先っちょマンブログ

2017年08月

20170831-1

麻生太郎副総理が29日(火)に行われた自民党麻生派の研修会で「政治家になる動機は問わない。政治は結果が大事だ。何百万人も殺したヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」という発言をして問題になった。
「動機が正しくても結果がよくなかったらダメ」という趣旨の例えに、ユダヤ人を虐殺したヒトラーを当てはめてしまうと「ヒトラーの動機は正しい」と受け取ることもできる。それを言うなら、「結果的に何百万人も殺したら、ヒトラーが政治家になった動機が仮に正しかったとしてもダメなんだ」と正確に言うべきだったのかもしれない。

ヒトラーの政界進出の動機をWikipediaで調べてみると、「ドイツが第一次大戦の敗戦によって莫大な賠償金を背負わされ、国内産業の衰退と膨大な失業者に打つ手がない現状の政治を打破するため」だとある。彼が政治家になった動機はドイツの復興であった。

ヒトラーが政治家になった動機は正しいものに思える。そして結果は、ドイツの敗戦、ユダヤ人の虐殺など悪いものだった。だとすると、「いい動機と悪い結果」の政治家であり、よくよくこれを考えてみると麻生サンの発言は間違いではないように思える。
しかし、30日(水)には「ヒトラーは動機においても誤っていた」として発言を撤回してしまった。どこらへんの動機が誤っていたのだろうか。

調べてみると発言のどこらへんが問題なのかよく分からなくなったが、ともかく、批判する目的以外でヒトラーを話に持ち出すと絶対にヘンに受け止められ、バッシングされることになる。
麻生副総理は2013年にも憲法改正について「ワイマール憲法が誰にも気付かれずいつの間にかナチス憲法に変わっていた。その手口を学んだらどうか」と発言し、ユダヤ人の人権団体から抗議を受け、ドイツの新聞に「日本の副首相がナチスの戦術を称賛」などと書かれた。

ナチスとかヒトラーとか例に出さなけりゃいいのに、麻生副総理の口からポンポン飛び出す。これでは学習能力ゼロだと思われても仕方がない。

この麻生発言に関して、社民党の又市征治幹事長が麻生副総理に議員辞職を求めたそうだ。社民党の又市幹事長は、10年前に週刊新潮に議員宿舎に愛人を連れ込んでいたと報道され、裁判に訴えてみたものの、訴訟を取り下げた御仁である。そんな小物に「辞めろ」などと言われ、麻生サンはさぞ屈辱だろう。
ただ、この程度の舌禍事件で議員辞職していたら、国会には誰もいなくなってしまう。

政治家というのは、よほど慎重な性格でない限り舌禍事件を起こしてしまう。政治家にはおしゃべりが多く、リップサービスで面白おかしく話そうとしたり、大して考えずに脊髄反射のような形で発言してしまうからだろう。それに加えて、何人かは元々バカだからという理由もある。

先の東京都議選で、都民ファーストの会の候補者が大量当選した。多くが政治経験皆無のド素人で、いかにも脇が甘そうなヤツばかりだ。小池百合子知事の脳裏に巡ったのは、小泉チルドレンとして当選した多くのバカ議員のことだろう。杉村太蔵みたいな連中だ。海千山千の記者の誘導尋問で、いくらでも余計なことを話してしまいそうである。

だから都民ファーストの会は所属議員に対して、ツイッターやブログなどSNSで発信する情報を制限し、個人でのマスコミ対応も禁じた。都民ファーストの会は開かれているふりをしていたが、実際はとてつもない言論弾圧政党である。いかにもアホそうな議員が揃ったから、ボロが出ないようにやったわけだが、党の検閲を受けないと個人の意見も発せられない政党にいて、都議会議員としてなにができるのだろうか。

事実、豊洲市場と築地市場をめぐる都議会での小池百合子の答弁に対し、都民ファーストの会の議員がこぞって拍手を送っていた。まるで習近平の演説に対して拍手を送る全人代の議員のようだった。
都民ファーストの会の議員たちは、個人の意見を発することもできず、議会では上からの命令で拍手をするだけのマシンになってしまった。これならばどんなアホでも失敗せず、どんなアホでも仕事をこなすことができるわけだ。
つまらん連中である。

そんな都民ファーストの会が国政進出を視野に入れているそうだが、とんでもない話である。
ヒトラーやナチスの発言をもって自民党を「あぶない政党」として叩くマスコミが多いが、どう考えても都民ファーストの会の方がヤバそうではないか。所属議員は小池百合子や会の代表に従うだけのロボットだ。政党を引っ張る人が狂ったら、全員が狂ってしまう。
こんな政党になにが期待できるのかと思うが、それでも東京都民の支持はあるらしい。政党もあぶないが、有権者も相当あぶないようだ。

20170830-1

先週のイギリスのニュースで、農場の火事で消防士に納屋から救い出された子豚18匹が1年後、食肉加工されてソーセージとしてプレゼントされたというニュースがあった。
消防士たちはバーベキューでソーセージを食べ、「最高だった」と感想を述べたという。
イギリスらしいブラックジョークかと思ってしまうが、本当の話だという。

【BBC】火事から救出の子豚たち ソーセージとなって助けた消防士たちに (8/23)

食肉にされるため育てられていた子豚とはいえ、「助け出されたお礼」として1年後に殺されてソーセージに加工されたわけだ。なんだか複雑な気分になる話だ。子豚たちは1年前に焼け死んでいても大して変わらない運命のように思えてならない。
この話は個人的に気色悪く感じる。

助け出された子豚たちが将来的に豚肉になるのは仕方がないとして、なにも消防士に食わせる必要はないようにも感じる。お礼だかなんだか知らんが食う方も食う方で、どういう感覚をしていれば自分たちが助け出した豚を食えるのだろうか。
近所の商店で買ったソーセージもどこかの知らない豚の肉が使われているわけだが、助けた豚と知らない豚の差は大きいように思う。

昔、とある小学校で飼っていた豚を最終的にソーセージにして食べてしまいましょうという授業があった。「ブタがいた教室」として映画化された。
映画では実際に1年ほど豚を育て、最終的に子供たちが泣きながら食っていた。教育という名の下に不快な思いを子供にさせるアカハラみたいなもんである。
その授業では「命の大切さを知る」ということになっていたが、愛情を込めて育てた動物を殺して食ってみないと命の大切さを知ることができないとでも考えているのだろうか。これでは「人の命の大切さを知るために、実際に人を殺してみましょう」とやっているのと大して変わらない。

イギリスの消防士は、日本の小学生のように泣きながらソーセージを食ったわけではなかった。自分たちが助けただけの子豚で、育てたわけではないから思い入れがないのかも知れないが、それでも自分が知っている動物の肉を食べてしまおうという感覚が分からない。

私は非常にナイーブで繊細なので、活き造りは気持ち悪くて食べたいと思わない。踊り食いにも嫌悪感を感じる。生け簀に入れられていた魚をその場で捌いて貰って刺し身にして出されるのもなんかイヤだ。
生きものが殺されて、その肉が人間に提供されるのは分かるのだが、そこらへんは自分の目の届かないところでやって貰いたい。死を生々しく感じるような食事は嫌だ。
韓国では、新鮮な犬の肉を出す店では、生け簀から魚を選ぶように客が檻のなかの犬を選び、その場で鉄の棒を肛門に挿して感電死させ、それを捌いて食肉にして客に提供するのだという。地獄絵図ではないか。

欧米では、この助けられた豚がソーセージになって恩返ししたこのニュースについて「いい話」だとして捉えられる傾向が強く、「キモチ悪い」とはあまり思わないらしい。
クジラやイルカの漁を「けしからん」というわりに、こういうことになんとも思わないドライな欧米人はなんなのかと思ってしまう。

キリスト教徒の欧米人は、野生の動物と違って家畜は神が人間に食わせるために与えた動物だから、殺して食ってもいいと考えているらしい。だとしたら、食われて当然の豚も平気で食えるわけだ。
その代わり、野生の動物を殺して食うことは許さない。とりわけ、クジラやイルカなど賢そうな動物は全部ダメ。
その賢い海の野生動物を守るため、シーシェパードが日本人やノルウェー人相手にテロ行為を繰り返している。特に日本人は、クジラにも劣る動物だから殺してもいいと思っているのだろう。

そのシーシェパードだが、今年は日本の捕鯨船への活動を停止するという。日本の偵察衛星によってシーシェパードの船の動きが日本の捕鯨船に筒抜けで、捕鯨の邪魔をしようにも捕鯨船に追いつくことができない。テロ活動の内容が知れ渡り、寄附金が減ったことも影響しているという。

シーシェパードを始めとする欧米の連中は、日本人が動物の命を粗末に扱っていると勘違いをしている。日本人が野蛮だからクジラを殺していると考えているのが多いが、日本人ほど人間のみならず動物や植物の命を大切に思っている民族はいないだろう。
大抵の日本人は食事の前に「いたただきます」と手を合わせる。動物や植物の命をいただくことと、食事に至るまでに手をかけてくれた人たちへの感謝の思いだ。そのような習慣は海外にはなく、キリスト教徒の一部が神様に感謝するくらいのもんだ。日本統治時代に日本の影響を受けた台湾では「いただきます」と同じ内容のことを言う人がいるが、ごく一部に過ぎない。
また日本人は、欧米人に嫌悪される捕鯨を行うわけだが、捕ったクジラに対する慰霊祭を行う。ゾウやライオンのハンティングのように、楽しんで殺しているわけではない。

それらについて、「いただきます」も言わないような連中に文句を言われる筋合いはない。シーシェパードの動きが鈍化しようがなにしようが、日本は今のままの姿勢を貫き、今後は調査ではなく本当の捕鯨再開に向けて動いていくべきである。

20170829-1

今朝5時58分頃、北朝鮮が弾道ミサイルを1発発射し、北海道上空を通過して太平洋上に落下した。推定飛行距離は2700キロ、最高高度550キロで、「火星12」なる北朝鮮の弾道ミサイルと見られる。

宣言通りグアム近くにミサイルを撃ち込む根性は北朝鮮にはなかったようだ。ただ、なにもしないのでは金正恩のプライドが廃る。気合いを見せるために日本上空を通過する弾道ミサイルを撃ってみせた。
飛行距離2700キロだと北朝鮮からグアムには届かない。しかし、日本全域が射程に入る。

アメリカは脅せないけど、日本相手ならどれだけ脅してもいいという考えが手に取るように分かる。日本には事前通告など不要。
ずいぶんと舐められたもんである。

それ以上にめちゃくそ迷惑な話だ。もし弾道ミサイルが日本の国土に墜落しようものならタダでは済まない。
弾頭になにか積み込まれていなかったとしても、それなりに燃料が残った状態で墜落したら相当の被害が出る。迎撃できたらいいが、なんでもかんでもそううまくはいくまい。

この迷惑さ加減は、自宅で大音量で音楽を鳴らし、近隣の家にサバの味噌煮や生卵を投げつけるキチガイ親子とよく似ている。
家の外壁に落書きされてもなにもできず、車で轢かれそうになって初めて警察が動いてくれる。
金正恩がミサイルをどれだけ撃ちまくろうが、日本にはなにもできない。強硬手段に出られそうにないし、アメリカも手を貸してくれない。どこぞに墜落して、誰か死なない限りなにも変わらないだろう。もしかすると、誰か死んでもなにも変わらないかもしれない。
金正恩に舐められるのは当然だろう。

北朝鮮のミサイルに関して、まったく無関係のところでちょっとした舌禍事件があった。

今月26日(土)、セガゲームスがヤクザゲームの「龍が如く」シリーズの新作発表会を行い、インターネットで生中継された。
過去作のリメイクである「龍が如く 極2」に出演した演者のうち、白竜、木下ほうか、木村祐一、寺島進がステージに上がってトークをしたのだが、そのなかで寺島進が「今日ステージに上がっている何人かは朝鮮人なので、朝鮮からミサイルが飛んで来ないようお願いしたい」と冗談めかして発言したのだ。

以前、錦野旦が「芸能人の半分くらいは在日」などと発言していたが、日本国内では「誰が朝鮮人なのか」とネット上がざわついた。
「朝鮮人はふたり」と言及する韓国メディアがあったが、朝鮮日報はほかのところに噛み付いた。

【朝鮮日報】韓国人蔑視? 日本人俳優の「朝鮮人」発言に韓国ネット反発 (8/28)

朝鮮日報曰く、寺島が発言した「朝鮮人」は差別語であるらしい。黒人の蔑称であるニガーと同じで、日本人が「朝鮮人」と発言することは問題なのだという。

戦前戦後に日本に不法入国した朝鮮人やその子孫について、在日韓国人、在日朝鮮人などと呼ぶ。このうち、在日朝鮮人とされる人は朝鮮籍のままの人たちだ。日本は韓国は国家として認めているが、北朝鮮は国家として認めていない。出身が今の北朝鮮に分類される在日は基本的に朝鮮籍で、在日朝鮮人と呼ばれる。
「朝鮮人」が差別語だとは知らなかった。実際は差別語ではないから当たり前である。朝鮮人の蔑称は「チョンコロ」とかそこらへんの言葉だろう。

朝鮮日報の記者は基本的に勘違いをしている。「朝鮮人」に侮蔑の意味があるのだとしたら、それは「朝鮮人」が差別語だからではない。朝鮮人が日本人に嫌われたせいで、あと付けで侮蔑の意味が加わっただけだ。仮に蔑称だとして、先天的な蔑称ではなく、後天的な蔑称なのである。
朝鮮日報のこの論法が通るのなら、日本人に相当嫌われている「韓国」や「韓国人」も差別語や侮蔑語となる。

だが、自分たちが嫌われる理由を理解できない韓国人は、12月に予定されている「龍が如く 極2」の韓国国内での発売を許さないと騒ぎ始めている。勝手に不買運動でもやることをお勧めする。
そうやってどんどん嫌われることで、「韓国」や「韓国人」がさらに日本人から侮蔑されることになるだろう。そして差別語に認定され、「韓国」や「韓国人」がそのうち使えなくなればいい。

20170828-1

中国で「戦狼2」という国産のアクション映画が大ヒットしているという。これまで中国国内で大ヒットするアクション映画はハリウッドのものばかりだったが、「戦狼2」はそのジンクスを打ち破り、公開1か月でこれまでに興行収入53億人民元を叩き出し、中国映画ナンバーワンになっているという。

これまでの中国映画でもっともヒットしたのが、周星馳(チャウ・シンチー)監督の「人魚姫」(2016年)だった。それをあっという間に抜き去り、興行収入の世界ランキングでも100位にランクインしたという。ほぼ中国国内だけでこれだから、ランキングのもっと上の方に行くと予想される。

タイトルの字面がカプコンのゲーム「戦場の狼」を思い起こさせるが、「戦狼」という映画の2作目らしい。
主人公は中国特殊部隊の元隊員で、映画の冒頭で「1」で死んだ戦友の遺骨を遺族に届けに行ったとき、遺族に対する地上げ屋の振る舞いに耐えられずぶちのめして刑務所行きに。
出所後、港湾関係の仕事をしていたアフリカの某国で白人の傭兵たちが反乱を起こす。主人公はアフリカに駐在する中国人や現地の黒人を中国大使館に逃すなどしたうえで、中国海軍の協力を得て自分を追ってくる白人のテロリストを撃退し、反乱軍を鎮圧して華僑や現地の黒人たちを救うという話だ。

この映画は既に日本の一部メディアで取り上げられているのだが、どれも「中国版ランボー」として紹介している。主人公が単身他国で戦うのがランボーっぽいということらしい。
「ランボー」の1作目はベトナム帰還兵のランボーが、保安官の乱暴な取り調べでトラウマが蘇り、町で大暴れするという内容だ。ベトナム戦争に事実上負けたアメリカの姿やベトナム帰還兵を蔑ろにする社会を描いたものであり、「戦狼2」はそれと似ても似つかない。
「中国版ランボー」とは、「ランボー」シリーズの「2」と「3」のイメージなのだろうか。

中国嫌いの連中が脊髄反射で「中国の愛国映画だ」と批判している。映画は中国人民解放軍建軍90周年を記念して公開されており、「戦狼2」は中国の国策を反映した「主旋律映画」だと言われている。
この手の内容はハリウッド映画にもよくあり、「アメリカ万歳」のハリウッド映画がいいのなら、「中国万歳」の中国映画もいいだろう。

正直なところ、中国人がアフリカなどで現地の華僑を救うとか、現地の黒人を救うとは思えない。
毛沢東はかつて自国民が核兵器で3000万人くらい死んでもどうってことないと言っていたのように、中国政府が中国人を守るとは思えない。実際は救われるのは政府の要職だけで、ただの労働者は見捨てられるだろう。
それに、アフリカで散々黒人を差別し、黒人から嫌われている中国人が黒人の命を救うために尽力するとも思えない。

ただ、妄想するのは自由だ。いざとなれば国が助けてくれると信じ、中国人がよその国を救うと信じても構わないだろう。それも映画のなかだけの話だ。実際は違うだろうが、こうあって欲しいと映画に願望が込められており、それに共感した中国人が喜んでいるだけだ。

これまで、中国政府の政策やら意向やらを忖度して作られた映画は、どれも説教臭いか、単純な反日作品が多かったが「戦狼2」で潮目が変わった。今後、中国人が世界中で活躍し、日本人を含めた悪いヤツらをぶっ殺して世界を救うという作品が増えることだろう。
それはそれで日本人として不快な思いをするかも知れないが、これまでの単純な反日映画よりはマシだろう。

気になるのは、単純な中国人が愛国映画に触発され、アメリカのように中国が世界の警察であるかのように誤解しそうなことだ。中国は、世界に対していい影響よりも悪い影響を与えている国であるのだが、中国人はどうもそれが受け入れがたいようだ。
いい中国は映画だけ、現実は悪い中国であることを知ってくれればいいのだが、国民の多くがアホな映画で喜んでいる以上、まあムリなんだろう。

20170827-1

毎年毎年、飽きもせず「24時間テレビ」を放送するテレビ局があり、私のように飽きもせずそれに文句を垂れている人間がいる。
文句を言うだけに当然番組は見ていないのだが、昨晩、テレビのチャンネルをザッピングしているときに少しだけ放送を見てしまった。石原さとみが目の不自由な主婦の元を訪れたとき、「○○さんは目がご不自由でありながら、ふたりの子供を育てる母親です」というナレーションが入っていた。

前々から思っていたのだが、「ご不自由」という言葉に違和感しか感じない。「不自由」では失礼に当たると思っているのか、「ご不自由」などと言っているわけだが、「目が不自由でありながら、ふたりの子供を育てる母親です」という表現でどこか失礼に当たるのか。
同様に、「ご不自由でいらっしゃる」のように過剰な敬語も散見される。

障碍を抱えて生きていることが尊敬に値するということなのかも知れないが、障碍があっても生きるに決まっているし、目が見えなくても子育てくらいするだろう。
たまに自分のハンディキャップに絶望して自殺する人がいるかも知れないが、健常者で大した理由もないのに自殺する人もいるわけで、生きて生活していることにエライもクソもない。尊敬がどうとかいう話なのだろうか。

障碍者に対して敬語を使うことは逆に差別に当たるのではないか。「そんなにハンディキャップがあるのに、一生懸命生きていてエライですね。尊敬します」と言っているのも同然で、上からの立場でモノを言っているようにしか思えない。

くだんの主婦は、結婚して子供が生まれてから視力が弱くなり、強度の弱視になったという。見えていた目が見えなくなるのと、最初からまったく見えないのとどちらが辛いか知らないが、毎日の暮らしが大変そうなのは分かる。ただ、尊敬できるというほどのものでもない。

何年か前、釧路市動物園に四肢に障碍を持つタイガとココアというアムールトラが生まれ、テレビなどで注目されたことがあった。「一生懸命生きているタイガとココアに勇気を貰いました」などと言っている大人を見て「アホか」と思わずにはいられなかった。
トラが自分の手足が不自由なことにめげず、懸命に生きているというのだろうか。単に生存本能に従って生きているだけではないか。トラが「オレは手足が悪いから死にたい」と思って自殺したり、「手足が不自由だから動きたくない」と寝たきりになるのが普通ならまだ理解するが、そうではない。
人間が勝手に障碍のあるトラが一生懸命生きていると思い込み、勝手に感動しているだけではないか。

「24時間テレビ」を始めとする世間では、なぜだか知らないが障碍者が頑張って健常者と同じようなことをすると「エライ」と考える風潮がある。だから「24時間テレビ」は障碍者を山に登らせたり、海で泳がせたりすることに必死になっているわけだが、他人がやる必要のないことをやってなにが感動できるのか。
私から言わせれば、障碍者が山を登るのも、そこらへんの自堕落なオッサンが山を登るのも同じだ。世界選手権やオリンピックで金メダルを取ったのならともかく、知らん人が辛い思いをして山に登って感動してるのを見て、どういう思考回路が働けば自分も感動できるのだろうか。誰かが山に上っただけの話で、エラくもなんともない。

「24時間テレビ」では障碍者が一生懸命生きたり、頑張って山に登ったり海を泳いだりするのを見て、視聴者が感動したり、勇気づけられることを期待しているのだろうが、意味が分からない。YouTuberが20段のトランプタワー作成に挑戦し、成功しても感動しないのと同じだ。
昔、島田紳助が「阪神の金本に対して頑張れやとか言うてるオッサンがおるけど、プロ野球選手はめっちゃ頑張っている。そう言うお前が頑張れよ」とテレビで言っていたが、まさにそうだ。人の頑張りを見ている暇があれば、自分がなにか頑張ればいい。

「24時間テレビ」は、障碍者→頑張る→エライの構図にこだわるわけだが、たまには頑張らない障碍者も取り上げてみたらどうだ。世の中、なにかの目標に向けて頑張っている障碍者ばかりではあるまい。働けるのに働かず、自堕落に生きているのも多そうだ。年金を貰い、テレビの前でゴロゴロし、世の中の不満ばかり口にしている障碍者の方が逆に興味がある。

「24時間テレビ」が昨日、ツイッターで「2歳の時に小児ぜん息と診断された羽生結弦選手が、病気を言い訳にせず世界のトップで戦い続ける思いをテレビで初告白」などと宣伝ツイートをしたところ、「喘息の子供が喘息を言い訳にしていると思ってしまい傷つく」などという抗議が多数寄せられたのだという。
いちいちそんなことでイチャモンを付けてくるクレーマーもうざいが、ハンディキャップを乗り越えて努力する人をエライと考えている日本テレビの考えがここによく現れていると思う。

病気を持ちながらフィギュアスケートをすればエラく、病気持ちじゃないのにフィギュアスケートをしてもエラくない。障碍者がなにか頑張ればエラく、健常者が頑張ってもエラくない。これが日本テレビの価値観なのだろう。
「24時間テレビ」はその価値観の押しつけの集大成である。

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