先っちょマンブログ

2019年11月

20191129-1

来年から小学校でプログラミング教育なる必修科目が始まるらしい。プログラミング教育といっても、パソコンでコードを書いてプログラムを動かすようないわゆる一般の人が想像するプログラミングを学ぶのではなく、パソコンやタブレットなどの機器を通じて論理的思考を身につけるという教科らしい。

私には子供がいないが、子供たちがどんなことを学ぶのか興味があるので、どんな学習をするのか調べてみた。
その中にひとつ、素晴らしいと思う学習計画のサンプルがあった。東京都杉並区の西田小学校で行われている正多角形を描くプログラミング教育だ。

【プログラミング教育ポータル】正多角形をプログラムを使ってかこう(杉並区立西田小学校)

Scratchというブラウザ上で動作するアプリケーションで、猫のキャラクタを動かして正多角形を描くようにする。プログラミングとはいうものの、やることはオブジェクトの組み合わせだ。
まず線を描くためにペンを下ろす。次に猫を80歩まっすぐ動かして80歩分の線を引く。続いて内角が60度になるように猫を120度回す。それを線を引いて回転させるのを3回繰り返せば正三角形を描くことができる。

この教育では、まず算数の時間に習う正多角形の理解が必要だ。それが理解できないと話にならないが、完全に理解していないくても、プログラミングによって理解が進むかも知れない。

また、このプログラミングによってオブジェクト指向という考え方を学ぶことになる。繰り返しの動作がある場合、「猫を指定歩数だけまっすぐ進める」とか「猫を指定角度で回転させる」というオブジェクトを用意しておけば、それを繰り返し呼ぶことで効率のいいプログラムになる。正三角形を描くのに、80歩進める→120度回転→80歩進める→120度回転→80歩進めるとするのはいかにも効率が悪いことは誰にでも分かる。

この正三角形を描く学習をもう少し掘り下げると、正多角形を描くプログラムがもっとよくなる。
多角形の内角の和は、n角形だとして180×(n-2)度と決まっている。例えば、六角形は180×(6-2)で720度になる。三角形の内角の和は180度であるが、n角形はその三角形がn-2個で構成されるからだ。
正n角形では猫の回転は180-180×(n-2)÷n度すればいいことになる。正六角形では180-180×(6-2)÷6=60度だ。
猫がスタート地点に戻ってくれば終了するというオブジェクトを用意できれば、決まった繰り返しの回数をプログラム内で指示せずとも、始めに正何角形を描くか質問して入力させることで、猫を回転させる角度を自動で計算して描くことができる。線を引き、回すことを永遠にループさせ、スター地点に戻れば抜ければいい。
まあそうしなくても、正n角形を描くnを与えるということは、猫に線をn回引かせるわけで、単にn回繰り返しとしてもいい。
nを与えて正多角形を描くプログラムでも、それにはいろいろな方法があるわけだ。

ただこの場合、n角形のnを不適切な値にすると問題が出る。スタート地点に戻るまで永遠にループするプログラムだった場合、例えばnを7にすると内角が割り切れないためにスタート地点に戻ってこられず、永久にループすることになる。7回繰り返すようにしていても、スタート地点に戻って来ないので閉じられた多角形にならない。
だからプログラミングでは、不正な処理が行われないように例外の処理を追加する必要がある。正多角形にできないnを与えるとエラー表示する。あるいは与えられてしまっても、永久にループする処理にしないようにする。そんな処理だ。

内角の公式を考えると、180が割り切れない数値を与えると問題が出ることが分かる。小数点の端数が出ても割り切れるのであれば、プログラムの作り方によってはnが16でも問題ないし、もっと大きい数字にもできる。
杉並区立西田小学校の学習では、これから円周率の学習へと発展させているようだ。円周率は直径1の円に外接する正多角形と内接する正多角形のそれぞれの外周の長さと円周の長さから求められる。多角形を増やすことで円周率の数値の範囲をどんどん狭めていくことができる。
小5の授業でそこまでやるとは思えないが、そこまで理解できる賢い子供もいるだろう。

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ゆとり教育の時代、円周率を3にして問題視されたことがあった。子供に手で計算させるときのみ用いられた数値であるようだが、そうだとしても、学習指導要領に合わせるためなら円周や円の面積が大体の数字で求められたらいいとするヤツの考えなのだろう。こうやって円周率を求める考え方を知れば、3で問題があることが誰でも分かる。

プログラミング教育では、論理的思考の基礎が身につくほか、効率化のためのオブジェクト指向も身につくし、エラー発生を見越しての例外処理の考え方も身につく。算数や理科の知識の補完にもなるし、子供たちも楽しく学習できるだろう。とてもいい科目だと思う。
子供にプログラミング教育など不要だと主張する化石みたいな人もいるだろうが、今の世の中、この程度の基礎的な考え方は身につけておいて損はないと思う。すべての教員がそれを教えるレベルに達しているかは知らないが、教育内容の選び方次第ですごく役に立つと思う。

この世の中には、論理的思考ができず、不合理なことばかりしている人がいる。世の中の事象すべてが論理的で合理的でならないことはないが、感情でしかものを言えない人や、理屈を理解せずに何となく結果オーライでよしとする人はただのバカであって、その人が損をするばかりか、社会的にも不利益を被ることになる。
プログラミング教育は将来のIT技術者の養成のみならず、人が行きていくうえで何らかの役に立つと思う。関西で道徳の時間に被差別部落の歴史なんぞを学ぶ方がよほど役に立たない。

時代に合わせて学校教育を変えていくことは何も悪くないし、むしろ歓迎すべきことに思える。小学校の授業で英語が行われることについて「国語もちゃんとできないのに英語なんてとんでもない」とか「日本の英語教育では意味がない」という意見があるが、私はいいと思っている。英語教育のやり方には改善すべき点があるだろうが、英語はどう考えても必須だ。必須ではない仕事の人もいるだろうが、私のプログラマとして仕事では英語の規格書や参考図書を読んだり、英語のコミュニティで情報を集めたりする必要がある。話せなくても読んだり書いたりする必要はめちゃくちゃある。そんな職種はこれからもっと増えていくことだろう。
英語教育と同様にプログラミング教育もやっていいと思う。「やらなくていい」という人は自分の仕事に必要ないだけで、必要な仕事のことを理解していないだけに思える。

島田紳助がテレビでこんなことを言っていた。
紳助は子供の頃、母親に対して「勉強して何になるのか」と反抗していた。自分が親になると、娘たちは親に言われずとも自分から勉強していたので紳助が「勉強して何になるのか」と尋ねたところ、娘が「人生の選択肢が増えるから」と答え、目からウロコが落ちたという。
また、紳助は京大を卒業しながらマッサージ師をしている女性の「1万円の小遣いで300円のものを買ってもいい。でも1000円では2000円のものは買えない」という発言も紹介していた。

勉強して将来の選択肢をいろいろ増やし、その中から好きな職業を選べばいい。自身のキャパシティを増やして悪いことなど何もない。
今の仕事は昔とまるで変わっている。だからプログラムも英語も必要で、子供の時分から習っておけばいい。それを使う仕事に就くかどうかは本人次第。ただそれだけの話であり、その機会を子供に用意してやるのは大人の責務である。

20191128-1

ミュージカル映画の「ラ・ラ・ランド」がヒットして、すごくいいと評判だったから嫁さんと見てみたのだが、夫婦ともに拍子抜けだった。好き同士だったカップルが互いに別々の人と結婚し、歳をとってからもちょっと惹かれるけど、結局何もないという話。見終わった後に「なんやコレ」という感想しか出てこなかった。

似たような感じで「グレイテスト・ショーマン」も嫁さんと見たが、これも評判のわりには個人的にはパッとしなかった。面白くなくはないが、特にすごいという展開があるわけでもなく、「ディス・イズ・ミー」と歌っておしまい。

別にミュージカル映画が嫌いというわけではない。私はひねた人間ではあるが、ミュージカルに「いちいち歌うな」とか野暮なツッコミは入れないし、普通に見ることはできる。
単に2本とも評判がすごくよく、ハードルが上がった状態で見たせいで、大したことないと思えてしまったのかも知れない。まあ、「ラ・ラ・ランド」に関しては、評判を知らずとも、「なんやコレ」と感じると思うが。

今日、仕事が休みだったので久々に映画を見に行った。年齢制限がある映画ながら大ヒットしている「ジョーカー」だ。いろいろとよさげな評判を聞く。それにバットマンシリーズの「ダークナイト」が好きだったから「ジョーカー」にした。
嫁さんは今帰省中で、「ジョーカー」は見る気ないと言っていたからひとりで見ることになった。嫁さんは「鬱っぽい映画は好きじゃない」と言っていた。

「ジョーカー」は陰鬱な気分にさせるから、鬱気質の人は見ない方がいいと聞いていた。かく言う私も鬱病で1年ほど心療内科に通った経験があるので、見て大丈夫なのかとは思っていた。
結果から言うと、まったく大丈夫だった。と言うか、「ジョーカー」も「なんやコレ」という映画だった。

この映画にまつわるニュースでは、社会から虐げられ、鬱屈してジョーカーになってしまう主人公のアーサー・フレックに共感する人が続出とのことだったが、どこに共感できるのかがまったく理解できなかった。
「ジョーカー」は簡単に言うと、精神疾患を持つイカれた男が人殺しをして、自身を正当化するという映画だ。そういうキチガイの主人公を見て、「ジョーカーを生み出した社会の方にこそ問題がある」とかもっともらしい論評を述べるヤツは何なのかと思ってしまう。

「ジョーカー」を見て、主人公のアーサーに共感するヤツはどれだけ感受性豊かなのかと思わずにはいられない。私には「ジョーカー」という映画は、ただのキチガイの行動録にしか思えなかった。
「ダークナイト」のときのジョーカーの極悪っぷりはよかったが、「ジョーカーはこうやって誕生しました、デーン」と映画で紹介されても「ただのキチガイやがな」と思うだけだ。「ダークナイト」のジョーカーがこれだと思うとガッカリしてしまう。

主人公のアーサーはちょっとした失敗で仕事をクビになり、市の財政難で社会保障が受けられなくなり、自身の不幸な生い立ちを知ったことが追い打ちとなって鬱屈してしまう。だからといって、人殺しが正当化されないのは当然だし、それが社会のせいとも思えない。幼いときに負った傷による病気があったとしても、それは個人のせいではないか。
それで爆発し、周囲の人間に迷惑かけてしまう人間になんかまったく共感できない。

そもそもの話として、個人の境遇は個人の責任であることがほとんどだ。よく社会のせいにするヤツがいるが、それは自分の能力不足を棚に上げ、社会の責任にしているだけだ。自分のせいだと思うより、社会のせいだと思った方が楽でいい。

私は堀江貴文は好きではないが、彼のツイートでたまに「いいこと言うな」と思うことがある。12年勤務して月の手取りが14万円しかなく「日本終わってますよね?」と愚痴っていた人に対し、ホリエモンが「日本が終わってんじゃなくて、お前が終わってんだよ」とツイートしていた。
12年働いても手取り14万円のところにずっと居続ける方が無能だということだが、まさにそのとおりだと思う。転職しても同じくらいの稼ぎなのであれば、その程度しか評価されない自分のせいであって、社会のせいではない。自分が好きな仕事がどれだけ頑張っても月に14万円しか稼げない仕事だったとしても、やはり個人のせいである。
「オレが悪いんじゃなくて社会が悪い」という逃げ口上は、まさに無能が言うことだと思う。

ある学生が、学校推薦で私が勤める会社の入社試験を受け、最終の社長面接で落とされたことがあった。普通、学校推薦の生徒は落とされないし、ましてや社長面接で落とされることなどまずない。
その学生は在日韓国人であったために「在日差別された」と騒いで騒動になったのだが、彼を落とした当時の社長は中国から日本に帰化した人で、変人ではあったが在日を差別するようなタイプではなかった。単に何か気に入らないことがあったから落としたのだろうが、落とされた本人は自分に問題があったと思いたくなく、自身の出自のせいだとした。彼は何か悪いことがあるたびに、「在日のせいだ」と思って生きていくのだろう。

「ジョーカー」の主人公自体は「社会のせい」などとは愚痴っていなかった。見る方が勝手に彼がジョーカーという悪になったのは社会のせいだと思い込んで、自分で転げ落ちていった彼に共感するわけだ。映画の中で、金持ちの証券マンが殺されたことがきっかけとなり、私刑人ピエロに共感してゴッサムシティで犯罪を犯す人が増えていた。主人公と同様に鬱屈した人間が暴れるようになるのだが、「ジョーカー」を見て共感することは、人殺しに触発されて暴動を起こすようになった映画の中のその他大勢と同じに思える。

「ジョーカー」を見て感じたのは、自分にはこういう暗くて説教臭い映画が合わないということだ。「なんやコレ」と思ってしまった「ジョーカー」ではなく、「ターミネーター:ニューフェイト」を見に行けばよかったと思った。
自分にはもっとアホみたいな内容のアクション映画が合っていると改めて感じたのであった。

20191127-1

韓国のGSOMIA延長や貿易に関する日韓の局長級対話の決定について、日本が韓国に対して謝罪した、謝罪してないで未だに揉めている。
経済産業省が発表した骨子や、日本の政治家や担当者が「韓国に何の譲歩もしていない」と発言したことについて韓国が猛抗議し、「日本が韓国に謝罪をした」と強弁している。

韓国政府が言うには、抗議のために日本大使館の担当者を呼びつけたら、経産省が発表した骨子に関して政務公使が「申し訳ない」と発言したという。これについて公使は、個人の発言ではなく、外務次官のメッセージであると説明したと韓国政府が主張している。
それに対して日本大使館はこれまでの政府発表と同様に「謝罪はしていない」と発表している。

思うに、公使の発言は日本人によくある「すみません」「申し訳ない」の安易な使用ではなかろうか。ごちゃごちゃ文句を言われ、「どうもすいません」と口にしたような感じだ。そんなもん謝罪でもなんでもないが、セクハラが受け取りての感じ方の問題であるように、それ聞いた韓国側が「日本に謝らせた」と勝手に思っているだけ。
仕事の英文メールで「I'm sorry.」(すみません)と書くのと、「Please accept my apologies.」(お詫び申し上げます)と書くのでは全然意味合いが違うので気をつける必要があるが、ここでは「アイムソーリーと言った!!」と言われ、まるで謝罪の言質を取られたかのようだ。

こういうのがあるから、中国人や韓国人は滅多なことでは謝罪の言葉を口にしない。仕事で大きな瑕疵を指摘しても、それについてはしれっと受け流し、改善するためにこうするなどと言って話を勝手に進めようとする。再発防止策は提案してきても、絶対に悪かったとは言わない。
日本企業が相手の場合、「誠に申し訳ございません」と言ってくるし、メールの文面にも書いてくる。報告書には「ご迷惑おかけして申し訳ございません」と記される。

日本は相手が謝罪したら「まあ赦したろ」と雰囲気があり、相手が謝罪したからといってどうこうするわけではない。謝るのはタダだから、相手のために口先だけでいくらでも謝ってやる。
韓国人や中国人は相手が謝罪したとなると、そこからマウントを取って相手にいろいろとやらせ、賠償だなんだという話になる。水に落ちた犬を叩くわけだ。だから死んでも謝罪しない。

日本との交渉で少しでも優位な立場にあるように国民に見せつけるため、韓国政府は日本が謝罪したことにせねばならない。日本大使館の担当が「すみません」のようなことを言えば、それは日本政府から韓国政府への謝罪となり、次官の意向であることにさせられてしまう。

こういうことがある以上、韓国政府との交渉では迂闊なことは言えない。どう曲解されるか分からないからだ。都合よく解釈し、先手必勝とばかりに調子のいい発表をして、あとになって日本がそれを破ったと非難するわけだ。
そうじゃないだろと日本が指摘すると逆ギレしてくるから手に負えない。

GSOMIAの件では、韓国政府が「日本は韓国をホワイト国に戻す前提で交渉する」と勝手に言っていた。日本が輸出管理を見直すまでに1か月はかかるので、12月いっぱいを目処に輸出管理に関する措置を元に戻すのだそうだ。
韓国が言う輸出規制を日本が撤回することで、GSOMIAの延長を韓国にお願いしたことになってしまっている。日本政府は常々、「GSOMIAと輸出管理は別の話」と言っているのに、韓国の話に合わせたうえ、韓国に屈服させられたことになった。

これに対し、毎日新聞が日本政府の担当者が「韓国をホワイト国に戻すにしても、協議等含めて数年かかる」という記事を掲載した。韓国が戦略物質の管理を完璧に見直したとしてという前提があっても数年かかるわけで、1か月で元に戻すなどあり得ない。この報道についても韓国政府の高官がブチ切れていた。
自分たちの目論見を崩すような情報が出てくると、駄々をこねずにはいられないのだ。

韓国はとにかく焦っているようで、いろいろ先手必勝でやってきている。文喜相・国会議長が出した日韓の企業で寄附金を募って元徴用工に賠償する法案が発議されようとしている。基金を設立し、徴用工を自称する連中1500人に対し、寄附金で3000億ウォン(277億円)を賠償するというものだ。慰安婦に関する日韓合意で韓国がせしめて中に浮いた状態になっている60億ウォンも組み入れ、徴用工のみならず慰安婦にも賠償するらしい。

日本としては徴用工の問題も慰安婦の問題も解決済みであり、まったく話にならないが、韓国はこれで話を進めようとしている。日本から金をぶん取りたい連中から批判されているが、この法案が「現実的な解決策」として評価されているらしい。どこが現実的なのか。
それに、自称徴用工とその遺族は20万人いて、賠償の総額が2兆円と見られていたのに、1500人277億円で足りるわけがない。

仮に基金ができたとして、日本企業がそんなもんに金を出したことが知れると、国民から袋叩きにあうのは目に見えており、企業から寄附金なんぞ集まるわけがない。日本は半世紀前に賠償金名目で多額の金を取られており、それを国民に与えずにインフラ整備に使ったのは朴正煕であって、その尻拭いのために日本人がなぜ寄附をせねばならないのか。
基金を勝手に作るのは勝手だが、一部の韓国狂い以外が寄附するわけがない。そうなると、あとになって日本企業が金を出せと騒ぐに決まっている。

韓国のこの一連を動きは、悪質なクレーマー以外の何ものでもない。
日本に因縁をつけ、土下座を強要。土下座を拒否されると怒り出し、「すんません」と言ったことに対して「落ち度を認めた」と強弁。さらに「オレの怒りを鎮めるためには50万円必要や」と勝手に解決策を提案してくる。そして最後に「誠意を見せろ」。これと何が違うのか。

脅迫ともいえるGSOMIA延長に関する交渉はかなり悪質だ。「GSOMIAを延長してやるから徴用工に金を払え」という理論が通用してしまうと、1年後にまた「GSOMIAを延長してやるから金を払え」と言ってくるに決まっている。
それに、基金なんぞができたところで、慰安婦の財団が勝手に解散されたように、そのうち基金が雲散霧消してまた最初からやり直しになるに決まっている。
クレーマーから何度も金を搾り取られる日本でいいわけがない。

日本は韓国に対して1ミリたりとも譲ってはならない。これまで、譲歩に次ぐ譲歩をしてきたから、めちゃくちゃな対日政策をよしとしてしまう韓国のようなモンスターが誕生してしまった。ここでGSOMIAが脅迫の材料になるとモンスターに覚えさせてしまったら、あとは毎年金を搾り取られることになるだけだ。そうなってしまうと、もうこのモンスターは止められない。
韓国というモンスターを止めるのは、今が最後のチャンスかも知れない。日本にはこのような幼稚でありながら狡猾な交渉など通用しないことをモンスターに分からせる必要がある。

20191126-1

昨年、中国出張に行ったときに辟易したのが現金払いの不便さだ。合肥市という地方都市(といっても人口800万人大都会だが)に行ったのだが、どこへ行ってもQRコード決済ばかりで、現金で支払おうとすると毎回店員が困惑していた。
中国人はアリババのAlipayか、テンセントのWeChat PayのどちらかのQRコード決済をするのだが、中国のQRコード決済を利用するには中国に銀行口座が必要で、口座も簡単には開設できない。だから外国人は現金払いオンリーになるのだが、北京や上海のような観光都市でない地方は外国人が極端に少ないために現金払いの用意ができていない。
そのため、食事の支払いを現金で行うと、レジに釣り銭がほとんど入っていないため、店員が手持ちの金を集めて釣りを渡してくることが度々あり、なかには細かい釣り銭がないからと言って多めに釣りをくれる店まであった。

食事に行ったり、土産物を買うたびに毎回そうなるのでウンザリしていたのだが、この11月からAlipayとWeChat Payが外国人でも簡単に利用できるようになったらしい。なんでも、クレジットカードで2000元(3万1千円)までチャージできるようになったそうだ。
ただし、旅行者や90日の短期滞在ビザでの出張者を想定しているため、チャージしてから90日で失効してしまうという。外国人向けの中国のQRコード決済は中国国内でしか利用できないため、チャージしたら使い切る必要がある。

中国政府が号令をかけて急転直下で外国人向けに開放したようだが、払い戻しができない90日制限は不便すぎる。それでもないよりは圧倒的にマシであるが。

中国はAlipayとWeChat PayのふたつがQRコード決済市場を独占しており、何とかペイがクソほどある日本より遥かに分かりやすい。偽札だらけの現金が信用されていないため、中国では速攻でQRコード決済によるキャッシュレス社会が形成された。政府からしてみれば、脱税防止にもなる。
中国人は高速道路の料金所でスマホをかざして支払いをし、日本人なら食欲が失せるような小汚い屋台でもQRコード決済を行っている。現金を持ち歩いている人はほとんどいない。
普段財布を持ち歩かずにスマホしか持っていない中国人も多く、スマホが命の次の大切な状況になっている。スマホを紛失したり、水没させて壊したりすると生活に困るし、バッテリー切れや出かけるときに持って行くのを忘れるということもあってはならない。

何でもスマホで完結できるようになってしまうと、何かあったときに逆に不便なように思えるが、それでも中国人に言わせれば何かなければいいとのこと。
QRコード決済などキャッシュレス決済は災害などで停電が起きたときに支払いが不可能になるわけで、北海道の地震のときもそれが問題になった。中国人に災害時はどうすんのと尋ねたら「そのときはそのとき」という答えだった。

中国のQRコード決済は、Alipayが2004年サービス開始で15年の歴史があり、WeChat Payでも2013年開始で6年の歴史がある。そのため、既にシステムは安定しており、災害でもない限り大規模トラブルなどはあまりないという。
その一方で、2018年にPayPayが始まったばかりの日本ではトラブル続きだ。セブンイレブンのセブンペイが開始直後に不正アクセスだらけで即サービス停止となり、そのままサービスが終了してしまったのは記憶に新しい。先週末では楽天で大規模トラブルが発生し、楽天カードや楽天ペイが数日にわたって使用できなくなった。

情けない話だが、セブンペイのようにセキュリティがガバガバで、楽天ペイのようにシステム更新でトラブル発生というのが日本のキャッシュレス決済で当たり前になってきた感がある。産みの苦しみというよりも、単に技術力が伴っていないだけに思える。
昨日のニュース番組を見ていたら、「トラブルで困らないよう、複数のQRコード決済サービスを利用するようにしましょう」と呼びかけていた。アホみたいな話で、なぜシステムが不安定になったりサービス停止になることを想定してQRコード決済をいくつもやらないといけないのだろうか。そんなことなら、これまでどおり現金を持ち歩く。

これまで、QRコード決済なんか必要ないと思って利用していなかった。しかしながら、我が家の老犬の腰痛に効くサプリメントをYahoo!ショッピングでときどき購入しており、半年に一度1万2千円ほど購入するしているので、Yahoo!ショッピングでは5の付く日に多めにPayPayの還元を行っていることがあってPayPayに加入してみた。

アプリをダウンロードし、本人確認し、チャージするための銀行口座を設定。滋賀銀行は3日ほどで利用できるようになった。口座からPayPayにチャージし、それで買い物するだけ。クレジットカードの方が便利だと思うが、これで10%分1200円が還元されると思うと利用しないのはもったいない。

とはいうものの、現時点では特定の買い物で還元が受けられる以外のメリットが特に見出せない。日本では現金で支払うことが大して不便だとは思わないからだろう。財布を取り出して現金で支払うのと、スマホを取り出して「ペイペイで」と言って支払うことの手間が同じくらいに思えてならない。
QRコード決済をよく利用する同僚は「自販機で使えば便利だ」と言うが、私は普段自販機でジュースやコーヒーを買ったりしないので使う機会がない。
それに、ボタンポチで銀行口座から幾らでもチャージできるのが好きではない。私は浪費するタイプではないが、調子に乗って思いの外チャージしてしまっていたなんてことになりそうだ。

結局のところ、個人的にはPayPayなどのQRコード決済を積極的に利用することはないように思う。自分でも時代遅れな気がしないでもないが、必要性があまり感じられない。還元セールが終わったら使う機会が完全に失われるような気がする。
使うにしても、もう少しシステムが安定し、もっと普及が進んでからでいいように思う。QRコード決済が普及すればの話であるが。
政府はキャッシュレス社会を推進しているが、欧米のようにクレジットカード中心でもいいではないか。中国でQRコード決済が普及したのは、クレジットカードが持てない低信用の国民が多いことも理由のひとつであって、なにも日本の社会を中国に合わせる必要はないように感じる。

20191125-1

日韓の貿易管理に関する政策対話の再開をめぐり、青瓦台(韓国大統領府)が文句を言いまくっている。

局長級会談という政策対話の実施が決まったことについて、経済産業省は韓国側が日本がこれまで求めていた貿易管理体制の改善に向けた意欲を示したからとしたが、青瓦台が24日(日)に「完全に事実と異なる」として遺憾の意を表明した。
青瓦台の言い分はむしろ逆だ。鄭義溶(チョン・ウィヨン)青瓦台国家安保室長は、経済産業省の以下の発表が事実と異なるとした。
  • 韓国が貿易管理体制を改善する意欲があることを示した。
  • 韓国のWTO手続きの中断を事前約束したので協議が始まった。
  • 日本が輸出管理を強化した3品目の個別審査方針に変わりがない。
鄭室長が言うには、日本が輸出管理強化を見直し、韓国をホワイト国に戻す前提で対話をしようと持ちかけたものらしい。日本が完全に折れ、これまでの行いを改めるから対話をしてくれとお願いしたので、GSOMIA破棄をしばらく延長し、対話してやることにしたのだという。

さらには、合意内容を歪曲したデタラメな発表をしたことの抗議に対して経済産業省が謝罪をしたとも発表していた。

それに対し、菅官房長官や経済産業省は、GSOMIAの延長と対話決定に関する骨子は事前に韓国とすり合わせを行ったものだとしたうえで、謝罪はしていないとした。

韓国政府は経済産業省の発表をデタラメだとし、日本が頭を下げてきたとしている。
日本政府は発表された内容は韓国とすり合わせしたもので間違いなく、謝罪もしていないとしている。
果たしてどちらが正しいのだろうか。

考えるまでもない。韓国政府はこれまでに外国政府の主張を都合よく解釈し、ウソの発表を何度も行ってきた。元々GSOMIA破棄についても、「アメリカ政府の了承を得た」としていたではないか。アメリカ政府に即座に否定されるとごちゃごちゃ言い訳をしていたが、今回のいちゃもんだけは正しいとはにわかに信じがたい。
それに、どういう理由で日本政府が韓国に大幅譲歩せねばならないのか。日本と韓国の立場が逆転してしまっている。

この件について、韓国国立外交院のキム・ジュンヒョク院長なる専門家が、「韓国がいつでもGSOMIAを中断できる。刀の柄は韓国が握っている」とラジオ番組で解説し、「日本が時間を引き伸ばしたり、交渉決裂を韓国のせいにしないよう気を付けねばならない」と注意喚起した。
いつの間にか、日本がGSOMIA維持を懇願し、譲歩する立場になり、すべてのキャスティングボードを韓国が握っているかのようになっている。
恐ろしい話だ。なぜこのような話になるのだろうか。

さらに青瓦台は安倍首相が「韓国に対して一切譲歩しなかった」と発言したことについて、「日本政府の指導者として果たして良心を持って言えることなのか」と強い不満を表明した。譲歩したのは韓国ではなく日本なのに、韓国が負けたかのように言いふらす安倍首相には良心の呵責というものがないのかと批判したわけだ。

おそらく経済産業省の発表や安倍首相の発言は事実であるが、都合の悪いことを言うヤツを叩きまくり、正しいのは自分たちだと青瓦台は言う。あくまでも勝ち負けにこだわり、日本に恥をかかされることは死んでも許せないのだろう。

まだ対話も何も始まっていない状態でこれである。対話をして何かを決めたところで、また同じことになるに決まっている。なんせ相手は国家間の協定ですら平気で破るような連中だ。事前の打ち合わせで決まったことなんぞ自分たちの好きに発表し、相手の言うことは全否定するのも朝飯前だろう。

韓国政府がこれなのだから、どんな会談もどんな取り決めも無意味だ。文書にしても恣意的に解釈し、気に入らないことについて自分が正しいから謝罪しろと言ってくるような連中だ。そんな自分勝手なウソつきと何の交渉をするのだろうか。
マトモに話なんぞできないし、ましてや何か決めることもできない。そのうえ、GSOMIA破棄についてもいつの間にか日本の責任になり、延長できなかった場合は日本のせいのように言っているのだから、手の施しようがない。

交渉ごとで一筋縄でいかない手強い人物をタフネゴシエーターと呼ぶが、韓国は別の意味で交渉しにくい相手だ。手強いタフネゴシエーターなのではなく、単に頭がおかしくて話が通じないために交渉が難しい。交渉できたと思っても、あとから文句を垂れ、やっぱ気に入らないと言いだして破棄してしまう。
そんなもん、交渉でもなんでもない。

今回の一連の騒動で、韓国政府とは一切の交渉がマトモに行えないことがよく分かった。あちらさんの高すぎるプライドのせいで、日本が折れ、日本が負けを認めない限り何も認めないだろうし、あとになってひっくり返されてしまう。
韓国とは交渉するだけムダである。向こうが態度を改めない限り、ちゃんと話を聞く必要はないし、何らかの合意をする必要もない。それが分かってよかった。

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