先っちょマンブログ

2016年11月

20161130-1

史上最低の内閣総理大臣は誰だろうか。候補はふたりいる。鳩山由紀夫と菅直人だ。いずれも悪夢のような民主党政権時代の総理大臣である。
愛人問題が浮上して速攻で辞任した宇野宗佑などよくない総理大臣はほかにもいるが、なにもしなかっただけマシである。鳩山由紀夫と菅直人は任期中の言動が最悪で、さらに後世までその禍根を残しているのだから最低と呼ばれるに値する。

個人的には最低なのは菅直人の方だと思う。こいつが総理大臣のときに東日本大震災が発生するという悪夢が現実になり、でたらめな原発事故対応で日本中を混乱させ、「危なそう」という主観で浜岡原発を停止させたうえで、日本中の全原発を再稼働できないように追い込んだ。
プロ市民が総理大臣になり、タイミングよく原発事故が起きて原発停止という目的を達成できたわけだが、コイツが起こした混乱は今でも続いている。

鳩山由紀夫はなんの根回しもなく適当に発言することが好きだった。
鳩山由紀夫は2009年の国連気候変動サミットでの演説で、日本が2020年までに1990年比で25%以上の温室効果ガス削減をぶち上げた。国際舞台の場でスゴイ目標を宣言できたのだからさぞ気持ちがよかっただろう。これは民主党が衆院選でぶち上げたマニフェストにあったものであるが、新築住宅に太陽光パネルの設置を義務付けるなど、あまりにもメチャクチャな内容であった。

また、鳩山由紀夫は沖縄県の普天間基地の移設について勝手に「最低でも県外」などと言い出し、沖縄県民にヘンな期待を抱かせた。そのおかげで現在も辺野古移設がままならない状況になっている。今の沖縄県の混乱はコイツが作ったようなものだ。
しかも、政治家を辞めてからも元総理大臣の肩書きを利用し、韓国や中国で慰安婦問題や南京事件の件で土下座をして謝罪したりするなど、現在でも好き勝手やりまくっているからタチが悪い。

最低な総理大臣は菅直人かも知れないが、人間としてダメなのは鳩山由紀夫かも知れない。
宇宙人と揶揄されるようななにを考えているのか分からない人間を総理大臣にしてはいけないということがよく分かった。

鳩山由紀夫は、とりあえずなにか宣言してみれば結果はあとから付いてくると考えるタイプなのだろう。もしかすると、実現できそうにないことでも、世論を煽ればそういう方向に向かざるを得ないので、それを見越して計算高くやっていたのかも知れない。

鳩山由紀夫のそれによく似た感じがするのが小池百合子・東京都知事である。鳩山由紀夫よりはずいぶんマシかも知れないが、問題提起をして世論を煽り、ポピュリズムをバックに政策を進めようとするさまが姑息に見えて仕方がない。

築地市場の移転先である豊洲市場の施設に盛り土があるかないか程度の問題で豊洲移転に待ったをかけた。東京五輪開催の兼ね合いで、どう考えても豊洲移転以外の方策はないのに、いたずらに問題提起し、健康被害なんぞ起きそうにない地下水問題で人々を不安にしている。

東京五輪の会場問題も同様だ。アスリートファースト、コンパクト五輪、復興五輪、都民ファーストなどの方針を掲げたが、それぞれを実現させるには矛盾がある。
どう考えてもできそうになかったのに「長沼ででやるかも」と言って宮城県知事や宮城県民を期待させたのに、結局会場は予定通り東京だった。鳩山由紀夫の「最低でも県外」と同じだ。
水泳会場も観客席を減らしただけで会場は変わらず。
バレーなどが行われる予定の有明アリーナについては、横浜アリーナを使うかどうかの結論は先送り。3戦全敗を避けた形であるが、昨日の時点で横浜アリーナの使用を出せなかったのは旗色が悪いのかも知れない。

このままでは予算をちょっと節約したくらいの成果しか残せない。大山鳴動して鼠一匹とはまさにこのことではないのか。
「情報を明らかにすることに意味がある」と評価するムキもあるが、五輪開催地として手を上げておきながら、開催地に選ばれたら手のひらを返して文句ばかり言っているように見える。韓国お得意のムービング・ゴールポスト状態だ。
オリンピックなど祭りみたいなもんで、ケチケチしている様子を見るとシラケてしまう。都知事があまりにも文句ばかり言うもんだから、都民からも「税金の無駄遣い」という声が多く上がり始め、混乱に拍車がかかっているようにみえる。
既に自慢だったコンパクト五輪のコンセプトは瓦解しているが、このままで大丈夫なのかと思わずにはいられない。韓国の平昌五輪のことを笑っていられない状況だ。

かつてサメの脳みそと揶揄され、利権まみれの悪い政治家にしか見えない森喜朗と並んで報じられるので、小池百合子が輝いているように見えるが、利権政治家と口だけ政治家がつば迫り合いしているだけで、現時点では目くそ鼻くそでしかない。
「予算3兆円が2兆円になった」と言う人もいるが、3兆円の"可能性"が2兆円の"可能性"になっただけだし、そもそも予算削減は五輪組織委員会が進めてきたものであり、2兆円という数字もそこから出てきた。小池百合子だけの手柄ではない。

国民や東京都民の世論では小池百合子支持が多く、小池百合子を評価するむきが多いようだが、個人的には時期尚早であると思う。期待だけさせておいて結果が残せないのなら鳩山由紀夫と変わらない。「プロセスが大事」とか「国民に考える機会を与えたことが大事」と言う人がいるかも知れないが、なんでもかんでも問題提起すりゃいいってもんでもなかろう。
「必要なレガシーをワイズスペンディングで使って作っていく」などとキチガイみたな説明をする知事は信用ならない。

小池百合子は正念場に立たされている。期待させた人を落胆させる結果になると思うが、どうせ支持者らが「森喜朗が悪い」という総括をして終わりではなかろうか。
やはり政治は言ったもん勝ちである。結果が残せなくても、誰かのせいにしておけばいいのだから。

20161129-1

5年くらい前まで、日本各地で「人体の不思議展」というのをやっていた。人体の水分や脂肪分など腐る部分を合成樹脂に置き換えるプラスティネーションという技術で加工した死体を輪切りにしたり、血管だけにして展示する悪趣味な展示会だ。
死体のほとんどが中国人であり、中国でどのようにして手に入れられたのか分からないものばかりで、人権上いろいろ問題があると言われていた。また、日本では法律上死体にあたるとされていて、刑法に抵触するのではないかと物議を醸した。

展示内容は人間の知的好奇心をくすぐるなどといった高尚なものではなく、妊婦の死体の輪切りなどを見たいという人を呼び込んだだけだった。思っていたのと違うと感じた人も多く、興味を持って行ったのは普段から死体画像とかイスラム国の殺人動画などを見ているような連中が多かったのではないか。
人間の死体を鑑賞しようなど、悪趣味でなければできないことだ。

人体の不思議展と同じように悪趣味だと批判されたのが北九州市にあるスペースワールドのスケートリンクだ。5000匹の魚を氷漬けにしたスケートリンクが批判され、ネットで炎上状態になった。
魚をスケートリンクに埋め込むという発想が気色悪い。ジンベイザメなどは写真で済ませているので、そのほかの魚も写真にしておけばキレイなスケートリンクだと評価されたはずだったのではないか。
スペースワールドの公式アカウントがFacebookに氷漬けにされる魚の写真に「おっ・おっ・・・溺れる・・・くっ・くっ・苦しい・・・」などとコメントを書き込んだことも火に油を注いだ。
結局、ネット上で猛烈に批判されたため、炎上して1日ほどで魚のスケートリンクの企画の中止が発表された。

これで理解できないのが、スペースワールドへの批判に対して「動物虐待だ」「食べ物を粗末にするな」というものが多数あったことだ。
スケートリンクに埋め込まれた魚は公設市場の鮮魚店から仕入れたものであるが、売り物にならないので廃棄される規格外の魚であり、鮮魚店にも企画意図は説明していたという。死んでいて、どうせゴミとして廃棄される魚をスケートリンクに埋めてなにが虐待なのだろうか。
個人的には悪趣味だとは思うし、このスケートリンクで絶対に滑りたいと思わないが、スペースワールドは的外れな批判など気にせず、「悪趣味をお楽しみください」と言うくらいでよかった。

こういう対応を見ていると、日本人がナイーブになってきてるように思える。しかし実際は、自分が気持ち悪いと思う企画をやめさせてやろうと騒ぐ暇人が多いだけなのだろう。インターネットがなければ、こんなことくらいで炎上するわけがなかった。

最近はなんでもイチャモンを付け、強制排除しようという動きが多い。

28日(月)にR&GがファブリーズのテレビCMについて謝罪をした。くさやの匂いをファブリーズで消してしまうというCMで、CM出演者がくさやの匂いに嫌悪感を示したあと、ファブリーズで消臭するというものだった。
これに対してくさや生産が盛んな八丈島の町議会議員が激怒した。「漁師や生産者、くさや好きが見たらショックで悲しむ」と批判した。侮辱にあたるのだという。
まあそうかも知れないが、いちいち大袈裟に騒ぎすぎなのである。CMの企画意図は「ほこ×たて」のように「めちゃくちゃ臭いくさや vs.
どんなものでも消臭するファブリーズ」であって、見る方は興味がある。
大騒ぎした議員は「ブルーチーズで同じことをやれば、世界じゅうからクレームが来る」と言っていたが、果たしてそうだろうか。こんなことで騒ぐのは日本人だけではないのか。

くさやでこんな騒動が起きたら、「アメトーーク!」の「芸人体当たりシミュレーション」という企画で芸人の鼻にくさやを取り付け、「臭い」と言ったりおえっとえずきながらレースをするのもムリだろう。くさやが臭いと言われたら生産者が悲しむわけだから、テレビでくさやが臭いということはNGだ。くさやという名前自体変えることをオススメする。

台湾の夜市を紹介する番組で臭豆腐が臭いと言ったり、タレントが臭豆腐を食べられないと嘆くのも厳禁。スウェーデンの世界一臭い缶詰であるシュールストレミングを開けたらどうなるかという実験も禁止だ。
臭いと言ったり、食べ物で実験したりして"遊ぶ"ことは日本では今後一切禁止だ。

アホみたいな話だが、世の中の気に入らないものごとを放っておけないクレーマーがここまで増殖してしまうと、その対応に苦慮する企業やテレビ局は最初からやらなくなるに決まっている。
こうしてどんどん世の中がつまらなくなっていく。

20161128-1

テレビを見ていたら、パズドラがファイナルファンタジーとコラボをするなどというCMが流れていた。
パズドラのようなソーシャルゲームはしょっちゅうコラボイベントをやってユーザーにカネを使わせるわけだが、それをお知らせするCMで明日29日(火)発売の「ファイナルファンタジー15」の主人公が出ていた。
もちろんCGであるが、この主人公が歌舞伎町の頭の悪いホストみたいな見た目で、ファイナルファンタジーのキャラクタのイメージとかけ離れている。

実はファイナルファンタジーは「2」しかやったことがないので、シリーズ全般がどうなのか知らないが、典型的なJRPG(日本独自のRPG)として中世ヨーロッパの雰囲気の世界を10代のクソガキが自分の身長より大きな剣を振り回したり、魔法を使いながら敵を倒すゲームだと思っていた。
ところが最新の「ファイナルファンタジー15」では、クソガキよりは少し年齢が上のキャラクタがアウディの車に乗って冒険を始める。
詳しくは知らないが、ファイナルファンタジーはそんなゲームになってしまった。

中世ヨーロッパっぽくなくても全然構わないが、日本のゲームはどうして美少年や美少女ばかりが出てくるのだろうか。「ファイナルファンタジー15」でいうと、メインのキャラクタは20歳前後らしい。
ファミコン時代だと少年みたいなキャラクタが多かったから、少し大人になったわけだが、美少年と美少女が登場しまくるのはなんら変わっていない。

最近は海外のゲームをやることが多くなったので、それを都度に思う。
日本のゲームである「メタルギアソリッド」シリーズと「龍が如く」シリーズは珍しくオッサンが主人公であるが、海外のゲームはオッサンが主人公のゲームばかりだ。
「アンチャーテッド」はまだ比較的若いが、最新作ではオッサンの兄弟を主人公として操作した。
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ギリシャ神話の神を殺しまくる「ゴッド・オブ・ウォー」の主人公はメチャクチャ悪いオッサンだったが、最新作ではひげもじゃのジジイになった。
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犯罪者ゲームの「グランド・セフト・オート5」では、3人の主人公のうちふたりはオッサンで、しかもうちひとりはハゲで変態でキチガイのオッサンで、日本のゲームでは絶対にマネできないようなキャラ設定だった。
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ゾンビゲームの「THE LAST OF US」では、我が子を失ったひげもじゃのオッサンと見た目がパッとしない女の子が主人公だった。
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海外では子供が大人になりたがり、日本では大人も子供も子供や若者になりたがるという違いがあるので、プレイヤーが操作するキャラクタに違いが出てくるらしい。
それはいいとして、日本のゲームには美少年美少女ばかりが出てくるというのはどうにも気持ち悪い。せいぜい筋骨隆々の男らしいキャラが出てくるくらいだ。それがどうしても不自然に感じてしまう。

ファイナルファンタジーのゲイみたいなキャラクタが出て来るCMを見てその話を嫁さんにしたところ、嫁さんはオタク気質が強いので日本独特の和ゲーの美少年美少女の要素を理解し、擁護していた。
私はそんな浮世離れしたゲームより、現実世界に基づいた世界で、見た目くらいは現実感のあるキャラクタじゃないと操作していてもなんか引っかかるのだが、「汚いオッサンのゲームなんかしたくない」というのが嫁さんの意見だった。
「グランド・セフト・オート5」でハゲのオッサン主人公がブリーフ一丁で走り回って人殺ししている様子を見て気持ち悪がっていたが、それは心からそう思っていたのであろう。

基本的にJRPGというのは日本人向けに作られているので、若い美男美女が魔法を駆使して戦うことになる。それを支持している外国人は、日本かぶれのオタクであることが多い。
古臭いシステムと、今となっては笑ってしまうようなキャラクタばかりで、かつてのJRPGの人気は海外では薄れてしまった。なくなったと言っても過言ではない。世界のスタンダードに合わせられず、昔ながらの因習ともいえるようなものを引きずっているのが日本のゲームに思えてならない。

古いものを大切にしているとか、独自路線を貫くと言えば聞こえがいいが、単に世界の潮流に向き合わず、なにも変えることができないだけのように思えてならない。
日本の家電やスマホあたりもそのきらいがある。なにも変えられず、ただ売れなくなっていくだけ。世界の消費者が求めていることもハッキリ分かっていない。
日本のいろんな産業が斜陽となり、衰退しつつあるのがゲームひとつとっても分かるような気がする。

20161127-1

今日の産経新聞に永住者を除く国籍別外国人犯罪でベトナム人が中国人を抜いて摘発数で1位になったとあった。

【産経ニュース】外国人犯罪の勢力図に変化? ベトナム人の刑法犯が中国人抜く (11/27)

昨年比30%増しで現在まで2556件だという。ベトナムはこの10年で摘発数が3倍になっているという。
凶悪犯だけみても、142件中ベトナム人が34件で1位を占めているという。

何人中何人なのかがハッキリしないので、ベトナム人に悪いヤツが多いとはいえないが、ベトナム人の犯罪者が増えている理由は明らかだ。在日ベトナム人の母数が増えたからである。

外国人技能実習制度という名の外国人労働者の受け入れによって増えたほか、今の安倍政権になって留学生受け入れのハードルを下げ、勉強目的で来日するベトナム人が激増した。大学で勉強するために来日したベトナム人はわずかで、実際は「日本ではアルバイトでも稼げる」と留学斡旋業者にそそのかされ、借金してまで来日し、日本語学校での勉強はそっちのけのベトナム人がめちゃくちゃ増えた。
留学生は週28時間までしか仕事できないが、その決まりを破ったとしても斡旋業者が言うように月20万円をアルバイトで稼ごうと思うと専念するしかないが、学校に行かないと滞在資格を失う。しかし学校に行くと稼ぐことができず、借金の返済はおろか、学費も支払えなくなってしまう。
かくして日本で思い描いていた生活ができなくなったベトナム人が犯罪に手を染める。

しかも当初はユニクロでの万引きなど窃盗が多かったが、強盗や強姦などの凶悪犯も増えている。ベトナム人が増えるとこうなるのである。

アメリカ人やドイツ人が増えたのであればこうはならないだろう。欧米人とアジア人では来日する動機が違うからだ。人生をかけて借金してベトナムから日本へやってきて、うまくいかないから自暴自棄になるヤツが多いのだから、そいつらの犯罪が増えても仕方がない。

これは社会のよい教訓になる。安倍政権が目論む移民の受け入れの予行演習みたいなものだ。
すべてを賭けてやってくるヤツがうまくいかなかったときどうなるか。そうでなかったとしても、シナの属国であった時間が長いベトナムには中華気質が混じっているのか、中国人や韓国人のように閉鎖的なコミュニティを作りたがる。

年間4万人弱のベトナム人が留学生で来るだけで、これだけベトナム人の犯罪が激増するのである。アジア諸国から年間50万人も移民を受け入れたら、単純に考えてベトナム人犯罪の10倍の外国人犯罪も日本に受け入れることになる。
ロクなことにならないのは、今の欧州の難民やアメリカの違法移民の問題を見ても明らかだろう。

日本に旅行に来るだけの外国人は無害であろうが、日本で暮らしにやってくる外国人は将来的に犯罪者になりやすいことを理解しないといけない。
これが日本人でも同じことかも知れない。しかし、外国人犯罪者は目立つし、憎悪感情を買いやすい。しかも、殺人や強姦のハードルが日本人より遥かに低い連中も多いのは間違いないのではないか。

百田尚樹が千葉大医学部のレイプ事件で犯人の名前を警察が明らかにしないことについて、「犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする」と書いただけで、ネットではレイシストだのヘイトスピーチだの炎上状態になっている。
在日韓国人あたりは特別扱いされて名前を隠されたり、本名を隠して報道されることが多い。国立大学の医学部に外国人は多そうにないが、在日韓国人や朝鮮人なら別だろう。人々が根拠なくそう思うように、保守思想のベストセラー作家がそう思うこともあるだろう。
しかし、誰もが思いそうなことをつぶやいたら叩かれる。「外国人の仕業かも」とつぶやいただけでヘイトスピーチ認定され、まるで犯罪者扱いだ。
影響力のある人が憶測だけでものを言うと問題なのかも知れないが、百田尚樹はそういう人だということを皆知っているはずだと思うのだが、どんな影響があるというのだろう。「ああそうですか」で終わるような話ではないのか。

同様に、ベトナム人を犯罪者のように書くとヘイトスピーチと言われるのかも知れないが、ベトナム人犯罪者がいないわけではないのだから仕方がない。
大型の刃物を持って路上で人を襲撃して殺害するのはベトナム人だ。覚醒剤の密売で揉めて路上で車を挟み撃ちにして人を殴り殺すのはイラン人だし、強盗に入った家で家人を縛っただけではなく殺してしまったり、敵対グループのメンバーの目玉をスプーンでえぐり出すのは中国人だ。
こんなイメージを持つことがレイシストなのであれば、レイシストで構わない。「いい人もいる」などというのは百も承知であるが、よその国に来てまで凶悪な犯罪を犯すような連中は、多少偏見の目で見られても当然ではないか。

私は外国人犯罪に寛容な心の広い日本人ではないから、年間30万人という数字にこだわった安倍政権の名ばかりの外国人留学生の受け入れ政策は即刻中止して貰いたいし、移民や単純労働者の受け入れなんぞも口にもしないで貰いたい。

出勤途中、朝の8時頃に役所の前の歩道で車座になって座って酒を飲んでいる5~6人のベトナム人と思しき外国人をよく見る。同じようなことをする日本人もお断りであるが、「文化が違うから」などという理由でそんなみっともないことをする外国人を受け入れる気が起きない。
「そのうち、こいつら何かしそう」といつも思う。そう思わない人間だけがレイシストではないのだろう。私にはできそうにない。

20161125-1

何年か前にネット上で小学校3年の漢字書き取りテストが理不尽すぎるとして話題になっていた。
「新□の車」と書いてあり、□の部分には「がた」とルビが振ってある。その問題に対して、ある子供が回答欄に「潟」と書いたらバツにされ、教師が答えとして「型」と書いていた。

「新」という字に「しん」というルビが振ってあるのならそうだが、「新潟の車」という意味で回答で「潟」と書いてなにが間違いなのか。
「潟」という漢字は小学校3年までに習わないからバツなのだろうが、むしろ「新型」とせずに「新潟」と書いた子供を褒めていいくらいだ。オトナだと思いつかないし、私だったら「潟」というバランスの取りにくい字をちゃんと書けるかどうかも分からない。

数日前には、「3.9+5.1=9.0」を間違いで減点とする小学校の算数が話題になっていた。
3.9+5.1を筆算しろという問題で、9.0と結果を書いたら5点のうち1点を減点されたという。教師の採点によると、9.0の0の部分を斜線で消して、答えを9とせねばならないという。

【ねとらぼ】「3.9+5.1=9.0」は減点対象 小学校算数の奇習に茂木健一郎が苦言“子どもたちへの虐待である” (11/22)

理科でいう有効数字の観点からいうと、この問題は有効数字2桁の数の足し算なので答えはむしろ「9.0」とすべきであるが、小学校の算数では9.0と9は異なるので、9とせねばならないらしい。
そうしないと、「8+1」の答えを「9」とすべきところ、「9.0」にした方がいいのか子供が分からなくなるからだという。
中学の理科と小学校の算数が異なるのは分かるが、気色が悪い。

「9.00」などと小数点以下の0を余計に書かないようにするためらしいが、9.00でも間違いではない。かといってふざけたクソガキに「9.00000」などと回答させないためにも、算数でも有効数字を教えたらいい。有効数字というよりも常識か。

大昔、中学の理科の定期テストを受け、オームの法則で電流だか抵抗値だかを求める問題で教師が意図した有効数字で答えを書かなかったために関係する回答を全部バツされたことがあった。バツは酷すぎると教師に抗議したが聞いてもらえず殺意を覚えたが、村上というクソジジイの教師のおかげで有効数字だけは社会人になってからも気にするようになった。
客先に提出するレポートで、計測結果などの数値を取り扱うことも多い。そういうものでは算数の計算ではなく、理科的な数値の取り扱いが重要になる。

この「9.0」の問題はまあいいのだが、小学校の算数ではもっと酷いものがある。「9.0」の話を紹介をしていた「ねとらぼ」に、小学校の算数で「9÷0」が出題され、答えが「0」だったというのがあった。

【ねとらぼ】「9÷0=0」? ある小学校で出された問題に「ちょっと待て」 (2012/11/27)

小学校でゼロ除算という代数で習うような問題を取り扱っている。一般的に「0で割ってはいけない」と習い、0で割ったときの数値は未定義で答えはないわけであるが、答えが「0」では明らかに間違いだ。
「0÷9」という問題にすべきところを誤植したのかも知れないが、なんとも思わずマルを付けている教師が恐ろしく思える。

これ以外にも「ねとらぼ」の記事に掛け算の順序が違うとして減点されている回答も紹介されていた。

【ねとらぼ】「7×6」はマルで「6×7」だとバツ!? かけ算の順序教育が話題に (2012/12/14)

「6つある長椅子に7人が座ると何人座れるか」という問いに対し、「6×7」がバツで、「7×6」がマルらしい。6つの椅子に7人だから6×7。しかし、教師が求める答えは「7人が6つの椅子に座る」で7×6。なるほど、分からん。
小学校の算数では人数を求めるとき、何人が何個で何人という決まりがあるらしいが、なんというバカバカしい決まりだろうか。しかも、その決まり通りに採点し、平然とバツをつける教師の心の闇を感じる。
「6×7」が間違いで、「7×6」が正解である理屈を教師は子供に説明できるのだろうか。できるわけがない。しかし、「先生が言うことが正しい」、「先生の言うことを聞け」を押し通したのでは子供が勉強嫌いになるのも頷ける。

ネットで理不尽なテストについて調べると、いろんな例が山ほど出てくる。大体は笑えるものだが、紹介した回答のように笑えないものもある。
日本人は欧米人に比べると柔軟な考え方ができないなどと揶揄されるが、こういうテストを見れば納得できる。理屈が通らないことを子供に押し付けているのだから当然だ。それでも日本がそれなりにやっていけているのを考えると、ある意味奇跡のように思えてしまう。

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