抗がん剤だ。2014年9月に発売された当初は悪性黒色腫(メラノーマ)に対する抗がん剤であったが、日本人の肺がんの85%を占める非小細胞肺がんという肺がん治療への使用を厚生労働省が認可するにあたり、昨年12月に行われた日本肺癌学会学術集会で「国家財政が破綻する」と訴えた医師がいて注目された。

その医師は日本赤十字社医療センター化学療法科で部長を務める里見清一氏(本名・國頭英夫)だ。里見氏は体重60キロの患者で月300万円、年間3500万円以上かかる薬価について警鐘を鳴らした。日本では保険治療は3割負担であるが、高額医療費制度というものがあり、月300万円以上かかるといっても本人負担は月10万円程度で済む。
「オプジーボ」で年3500万円の薬価代がかかったとしても、その95%は税金で賄われることになる。適用されるがん治療がメラノーマだけならまだマシだったが、肺がんに適用され、多くが「オプジーボ」による治療を行った場合、財政負担の問題が出てくることは誰でも理解できる。

もし年間で5万人が「オプジーボ」を使ったとすると1兆7500億円になる。日本の年間医療費40兆円のうち、薬剤費は10兆円ほど。それが2兆円弱増えることになる。
消費税1%アップで税収2兆円アップと言われている。「オプジーボ」が肺がんに保険適用されることで、消費税が1%上がるのと大して変わらないわけだ。

「オプジーボ」は服用量が体重1kgあたり3ミリグラムと決まっていて、薬価は100ミリグラムがおよそ73万円、20ミリグラムが15万円。体重60キロなら1回の投薬で180ミリグラム必要なので、73万円+15万円×4で133万円となる。2週に1回の投与で、それが1年間に26回あるとすると、年間3458万円となる。

誰もが高過ぎると思うわけだが、薬価は製薬会社がこれまで開発にかかった費用や、今後の開発のための投資分、などで割り出されるため、この価格になるのだろう。
厚生労働省は「オプジーボ」に関して次の診療報酬改定(2018年)で価格の引き下げを狙っているが、どうなるか分からない。

"夢の新薬"である「オプジーボ」によって肺がんが完治するならいいのだが、これまた問題なのが完治するわけではなく、既存の肺がん向け抗がん剤に比べて生存期間が3か月程度長くなるだけなのだという。既存の「ドセタキセル」という抗がん剤はジェネリック薬であれば薬価が月5万円で、生存期間を僅かに延ばせる可能性がある「オプジーボ」は332万円もかかる。

ただその一方で、劇的に効果が出る人もいて、これまでの抗がん剤ではがんが完治することはなかったが、免疫作用のある「オプジーボ」は肺がんが完治する可能性があるという。

寿命が僅かに延びるだけかも知れないが、月10万円の負担で済むなら「オプジーボ」の選択肢が増えるに決まっている。「どうせ死ぬならやれることはやっとけ」ということが多いからだ。
そうなると、日本の医療費がとてつもないことになってしまう。

このことについて、産経新聞の連載が始まった27日(水)発売の週刊新潮で、くだんの医師である里見清一氏と老人に厳しい曽野綾子氏が対談していた。
里見氏は「夢の薬をみんなで使うと国の財政が持たなくなる」と訴え、曽野氏は「若い人に対して投薬すべし」としていた。

その対談のなかで、里見氏がWHOが表明している基準に「人ひとりの寿命を1年延ばすために値する金額はひとり当たりGDPの3倍まで」というのがあると語っていた。つまり、1年間でかけていい医療費は1200万円なのだ。「オプジーボ」で3500万円などとんでもない話なのである。
しかもそれがまだ若い人に対する治療ならいいが、60を超えた老人に対してそこまでやる必要があるのか。対談でふたりは語っていた。

確かにそう思うが、これは難しい問題である。「老人は無駄な治療をせずにさっさと死になさい」ということであるが、自分がその老人の立場になったことを考えればなかなかそうも言っていられない。「国にご迷惑おかけできないので、高額医療は辞退します」という気丈な人もいるだろうが、「オレが死ぬかも知れないんだから、いくらかかっても生きれる可能性のある治療をしろ」という人もいるだろう。
治療をする医師も「アンタは年寄りだからオプジーボ使わない」とは言いにくい。とりあえず選択肢として提言せねばならないだろう。選択肢として示されたら、誰が生き残れる可能性のある薬を拒否できるだろうか。

しかしこのままでは、将来的にさらに月何百万、何千万円とかかる新薬が出てくるだろう。それが画期的な薬で、保険適用されたら同じような議論が繰り返されることになる。
かといって、高すぎる薬が保険適用されないと、いつまでたっても流通量が増えずに価格が下がらず、保険適用外で治療できる金持ち御用達、貧乏人お断りの薬になってしまう。

週刊新潮の対談で少し触れられていたが、日本は国民皆保険であることに加え、世界でも稀な高額医療費制度がある。これがすべての問題なのではないか。
高額医療費制度で救われる人はかなりの数がいるわけだが、保険医療の負担で考えるとめちゃくちゃ不公平である。健康な人が損をしている。
今後、「オプジーボ」のような問題が次々と起こるのであれば、高額医療費制度自体をなくすことも考えねばならない。高額医療費制度は一生に一度の手術をするときなどを想定したものであり、定期的にかかる高額医療のための制度ではなかろう。
どうせ日本の社会保障制度は破綻しかけで、見直しが必要なのである。高額医療費制度によって国から助けてもらうのが当然と考え方自体が間違っている。

それにくわえて、生活保護をもらっていたら医療費全額免除とかいうわけの分からない制度もなくすべきだ。毎年増え続ける社会保障関係費の伸びを抑えるためには、ありとあらゆることをして医療費削減に取り組まねばならない。

このままぼんやりしていると、この国は年金制度の前に医療制度が崩壊してしまう。そうなる前に改革が必要であるが、今のままではどうにもこうにも進みそうにない。

20160428-1

死んだ父親との思い出として、子供の時分に「南極物語」(1983年)を大阪駅前の大きな映画館に見に行ったことをぼんやりと覚えている。映画を見て「犬たちが可哀相」と思った記憶がある。今になって思い返せば、なんて気色悪い映画なのかと思う。

フジテレビを中心としたフジサンケイグループと学研が3年かけて北極ロケも行って作った大作映画であるが、史実とはいえ内容が気持ち悪すぎる。なにが気持ち悪いかというと、南極観測隊が悪天候を理由に撤退せざるを得なくなり、犬を昭和基地近くに繋いで立ち去ったという点だ。
南極で生まれた子犬8頭と母犬1頭は迎えに来た飛行機になんとか載せることができたが、残る成犬15頭ははなから載せることができず、かつ南極で野犬化して南極固有の生物を襲ったり、共食いすると問題になるので15頭は見殺しされることになった。

15頭のうち7頭はのちに訪れた観測隊によって繋がれたまま餓死していることが確認された。胃のなかは空っぽで、犬を繋ぎ止めていた紐のナイロンだけが残っている状態だった。
首輪を外したり、紐を切るなどして逃げ出した8頭のうち6頭の行方は知れず、タロとジロの2頭だけ1年生き延びて南極観測隊に発見、保護された。

これのどこが感動の実話なのか。苦しんで死ぬことを人間から強制させられた犬のうち2頭が根性で生き残ったというだけの話でしかない。
人の命を危険に晒してまで南極に犬を迎えに行けないのなら、どうして安楽死させてやれなかったのか。
映画では「どうして見捨てたのですか、なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか」と責められた高倉健が苦悩していたわけだが、映画がヒットして当時と同様に再び南極観測隊員が責められる事態に発展した。そうなるのも当然だろう。

「南極物語」のなにがよくてヒットしたのか。未だに理解できない。

私はそこらへんの知らないオッサンが死んでもあまり気の毒には思わないが、犬や猫などが人間のせいで不憫な死に方をするとすごく可哀相に思う。人間に捕まったり飼い主に裏切られて保健所に連れて行かれ、炭酸ガスによって窒息死させられる犬や猫はその典型だ。

だから、東日本大震災の原発事故の際、犬を繋いだまま避難した人がかなりいると聞いて怒りを感じた。地震に加えて原発建屋が爆発したのだからパニックになるのは理解できるが、それでも犬を繋いだまま逃げるだろうか。迎えに来た自衛隊の車両やヘリに載せられないとして、「じゃあ私だけ逃げます」となる思考回路が理解できない。
自分なら歩いてでも犬を連れて避難するし、それができないほど体が悪かったとしたら避難しない。見殺しにはできない。少なくとも「犬は繋いだままにする」という判断は絶対ない。最悪でも繋がずに犬が動けるようにする。
パニックになって忘れただけかも知れないが、飼い主が忘れたせいで繋ぎっぱなしにされて死んだ犬が可哀相すぎる。

当時の現場を知らない人間の戯れ言だという批判があるかも知れない。確かにそうかも知れないが、それでも自分なら「南極物語」の犬のようにすることは絶対にないし、繋いだままにして苦しませて殺した飼い主はあとで後悔しているかも知れないが、非難の言葉ばかりが思い浮かぶ。
「苦渋の決断でしたね」などと死んでも言う気になれない。

東日本大震災では、犬を連れて避難した人たちが避難所に入れずに問題になった。今度の熊本地震では、全壊の教訓からペット連れでの避難ができる避難所もあるらしい。しかしながら、やはりペットを断られることも多く、避難所に入れないか、避難所に入るためにボランティアに犬や猫を預けている人が数百人単位でいるという。

ネットの意見を見ると、「人が優先なのだから当然」という意見がある。確かにそうなのだが、もう少しなんとかならないのかと思う。動物保護のボランティア団体が被災地で頑張っているわけだが、民間では限度がある。公的にやると「人よりペットを優先するのか」と批判されるのだろうが、人助けもしつつ、犬や猫を助けてやっていいではないか。ペットの保護をしたら人の方が疎かになるというわけでもあるまい。

熊本地震が起こり、職場で給料引き落としで半ば強制的に義捐金を出したわけだが、それがペットのために使われそうにはないだろうから、別途募金などをすべきなのだろう。どこがいいのか現在調査中だ。

ちなみに私は、先日のエントリでも書いたが、家や庭がよほどメチャクチャにならない限り、避難所につもりはない。我が家の柴犬と猫を連れてはムリだろう。
テントや寝袋、水などを詰め込んだ物置には、大量のトイレシートと猫砂が入っている。人間用のトイレにも使えるので便利らしい。また、家から一度も外に出したことがない猫のために、新品のペットケージも物置に入っている。
とにかく、考えられる限りの準備はしているつもりだ。大規模災害が起こる可能性は日本のどこにいてもゼロではない。ペットを飼うならそこらへんも考えないといけないようになった。
今の御時世、ペットを飼うのは簡単ではないようだ。

20160427-1

愛知県豊田市にあるトヨタの高岡工場に何度か行ったことがある。行くたびに社会科見学らしき小学生の団体がいた。
トヨタ本社のお膝元の工場だけあって、規模が大きく、新設されたキレイな工場が多い。人に見せるにはうってつけだろう。
小学生が見学する分には楽しいだろうが、大人が仕事のトラブル対応で行くのはちっとも楽しくない。賑やかな小学生を恨めしく思ったものだ。

それと同時期に三菱自動車の名古屋製作所にも仕事のトラブル対応で行った。名古屋製作所といっても、岡崎工場との別名があり、所在地は名古屋から遠く離れた岡崎市だ。
先にトヨタの工場を見ていたせいか、三菱自動車の工場がメチャクチャ汚く思えた。

私が行った工場がたまたま古くて汚い工場だったのかも知れないが、同じ自動車の生産ラインでもトヨタとは随分違った。
トヨタの工場はイメージでいうと白だ。寝っ転がっても問題なさそうな工場である。
それに対して三菱自動車の工場はイメージでいうと黒だ。小汚い真っ黒な床で、寝っ転がるとドロドロになりそうな感じがする。設備も古くてオンボロ。

我が家は母親が大のトヨタ嫌いで、トヨタの車とはなんの縁もないのだが、トヨタと三菱自の工場を見比べたらトヨタで買いたくなってしまう。そのくらい違った。

ちなみに、社員はさすがにトヨタの方が尊大な感じのが多かったので、仕事としては三菱自動車相手のほうがやりやすいかも知れない。

三菱自動車に関しては、これまた仕事のトラブル対応で岡山県の水島製作所に行かなければならない雰囲気だったが、近頃の燃費不正問題でそれも消し飛んだことだろう。生産ライン上でのちょっとしたトラブルなんぞ屁みたいなもんである。
水島製作所は今回の騒動の発端となった「ekワゴン」など軽自動車を主に作っているところで、騒動を受けて生産が止まっているらしい。少なくとも3か月は止まるらしいし、三菱自動車自体の先行きが怪しくなってきているから、実際はどうなるか分からない。
水島製作所で軽自動車の製造ラインを担当している1200人は来月いっぱいまで自宅待機を求められており、職を失うことを考えるととんでもない話かも知れないが、個人的には仕事の邪魔がひとつ減ったくらいにしか感じない。

昨日の記者会見で三菱自の社長が明らかにしたところによると、燃費水増しは25年前から恒常的に行われていたらしい。実際のテストを行わず、空気抵抗をごまかすなどして試験期間でのテストを受け、燃費の算出でよく見せる手口を使っていた。机上の計算だけではじき出された燃費もあるとか。
ここ数年ではなく、四半世紀もやっているのだから悪質である。

車のカタログスペックで特に燃費は誰も信用していない。荷物をなにも載せず、体重の軽いドライバーがテストサーキットを走れば出るかも知れないが、ただの参考値くらいにしか思っていない人ばかりだろう。
だから燃費がちょっとくらい実際の値よりよかったとして大した問題はないのだが、こういう不正をする会社は、ほかでも同様に不正をしているに決まっている。2000年と2004年の二度にわたってリコール隠しをし、消費者の安全を蔑ろにした前科者の三菱自動車はなんら信用できない。
燃費よりも遥かに重要な衝突安全性など、ほかのこともごまかしてんじゃないのかと三菱車の所有者が疑心暗鬼になるのも当然である。

こんなことで、これから三菱自の車を買おうなんて人が出てくるのか甚だ疑問だ。リコール隠しのあとに信用をすべて失って一からやり直したはずなのに、リコール隠しの前から不正をしていて、それが外部の指摘で明らかになった。
三菱自動車はどうしようもないほどのダメ会社なのである。「自動車業界のシャープになる」と言われているが、同じように潰れるにしても、投資に失敗して経営が傾くのと、消費者を欺き、法令違反をしたことがバレて経営が傾くのでは内容が大きく違う。

三菱自動車の工場を見たとき、直感でダメだと思った。
今日の産経新聞の報道で、リコール隠し後の経営危機で開発費を減らされ、トヨタの開発費の10分の1もないなかで厳しい燃費のスペック要求が三菱自の開発陣にあったそうだが、新車開発に絶対必要な開発費を削るくらいだから、工場が小汚いままだったのも納得できる。

汚い家に住んでいるからといってその人がダメ人間ではないかも知れないが、ずぼらな性格であるのは分かる。
小汚い工場でセコセコ生産している自動車会社にカネがなく、ダメっぽいことをなんとなく感じたが、実際にそれが正しかった。
「人は見た目が9割」などといわれるが、実際、中身が見た目そのままだったりすることは往々にある。今思い返せば、三菱自動車はそれに合致する。

そんなことを思いながら、仕事場のデスク回りを片付けるのであった。

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パクリ疑惑のせいで揉めに揉めた東京五輪のエンブレムが決定した。最終候補4案のうち、A案と呼ばれた市松模様のデザインが選考委員による最初の投票でいきなり過半数を得てそれに決まったのだという。
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正直、最終候補の4つのどれもが今ひとつパッとしないデザインだったので、個人的にはなんでもいいと思っていたが、それでもA案はなんかしっくりこなかった。
それでも、事前に「A案ありきの選考ではないか」と言われていて、公式発表前にNHKなど一部メディアが「A案に決定」などと報じたとおり、A案になった。
前の佐野研二郎のときと同じように、今回も出来レースだったのかどうかは分からない。組織委員会はそれだけは強く否定するので、本当に違うのかも知れない。

正直なところ、最初は「ない」と思っていたが、繰り返しずっと見ていると「ありなんじゃないか」と思えてきた。目が慣れてきたのである。
安室奈美恵がデビューした当初、「なんだこのサル」と思ったが、すぐに目が慣れた。それと同じだ。

それどころか、ここ最近のオリンピックのエンブレムと並べて比べてみても、まだマシな方に思えてきた。
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2012年のロンドン五輪のエンブレムなどまったく記憶にないのだが、こうやって見るとヒドイもんである。これを作ったヤツも選んだヤツも頭がオカシイんじゃないかと思えるほどだ。
市松模様のエンブレムだけ見ると「なんだコレは」と思ってしまうが、こうやってほかのと並べてみると、ほかのヒドイものが東京五輪のエンブレムを引き立ててくれるように感じる。

こうしてみると、改めて人間は絶対的な評価ができないと思える。人間はほかと比べていいか悪いかという相対的な評価ばかりしてしまう。
ヘンに思えるエンブレムでも、もっとヘンなのと比べるとマシに思える。
最低に思える人生でも、底辺で這いつくばっている人たちに比べたらまだマシ。むしろ自分のほうがいいように思える。これと同じ。

なにか悪そうなことがあったとき、それよりももっと悪いものと比較すればなんだってよく感じる。
悲しいことであるが、それが人間の本質であり、現実なのだ。

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国境なき記者団が勝手にランク付けした「報道の自由度」ランキングによると、日本は180か国中72位なのだという。昨年より11もランクを下げた。
日本は民主党政権下の2010年は11位であったが、安倍政権誕生後、2014年には59位、2015年は61位で年々順位を下げているという。
朝日新聞あたりはこれについて、「安倍政権誕生後にメディアが自主規制をしていると海外から批判されている」と報道している。
民主党政権の間、17位、11位、22位とまあまあであったが、小泉政権下では40位程度、第二次安倍政権下では60位や70位程度。どういうことなのか、なんとなく想像ができる。

実際、朝日新聞やテレビ朝日、TBSなど、あることないこと報道して政権批判しているメディアがあることを考えると、安倍政権の報道規制なるものによってメディアが萎縮しているようには感じないのだが、本当に日本の報道の自由とやらは脅かされているのだろうか。

報道の自由がないのは、香港の書店店主が行方不明になったり、新聞記事の内容を当局に目をつけられて記者がクビになったり、インターネットが制限だらけの中国である。中国に報道の自由がないのは分かるが、日本はそれがあるかないかでいえば「ある」のではないか。
どういう基準でランク付けしているのか知らないが、「報道の自由があるかないか」で判断した方がいいように思える。

国境なき記者団のランク付けに呼応するかのように、今度は国連人権理事会のデービッド・ケイとかいう特別報告者が来年の人権理事会で「日本の報道の独立性は深刻な脅威に直面している」と報告するつもりだと外国特派員協会の会見で表明した。
日本の報道の自由は脅かされており、由々しき事態であるらしい。

デービッド・ケイは特に放送法第4条に触れ、総務大臣がテレビ局の電波停止を命じる権限を有することを批判し、「第4条を即刻廃止するべきだ」などと提言した。
テレビ局が使用する電波は公共の財産であり、たとえば外国人やテロリストに乗っ取られるなどしてメチャクチャな放送が行われた場合に電波を停止する権限が国にはある。それのなにが問題なのか。高市総務相も「自分は権利を行使するつもりはないが、法律的には権利は存在する」と言っているだけで、脅威でもなんでもない。法律に明記してあるのに「権利を行使することは許されない」と明言するほうが法治国家として問題である。

国連のアホどもは日本に視察に来て、誰に吹聴されたのか日本の悪い面をアピールして帰国していく。昨年来日した特別報告者は「日本の女子生徒の13%が援助交際に関わっている」と、およそ日本人の認識と大きく乖離する認識を会見で示して批判された。
人権に関する会合では、日本のポルノ問題に触れ、「女性や子供への著しい人権侵害である」とし、漫画やゲームまで規制するよう日本に提言した。
ほかにも、韓国人に対するヘイトスピーチなる人権侵害が日頃から行われているとし、それを規制する法律を作るよう日本に提言している。

なにもかも余計なお世話だ。なぜ国連から文句を言われて、日本の法律まで変えろと言われなければならないのか。
「言論の自由が脅かされている」などと訴えているのは、一部のサヨクメディアや気が狂ったような市民団体の構成員だけであり、多くの国民は誰も何も感じていない。アホで鈍感な国民の代わりに教えてやっているつもりかも知れないが、的はずれな提言をしているようにしか感じない。

「政権からの無言の圧力」などを訴えているヤツらは、当たり屋みたいなもんである。萎縮しているフリをして「萎縮させられている」と主張するさまは、バックミラーにわざとぶつかって「イタイイタイ、骨が折れた」と言っているアホのように見える。もしくは、男に殴られると大袈裟に怯えたり、痴漢されてもいないのに痴漢されたと騒ぐ女のようでもある。

言論の自由にまつわる懸念は、国境なき記者団や国連を巻き込んだサヨク連中お得意のマッチポンプである。大したことないことで「日本が大変なことになる」と大騒ぎし、火消しに走る。日本を貶め、自分たちのやりたい方向に持っていければしめたもの。

こんなもんに付き合わされることにウンザリするが、こんなことにも対応していかねばならない。
国境なき記者団とか国連とか、"意識高い系"の連中に関わると面倒臭いことしか起こらない。

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