先っちょマンブログ

2018年07月

20180731-1

女子レスリングのパワハラ問題が浮上したのは今年の3月だった。週刊文春が日本レスリング協会の栄和人・強化本部長(当時)による伊調馨に練習場を提供させないなどのパワハラを行っていると報じて騒動になった。
あれやこれやで揉めているさなか、栄和人が所属していた至学館大学の谷岡郁子学長というアクの強いオバハンがしゃしゃり出てきて盛り上がったが、ひと月ほどで盛り上がりが収まった。
5月に入って、日大アメフト部の悪質タックル問題が注目されるようになったからである。

世間の耳目は一気に日大に集まり、谷岡学長の自爆で批判にさらされていた至学館大学は救われた形になった。
日大アメフト部のタックル問題は、「やらなきゃ意味ないよ」の監督、ゲイビデオに出演していたコーチ、謝罪会見を紛糾させて盛り上げた元新聞記者の日大職員など、役者が揃っていたのでかなり盛り上がった。この問題をなにより盛り上げたのが、ラスボス感満載の日大の田中英寿学長である。

サッカー日本代表だったヒデこと中田英寿と字面がよく似ていて、文章で書くと紛らわしいが、相撲部出身の本人はいかにも悪そうな顔をしている。

20180731-2

怖いのは見た目だけでなく、山口組の6代目組長や住吉会の2代目組長と懇意にしており、週刊誌で一緒に撮影した写真が公開されるなどした。学長と大物ヤクザの付き合いを知っている職員は、誰も田中学長に逆らえなかったという。

ヤクザ同然の人間が日大というマンモス大学を運営していて、職員を恫喝しまくりだった。その学長に可愛がられていたアメフト部監督が部員に対して強権的に命令しないわけがない。実際、内田正人・前監督はいろいろパワハラをしていたらしい。
女子レスリングの栄和人などなんともないと思えることを日大のアメフト部の監督と日大学長がやっているのだから、ニュースで取り上げるネタだらけだった。

日大アメフト部の問題がそこそこ続くなか、今度はボクシング界からパワハラ問題が飛び出した。
助成金の不正流用や審判への圧力を日本ボクシング連盟の山根明会長が行っていると、連盟関係者333人が日本オリンピック委員会などに告発状を提出した。
日大アメフト部問題はそちらに移りそうな予感がする。

告発によると、山根会長はリオ五輪に出場した成松大介選手にJSCから支給された助成金240万円について、ほかの選手ふたりにも分けるよう言い出し、3等分されて3人に80万円ずつが支給されたのだという。
成松選手はおかしいと思ったが、山根会長が「自衛隊(成松選手の所属)は勝たせない」とか「代表から外す」と発言しているのを聞いたので、選手生命が絶たれることを恐れて異議を唱えることができなかったという。
五輪代表選手への助成金をピンハネしたも同然で、あまりにもめちゃくちゃである。

山根明という会長はボクシング経験者ではないが会長としてチヤホヤされており、告発状では連盟による山根会長のもてなしも糾弾していた。

ある大会の関係者に対し、連盟が会長が宿泊する部屋に用意するものとしてリストを提供しており、それには「ミネラルウォーター24本。6本は冷蔵庫へ」、「みかん1ネット、りんご(ムツ) 2~3個 高級品」「ぶどう(デラウェア) 高級品」「バナナ1房 高級品」などと書いてあったという。
実際に会長が宿泊した部屋には、ミネラルウォーター、梅酒、日本酒、麦焼酎、乾パン、森永ミルクキャラメル、カンロ飴、いかみりん、りんご、みかん、バナナが置いてあったという。
日本ボクシング連盟の会長を迎えるとなると、これほどのもてなしが必要なのだろうか。宿泊施設が勝手に用意したならまだしも、連盟から指定して用意させたわけで、これでは習近平や金正恩のような独裁者と同レベルではないか。

この山根明という会長は、日大の学長もビックリの見てくれをしている。

20180731-3

こちらはヤクザそのもののように見える。人前に出るのにサングラスをする人間がマトモなわけがない。

「人は見た目が9割」という認識はおおよそ正しいとは思う。実際、日大の田中学長は第三者委員会から会見を開くよう促されても「やらない」と突っぱねた。
日本ボクシング連盟の山根会長はどうするつもりなのだろうか。

いずれにしても、日大も日本ボクシング連盟も、イエスマンでトップを囲んだためにこんなことになった。
どうすれば常識のある大人に見えるか、普通の人に対してはする必要がない助言を周囲の人間ができなかった。甘やかされて育ったクソガキと同じだし、境遇としてはやはり金正恩と似ている。イエスマンに囲まれ、気に入らないヤツは消すだけ。

大学もスポーツの団体も、トップに据える人間はとりあえず見た目が普通の人間にすべきだ。ヤクザとの付き合いが外見に滲み出ているのは以ての外だし、人前でサングラスをするなど論外だ。
見た目と能力は関係ないかも知れないが、その人の人となりというのが見た目に表れるものだと常々思う。

20180730-1

昨日放送の「サンデーモーニング」を見ていたら、出演者の青木理が黒板を使って「死刑廃止は世界の潮流」と一生懸命説明していた。
世界の百数十か国が死刑を廃止しており、昨年死刑が執行された国は僅か23か国しかないという。死刑執行をしている国は日本やアメリカを除けば中国や北朝鮮といった独裁体制の国ばかりだとしていた。そのアメリカも州によって死刑が廃止されているので、先進的な民主国家で死刑制度を維持しているのは日本ぐらいだそうだ。

死刑廃止論者がよく「欧州ではすべての国が死刑を廃止しており、世界で見ても死刑廃止の流れが一般的」だと主張する。よその多くの国がやっているのだから、日本もそれに倣えというわけだ。
こう主張する連中は、子供の頃に母親に「よそはよそ、うちはうち」と言われたことはないのだろうか。友達を引き合いに出してうちも同じようにしてくれと親に頼むと、必ず言われた。まあ当然である。家によって考え方は違うだろうし、収入だって違うし、いろいろ事情もある。
「よその多くの国がやっているから日本もやるべきだ」というバカ丸出しの主張をされても、「は?なんで?」としか言いようがない。

外国のいい文化をうまく取り入れるのが日本の文化だ。ならば、死刑廃止がいかにいいかを主張すればいい。死刑を廃止すればこれだけメリットがあると論理立てて説明する必要があるのに、「よそがやってるからうちも」ではいかにもバカである。

先の戦争に負けかからか、日本人は欧米人や欧米の文化にめっぽう弱い。欧米の考え方こそが先進的で立派だと思いがちだ。果たしてそうなのか。
「ヨーロッパが死刑を廃止して、死刑を存続させているのは中国や北朝鮮、アラブ諸国、アフリカ諸国だけ」という説得の手法は、ヨーロッパを上、アジアやアフリカを下に見ているから言えることなのだろう。

欧米の考え方をなんでも受け入れようとかするから、ジェンダーフリーとかいう性別に関するメチャクチャな考え方も受け入れてしまう。「ポリティカル・コレクトネス」もずいぶんと浸透して、看護婦を看護師と呼ぶようになった。
そうやって思考停止状態で欧米の考え方をなんでも受け入れる様子は、宗主国だったシナの文化を全部受け入れた朝鮮に重なるものがある。日本が絶対に受け入れなかった宦官や纏足の文化を許容し、奴隷まで生み出した。

それでも日本人は少しは理性というものが残っているので、無分別には欧米の考え方を受け入れることを拒否している。捕鯨文化はその最たるもので、クジラやイルカを食べたり獲ったりすることに批判的な欧米の考え方に関しては拒否している。欧米文化による日本文化への侵食は受け付けないのかも知れない。

しかし、それ以外になると話は別だ。先のジェンダーフリーだとかポリティカル・コレクトネスだとか、先進的で進んだ考え方は無条件で受け入れがちだ。欧米人のやることはなんでもいいことのように思ってしまう思考停止のバカな日本人がいる。

前にこのブログで書いたが、アメリカのスターバックスやイギリスのマクドナルドがプラスチック製ストローの規制を始め、近いうちに紙製ストローに変更するという。
外国人はアホだからそこらへんにゴミをポイポイ捨てるし、ゴミはそこらへんに埋めてしまう。一方の日本人は外国人ほどゴミをそこらへんに捨てないし、日本の焼却炉は高性能のものが多く、プラスチックを高熱で焼却処分して有害物質を少なく処分する。
日本でプラスチック製ストローを廃止する必要などまったくないのに、欧米人がやるから日本でも幾つかの企業がやろうとしているし、一部の国民はそれに賛成している。
プラスチック製のストローが1本5円なら紙製ストローは1本50円とされ、コストが10倍になる。その差額の45円が価格に反映されても賛成なのだろうか。

使い捨てるプラスチック製品はストローだけではない。カップ、蓋、コーヒーをかき混ぜるマドラーもそうだ。全部紙製品に変えるつもりなのだろうか。コストもへったくれもない。欧米人がやるエコなことだから日本でもやってみたい。ただそれだけだろう。

欧米のファッションや音楽をまねるくらいなら可愛いもんだったが、欧米のものならなんでもかんでも受け入れようとするのがいかにもよくない。
死刑廃止も紙製ストローも、本当に日本に受け入れなければならないことなのだろうか。


20180729-1

今月18日(水)、京都府京田辺市で19歳の女性を包丁で刺したとして、同じマンションに住む38歳で無職の松元雄一なる男が逮捕された。
うだつの上がらない38歳の無職男が19歳の女性に危害を加えているので、片思いをこじらせて事件に及んだのかと思いきや、逮捕された男は「女の生活音がうるさくて眠れなかった。殺してやろうかと思った」と動機を供述しているという。

たまに生活音にまつわる事件が起きる。有名なのが1974年に神奈川県平塚市で起きたピアノ騒音殺人事件だろうか。近所の騒音に関する殺人事件の第1号として知られている。県営団地に住む男が階下の部屋の住人の日曜大工の騒音やピアノの練習に腹を立て、幼い娘ふたりと母親の3人を殺害し、死刑になった事件だ。
この事件以降、日本で近隣への騒音に対する考えが劇的に変化した。事件は痛ましいものだったが、いいことには繋がった。昔の日本は近隣への騒音の気遣いがまったく足らなかった。

「騒音くらいで人殺しなんて」と思うわけだが、それでもその気持ちは分からないでもない。前に書いたが、私もミソフォニア(音嫌悪症)に近いたちで、騒いでいるヤツが本当に嫌いだ。

思い返せば、そうなったのは社会人になってすぐのときかも知れない。大阪市内の会社の寮に住んでいたとき、寮の近くに遊歩道があって緩い坂になっており、そこで毎晩深夜に近所のクソガキがスケボーの練習を何時間もしていた。ガーッと滑り、ジャンプをしてガシャンという音がするのだが、高架の道路が上を走っており、音が響くので余計に大きな音に聞こえた。
その音が気になって仕方がなく、あまりに騒々しいときは警察に電話したこともあった。結局耳栓をして寝るハメになった。
今まで音なんか気にしたことがなかったが、スケボーの音が気になって眠れなくなって以降、いろんな音が気になるようになった。

騒音に敏感になってしまったので、近所に迷惑をかけるためにスピーカーから大音量で音楽を流したり、布団を叩きながら「引っ越し引っ越し」とがなり立てるキチガイみたいなオバハンのニュース映像を見るたびに、自分だったら近所迷惑なオバハンをボコボコにしているに違いないと思った。

とにかくこの世の中が本当にうるさく感じる。電車では次の到着駅や乗り換えの案内だけすればいいのに、雨の日に車掌が「傘などのお忘れものがないようお気をつけ願います」などと言う。子供に言い聞かせる親みたいだ。
それは親切心だからまだいいが、エスカレーターに乗れば「黄色の線の内側に立ち、靴やサンダルを挟まれないようにしてください」と注意を促す。アホの子に言い聞かせているつもりか。

少し前まで、「バックします」とか「左に曲がります」といちいち喋るトラックが多かった。そんなもん状況を見れば分かるのに、いちいちうるさい。

日本はなにかと最底辺のアホに基準を合わせがちだ。足元をしっかりと見ておらず、自分が立っている場所もよく分かっていなくて靴をエスカレーターに挟まれるバカや、言葉で説明しないとトラックが進む方向が分からないバカがこの世の中にどれほどいるのか。ほんの僅かしかいないバカのために世の中をうるさくする必要はない。

世の中のいろいろなことがうるさいと思うわけだが、私がこの世で一番うるさいと思うのが、トイレに設置してある手を乾かす機械だ。ハンドドライヤーとかジェットタオルとか呼ばれているが、ゴーとすごい音がするわりに全然手についた水が取れない。嘉門達夫が「音がおっきいわりに全然手乾かんな」と歌っていたが、そのとおりだ。費用対効果ではないが、出す音の大きさと効果がまったく釣り合っていない。あんなもん設置の必要など不要だ。各個人がハンカチを持っていれば済む話で、私はアレ嫌いだから絶対に使わず、必ずハンカチを持ち歩いている。

とにかく大きな音が嫌いなので、声のボリュームがバカになっているのか、必要以上に大きな声で話すタイプも嫌いだ。キーボードのエンターキーを思い切り叩くヤツも嫌いだし、麻雀でツモったときに牌を卓に叩きつけるヤツもしばいたろかとよく思う。ノック式のボールペンをずっとカチャカチャ言わせているヤツもしばきたい。自動車メーカーが努力して車の音を静かにしているのに、マフラーなどを改造して大きな音を出しているヤツなんか死刑でいい。

音に敏感な人間にとって、この世の中はうるさすぎる。それでも日本はまだ静かな方で、台湾や韓国はもっとうるさい。想像以上にうるさくて、あんなところには住めたもんじゃない。
私は滋賀の田舎に住んでいて、大阪市内に住んでいたときに比べて夜中が本当に静かだ。近所に変なヤツもいないし、通勤時間は長いがここに住んでよかったと思っている。
世の中が私みたいな神経質だらけになればもう少し静かになるかも知れないが、そうはならないので、いろいろ我慢しながらひっそりと暮らすしかない。

20180727-1

オウム真理教が起こした事件で死刑判決がくだされた13人のうち、残っていた6人の死刑が執行された。
死刑に反対の立場を隠さない一部メディアでは「1か月に2回、13人も死刑にするのは前例がない」と半ば批判する形で報じ、アムネスティも「前代未聞」と避難していたが、大勢の一般人を毒ガスで殺害するテロこそ前例がなく、前代未聞であり、それを普通の殺人事件と同等に扱う連中の気が知れない。

前回の7人の死刑執行のときもそうだったが、死刑反対のマスコミが多いことに驚かされる。オウム事件の死刑に反対する人はどれほどいるだろうか。私の知る限りでは、身の回りにサリン事件や坂本弁護士一家殺害事件について死刑に反対する人などいない。相変わらずマスコミは市民感覚に乏しいと感じる。

ただ、それについては死刑反対派メディアは承知しているらしく、表立って死刑反対の意見を表さない。「死刑執行するとはなにごとか」と社説で書けばいいのに、読者投稿欄で読者に批判させるか、遠まわしに批判するだけ。

例えば、動機など事件の全容が解明されていないのに死刑執行したことへの批判がある。毎度のごとく思うが、動機を解明したところで何の足しになるのだろうか。
神戸の連続児童殺傷事件など、猟奇的な快楽殺人がしばしば起こるが、キチガイの犯人の動機など理解できるわけがない。理解できたところで、それを再発防止にどうやっていかすのか。性的倒錯者が殺人犯になる可能性があるとして、性的倒錯者を警察が捜して監視するわけにもいかないだろう。
それと同じで、麻原彰晃がどう考えたかなど完全に理解することなどできない。理解しようとすることに意義はあるが、どうにもならないから諦めてよかろう。
動機が完全に分かっていないと死刑執行できないというならば、人殺しは動機を語らねば死刑執行されないことになってしまう。

また、端本悟という死刑囚のこともよく報じられた。こいつは松本サリン事件でサリン散布の警備を行い、坂本弁護士一家殺害事件では、空手の腕を活かして寝ていた坂本弁護士に馬乗りになって顔面を殴打し、妻の腹を足蹴にして痛めつけたあと、ほかのオウム信者とともに坂本弁護士夫婦と幼い子供を殺害した。
端本悟は自身が犯した犯罪について裁判で「麻原に騙され、検事に騙された」と他人に騙され人殺しに仕立て上げられたとし、麻原について「八つ裂きにしても許せない」と怒りをあらわにしていた。オウム真理教に関わったことを後悔し、関係を絶ったうえで拘置所で文学や哲学の本を読み、接見した学者と聖書の話をしていたという。
だからなんだという話だが、教団に騙された立場の犯罪者まで死刑にされたとのことなのだろう。

自らが起こした事件を反省していた死刑囚に関しても、一部メディアは「十分反省していた」と報じている。更生の余地がないから死刑にするわけで、反省して更生しているのに死刑にするのはおかしいという批判なのだろう。

私はどうやっても死刑反対の立場を理解できない。「国民に人を殺させない国が人を殺すのはおかしい」という意見をよく聞くが、国民と国家を同一視している時点でおかしいし、国家が国民に代わって人殺しに罰を与えて何が悪いのだろうか。
冤罪の可能性があるわけだが、それを言い出したらキリがない。死刑に代わって終身刑が用意されたところで、冤罪なら終身刑でもいいのか。終身刑なら死ぬまで再審請求できる権利があるからマシとでもいうのか。

普通に考えて、自分が殺されたり、家族が殺されたりすれば犯人をぶっ殺したいと思うだろう。私は仏ではないから、自分や家族を殺した人間を許すことなどできない。
死刑反対派は「自分ならどんなことがあっても死刑に反対する」と嘯くかかも知れないが、想像力が欠如しているのではないか。

昨日の「報道ステーション」を見ていたら、坂本弁護士が勤めていた法律事務所の同僚とやらが登場して、「坂本クンも死刑に反対したと思う」と述べていた。
コイツこそ真性のアホである。坂本弁護士が生前の頃、死刑反対の立場を述べていたかも知れないが、幼い子供と愛する妻、そして自分を殺されてもその考えが変わらないとでもいうのか。死んだ人間の気持ちを勝手に忖度して、マスコミの前でよくそんなことが言えたもんである。

日弁連の副会長を務めたこともある人権派弁護士が、逆恨みで妻を殺害されたことを契機に死刑賛成の立場に変わり、犯罪被害者の会を設立していた。
多少の想像力欠如で死刑反対であったとしても、身内を殺されて考えを改めたわけだ。極めて自然である。一家皆殺しにされ、「それでも私は犯人の死刑望まない」と主張する人がいたとして、それは聖人君子というよりただのアホに思える。

「死刑執行されたところで何も変わらない」というサリン事件の被害者遺族の声も多く報じられたが、死刑を望んでいないわけではないし、その一方で死刑執行を待ち望んでいた被害者や遺族も大勢いた。
「先進国では死刑廃止が当然」としたり顔で言うヤツは、身内が酷い殺され方をしても同じことが言えるだろうか。

20180726-1

また仕事のトラブルで急な出張が決まった。5月に3週間韓国に行ったが、今度は中国だ。
顧客が「すぐに来い」と言っていたが、仕事で中国はすぐには行けない。観光で中国に行く場合は滞在が15日未満ならノービザでいいが、ビジネスでの渡航の場合は2015年から滞在日数に関わらずビザが必要になった。
ビザ申請から発行まで、通常で最低10日、特急料金を払えば7日かかる。中国政府が関わる業務には、余計にカネを払えば優先的に審査してくれる特急料金がある。カネさえ払えばなんでも優先されるというのがいかにも中国的だ。

会社が何万円か出してビザの申請を行うわけだが、添付する証明写真はインスタント証明写真で撮ったものは不可で、厳密に規格が決められている。担当者が少しでも気に入らないと申請を受け付けてもらえないので、写真館の証明写真サービスを利用した。1650円で画像データの入ったCDもくれるので、それほど高くもない。
どんなに早くても1週間後の8月2日にしかビザが入手できないので、客にはすぐに来いと言われていたが8月5日に日本を発つことになった。

中国は初めてなのだが、韓国よりはまだ楽しみだ。上海や南京よりさらに内陸にある都市なので田舎なんじゃないかと思ったが、人口800万人くらいで中心部が大都会だったので、田舎ではないだろう。
韓国もそこそこの都会への出張だったが、韓国は言葉がダメだったので最初から最後まであまり楽しめなかった。英語は通じないし、韓国語はさっぱり分からない。飲食店でハングルで書かれたメニューを見ても、食べものなのか飲みものなのかすら分からない。

その点、市井の中国人の人柄は知らないが、言葉の面ではまだマシだ。なんといっても中国は漢字を使う。極度に省略された簡体字という漢字を使うので、ぱっと見で戸惑うがハングルよりは分かりやすい。ハングルは全部同じに見えるので、ご飯を意味するパブという字がどれなのか最後まで覚えられなかった。中国語では◯◯飯と書かれているので、ご飯関係のメニューなのだと分かる。

独学である程度中国語を勉強したので、発音はサッパリだが、そこそこ中国語が読めるし、会話も少し分かる。韓国でタクシー運転手によく韓国語で話しかけられたが、何ひとつ分からなかった。台湾でできているから、中国でも簡単な会話くらいならできるだろう。

海外に行って現地の言葉が分かるのと分からないのでは、滞在時の負担が大きく違う。そういう意味では、表意文字である漢字は偉大だ。中国語を知らない人でも、漢字が分かれば意味が何となく分かる。
先日の池上彰のテレビ番組で、日本語は漢字、平仮名、片仮名の3種類の文字を使う特殊な原語で、漢字の存在が外国人の日本語取得の妨げになっているとしていた。中国語も漢字であるが、中国語の漢字が読み方が基本的にひとつしかない。日本語の漢字は音読み、訓読みがあって、それぞれ複数種類の読み方があるのが普通で、ひとつの文字でいろんな読み方をする。外国人が日本語を習得するうえでハードルになるのも当然だろう。
戦後の日本を占領したGHQが、漢字があるから日本人の識字率が低く日本人がバカなのだとして、日本語をすべてアルファベットで表記するよう進めとしていたが、実際は戦後の識字率は98%で日本人の教育の妨げになってはいなかった。
それでもGHQに気を使って、当面使う漢字を当用漢字とし、それが今の常用漢字になっていると番組で紹介していた。

もしGHQがやろうとしていた日本語のアルファベット表記が実現していたら、日本人はバカになっていたかも知れない。少なくとも、日本語は外国人には多少分かりやすいが、日本人には分かりにくい言葉になっていただろう。

漢字を使っていたのに漢字を捨てた国にベトナムや韓国がある。ベトナムのことはよく分からないが、韓国のことはある程度知っている。韓国は朝鮮日報など保守的な新聞が漢字ハングル混じりの文章で書いていたが、20世紀の終わり頃には漢字がほとんど見られなくなった。
韓国は1000年以上の長きに渡ってシナの属国であり、シナ風の名前を名乗り、公文書は漢文で書いていた。ところが戦後、長らくシナの子分だった反動のためか、漢字不要論が出てきた。漢字を使わないようにすれば、シナの属国だった歴史をごまかせるとでも思ったのだろう。
だから、韓国では「朝鮮日報」など新聞のタイトルで漢字が見られるくらいで、ほかは全部絶滅したと思っていた。

ところが実際は、韓国ではチラホラ漢字を見かけた。
よく見たのがカレンダーだ。中国語では「日一二三四五六」であるが、日本と同じで「日月火水木金土」と漢字で書いてあった。これは日帝残滓というヤツではないのだろうか。
ほかにも、選挙期間中だったために候補者が有権者だと間違って渡してきた名詞には「現」と「元」という漢字があった。多分経歴が書かれてあって、「現職」とか「元職」という意味なのだろう。
テレビの政治討論番組では、「與」と「野」という漢字をテロップの演出で見かけた。「與」は「与」の旧字であり、おそらく与党と野党のことなのだろう。
飲食店では「大」「中」「小」という漢字が書かれていた。これは文字通り大きさを表しているのだろう。

今の韓国人は年齢が高い知識人しか漢字が分からないと聞いていたが、どうやらこのへんの漢字は分かるらしい。記号のような感じで理解しているのかも知れない。

せっかく漢字を廃止してシナの属国という黒歴史の除こうとしているはずなのに、そうやってちょこちょこ漢字を使って中国文化圏の片鱗を見せていては意味がないように思える。
まあ、韓国は小中華と呼ばれるほどで、儒教文化に染まっている韓国人と親分の中国人は似ているところが多いので、漢字だけ隠しても何の意味もないのだが。

このページのトップヘ